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【続】土特の国語テキストのテーマに「茶道」が

前記事の続きです。

前記事では先週土曜の授業で配布された国語のテキストの大問1の論説文が「短歌」をテーマにしたものだったという話を書いたのですが、同じテキストの大問3は、森下典子さんの『日日是好日ー「お茶」が教えてくれた15のしあわせー』を出典とする随筆文でした。

内容はざっくりまとめると次のようなものです。

★お茶を習い始めて数年たち、先生がお点前のことしか言ってくれないことに気づき始めた。具体的な動きや順序の細かいことよりも、内面的な気づきの方を大事にするよう言ってくれないのだろうかと思うようになった。しかし13年目から、もしかしたら先生は思っていても言わないだけなのかもしれない、言いたいけど言えない、思いや感情に言葉が追いつかないのでは、と思うように。
★先生は言葉で言えないことを無言で語っている。稽古場にいつも深く豊かに季節感を演出している。が、言葉で全部種明かししてしまっては伝わらないものがある。先生は私たちの内面が成長して、自分で気づき発見するのを待っている。
★理解できないことを質問すると「理屈なんかどうでもいいの」と言われて、学校でわからないことは質問するよう教育されてきた身としては当初反発を感じたが、今ではわからなかったことが自然にわかるようになってきた。本当に知るには時間がかかるが、わかった瞬間、自分の血や肉になる。初めから先生が全部教えてくれたら、長いプロセスの末に理解することはなかった。教えるということは、自分が満足するために相手の発見の歓びを奪うことだった。
★学校では、早く正しい答えを出すほど優秀だと評価され、一定の時間を過ぎたり、異なる答えを出したり、そういう仕組みに馴染めない場合は劣っているとみなされる。それに対し、お茶をわかるのに時間制限はない。気づくときがくれば気づく。成熟のスピードは人によって違う。理解が遅くても、その人なりの深さが生まれる。答えの正誤や優劣はなく、一人一人のあるがままを受け入れる。
★個性を重んじる学校教育の中に、人を競争に追い立てる制約と不自由さがあり、厳格な約束事に縛られた茶道の中に個人のあるがままを受け入れる事由がある。学校もお茶も目指しているのは人の成長だけれど、学校は他人と比べ、お茶は昨日までの自分と比べている。

目から鱗でした。以前書いたことがあるのですが、我が子はとにかくのんびり屋で万事がスローです。理解力、記憶力など決して悪くない(親のひいき目で見れば、普通より良い方だと思えます)と思いますし、好きなことにはとことんこだわって没頭する研究者肌のような、芸術家肌のようなところがあります。しかし、決められた課題をやるスピードがとにかく遅くて遅くて。このところ叱ったり怒ったり文句を言ったりするのは、全て「早くしなさい!」「遅い!」です。

問題を解くのが遅い…これは処理能力の問題で仕方ないのかもしれません。しかし、食べるのも遅い、着替えも遅い、入浴も長い…生活全般全てこんな調子で、勉強に当てられる時間がどんどん短くなります。やらなければいけない勉強量は決まっているのに。今の受験システムだと、サクサクと短時間で大量の勉強をこなせる子が有利なのは言うまでもありません。この子の能力は総合的に見れば決して人より劣っているわけではないのに(と親としては思いたい)、マイペースでスローなことで受験に関しては結果に優劣が出てしまうことに、ずっと忸怩たる思いを抱えています。

私が我が子に合っているのではないかと思っている学校は、全て「競争」の文化がなさそうなところです。マイペースで自由にのんびりしていても生きやすそうな学校というところでしょうか。傾向としては自由のびのび系の学校はそうだと思いますが、1校だけ、学校見学や説明会、文化祭に伺って強烈に我が子に合うと感じるのに、校風としては決して自由系というわけではない学校がありました。なぜだろう、すごくしっくりくるのに…とずっと思っていましたが、少し前にWeb説明会を拝聴して「本校はキリスト教の学校なので競争の精神を良しとせず、運動会もそういう雰囲気ではありません」というような文言を聞いた時に「それでだ!」と腑に落ちました。宗教系は、キリスト教校でなく仏教校でもそういうところが多いかもしれませんね。本当に、人と競ったり争ったりするという概念がすっぽり抜け落ちているような子なのです。

また、我が子は茶道に大変興味を持っており、もし茶道部がある学校に進学することになったら兼部という形になるかもしれないが入ってみたい、というようなことを時々言います。和の文化にもともと関心がありそうだし、おっとりのんびりした性格にも合っているのかな…という程度に思っていましたが、今回のテキストを読んで、我が子が茶道に引き寄せられる理由が分かった気がします。もちろん我が子はまだお茶をやったことはなく、背後にある哲学や思想などもわかっていないと思うのですが、本能で自分に向いている世界を嗅ぎ分けているのかもしれない、と思いました。

競争の文化がなさそうな学校に入るにしろ、茶道部がある学校に入るにしろ、そこを目指す過程では中受の王道レールに乗って、お尻を叩いて急かして勉強させなくてはいけないのが本当に可哀想ですし、矛盾も感じて心苦しいのですが、我が子の良さが評価される場所が必ずどこかにあるし、ドンくさいことで一概に頭ごなしに怒って本人の良さを摘んでしまわないように…と改めて思わされた文章でした。

ウサギとの不利な競争しなくともカメが輝く場がきっとある



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