境界線上の彼女

「いつかツケが回ってくることは知っていたの」
 彼女は大したことではない、というような面持ちをしていた。その内面は解らないけれど、他人の心を百パーセント理解してあげられると思えるほど僕は傲慢でも物知らずでもない。だからカラになった彼女のグラスに、瓶から白ワインを注いであげるしか出来ない。注文しておいたサラダやパスタには手を付けず、彼女はワインだけを口にしている。初秋の風が彼女の色素の薄い長い髪を揺らす。テラス席で酒をたしなむにはとてもいい気候だ。

「そのツケはレイコさんを苦しめた?」
 僕が問うと彼女は笑った。ひどくつまらない質問をしてしまったようだった。
「全然、まったく、皆無」
「ならいいじゃないか」
「そうね、でも『彼女』は『友達』や『恋人』に傷つけられたことを声高に言わないと生きていけない生き物だから。わたしの前もそうだった。ねぇあの子と食事をすることがどんなことか知っている? あの子は『友達』の悪口をえんえん言い続けるの。食事の最中ずっとよ。わたしはその間ずっと『そうね、あなたの友達や恋人はひどいわね』って言ってあげる」

 「彼女」のことは僕も知っていた。大学である種評判の女性だった。見た目は美しく、恋多く、ほがらかで愛らしい女性。でも、闇を抱えている。それが瞬時に理解できたので、僕は彼女と関わらないことを選んだ。しかし僕の親友であるレイコさんは違った。彼女と親しく言葉を交わし、一緒に食事に出かけたりディズニーランドに出かけたりしていた。
「アトラクションで並んでいる間も『友達』の悪口よ」
 レイコさんがくすくす笑うせいで、グラスの中身がゆらゆらと揺れた。
「じゃあ手を切ればいいじゃないの、っていうと『でも一緒にいるとトクなことがあるんだもの』って返されるの」
「そんなのは」
「うん、『友達』ではないわね。少なくともわたしはそう呼ばないわ。せいぜいがところ『知り合い』ね」
「そうだね」
「でもわたしにはあなたは『友達』よ。彼女につられてあなたの陰口なんか言わないわ」
「知ってるよ」
 微笑すると、彼女は安心したように小首をかしげた。何も食べずにワインばかりの彼女に、サラダをとりわけて渡してやる。

 僕はきっと、彼女を許さないだろう。ある日いきなりレイコさんを糾弾し、レイコさんの陰口をまきちらしはじめたあの女を。
 それがあの女の処世術だとしても、絶対に。
 でもレイコさんは笑うのだ。
「わかってそばにいたわたしが悪いのよ」

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