見出し画像

【雑感】美とは人間の業である

コロナ禍の自転車通勤の紫外線でくらたの頬に爆誕したシミを美容レーザーで焼いた体験ルポを書こうと思ったのですが、こまごまと書いている間にどうでもよくなってしまいました。美容レーザー痛かったしダウンタイムのかさぶたはインパクト大だったけどシミが消えてメイク時間減ったので悩んでいる人はおすすめだよ、以上。
ということで、美醜について・ルッキズムについて雑感を書きます。


「美人」から「美」を取っても「人」だけど、「美魔女」から「美」を取ったら……

大人の女性のうち美しい人を「美魔女」と呼ぶようになって久しいですね。
くらたもどうせ年齢を重ねるなら「美魔女」をめざしたいけれど、「美」を掲げるのはおこがましい。では「美」を取ったら……え、魔女?年齢を重ねると、女性は「美しくなければ魔女になる」と考えられているのか?

いやいや待て待て、熟語の成り立ちがちがうのか。

美人」 = 「しい・」 ※「美」は「人」を修飾
美魔女」= 「しくなる法を使う・」 ※「美」は「魔」を修飾

おお、ちょっと安心しました。
この成り立ちと考えるならば「美魔女」から「美」のみを取ることはできません。「美魔女」から「美(しくなる)魔(法)」を取ったら「女」、ああよかった。
あれ、でもそうすると、「美人」はその人が美しいという言葉だけど、「美魔女」は魔法がとけたら美しくないの?なんかそれは悲しい……。

美醜の概念から逃れることは難しい

ことほど左様に、美醜の話題は人の心をざわつかせます。
美容だけでなく、ファッション、音楽、絵画・彫刻などの美術、建築、舞台芸術……何に美を感じるかは人それぞれでも、何かを「美しい」と感じ、それに魅力を感じてしまうことから逃れることは難しい。しかも経験的には、その美醜のジャッジから心惹かれるまではほとんど無意識に・自動的に起こる。
であればこそ、取り扱い注意の概念と言えるでしょう。

2009年に発行された勝間和代氏の著書『結局、女はキレイが勝ち』(表紙は同氏のバストアップ写真)を見たときは絶句しました、いろんな意味で。
同氏の著書一冊も読んだことがなく、タイトルと表紙だけでそういうこと言うのはよくないですね……失礼しました。でもタイトルと表紙は一般的に著作権法上の著作物と考えられていますから、それに対する感想ということで。読んでいないのでリンクは貼りません。
そして何より、このひとくさりの文章にだって、勝間氏が繰り出した美醜の話題にざわついた、くらたの未熟な感性が表出しています。

とはいえ、勝間氏のおっしゃることも一理も二理もあって、先日拝聴した脳科学者・中野信子さんの講演会ではこんな話がありました。

(大意)自分を大切にする方法の一つとして、お気に入りの、いちばんいい服・一番高い服を毎日着ることです。
形からかと言われますが、周りの見る目がまず変わります。ブランド服を着ている人とそうでない人が街頭でアンケートや寄付を募る実験があります。どちらもブランド服の方がより多く集めたという結果が出ている。
相手の目が変わると自分に返ってきます。自分は価値ある人間なんだと錯覚できる。

脳科学者に言われてしまうとぐうの音も出ません。人間が美醜の概念にあらがえないなら、生きやすさの向上のためにそれを逆手に取るのは悪いことではない。
加えて、中野さんが語っていることで好ましいのは、服の威光を借りればよく、個々人の美醜の話ではないこと。「自分は価値ある人間なんだ」という感覚は錯覚で、錯覚でもいいということ。
身も蓋もないですが、割り切っていて実践的で、気持ちが楽になります。

美醜がヒトに対して使われたときの気持ち悪さ

対して、美醜という概念を人間について使う場合には厳重な注意が必要です。前述の勝間氏の書影が心をざわつかせたのはこのためでしょう。
人を指して醜いというのはもってのほかですが、無遠慮に美しいということにも問題があります

ごく親しい間柄で、一対一の関係で、「あなたは何と美しいのでしょう」とささやくのは愛の言葉でしょうが、兄弟姉妹・友達同士といった、比較的年齢や性質の均質な集団のなかに「〇〇ちゃんはカッコイイ or 美人」という言葉が投下されたらどうでしょうか。〇〇ちゃん以外の成員に「え、ぼくは or わたしは……?」という波紋を投げかける。

先日、赤坂離宮に行ったとき、観光に来ていたおじさん数名連れが大きな声で「東京に来るときはいつも”あの店”に行くけど、昨日のあの女の子は俺が生きてきた中で一番美人だったなあ~」などという下卑た話をしていて、その後に下ネタ話が続き、なんともいえない、下品な、いやあな気持ちになりました。
話を聞く限り、東京に観光で来ている・自分で会社を経営している・そこそこお金を持っている・前の晩に女性の時間をお金で買ったらしきことがわかりました。たまたま同道した人間にここまで知られてしまうほど大声で話すなよ。
朝から、この美しいネオ・バロック様式の壮麗な国宝・赤坂離宮でする話とは思えません。

「美人とほめてるんだからいいだろ」というものではありません。

時代とともに進化してきた、「美醜の話題」への自制心

アインシュタインの稲田さんが、「ぼくはプロなんで」と言ったエピソードが、くらたはとても好きです。

稲田は「僕はプロのブスです。だから何を言われても大丈夫です。だから一般の方に冗談でもアインシュタインの稲田に似てるというのはやめてください。特に女の子。言葉のナイフです」といじめをなくすように訴えた。

日刊スポーツ2019年12月18日

以前も書きましたが、かつては自分を棚に上げて他人をブスブス言っていたケンコバさんが、アメトーークの絵心ない芸人で「今日日ブスいじりは許されない」と発言したのもこのころだったと思われます。
でもさ、本当なら、稲ちゃんが「僕はプロのブスだから何を言われても大丈夫」なんて発言をしなくても済む世界のほうがいいとくらたは思う。

また、モデルの水原希子さんが「世界で一番美しい顔ランキング」を批判したのが2020年(アベマニュースにリンク)。「本人のあずかり知らないところで勝手にノミネートして勝手にジャッジすることは失礼だ」という水原さんのお怒りはもっともで、ここにすべてが集約されている気がしますね。
先ほどの赤坂離宮での旦那衆の下卑た話題が気に入らなかった原因はいろんな問題をはらんでいたからだと思いますが、この「勝手にジャッジすんな問題」もあります。

新しい美の形

さらに近年、新しい美の基軸が勃興してきています。
その旗手、ブリアナ・ギガンテさん。
2020年3月28日にYoutubeの世界に爆誕されました。

ニュージャージー在住(ということになっている)ショーガール。
おっとりした話し方で言葉遣いもふるまいも上品。
マツコ・デラックスさんをして「こんなにおしゃれに世の中をバカにした人はいない」と言わしめた逸材で(『マツコ会議』)、くらたはなんとなく藤井隆さんの「マシュー南」を思い出します。マシューもニューヨーク出身って言ってたな。マシュー大好きでした。

ブリアナちゃんの中の人はぽよまるさんというイケメンポールダンサーです。

イケメンがこのメイク(「小粒ちゃんメイク」)をして、美しい言葉で語り美しいふるまいを魅せる。
これは美の新機軸だ。ブリアナちゃんは既存の美醜の枠組みからの解放の旗手だとくらたは勝手に思っています。

千鳥さん見取り図さんごめんね

くらたは、千鳥さんと見取り図さんはあんまり好きじゃないのですが、それにはこのブリアナちゃんが深くかかわっています。

というのも、千鳥・ノブさんMCの番組『ノブナカなんなん?』で2021年、ブリアナちゃんがゲストに招かれたことがありました。
その回ではひな壇に見取り図のお二人がいらっしゃいました。
ブリアナちゃんのおっとりとしたふるまいや話し方に「絶世の美女のテイでふるまう(ブスなのに)」と突っ込むノブさんや見取り図盛山さん。

うーん……

それさあ……

シロートレベルならまだしも、全国ネットでは10年前の突っ込みじゃない?それを言うなら「そもそもあんたらそれ言える顔面だと思ってる?」というルッキズム全開の反論を拒むことはできなくなるけど、じゃあ絶世の美男美女ならそういうことを言っていいのかという話にもなり……、この2021年にそんな泥仕合を誰がしたいと思う??

確かにこの番組にブリアナちゃん出せば、このようになるほかはないと思います。しかし、だとしたら、制作サイドは一体ブリアナの何が良いと思って企画書作ったのかご説明願いたい。マツコさんも前述の『マツコ会議』で「ブリアナちゃんはテレビに荒らされないでほしい」と言っていました。ほんとにそのとおりだ。

蛇足ですが、それ以来、盛山さんが出ている番組は見ていません。
郵便局のCMでふいに出くわすとチャンネル変えるくらい嫌い。なんで起用してんのか郵便局を小一時間問いただしたい。

さらに蛇足ですが、「ぐるナイ!ゴチバトル」好きなのですが、盛山さんがレギュラー入りした去年から見るのをやめました。
しかし今年、大好きなやす子さんがレギュラーになってしまった……仕方がないのでぐぬぬと奥歯を食いしばりながら盛山さんを我慢して、やす子さんを見守っています(何様)。
ただ、くらたが見ていない間に盛山さんの食事マナーの悪さがボコボコにされてきたみたいです。うーんそれはそれでなあ……。くらたは知らないという理由でバカにするの好きじゃない。ゴールデンタイムのテレビだから清潔感のある食べ方をしたほうがいいとは思うけど勉強すればいいだけじゃん。と、くらたのなかで盛山さんとの和解が勝手に進んでいます。

まとめ

うーん、どう着地すればよいかわからなくなってきたので強引にまとめます。

  • 美醜を感じ取り(ジャッジしてしまい)、美しいものに心惹かれる一連の動作はほとんど自動的に起こってしまうこと

  • それをそのまま表明することは、人を不用意に傷つけるなど、ふさわしくない場合もあること

  • であればこそ「美醜」に関する感じ方、表明の仕方は取り扱い注意であること

  • 既存の枠組みから自由な美が勃興してきていること

という話でした!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?