人生におけるキャパの重要性
色んなキャパシティーってあるよね。
心のキャパ、感情のキャパ、頑張りのキャパ、食欲のキャパ。
好きな人と話してて、私が「よく食べ過ぎて気持ち悪くなって吐いちゃうことがあるんだ」って言ったら「キャパ分かんない人じゃん」って言われた。確かにねって思った。
キャパなんて考えたことなくて、小さい頃から欲のままに食べて苦しくなったらやっと食べるのをやめる、みたいなところがあった。
でもよくよく考えたら、私がキャパオーバーしてたのは食だけじゃなくてすべてのキャパだったのかも、とふと思った。
心や感情もよくキャパオーバーしてた。頑張りはキャパオーバーしてなんぼだと思ってた。というか自分の中に存在するキャパを把握できていなかったから、キャパオーバーして苦しくならないと気づけなかったのだと思う。
でもキャパオーバーを繰り返すと、自分が疲弊して生きるのが辛くなるんだよね。病むことが必然と増えるし。
それが嫌だったから、私は自分のキャパを知る努力をした。
心や感情は未だにキャパを測り間違えて溢れちゃうこともあるけど、対処するまでの時間はどんどん早くなってる気がする。
キャパを知る努力って、結局自愛、
自分を大切にすることと同義なんだとつくづく思う。
自分のキャパが分からない人が、自分のキャパを測るのって凄く難しい。だって気づいたらまた溢れてる、の繰り返しで心が折られるから。もういいや、って諦めそうになるから。
だけどそこで諦めずに、溢れても自分を責めずにまたもう一度頑張ろうってしてあげると何が起こるか。
些細な心の動きを感じ取れるようになる。
チクっとした心の痛み、霧のように薄いモヤモヤとか。
普段の私だったら見逃しちゃうような小さな違和感に段々気づけるようになる。それと同時に、こんなに沢山の違和感を無視して生きてきたのかと衝撃を受けることになると思う。
キャパを知ると、キャパオーバーしない行動を必然ととれるようになる。私は本音を我慢したり、嫌な事を言われても我慢したり、我慢によるキャパオーバーが多かった。
だけどキャパを守るために、私は本音を言えるようになった。
言わないと私が苦しむから、それだけ。
受け入れられなくてもいいし、納得されなくてもいい。
ただ私が言いたいから言う。私が言わないと納得できないから言う。
でもなるべく傷つけないように言い方には気を付ける。
悪い事はしていないんだから、堂々としなよって自分を鼓舞する。
そりゃ本音を言わずに我慢するほうが楽だし安全。
だけど自分を守るために、自ら恐怖を選ぶ環境に飛び込んだ。
そしたら強くなった。生きやすくなった。
不思議と周りも、こんな私も受け入れてくれた。
案外、身構えを解くと広がる世界は鮮やかなのかもしれない。
そう思った20歳の4月でした。
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