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私が本を出版しようと思ったキッカケ


この度、初めて本を出版させていただきました。
本書にも書かせていただいていますが、私がどうして出版しようと思い立ったのか?

大まかな理由としては、今まで無作為にブログやFacebook、YouTubeなどにバラバラに報告してきたものを、一つにまとめたかった事が挙げられますが、ではなぜ、このテーマなの?というところです。
私自身でさえも、振り返ってみて初めて「そうかっ!」と改めて分析できた事もありました。

やはり、原点を探ってみるのも、自分でも気付かなかった発見があるものですね。
その理由として挙げられる2点を、もう少し掘り下げてみました。

その1,NHK大河ドラマ

歴史の何が好きかって問われると、一人一人の「人生」そのものを俯瞰して見れるからでしょうか。

そもそも、私が歴史好きになった原因は、何と言ってもNHK大河ドラマです!
小学生の時に観た「国盗り物語」は私にとって歴史に開眼するキッカケとなりました。
ここに登場する人々の懸命さや、悲哀、空しさを、歴史を知らないにもかかわらず強く感じてしまって、子供心にも感銘を受けてしまったのです。

それもそのはずで、後世から見ると、日本史のハイライトと言うべき時期であり、歴史が大きく方向転換した「本能寺の変」「山崎の戦」で締めくくられています。いまだに謎だらけの大事件です。

何も知らない子供の私は、高橋英樹さん演じる織田信長のファンだったので、ーげっ!死んでしもたやん!―と素直にびっくりしたわけでして…
どうして信長は死ななければならなかったのか?反撃できなかったのか?
それまでの信長の人生が、あまりにも堂々としていただけに、当時の私には理解できなかったのです。

光秀は信長の事が怖かったから?
そんな表面的な理由しか思い浮かばなかったのですが、それにしてもこんな大それた事をするでしょうか?

明智光秀はなぜ謀反を起こしたのか?
あんなに認められていたのに?
信長の折檻が原因??
もしかしたら、とんでもない黒幕がいるのではないか?

斎藤道三はこんなにもトントン拍子に出世できたのはなぜか?
なぜ息子に殺されなければならなかったのか?
本当の親子だったの?

それらのなぜ?
という疑問が私の中で大きく育ち、日本史の授業の時もいろいろ妄想したりなんかして、いつも引っかかっていた状態でした。

18歳頃、ついに原作を読んでみたのです。
そこに登場する人物たちがあまりにも生き生きと描かれていて、400年も前に生きた人々にも関わらず、その存在をリアルに感じ取れてしまったのです。

今から思えば、原作者の司馬遼太郎さんの筆致力によるものなのでしょうが、斎藤道三も織田信長も明智光秀も、それらのキャラクターが以後、私の中で定着してしまったのは事実です。

司馬遼太郎、おそるべし。

それだけでは飽き足らず、他の司馬文学を読み漁ったり、ここに登場したすべての人たちの歴史小説を、違う作者で読んだりしてみました。

そうすると、なんとなくその時代時代の各人物の思惑みたいなものが見えてきて、それぞれの人物像の輪郭ができてきたんです。
私なりにですけど。

歴史の専門家、研究者、作家などの執筆作品は、そりゃもう私なんかより遥かに豊富な知識での結論ですから、それなりに信憑性もあるでのしょう。
しかし、どんなお偉い方であっても、それは憶測にすぎない事に変わりないのです。

当たり前ですが、その時代のその出来事を、現代人の誰も実際には見ていないのだから当然です。
憶測でいいのなら、私にもできます。及ばずながら私の知る範囲の知識だけでも、自由な憶測は出来てしまいます。

そ。それがポイントです。

自由に妄想して想像する事が、わくわくしてたまらないのです。
時には書いてある事が、私の妄想とは違った展開になった時には、また新たななぜ?が芽生えて、また知りたくなって、また調べたりなんかして突き詰めます。

テレビを見ていても、それは何?と思ったら、もうスマホで検索しています。
ただし、検索した直後は納得して解決するのですが、時間が経てば忘れているんですよね、これが。
つくづくもっとクレバーな頭脳が欲しいです。

新たな歴史的発見なんかがあった時には、小躍りするほど嬉しくなってしまいます。
ああ、そうだったの?と再発見の感動と同時に、確かに生きていたんだという感動が湧いてきて、その人物を身近に感じてしまいます。
新たな発見によって史実が変わってしまう事だってあるのです。

今や、歴史は過去の出来事であり、終わった事なので変わりようがないという先入観は、不要のものとなっています。
実際に、織田信長や明智光秀の人物像は、新たな発見や研究が進んだことで、かなり変わってきました。

昨年の大河ドラマ「麒麟がくる」では、初の明智光秀目線の物語でしたが、「国盗り物語」での信長と光秀の印象とは、全く違った新しい解釈のものでした。
48年も経てば、こうまで違うのですね。まさしく「歴史も変わる」という良い例です。

本能寺の変での染谷将太さん演じる信長の最期は、まったく今までと違っていて、その怪演ぶりに感激してしまいました。

あのシーンで泣いた信長など、数ある大河ドラマの中で一度もなかったのですから。
それまでの光秀に対して、あまのじゃくで駄々っ子のような接し方が思い出されて、光秀がそんなに好きで信頼してたんだーという事が、あのシーンで確定しましたね。

そこには、神でもなんでもない人間・信長が表現されていたと思います。

どちらが本当になの?と、真実を突き止めたくなって、本を漁ってみると、
明智光秀の子孫の方が書かれた本を見つけて読んでみました。なかなか当時の書物をよく読み解かれていて、とても充実したものでした。
これを読んでみて、「麒麟がくる」の信長があのようになったのか、わかったような気がします。



ここ数年の大河ドラマは、新説に基づく新しい解釈を取り入れた上、非常にクオリティが高くて素晴らしい!
大河ファンとしては嬉しい限りです。
大河ドラマに関しては、またの機会に是非とも熱弁させていただきたいです。

その2,仲間作り

いきなりですが、「ママ友」というキーワードにどんな印象をお持ちですか?
良い例は「助け合い」「相談相手」「友達」。
悪い例は「競う」「陰険」「陰口」「自慢」「派閥」。

よほど気を付けないと、良い例にはなれなくて、助け合いが頼り合いになってしまったり、相談している内容を他言されて陰口されていたり、友達だとおもっていたら利用されていたり。
なんだか、やりきれない人間関係になる確率の方が高いように思います。

それもこれも、我が子が絡んでいるからで、母親としては非常に苦しい環境に立たされてしまう結果になりかねません。
それはママ友同士の関係だけに限った事ではないですね。
会社勤めや、そのまた以前の学生時代の中にでも、平気で仲間外れやいじめをする人はいて、挨拶すらしないという人もいました。

傍から見ているこっちの方がヤキモキしてしまいます。

当人は気付かないんでしょうね。
そうする事でしか勝者になれないという錯覚をおこしていて、自分で自分の値打ちを落としているって事に。
自分のその態度が、そのお相手だけではなく、その場の空気全体を濁してしまっているという事に。

だいたい、人を故意にいじめたり、無視したりするのは、大きなエネルギーがいる事だと思います。そんなエネルギーがあるなら、他に使ってみてはどうかな?と思うんですよね。

そういう私も若い頃は、どう接していいかわからず、ずいぶん中途半端な態度を取っていたように思います。
人生の経験を積んだ今なら、毅然とした態度も取れそうです。
もしタイムマシンがあるなら、その当時の自分にアドバイスしてあげたいぐらいです。
ママ友を含めたやりきれない人間関係に悩んでいる人たちに、言ってあげたい。

そんな関係はどうせ長続きしないから、距離を置け!と。

同じように無視するのではないですよ。
そんなことしたら、相手と同じように自らの値打ちを落してしまいますから。
あくまで距離を置くのです。
たとえ、それで自分が無視されたとしても、必ず周りの誰かが見てくれていて、自分自身が真っ当なポリシーを捨てずにいれば、事態は好転するはずです。

特にママ友は、我が子が成長すればそれまでです。
なんだかんだといろいろあっても、たとえ近所であっても、自然消滅して会う事すらなくなります。
ママ友を卒業した時こそ、我が子がいっさい絡まない人間同士の関係が始まります。

本書の土台になった「レキジョークル」は良い例のママ友たちが中心になって結成されたサークルなのです。
私を含めた8名のメンバーのうち、6名までが元ママ友で、残りの2名は職場で知り合った同僚という構成です。

女友達のお付き合いというのは、話題が決まっていて、夫の話、子供の話、姑、舅、小姑、ブランド自慢などなど、会うたびに同じ話題になって、何一つ進化しない事が多いようです。

だから、久しぶりに会ってランチに行っても話題は平面的で、なんとなく美味しいものを食べて終わり、特にこれといった進展もない話題なので、次の約束をかわす事もなく、距離が開いてしまうのです。

それは、おそらく共通の趣味がなく、共有できる話題に乏しいために、近況報告しか話題がないからではないでしょうか?

レキジョークルは違うのです。
活動以外の時は疎遠であっても、何かテーマが挙がるたびに、それを目標として共有の話題があるので、テーマがある限り話題は尽きません。

もちろん女同士で母親同士なので、子供の話や夫の話はしますが、それはほんのついでにお楽しみ程度なのです。
一定の共通目標があって、その中での他愛のない会話程度という感じでしょうか?

だいたい、性格的にもアッサリした人が揃っているという事もありますが。
ていうか、類は友を呼ぶというもので、そういう人間ばかりが集まるようです。
そこそこ言いたい事は言いながらも、無理のないお付き合いなのです。

だから10年続いたし、これからも続けていける

テーマは歴史。
そしてサークルとしてのチーム活動。
それが今まで続いてきた「レキジョークル」です。

でも、歴史を知らなくても全然大丈夫。
白状すると、大半のメンバーは歴史知らないし、読書もしない、大河ドラマも見ないという、サークルの主旨をスルーしているような人がほとんどなのです。

というのも、いろんな所を旅行して見て回るのに、そのテーマが歴史というだけの事で、メンバーの中には食べる事が楽しみの人や絶景を見るのが楽しみな人もいるし、楽しみ方もそれぞれあって、決して歴史だけに固執しているわけではありません。

もっと言えば、参加か不参加かも強要しないし、100%個人の意思のみでの行動です。
だいたい、歴史に興味がないながらも、参加し続けているという事は、楽しんでいるという事ですよね。

そんな行動を10年続けていると、歴史に興味なかったメンバーたちも、だんだんと歴史にちょっとぐらいは興味を持ち始めたようです。
私が、いつも興奮して語るせいもあるのかもしれませんが。
当地で当地の歴史や出来事を振り返ると、意外な感動を呼びこすことがあります。

ここで、あの事件があったのかー!という、リアルな感動です。

たくさんの感動が思い出となり、大きな実績となっています。
10年の間に、たくさんの実績ができ、これは一つにまとめて残していきたいと思うのです。

時間が経てば忘れてしまうし、やがてなかった事になってしまいかねない。
実際、時間を空けてブログなりYouTubeなりに投稿しようとすると、ところどころ忘れしまっていて、え?と固まってしまう事がよくあります。

いかん、いかん!残そう!! と思い立ったわけです。

そんな実績を積み上げていくと、活動中のハプニングや失敗さえも、楽しめる心のゆとりも出来てきました。後で振り返ると、それこそ忘れられない思い出となっています。
これからも、適当な距離を置きながらも、紀行旅行に取り組んで行きたいと思っています。

ま、体力が持つ限りですけどね。



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