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盛岡西廻りバイパスの謎(7)消えた高架道路の計画[西BP④]

盛岡市周辺で進むバイパス工事の原型となった半世紀前の構想について調べるシリーズ。今回は「盛岡西バイパス」として建設された区間のうち、本宮交差点から南側、永井の盛岡友愛病院近くまでの区間について、建設の経緯を紹介する。

本宮から前潟に至る4.7kmの道路として工事が始まった西バイパスの事業は、2002年に永井までの3.1km区間が延長される。この区間は当初、地平部分を国が造り、市が中央分離帯に橋脚を建て、その上に高架道路を造る計画になっていた。まるで首都高のような構造である。

今や、クマも歩くという西バイパス(今回紹介する区間では無いらしいが)。なぜ現在の形になったのか、資料から探ってみることにする。

前回はこちら。


平成初期の高架橋計画

開運橋西の交差点からJR東北新幹線や雫石川を越え、本宮から南下し、盛岡南ICの通りに至る「開運橋飯岡線」が都市計画決定されたのは、1974年12月のことだ。

盛南大橋付近の都市計画道路・開運橋飯岡線。本宮交差点以北は、平成に入ってから市道として整備された。写真奥に見える新幹線の高架橋は、開運橋飯岡線の整備を見越し、建設時から橋脚と橋脚の間が広く取られていた。

当時の広報もりおかによると、計画決定前の素案段階での道路幅は37m。82年の都市計画図でも幅は37mであるから、37mで決定されたらしい。片側3車線の合計6車線道路を見込んだ計画と推定される。当時は地平を走る道路計画だった。

変化があったのは、平成に入った93年4月のこと。それまでの地平を走る道路に加え、高架道路を建設し、上下2層構造にする計画に変更されたのである。盛南大橋の南側から南ICの通りとの交差点まで、高架道路4車線、地平道路4車線の合計8車線の街路とする計画に変わった。

平成22年度事業評価監視委員会(第3回)資料「道路事業 再評価 一般国道46号 盛岡西バイパス」https://www.thr.mlit.go.jp/bumon/b00097/k00360/h13jhyouka/2203hpsiryou/siryou220302.pdf(国土交通省東北地方整備局、2010年10月26日発行)p.5より引用。2022年8月17日閲覧。

何故このタイミングで計画が変更されたのだろうか。鍵になったのは、この時代に誕生した「地域高規格道路」という道路の種類である。原則、自動車のみ通れることとし、他の道路を立体交差でパスするような道路で、高速道路を補完する役割を持つというのが、この道路の定義だ。

開運橋飯岡線の計画変更があった前年の92年、国は「第11次道路整備五箇年計画」を定めた。この中には、地域高規格道路を整備していくために、調査を行う路線や、事業に着手する路線を選定する旨が盛り込まれている。当時の建設省は、高速道路の通っていないエリアを通る道路や、高速道路のインターチェンジと地方都市の中心部を繋ぐ道路を地域高規格道路として想定していたようである。

役所の話は、ちょっと難しい。以下の図は、新潟県の公式サイトからの引用である。基本的な考え方はこれと変わりないだろう。大変わかりやすい図である。

「地域高規格道路の整備 - 新潟県ホームページ」https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/dourokensetsu/1199812587002.html(新潟県土木部道路建設課、2019年3月29日更新)より引用。2022年8月17日閲覧。

開運橋飯岡線は、地域高規格道路の整備路線に選んでもらうため、93年に計画変更されたものと予想される。ところが、翌94年12月の第1回指定時には、整備が進められる「計画路線」はおろか、調査が行われる「候補路線」にも選ばれなかった。

なお、この第1回指定時に計画路線に選ばれたのが国道106号の「宮古盛岡横断道路」である。現国道の難所から少しずつ整備が進められ、震災後は復興を支える道路として一気に整備が進んだ。高速道路並みの線形と存在意義があることは、皆様ご承知の通りであろう。

都南川目道路の手代森IC(都南大橋東交差点)。この道路を含む一連の「宮古盛岡横断道路」は、地域高規格道路として認定され、それなりの規格で建設された。この近辺もたくさん『物語』があるのだが、その話はまた今度。

開運橋飯岡線はその後、98年6月の第2回指定時に地域高規格道路の候補路線に選ばれた。候補路線の名前は「開運橋飯岡道路」。そのまんまである。候補路線として選ばれたのはあくまでも高架部分だけであり、地平部分は一般道路だった。

バイパス延長と地平化

90年代、開運橋飯岡線としては雫石川に架かる盛南大橋の工事が進んだ。本宮交差点以南については、市が当時の建設省に対し、西バイパスを延伸して「国の直轄事業で造ってほしい」と要望していたことが市議会の答弁などで明らかになっている。この頃、本宮から永井までの区間は「南バイパス」と通称されていたようだ。昨今話題の盛岡南道路とは別である。

「南バイパス」とされる区間をマリオス展望室から俯瞰する。盛南エリア内は、ロードサイド型店舗が立ち並んでいる。

2002年には要望が実り、西バイパスの整備事業が永井まで延伸され、本宮以南についても国道46号として建設されることが決まった。以降は、地平4車線については国土交通省が整備し、高架4車線については盛岡市が建設する方向で話が進んでいた。

ところが、市としては厳しい財政状況から、高架部分についても一緒に国に造ってほしかったようである。市は、国に一体整備を要望していた。高架部分だけで200億円の整備費が掛かるとされたからである。

こうした中、03年に盛岡市にとって追い風となる国の方針転換があった。国土交通省は、地域高規格道路の要件である「立体交差」「原則自動車専用」などを必須とせず、時速60km程度で車が流れる道路であれば平面交差の道路として整備しても良いことになったのだ。

平成22年度事業評価監視委員会(第3回)資料「道路事業 再評価 一般国道46号 盛岡西バイパス」https://www.thr.mlit.go.jp/bumon/b00097/k00360/h13jhyouka/2203hpsiryou/siryou220302.pdf(国土交通省東北地方整備局、2010年10月26日発行)p.5より引用。2022年8月17日閲覧。

国の方針転換に加え、将来の人口減少に伴い、立体構造を計画した時の予想よりも交通量が少なくなると想定された。09年に都市計画変更により、本宮交差点付近以外は平面構造の地平道路として、国土交通省が全て整備を担当することになった。地平4車線+高架4車線の構造を地平6車線とし、両脇に「副道(側道)」を設けることにした。

DCMホーマック付近。本線の両脇に「副道(側道)」が配置され、ロードサイド型店舗へ入るには一旦副道に入らなければならない構造になっている。

平面構造でも、本線を走る車と、周辺商業施設等に出入りする副道の車の交通を分けることで、地域高規格道路としての概ね時速60kmで流れる交通を維持できるという判断からであった。現在、沿道の大規模商業施設に入る際、一旦側道に入る構造になっているのは、このためである。

当分の間は本線を4車線として整備し、時期を見計らって6車線にすることにした。将来的に車線を増やす際の上下計2車線分は、真ん中の広い中央分離帯に隠れているのだ。

平成22年度事業評価監視委員会(第3回)資料「道路事業 再評価 一般国道46号 盛岡西バイパス」https://www.thr.mlit.go.jp/bumon/b00097/k00360/h13jhyouka/2203hpsiryou/siryou220302.pdf(国土交通省東北地方整備局、2010年10月26日発行)p.5より引用。2022年8月17日閲覧。

なお、休日や平日でも時間帯によっては釣具店や紳士服店、回転寿司店がある向中野の交差点において、長い赤信号で待たされ、実際は「概ね時速60km」で流れていないように感じる盛岡市民は、私だけではないはずだ。

本宮は立体計画のまま

先ほどさらっと触れたが、本宮交差点だけは立体交差の計画が残っている。最新版の都市計画図にもしっかりと書かれている。計画変更の際、県は都市計画審議会において「交差点処理及び本線におけるサービス速度を確保するため」としている。

未だ実現していない立体交差計画は2019年、地元紙に取り上げられたり、記事を読んだ市議会議員が市当局に質問したりしたが、現在のところ動きは無いようだ。

本宮交差点。最新の都市計画でも、この交差点を立体交差化する計画は残っているが、未だ音沙汰は無い。

永井まで盛岡南道路が繋がれば、本宮交差点の交通量はどうなるのか。また、暫定4車線区間の6車線化はどうなるのか。いずれにせよ、まだ先の話になりそうである。

次回は、本宮以南の開通年次を確認するとともに、飯岡新田の盛土区間についても数少ない資料から探ってみることにする。

第8回へ続く。


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