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日本の100名城制覇!(神奈川県編/小田原城、小机城、石垣山城)

【小田原城】

小田原城は、小田原駅から徒歩約10分の場所にあり、「日本100名城」に選ばれています。

15世紀頃に大森氏が築いたとされ、その後、伊勢宗瑞(北条早雲)が入城し、北条氏の本拠となりました。

ちなみに、小田原駅の西口ロータリーには北条早雲の像があり、この像は早雲が大森氏から小田原城を奪取する際に計った「火牛の計」がモチーフになっています。

凛々しくて凄くカッコいいので、小田原駅に行く機会があればぜひ見てみてください。

北条氏が入った後の小田原城は、上杉謙信や武田信玄の侵攻も退けて難攻不落の城となりました。

しかし、天下統一を目指していた豊臣秀吉の降伏勧告を4代氏政が拒んだため、1590年に秀吉率いる20万の軍勢に包囲され、開城しました。

その後、徳川譜代大名・大久保氏らによって近世城郭として整備されますが、明治になると城の維持困難を理由に廃城を願い出て、天守などが解体されます。

のちに一部の建物が復元され、1960年(昭和35年)には天守閣も復興されました。

【小机城】

小机城は、JR横浜線「小机駅」から徒歩約10分の場所にあり、「続日本100名城」に選ばれています。

小机城は、室町時代の永享の乱(1438~1439年)の頃、関東管領の上杉氏によって築城されたとされますが、正確な築城時期は定かではありません。

その後、江戸城を築いた太田道灌によって一度攻め落とされています。

1524年、小田原北条氏が江戸城を攻略する際に小机一帯を支配下に置き、小机城を再構築していったと考えられています。

1590年の豊臣秀吉による小田原攻めの際、小机城の城代である笠原氏が降伏を願い出たため、小机城での合戦はありませんでした。

そして、小田原北条氏滅亡後は、徳川家康の直轄領となり、小机城は廃城となります。

【石垣山城】

石垣山城は、JR「早川駅」から徒歩約50分の場所にあり、「続日本100名城」に選ばれています。

近江の穴太衆によって築かれたとされる野面積の石垣は圧巻でした。

石垣山城は、1590年の豊臣秀吉による小田原攻めの際、小田原城の南西に位置する笠懸山の山頂に、小田原城からは見えないように短期間で城を築き、完成後に周囲の木を伐採したため、北条氏方にはわずか一夜で出現したように見えて戦意を喪失させたという逸話が残っています。

そのため、石垣山城は「一夜城」という別名でも知られます。

秀吉はこのお城で茶会を開き、天皇の勅使を迎えたとされます。

本丸から一望する相模湾は絶景でした。

空気もキレイですし、運動不足の解消にもなるので、ぜひ一度訪れてみてください。

YouTubeにも動画を投稿したのでぜひご覧ください🙇


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