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読書遍歴の話

読書家の友人達の話を聞くと、幼少期は岩波少年文庫派だったか、はたまた青い鳥文庫派だったかで概ね別れている気がする。
そしてその流れで、自然と前者は外国文学に、後者は日本文学に、その後傾倒していくようだ。
もちろんこれはわたしの周りに限る話だけれど。

わたしは岩波少年文庫派だった。
『モモ』や『はてしない物語』、『ナルニア国ものがたり』、『星の王子さま』『クローディアの秘密』『ふたりのロッテ』などなど、有名どころは夢中になって読んだ。

うちの親は何度も述べているように暴力で勉強を強制するタイプで、ゲームやおもちゃや漫画などはほとんど買ってもらえなかった。
おかげで子どもの頃は、クラスメイトの話には当然入っていけなかった。
今でも世代ど真ん中であるはずなのに、ポケモンがよくわからない。

だが親は、本だけは「勉強の一環」と盲信していたため、惜しみなく買い与えられた。
言うなれば物語だけが、わたしのそのころの唯一の娯楽であり、また虐待からの逃げ場であった。

特にナルニアシリーズは大好きで、幼稚園くらいのときに、実家にある母親の嫁入り道具の古い衣装箪笥の中に入ってみたことがあるくらいだ。
もちろんムシューダの匂いがしただけで、何度試してもナルニア国にはたどり着けなかったが。

小学校に上がったころ、ちょうどハリー・ポッターシリーズが大流行した。
そのせいで魔法使いが出てくるファンタジーにのめり込み、かの『ハウルの動く城』で有名なダイアナ・ウィン・ジョーンズの代表作、クレストマンシーシリーズを読み漁った。

中学生になるとヘルマン・ヘッセにハマりまくり、ドストエフスキー、それからアメリカ文学(主にはアーヴィングやオースター)にどっぷり浸った。
10代のころは自発的に日本文学を手に取ることがほとんどなくて、授業以外ではせいぜい村上春樹、小川洋子、伊坂幸太郎、恩田陸くらいしか日本の作家は読んでいなかった。
(ところでなぜ好きな作家に村上春樹を挙げると、「ニワカ読書家」認定される傾向があるのだろう?)

日本の近代文学も(文学専攻じゃないのでこの区分があってるか自信がない)、三島由紀夫や太宰治などのコテコテのネチネチ系は性に合わず、どれも挫折して最後まで読めなかった。
夏目漱石はまだ好きだったけれど、きちんと読んだのは20歳を過ぎた後だった気がする。

また、なぜか女性の小説家をあまり読まず、先に述べた書き手以外は、国籍問わず男性を好んでいた。
大人になってから江國香織を好きになったが、これはもしかしたら性自認と関係があるのかもしれない。
かなり幼いときから「女性」ではない自覚があったために、感情移入がしにくかったのだろう。

読書歴を今回つらつらと述べてきたが、みなさんは幼少期、岩波少年文庫派か、青い鳥文庫派かどちらだったのかちょっと気になる。
もしかしたら、どちらでもなかった人もいるのかもしれない。
子どもの頃、どんな本を読んでいたか、気が向いたらコメントで教えて頂きたい。

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