映画 『BLUE GIANT』の好きなセリフ
《本記事の一部が、タイトル映画のネタバレになるかもしれません》
漫画の『BLUE GIANT』が映像化されると最初に聞いたとき、なかなか勇気のある決定をしたものだと感じた。
原作のあらすじ自体は単純である。
主人公の高校生である宮本大(みやもと だい)が、ライブハウスでジャズの演奏を目の当たりにしたことで、サックスプレイヤーを目指すことを決意する。
サックスを猛練習した末、大は高校卒業後に上京し、そこで出会った仲間たちとジャズバンド「ジャス(The JASS)」を組み、ライブをこなしながら世界一のジャズプレイヤーを目指してゆく、、、という話である。
この漫画、主人公たちがジャズを演奏するシーンになると「紙面からホントに音が聞こえてくる!」などと話題になった。
冒頭で書いた通り、そこまでの音楽漫画を敢えて映像化して、実際の音を合わせる、特に主人公である「大」が「漫画の中で鳴らす(鳴らしているであろう)音」を「リアルな音」で表現してしまうというのは、スリルのある挑戦と感じた。
主人公の大はまだ無名であり、音楽業界の関係者やライブハウスの客にも、最初は何かと相手にされなかったりもするのだが、ひとたびサックスを吹くと、周りがその独特の音とセンスに「おおっ!」と唸り、言葉を失うようなシーンがあったりする。
大のバンドメンバーには、4歳から楽器に親しんできた沢辺 雪祈(さわべ ゆきのり)というピアニストがいる。
大はそのようなタイプとは正反対で、高校デビューであり、もともとは川原で独学で猛練習してきたというような設定である。
粗削りながらも、さぞかし稀有な才能の持ち主なのであろう、、、と原作の読者は頭の中で、思い思いに大の「音」を「稀なセンスを持つ奴のそれ」に置き換えていた部分があるのではないかと思う。
そして、自らが作り上げた「大のイメージ」に基づき、その「稀有なセンスの持ち主による音」を頭の中で再現することにより、音無き音を「聴き」、漫画の世界に没入していた部分が少なからずあるのではないか。
そのためには、大の「音」を映画で再現するには、「大学生で、ちょっと上手い奴のそれ」を遥かに凌駕する必要があると思った。
映像化して実際の「音」にしたものの、たとえば「まあ、、、上手いけど、一流の音を聴き慣れている業界関係者がそこまで唸るほどか?」と観客に思われてしまった途端、魔法は解けて、陳腐な音楽映画に成り下がってしまう危うさを持った映画だとも感じた。
映画の中の音なり音楽なりが、「音が聴こえてくるほどの漫画」の域に達しているか否かは、各人のご判断に委ねたい。
私としては、まあ小難しいことは置いといて、十分楽しかった(ノホホン)。
ストーリー自体は、漫画で既に読んだことのある内容だったが、音楽を担当された上原ひろみさんのことも元々好きだったので、私好みの「音」になっており、飽きることもなかった。
TOHOシネマズ系の「ドルビーアトモス(Dolby Atmos)」という音響効果重視の劇場で観たため、ジャズの演奏のシーンではライブハウスにいるかのような気分に浸ることもできた。
ジャズバンド「ジャス(The JASS)」を懐疑的な目で見る(作中の)お客さんや業界関係者たちを、無理やり音楽に引きずり込まなければならないという設定上、ライブシーンでは、アップテンポで迫力のある曲が多かったように思う(当然、劇場の我々を飽きさせないという目論見もあるのかもしれないが)。
そんなこんなで、ついつい体が揺れそうになるが、ライブハウスのようでライブハウスではないので、そこはじっと堪えてスクリーンに集中する。
私が行った劇場は、「普段、こんなに多くの人がジャズなぞ聴かんでしょう」というぐらい、フルハウスに近いぐらいの客入りであった。
そのお客さんが大半が、もしかしたら自分と同様、揺れたくなる体を必死に抑えているのかと想像すると、少しおかしかった。
さて、この映画の細かい良し悪しについては、すでに多くの方が書かれていると思う。
私は最後に、本作に登場した「どうでもいいような、ただ個人的に好きなセリフ」に触れて終わりたいと思う。
ライブを成功させるため、主人公の大が楽器の練習に加え、音に厚みを持たせるために徹底的に走り込み(ジョギング)し、本番に備えたトレーニングをするシーンがある。
それに気付いたバンドメンバーの玉田 俊二(たまだ しゅんじ)が、沢辺に対し、「大の音、またデカくなるぞ。。。」みたいなことを言う場面がある。
私は、このたったひと言のセリフに、何というか、華やかなライブの裏にある「上を目指すジャズマンのストイックさ」みたいのが反映されている感じがして、心に響いた。
頭の中には、作中のBGMとシンクロして、ロッキーのテーマが急に流れ始めて、邪魔になって困った。
私は以前に「ひょっとして「沈んでるテンションを無理やり上げさせられて、体揺らされたい」みたいな映画とか探してますか?」で少し書いたが、10代の頃、ビッグジャズバンドでテナーサックスを吹いていたことがある。
謙遜でもなく、あまり上達せずにやめてしまったという、少し苦い青春の思い出ともなっている。
私が所属していのは「ジャス(The JASS)」みたいな少人数編成ではなく、「ビッグ」バンドなので、メンバーは総勢20人近くいた。
ライブでは「カウント・ベイシー・オーケストラ」のレパートリーを中心に演奏し、最後にバディ・リッチの「Big Mama Cass」という曲をノリノリで、メンバー全員がアドリブのソロ回しをやってお客の体を揺らし、大音量で閉めるというのをお約束としていた。
たまに、その中の何人かで抜け出して、ステージで演奏したりすることもあり、そのように即興で組んだ少人数編成のグループを「コンボ(combo)」などと呼んでいた。
ビッグバンドにせよ、コンボにせよ、上手いプレイヤーというのは、演奏技術うんぬんもそうだが、何より「音」が全然違うと感じたものだ。
当時、私の先輩にも1人、その華奢な体格からは想像もできないほど、迫力のある音を出す方がおられた。
その方が主に吹いていたのがアルトサックスであり、私はその先輩に色々と初心者っぽい質問をしたものである。
サックスプレイヤーは、曲によって、たまに楽器をフルートに持ち替えたりすることがある。
因みに、私はそのようなレベルには達しておらず、フルートはあまり吹いたことがない。なぜか子供の頃から家に(親父のものと思われる)フルートがあったにもかかわらずである。
余談だが、私の親父も若い頃にバンドでサックスを吹いていたらしい。
当時はカラオケがなかったので、バーみたいなところで「生バンド」に対するニーズが高く、そこまでの腕でなくても、食っていけるほどには稼げたらしい。
ただ、私は親父に感化されてサックスを始めたということは全くなく、親父がサックスなり(家にあった)フルートなりを吹いている姿は1度も見たことがない。
脱線したが、上に述べた「ジャズうまうま先輩」が一度、椅子に座って両脚を上げたままフルートの練習をしていたことがあった。
真剣な面持ちであり、「何のためにそんなことをしているんですか?」と野暮な質問をするタイミングを逸した。
しかしながら、うまい人というのは、楽器の訓練は当たり前にこなした上、それ以外の独自のノウハウみたいなものを、みなストイックに継続しておられるのだろうか、などと感じた瞬間であった。
私もその先輩に倣って、こっそりと両脚上げ吹きトレーニングを試みたが、テナーサックスでは重過ぎて、うまくいかなかった。。。
『BLUE GIANT』の話に戻る。
玉田が沢辺に対して言った「大の音、またデカくなるぞ。。。」のひと言に、当時の私の周りの「極うまジャズマンたち」の表に出てこないストイックさと、彼らの背中を遠くに見ていた自分の歯痒さみたいのを思い出させられた。
上に述べたとおり、「どうでもいいような、ただ個人的に好きなセリフ」だ。
さて、漫画に引き続き、本作が映画で再度話題を集めたことにより、国内でもジャズファンは増えるのだろうか。
かくいう私も、普段からそこまでマジメに(?)ジャズを聴きまくっているとも言えず、テナーサックスなぞは何十年も実家に眠り続けている。
ライブハウスなどは、そこそこお客さんが入っていたりすることもあるが、非定期的に「ジャズ喫茶」に足を運ぶと、小さなお店では2時間ぐらい、お客が私1人とかだったりすることもある。
そう言えば、街中でビラ配りをする大を見て、沢辺がぼそっと言っていた「ジャズなんて、もう誰も聞かない」というのも、なかなかに痛烈なセリフだった。。。
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