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うすぐらいおはなしとか

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記事一覧

塩水浴の日

塩水浴の日

 ネイルサロンの帰りに決まって立ち寄る店がある。
 
 月に一度、ネイルを削って落としてもらい、爪をととのえ、ジェルを新しく施してもらうのがわたしのルーチンのひとつだ。いくつかお決まりのその中には、髪を切ってトリートメントと丁寧なヘッドマッサージを施されることなどが含まれる。自分の体のケアを自分以外の人に任せる。
 それらはおそらく、別居の義母などから言わせれば「贅沢」であり「無駄なこと」なのかも

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動物園の中の動物になる

 仕事を辞めてからどれくらい経ったか、すっかり忘れてしまった。
 最近気づいたことなのだが、人間、意外と働かなくても生きていける。しかも東京都近郊(23区内は無理だ)で、一人暮らしで。
 私にその手順を教えてくれた人とはdiscordで知り合った。とあるオンラインゲームのコミュニティサーバーだ。どんなネットコミュニティもそうなのだろうけれど、大手のそこは登録メンバーだけでも千人を超えていて、アク

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ささやきいのりえいしょうねんじる

ささやきいのりえいしょうねんじる

元同居人が携わっている成果物がセールになっていたので、購入した。

生きるのが不器用な人だったからか、なんだかあの人はどのプロジェクトでもワリを食っている気がする。
職人かたぎな性質だから、それでも本人は構わないのかもしれない。損な人だなと思う。でも、そんなところも含めて好きだった私がいるのだ、振り返れば。

世渡りが上手い人ならたぶん好きにならなかった。不器用でまっすぐで、でも「自分はこざかしい

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72歳の女の子とする仕事

72歳の女の子とする仕事

久しぶりに会った友達、中谷くんは転職していた。
「AV男優になったんだぁ」
新宿の手羽先屋で飲もうというので、歌舞伎町まで出向いた時に、そう告げられた。そうか、と私は答え、手羽先にかぶりついてビールを飲んだ。
中谷くんは男前で、しゅっとした身体をしていて、性格は人懐こかった。わりと甘えん坊な男だ。前職はプロバイダのSEだった。ずいぶん思い切った転身だとは思う。

新しい仕事において彼はNGとなる分

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マンモグラフィの洗礼

ゲームの仕事をしていたころの同僚だった、高崎くんにひさしぶりに会った。

以前おなじ会社にいた頃、高崎くんはおしゃれで見た目もよく、性格はとてもこまやかで女の子のちょっとした変化にも敏感で、つまりモテる男だった。四分の一、海外の血が入った容貌をしていたので、なおさらだった。しかし話しやすく誰にでも気さくに接する彼は、老若男女の友達がいた。

数年ぶりに会った高崎くんは、結婚していて子供もいた。そし

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虚空にむけてつづる

COVID-19という新型のウイルス感染症が世界に蔓延しはじめてから、文明生活を送る人間という種は距離をとりあうことが必須になった。
そういう暮らしを送るようになって僕は、ようやく「あ、楽だな」と思うようになったのだ。ひとりで過ごす時間が増えたからだ。

僕は、世間では役者とか若手俳優とかイケメンとか、まぁありがちなラベルをつけてテレビや映画や舞台に出る人間で、それで飯を食っているのだから文句をい

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かつて「運命の女(ファム・ファタール)」だったひと

僕は初老のイラストレーターだ。ゲーム会社勤務を経て、四十を過ぎて退職し、副業として請けていた絵の仕事を本業とした。
裕福とはいえないが、日々の暮らしに困るわけでもない。毎日朝七時には起床し、ストレッチ。そして朝食を作ってインスタにアップし、ゆっくりと食べる。一人暮らしなのですべてが自分のペースだ。今日は和食にした。生卵に納豆、もちろんねぎをいれる。昨夜漬けておいたきゅうりの浅漬け。それから土鍋で炊

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正しい呼称について悩む子供だった僕へ

僕は友達のお母さんをどう呼んでいいのか、ということに戸惑ってしまう子供だった。
偏屈だったのか、理屈っぽいのか、あるいは馬鹿なのか。つまりはちょっと世渡りが下手だ、三十路過ぎた今もそうだ。むしろ俗にいうコミュ障だ。
何も考えずにすむ、簡単な呼び名があるのはわかっているのだ。他の友達みたいに『〇〇くんのお母さん』『〇〇くんのおばさん』『〇〇くんのおばちゃん』と無邪気に呼べばいい。何も考えずに。

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不老不死じゃない

僕が遅くに帰宅すると、妻はだいたいゲームをしている。毎日12時間以上はログインしているようなので、相当だ。酷い時には18時間だったらしい。
まぁ、そのことに不満はない。僕も廃手前レベルにゲームをしていた時期があったし、ネトゲに没頭していた時もあった。妻も同じネトゲをやっていたが、たぶん、かけられる時間が長い分だけ彼女の方がゲームでは『上』だったと思う。装備のスペックとか、キャラのステータスとか、人

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かりもので、かりそめ

 俗にいう「パクツイ」というのをしたのは、無名時代の僕だ。
 最初は軽い気持ちで、1000RT以上されたツイートを集めたbotから、適当によさげで、女の子に受けそうなものをコピーして、僕は自分のアカウントでツイートした。
 そしたら、すごい勢いで「いいね」されてRTされるんだ。
 まぁ普段の自分のツイートに比べて、なんだけど。でも50RTされるとかそれまでの僕にはありえなかったことだし、うれしかっ

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わたしの呪い。

新作のタイトルが発表されたとき、たまたま手にした雑誌に彼の名前を見つけて、わたしはとてもうれしかった。わたしなりの仁義というか、一線をおく意味として、彼の現在の情報を積極的に入手しようとは思っていないから、ほんとうに偶然だ。

彼はわたしの元同居人で、数年同じマンションの一室で暮らした。彼は仕事をとても愛していたし、わたしも彼と同じ業種で違う職種、彼の仕事をわたしはとても好きだった。

こだわりを

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ウツに無理解な彼氏bot

「躁うつ病の彼女」に困り果てていた彼が、最近見違えたようにぴかぴかしている。ぴかぴか。そう、つき物が落ちるというのはこういうことなのだな。先々月の飲み会で彼はひどく疲れていて、倦んでいた。膿んでいたともいえる。
「何かいいことあったの、最近」
ランチから戻ってきた彼に声をかけると、彼はちょっと目をきょろきょろさせ周囲をうかがってから、小声で答えた。

「例のメンヘラの彼女と別れたんで」
「メンヘラ

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風評被害の麩

飲み会の席で二十代の男子がからかわれるのはたいがい「彼女」ネタだ。
うちの部署には二十代後半の男の子がふたりいて、両方とも大学時代から付き合っている相手がいるらしい。
「重いんです」
院卒の彼は、言いながらもそんなにゆううつそうではなかった。

「俺が大学院にいる間に、先に卒業した同じ年の彼女が就職して、さっくり結婚資金ためちゃって」
それなら結婚しちゃえばという無責任さを放り投げれば、彼は「でも

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境界線上の彼女

「いつかツケが回ってくることは知っていたの」
 彼女は大したことではない、というような面持ちをしていた。その内面は解らないけれど、他人の心を百パーセント理解してあげられると思えるほど僕は傲慢でも物知らずでもない。だからカラになった彼女のグラスに、瓶から白ワインを注いであげるしか出来ない。注文しておいたサラダやパスタには手を付けず、彼女はワインだけを口にしている。初秋の風が彼女の色素の薄い長い髪を揺

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