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親目線のサッカー体験で見えたもの

最近note記事からヒントをもらう事が多く、今回も「サッカー記事」を書かれたお二人のクリエイターさんを紹介させていただきます。

⚽そい さん

指導者目線からみたサッカー記事です。


⚽青砥シロ さん

本人目線からみたサッカー記事です。

それぞれ、違う視点からのサッカーを知る事が出来て新鮮さを感じ、私も親目線で次男のサッカー体験を書いてみようと思い立ちました。

阪神ファンの家庭で育ち、幼い頃から野球ばかりを観ていたためサッカーのルールも知らなかった私が、次男のおかげでその素晴らしさを知る事になりました。

なにぶん次男は12年もの間サッカーをしてきましたので、それはもう多くの出来事があり過ぎて、ひとまずここでは全体の流れと感想を添えた程度にしましたが、それでも5千文字になりました。

スクロールしながら、肝心な所だけ拾い読みしていただけたら嬉しく思います。



落ち着きのない子は
サッカーに向いている?

ママ友たちの間で、
多動症でやたらと落ち着きのない子はサッカー、
比較的落ち着いている子は野球をする。
と、よく言われていたのですが、なるほどそうかもしれない。

ウチの次男もまったく落ち着きはなく、エレベーターを待つ間でさえ、「プーさん」の友達「ティガー」のようにビョンビョンとその場でジャンプするほどでした。

片時もジッとしていられない子で、迷子にならないように子守するのは本当に大変だったのです。

そんな次男が、サッカーと出会ったのも必然だったのかもしれません。



幼なじみたちと始まった
サッカー人生

出会いは幼稚園の年中の5歳の時で、たまたま通っていた幼稚園は、毎年クラス対抗の「サッカー大会」があるほどサッカーに力を入れていたのです。

やがて年長となった夏、地元のサッカーチーム「FC.M」に入団することになります。

元々、幼稚園には同じマンションに住む幼なじみも多く、そのほとんどが同じようにサッカーにハマった延長で、ただみんなと同じ流れのままクラブチームに入った感じでした。

そこには、サッカーが好きというよりは、他のスポーツを知らないまま、単に最初に出会ったスポーツだっただけだと思います。

小学校の3年生になると、自宅から車で20分ほどの所にある、チームに所属しながら、フットサルサッカースクールへ週一回通い始めます。

普段とは違うコーチの指導も新鮮だった上、大阪府内のいろんな子供たちとも触れ合えるのが、かなり刺激になっていたようでした。

この時はまだ、サッカーもいつまで続くかもわからないし、私としてはチームスポーツなら何でも良かったので、サッカーだけに固執してはいませんでした。



いろんな親がいて大変~!

PTAも大変ですが、クラブチームの親同士もたいへ~ん!
いろんな人がいすぎて、ある意味カルチャーショックも受けました。


⚽親の代わりはおらんねん!

まだ小学生なので、保護者の協力がなくては何事もままなりません。
いろいろなお手つだいはありましたが、特に父兄が担っていたのは試合の時に車を出す事です。
少し遠方になる時は、数台の父兄の車に分乗して指定グランドまで向かうのです。

知らん顔して、当然のように子供を預けっぱなしで、見に来ることもしない親もいました。

どんなに忙しくしていても観に来る人は来る。
どんなに暇でも観に来ない人は来ない。

来る人はだいたい決まってて、どんなに遠い会場であっても、基本的に必ず見に来る人と、例えホームグランドであっても見に来ない人は来ない。
たとえ息子がレギュラーであってもです。

単純に観たいと思わないのでしょうか?
私にはそれが到底理解できませんでした。

車を出す事は何も苦ではなく、ある意味息子がサッカーしているのを見たいから、自分自身のために行くのです。

子供が一生懸命がんばっている姿は、とても感動するものです。
そして、これこそが親が親である醍醐味なのです。

ウチの次男などは、シュートを決めたら必ず私の方を見て、「今の見た?」とで言うように目で合図していましたから。

やはり子にとって親は特別な存在で、自分の活躍は見て欲しいものだと思います。

こんな幸せな時間をどうして棒に振るんだろう??
見に来ないなんて人生の損失だと、今振り返っても思います。

親が観に来ていない子たちが、淋しそうにしているのが、とても可哀想に思え、ナイスプレーをしたら大きく声掛けするですが、その子にとっては他所のおばちゃんなので、どんなに熱い声援を送っても親の代わりにはなれなないのです。


⚽自分の子が一番という親

どの親も自分の子が一番だと思っていて当然です。
しかし、その気持ちを前面に出した行き過ぎた言動は、ドン引きしてしまいます。

例えばポジションが不服であるとか、
今のプレーはうちの子ではなくて周りが悪いとか、
挙句の果てにコーチの采配が悪いとなったりします。

それらを平気で公言されると、正直辟易してしまいます。
答えようもないし、まさか「アンタの息子が下手なだけ」だと言えるはずもありません。


この「FC.M」には幼稚園の時からずば抜けて上手い子が2人いました。
4年生の時に、そのうちの1人が「セレッソ大阪」のアンダーチームに入るための試験セレクションに受かると、もう一人の方の母親の態度が急変しました。

コチラも負けじと、わざわざチームを退団までして、「ガンバ大阪」のセレクションを受けて合格するのですが、翌年の進級テストで落ちて、行き場を失います。

あろうことかその子を、同じ市内のライバルチームに入れたのです。

かつてのチームメイトと敵同士となった小学生最後の一年は、彼にとっては味気ないものだったようで、以前のような覇気は微塵も感じられず、私にはヤル気を無くしているように見えました。


そもそも、サッカーは誰が何のためにしてるの?
大きな疑問が湧き、親の見栄で子供を振り回すべきではないのです。

ましてや小学生の時は現実離れした「夢」だけが膨らんで、賢明な判断など出きるはずがありません。



指導次第で子供のテンションは上がる??

「FC.M」のコーチの指導は、昭和生まれの私にとって、こんなものだろうと思ってました。

いわゆるミスや不味いプレ—には、けなして怒号を浴びせ、「否定」から入るのです。

親としてはもちろん良い気はしませんが、決して悪気があって言っているのではないと感じていましたし、悔しかったら努力するしかないと、ある意味「巨人の星」の星一徹方針が王道だと思っていたのです。

チームの成績は、コーチの怒号指導も空しく、振るいませんでした。

ま、こんなもんだろうと軽く思っていた私は、中学の部活指導で目から鱗となりました。

進学した地元の公立中学へは、校区の関係で「FC.M」から約半数が同じ中学に進みました。

その時の顧問の先生の指導が素晴らしい!

生徒がミスをしてもまず褒めて「肯定」から入るのです。
そして改めて「提案」として理想の対応を指示するのです。

「ナイスファイトや!」
「そこは◯◯して△△したら、いいよ」

これを初めて聞いた時、私は驚きました。
なるほど!!

指示された生徒はうちの子も含めて、俄然動きが良くなります。
そして先生を慕い、ますます信頼関係が深まっていくのが見ていてわかりました。

その指導内容には天と地ほどの差がありました。



親子共々、充実の中学時代

幼稚園の時から7年間お世話になったクラブチームを卒団する時、お手伝いも多く、大変だっただけに、せいせいしたような、物足りないような思いが同時にありました。

中学の部活では、煩わしさはまるでなく、観たいときだけ足を運んで、子供にも接することなく、そっと覗く程度の楽な観戦となりました。

次男からは、「来んでええから」と言われても、私は行ける時は全て観に行っていました。


⚽突然のクラブ停止で思った事

南河内地区新人大会予選リーグの緒戦。6-0で快勝し、うち2点は次男が決め、1点はナイスアシストで得たという、大活躍の試合となり、親としての嬉しさはハンパなく、本人も幸先良いスタートでやる気はみなぎっていました。

ところが…

2回戦の直前に突然のクラブ停止となり、あろうことか大会を辞退する事が決定します。

原因は、サッカー部レギュラーの3人が、近所にある川の橋の下でタバコを吸っていたのが発覚し、近所の人の通報で警察沙汰になったのです。

私は本当に楽しみにしてたので、たった3人のために、
「真面目に取り組んでる子供の事はどうでもいいのか??」と、
思わず興奮して、先生に息巻きたくなったほどです。

しかし次男が、
「連帯責任やねん。全員でかぶるしかないねん。」という、大人な言葉を聞いて、やっと堪える事ができたのです。

新人戦は一回きりで中学の間はもう出場できません。

当事者の3人は自分の軽はずみな行動で、チームメンバー全員に大きな責任を負わしてしまったことを、シッカリと心に受け止めてほしい。

それと同時に、次男もこの時の痛みを忘れることなく、事件を起こす当事者にならないように心掛けて欲しいと思いました。

我が子もいつ事件を起こす側になるかもしれないので、他人事ではないのです。


⚽7番、左打ち左サイドのフォワード

3年生となった最後の年は、市の総体で優勝したあと、南河内の大会へと進んだものの、惜しくも1-2で負けてしまてしまいました。

本人たちも勝てると思っていたのか、全員が悔しさで号泣するのをみて親たちももらい泣きです。

5歳からサッカーを始めて、ほぼ同じメンバーで続けてこれて、次男は幸せでした。その幼なじみ達とも、高校生になったら、初めてバラバラになってしまいます。

絶好のチームワークもこれで解散です。

数々感動シーンはしっかり目に焼き付いています。
動画を見たら、私のヤジだらけで笑いを誘うものになっていますが、
この3年間は、本当に楽しませてもらって、次男には感謝でいっぱいです。

今でもグランドを駆ける次男の姿が忘れられません。

その7番が走る。
ボールを追う。
駆け引きする。
抜く。
奪う。



トップ画像のユニホームはこの後に最後の洗濯で洗い納めのものです。




最後の究極のプレゼント

進学した高校はラグビー部がそこそこ強く、体格の良かった次男は顧問の先生にスカウトされます。

私としてはサッカーにこだわらなくてもラグビーをしてみてもいいのでは?と思っていたのですが、やはり次男が選んだのはサッカーでした。

⚽礼儀正しさに驚く

高校一年になったとたん、足首を骨折してしまい、練習や夏合宿に参加できずスタートは厳しいものになりました。

高校の部活顧問の先生は、次男の話によるとかなり怖く、厳しく、理不尽さをも感じていたようです。

高校生ともなれば、さらに親はノータッチで、顧問とまともに話をすることすらありませんので、たまに次男が話す内容から察するのが精いっぱいでした。


2年の時の夏合宿の出発日、あまりにも大荷物なので学校まで車で送り、次男を降ろして、Uターンをしようとしたら、顧問らしき人が現れた時の次男の態度を見て驚きました。

手はしっかり太ももの上に置いて、背筋を伸ばし、ピシッと45度の角度で頭を下げ、挨拶しているのです。

ええ~~!

私は思わず一人の車内で声を上げてしまいました。

今までの指導の先生方は厳しさはあったものの、結構フランクな関係で、サッカーから離れるとまぁまぁの近い存在でした。

しかし高校は、その様子からシッカリした上下関係があるとわかります。

ましてや、能天気で天真爛漫だと思っていた次男が、折り目正しいお手本のような「礼」が出来る事に驚き、その夜はビッグニュースとして主人に話したほどです。


⚽感謝の言葉

顧問の先生の理不尽さにも耐え、それでも3年間部活を続け、迎えた最後の試合はもちろん夫婦で観に行きました。

健闘空しく負けたのですが、ひっそりと木陰から見ていたので、ひっそり帰ろうとした時、次男が猛ダッシュでこちらに向かってきます。

そして私たちの前でピタリと止まり、顔を見るとすでに涙が流れています。

そしてあのお手本の「礼」よりさらに深く頭を下げて、

「今までサッカーさせてくれてありがとう!!」


声を詰まらせながら、しっかりと言うので、私も思わず号泣です。
主人も涙声になって、次男を労っていました。

それまで丸12年間サッカーをする次男を観てきましたが、これほど感動した事はありません。子育ての絶頂を味わえた瞬間でもありました。

文字数の関係で書けなかったことも含めると、本当にいろいろな事がありましたが、全てがどうでもよくなりました。


負けて悔しい時も、勝って喜ぶ時も、チームの仲間と共に味わって、一緒に成長してきたのです。

サッカーそのものより、もっと人生で大切な事を学べたのを確信できた上、親の方が学ばせてもらったような気がしています。


〈その後〉
大学では、サッカーのサークルも部活もせず、ただ時々グランドを借りていまだに「幼なじみ」たちと汗を流しています。

そしてキックボクシングにも目覚めてジム通いも始め、社会人となった今でも、相変わらず落ち着きはなく、ちょっとでも時間があるとジムへ行ってトレーニングを怠りません。

どうやらマグロのように、常に動いていないと生きてゆけないようです。




いつもありがとうございます。




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