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aki先生インドネシアで教育の意味を考える

2つの黒目がちな瞳が私を真っ直ぐに見つめながらみるみる潤んでいく。

現在のセンターは、さまざまな身体障害者だけではなく、精神障害者、犯罪被害者、孤児も合わせてサポートしているので、本来なら専門家の定期的なカウンセリングが必要な人や、複雑な境遇で育っていておそらく生涯に渡って生きづらさを抱えるであろう人も一緒くたに学んでいる。国立の施設だからトップが変わると方針も変わる。現場で運営する側も楽ではない。だが、もともと人間は勝手にカテゴリ仕訳されて十把一絡げにされていいものではないと私は考えている。健康な子どもでもそうなのに、システマティックに一括りにされては一人一人に合ったきめ細やかな指導は実現できない。かと言って日本の障害者施策も障害者権利条約批准というプレッシャーに対応するために整備されたし、国民の障害者に対する倫理観は決してspontaneousに醸成、強化されてきたものではない。そこは市民自ら人権を真剣に勝ち取ってきたヨーロッパと温度が違う。良かれ悪しかれ日本はみんながそうするから私も、の国だ。そんな国から来た私も連中から見れば中途半端だ。

センターにはバイク修理具術、木工、コンピュータ、写真加工技術、溶接技術、テーラー技術など、目標を持っていれば手に職をつけられるクラスもあるが、私が担当する職業訓練の Handicraftのクラスは、生業にしたい人の割合は少なく、まだ目標が持てない人の居場所でもあり、どこにも馴染めない人や、年少の障害児を補助するため一緒に寮生活している保護者(たいてい母親)や、学校がひけた後の孤児も参加する。そうすると指先のリハビリ、趣味クラブ、学童保育としても機能しなければいけないし、一方で本気でカバンやポーチを制作している人もいる。ものつくりが根性を要すること、いっぱしになろうと思うなら自分を奮い立たせて動かなければならないことを知っている人も何人かいる。


大人塗り絵に真剣に取り組む

手工芸は年配の婦人の趣味悠々の世界、スピード時代のいま、あまりにも悠長な作業、手頃な値段の良いものがあるなら買えば良いではないか、本気で飯のタネにはできないと考える人は少なくないと思う。しかし使う人一人ひとりの身になって作られていない新品未開封のお土産品が引き出しの中に溜まって、処分に困っている人は結構いるのではないか。手のわざ(術)と書いて、たわざと読み、人類の知恵と文化の結晶であり、今の工業製品も基本的にそれらの”たわざ”を機械が代行しているだけであると、文化服装学院の院長に教わった。先生は学生に豊かな文化を持つ人類の素晴らしさを示唆してくださった。人の手の技による産物は制作者の考えや生き方を他人に語る。手工芸に関する限り、機械のような精確性を実際には人はそれほど価値を見出さない。偶然の不揃いが温かく美しい時もある。


小石で作ったおはじきで遊ぶ

もともと私はデザイナー出身のマーチャンダイザーで、商品企画が専門だが、デザインやサンプル制作だけでなく、海外含め生産委託発注や納期管理、クレーム処理、その後、輸出入手続きや他法令、保険求償、税関対応、倉庫設立、WMS、流通ルートの管理、さらにクライアントビジネスも携わった上に、自宅でマンションメーカーをしていた母のアトリエが遊び場だったため、材料調達から生産、ブランド管理、QC、販売促進、納品、返品交換対応まで、川上から川下までをだいたいカバーできると思っている。

インドネシアの任地のセンターに赴任して来た今、その川上から川下までのどこに私の生徒の一人一人がフィットしうるかを、毎日の指導の中で観察すると、営業が向いている人、仕入れに向いている人、生産に向いている人、企画に向いている人、QCが向いている人、調整や総務的な役ができる人、販促が向いている人、いろいろタイプがいる。

趣味にとどまらず仕事に結びつけて考えて欲しいと願うのは、何といっても彼らはいつかは自立すべきだと思うからだ。このことは同僚の先生と意見が一致している。インドネシア語では自立はmandiriと言う。私自身、社会人になって親の家を出た後は、終始自立して生活してきたから、自立した大人として生きることがどれほど自由裁量が大きいか、どれほど自負を持って生きられることか。そして自己の充足だけではなくて、その裁量を良いことに使いたいと願う。インドネシアは家族主義の文化が強く、個人の自立より家族の助け合いを旨とする。いろいろ事情はあるだろうが、まだ障害者年金制度もない。日本では障害者が自立できる可能性はこの国よりずっと高い。白い杖の人も1人で電車に乗るし、車の免許も取れるようになってきた。ローソンは障害者のイラストをコーヒーカップにあしらっている。障害者の描いたイラストがクレジットカードに印刷されていてそのクレカを使うと障害者団体に寄付がいく仕組みだってある。そんなことがまだまだ先の話であるインドネシアでも、障害者の自立の必要性を言うとうなづいてくれる人は少なくない。家族にぶら下がって生きることを揶揄するのではない。腕を磨き感性を高くし、良いものを作ってそれが人に認められた時、すなわち対価を得たときの感動は経験した人にはわかってもらえると思う。さらにそれを愛用してもらえた時、嬉しさは責任感に変わっていく。自分の人生に価値を見出す、その過程で人は大きく成長する。なお、お金がどれだけついてくるかはその次のテーマなので、次回に譲りたい。


切り絵で光の効果を体験

さて、どんな人間の集団でも、知恵や力や経験の差で、人と人の間に高低差ができる。家族でも学校でも職場でもアスリートのチームでも、だ。例外はない。その時、高い方に仁や徳、道義や倫理が備わっていて適切な自省や第三者の査定がされていれば良い手本や指導者になるが、そうではない場合、弱い者に強い者が頼って縛るという不適切な支配や搾取が起こる。だいたいの場合、その原因は強者の脆弱な自尊心だと私は思う。自尊心の高さとは必ずしも富裕や高学歴、美貌のようなスペックの高さと比例しない。どんなところにも自尊心の低い人はいる。

教育と洗脳の違いを明確に説明できる人は教師にも多くない。教えるというよりは支配して自分をカリスマ化し生徒を操作するのは違うと思う。この点を自分に強く戒め悩みながら教師をしたのが祖父だった。不十分な人が不十分な人を教えることに祖父は悩みながらことを進めていた。祖父の言葉を借りるとすれば、私の指導する対象はみんなrising generationだ。特に、障害者のみんなは、運命が私に託した大切な人たちだ。名前以外の字が書けないなど、教育の機会を奪われて来た人もいる。2桁の計算ができない人もいる。そこへ持って教えるというのは、輸血や臓器の移植みたいに、教師の言葉一つが財産になったりトラウマになったりする。覚えが悪いからと、つまり教師からの移植が上手くいかないからと制裁を加えるなどもってのほかで、まずい教え方で苦労させてしまう場面では、私も苦しい。何をどう教えるのか、語学も含め、力不足で申し訳ない。祖父の言うように、私がまず成長すべきだと思う。何のために教えているのか、いつも振り返りは欠かせない。


祖父がRising generation という言葉を使った次の誌面に学徒出陣戦没者名簿があった

信じてついて来てくれるだけに、責任は非常に大きい。私は生徒が他の先生にするように先生の手の甲に額や頬を寄せる挨拶を止してもらうことにした。世辞、つまり虚礼は廃止し、むしろ結果で示して欲しいと思っている。生徒から教師を愛するようにと圧を加える作法は私には性に合わない。生徒と教師の間には高低ではなく、経験に量の違いがあるだけだ。祖母が目標というなら、どんな態度をされようとあきらめずに生徒を愛そうと努めなければ教師は務まらないし、それを伝えられなければ愛していないのとあまり変わらない。心に思うだけの愛でも愛だと思っている人には申し訳ない、それは文芸の場では美しい時もあるが、不器用さがゆえに相手に伝わらないでは、教育の場では意味をなさない。エーリッヒ・フロムの言うように技術不足だ。相手の成長を願って上手に愛さなければならない。これは難しい。

こんな不十分な私にも何かを感じてくれるのか、ある日の夕方、一人の生徒が、ふと、aku punya kasus(I have a case)とメモを私に渡して、聞いて欲しいことがあると言ってきた。そして自分がセンターにいる事情を話してくれた。なかなか課業に取り組めない彼女に、生産的に日々を過ごすことの大切さを指導したばかりのタイミングだった。もし何にもしたくないならしなくても良い、代わりに私に手紙を書いてくれ、手紙をもらうのが好きだから、日記でも絵でもいい、文章書くのもデザインだ、と紙を渡したのだった。

うなづきながら聴くだけの私の目をまっすぐに見つめる優しい瞳から大粒の涙がポロポロ溢れて、いまだに苦しい思いで眠れないと、(他のクラスで習った)コミュケーション云々どころではない、と、打ち明けた。それは普段の笑顔からは想像できない、聞く方が戦慄するような虐待に遭遇して前途ある人生をめちゃくちゃにされた、つまり身体も心も徹底的になぶられた人の苦しみだった。家族とも遠く離れて自由に会えずこのセンターに住んでいる。本人も処理しかねる胸の痛み、まだ去らない恐怖、わかってもらえない深い孤独、混沌とした人生観や世界観、無気力感、真っ逆さまに突き落とされた自尊心、そこからどうやって回復して、期限を切って過去の引き出しに収めて前に進めというのか。

貴女は決して悪くない、彼らが悪い、間違っている、何度も何度もそう繰り返して、嗚咽に震える彼女の肩を抱いて私も泣いた。加害側はこの涙の意味を決して知るまい。彼女も言葉が未熟で、さらに私の語学力も甚だ不十分、それでもおそらく私は、私にわかる言葉を選ぼうと懸命に努力してくれた彼女の告白から、起きたことのおおよその全容を理解したと思う。私の生徒の中にはセンターが言わばシェルターの人もいるのだと悟った。

悪夢のような事実を、自ら私に打ち明けてくれたことの意味を真剣に考えなければならない。話してくれてありがとう、と彼女の両手を取った。いつも手の冷たい子だ。「過去は変えられない。でもこれから一緒に生きていくことはできるよね。」と言ったら、うなづいてくれた。One thing for sure is that I unchangingly love her. 英語のわかる他の生徒からメールで伝えてもらった。

教師としてソーシャルワーカーとして、生徒やクライアントの行く足元を明るく照すことができなくてはならないと思う。生きていく道を示さなくてはならない。後ろではなく前をより明るく。

美しくやれないにしろ、やらねばならないことは多い。


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