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盛岡西廻りバイパスの謎(11)幻の土橋起点のルート[南区間・1]
盛岡市周辺で進むバイパス工事の原型となった半世紀前の構想について調べるシリーズ。また更新が日が開いてしまったが、気長にお付き合いいただきたい。
盛岡西廻りバイパスの構想線が明らかになった1974年から、盛岡南道路が事業化される2022年まで。この48年間、旧都南村・矢巾町では、国道4号現道の拡幅と、「裏の4号」的役割の並行路線の整備が進んだ一方、西廻りバイパスの話は停滞していた。
西廻りバイパ
盛岡西廻りバイパスの謎(10)都南と矢巾の縦軸整備[南区間・序]
盛岡市周辺で進むバイパス工事の原型となった半世紀前の構想について調べるシリーズ。西廻りバイパスの整備と同様のペースでゆっくり執筆しているが、ご容赦いただきたい。
これまで紹介した通り、1970年代中盤に「盛岡西廻りバイパス」として構想が具現化されたルートのうち、最初に開通したのは現在「盛岡西バイパス」として開通した盛岡市前潟─永井間だった。
次回からは永井よりも南側の区間、近年「盛岡南道路」と
盛岡西廻りバイパスの謎(9)盛土部は完成何車線?[西BP⑥]
盛岡市周辺で進むバイパス工事の原型となった半世紀前の構想について調べるシリーズ。既に西廻りバイパスの本筋から脱線気味となっているが、今回で国道46号「盛岡西バイパス」として建設された区間の話は終了となる。
2013年の暮れ、最後に開通した1.2kmについて、前回は盛土構造となった理由をあれこれ推測した。今回は、この区間が開通前に少し仕様変更されたのではないかという疑問を紹介するとともに、その理由
盛岡西廻りバイパスの謎(8)何故か1区間だけ盛土[西BP⑤]
盛岡市周辺で進むバイパス工事の原型となった半世紀前の構想について調べるシリーズ。私の身に色々とありすぎて、前回の公開から1年以上の時間が過ぎてしまった。半年ほど前から書く気力が湧き出てきてはいたのだが、今度は時間がなくなった。
西廻りバイパスに絡む部分では、特に大きな変化はなかった。せいぜい、前潟駅の完成ぐらいだが、これはまだこのシリーズの先の話である。どうでもいいことだが、noteのロゴが変わ
盛岡西廻りバイパスの謎(7)消えた高架道路の計画[西BP④]
盛岡市周辺で進むバイパス工事の原型となった半世紀前の構想について調べるシリーズ。今回は「盛岡西バイパス」として建設された区間のうち、本宮交差点から南側、永井の盛岡友愛病院近くまでの区間について、建設の経緯を紹介する。
本宮から前潟に至る4.7kmの道路として工事が始まった西バイパスの事業は、2002年に永井までの3.1km区間が延長される。この区間は当初、地平部分を国が造り、市が中央分離帯に橋脚
盛岡西廻りバイパスの謎(6)大会控え西大橋が開通[西BP③]
盛岡市周辺で進むバイパス工事の原型となった半世紀前の構想について調べるシリーズ。6回目以降は「盛岡西バイパス」として建設された区間について、着工から全線開通までの出来事を紹介する。
毎回の文量が長くなってきて、更新が億劫になりつつあるため、今回からこれまでの1回分を2回程度に分割する。西BPは上中下の3回を予定していたが、延長する。
本宮から前潟に至る4.7kmのルートとして事業化された西バイ