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母の「かわいい」からの脱却

母親はわたしの身長が低いことやわたしが童顔であることを、心配をする体でその実喜んでいたような気がする。母は、いつまでもわたしが「世間知らずでおぼこい女の子」でいることを望んでいたのだと思う。

『14歳の母』というドラマを覚えているだろうか。つい先日亡くなってしまった三浦春馬(彼のことはかなり好きだったので今でも信じられない)が相手役として出演している、志田未来主演の「中学生の妊娠」をテーマにしたけっこうショッキングな作品である。放映当時わたしも偶然14歳で、ドラマの主人公と同い年だった。

ちょうどお嬢様女子校から共学の一貫校に転校したばかりの時期で、両親はそのことを大変情けなく不名誉なことだと受け止めていた。特に父親は世間体的な意味での恥だと捉えていたのだけれど、母が渋い顔をしていたのにはもう少し違う理由があった。母は、わたしが「女」になることを異様に恐れていた。

『14歳の母』は毎週毎週必ず観させられていて、「こんなふうに軽率に付き合ったりしたらあかんよ。大変なことになるんやで。一生取り返しがつかんようになるからな」と毎週毎週言い聞かせられた。その度に、胸の奥底をざらざらとした肌触りの悪い布でこすられるみたいな感覚に陥っていた。

今思えばわたしがそのような母の発言に「気持ち悪さ」を覚えるのは、当たり前である。だって、自分の性やセックス事情に母親が逐一首を突っ込んでくるんだから、得体の知れない嫌悪感を覚えるのも自然なことだろう。母親の過干渉は今振り返ってもあまりにも度が過ぎていたし、異常すぎた。

それでも母を愛していたわたしは、その当時は母の異常さに気がつかなかった。いや、気がつかないフリをしていた。母の窘めを「性に疎い幼い子供」を装ったきょとんとした顔で聞くことで、母が満足するのを知っていたから。だから、思春期真っ只中の己の性の萌芽を、母に絶対に勘付かれまいと必死に抑え込んで隠していた。(ところで、わたし自身の性の萌芽はもしかしたら少し変わっているかもしれないので、どこかで詳しく書きたいと思っている。)

そんなふうにして母の「かわいい女の子」で在り続けようとしていたのだが、もちろん限界は来る。カウンセリングを通し、自身の精神疾患の原因が父親よりもむしろ母親との関係に深く根ざしていることを知った今、第3の反抗期のようなものがまさしく現在訪れている。

ここ数年、髪型はずっと母から評判が悪いベリーショートだ。襟足をかなり詰め、サイドは耳が半分くらい見えるまでの長さ、しかも前髪はオン眉もといabove眉といえるくらい短いという少々個性的なヘアスタイルを貫いている。それに加えてこのあいだ、彩度高めの真っ黄色のハイライトを入れたので、母の求める「かわいい女の子」と正反対の見た目になった。カラー後に美容院で撮影してもらった写真を母親に送信したのだが、予想通りの嫌そうなリアクションが返ってきて失笑してしまった。

そして今日、前々からずっと考えていたタトゥーを入れに、タトゥースタジオに打ち合わせに行ってきた。フリーランスになった記念でもあるが、こっそり「母からの卒業」の意味も込めて、「商売繁盛」と「自由」がテーマのデザインにしてもらうつもりだ。ちょっと怖いけれど、タトゥーを入れることが「母のかわいい」からの完全なる脱却に繋がる気がして、少しワクワクしている。

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