歴史は続いているから面白い!
noteを始めた頃にも書かせていただけましたが、私が歴史好きになったキッカケは小学校6年生の時に観た大河の「国盗り物語」です。
そこから3年後に司馬遼太郎による原作を読んで、あらためてツボにはまりました。
ですから、日本史は戦国時代から入り、人物的には織田信長のファンとして目覚めたのが最初です。
戦国、おもしろ~い!というのが最初なのです。
その後はたくさんの作家を読み漁り、そうする事で他の歴史上の様々な人物にも興味を持ち始めたのです。
しかし、戦国の世になった理由は?と思うと、過去に原因があったりします。
そしてさらに未来にも大きく影響していることに気付く事にもなりました。
~物事の原因は過去にあり、必ず未来に影響を及ぼしている~
過去の原因を調べると、そのまた過去に原因があり、
未来を見ると、いったいどこまで影響を与えているのか。
現代を生きる私たちは歴史を俯瞰できる立場にあるからこそ、過去も未来も果てしなく、私たちは大きな大きな「時間」という流れの中に身を置いているのだと思い知らされてしまいます。
そして終りのない「壮大」を感じた時に初めて歴史という面白さに気付けるのです。
偶然にも同じ戊辰戦争を描くnote記事
ここでお二人の投稿記事を紹介させていただきます。
どちらも戊辰戦争を書かれていて、どちらも現地民の目線で書かれた記事です。
他府県民には見えてこなかった、これら2作品を私は興味深く拝読させていただいた事が今回の記事ネタの元となりました。
📖k_maru027さん
会津藩や庄内藩、長岡藩の詳細は小説などで知っていても、二本松藩の事をスルーしていました。
実際に郷土に残る史書を読み解かれ、またご子孫からの逸話を集められて書かれた小説で現在も執筆されている最中です。
他、スピンオフも何本か記事にされていますので、是非覗いてみてください。
📖ぺれぴちさん
この連載が始まった時、私は小躍りしてしまいました。
上記のk_maru027さんの小説を読み始めたばかりだったので、ナイスタイミング!と思ったのです。
長州藩の世良修蔵が粛正されるシーンがちょうど読んだ日が同じ頃で、完全に2作品がリンクしました。
コチラも地元民の目線での記事ですので、私には気付かなかったこともあり、戊辰戦争に関して新たな見方が出来ます。
以後、明治維新で起こった「戊辰戦争」を軸に歴史の流れを追ってみます。
倒幕の原因は「関ヶ原」にある。
1868年の「鳥羽伏見の戦い」を皮切りに始まった戊辰戦争を、旧幕府軍からみた詳細を知る事で改めて考えさせられてしまいます。
著書にも書かせていただきましたが、歴史は勝者のものなのです。
今回、さらに敗者側の情報を知る事で新たな詳細を知る事になりました。
日本史で一般的に一番面白いとされ人気のある時代といえば、戦国期と幕末でしょうか?
実はこの二つの時代はちゃんとリンクしているのです。
幕末での倒幕の原因の芽は260年も遡った過去の「関ヶ原の戦い」にあるのです。
東軍か。
西軍か。
そのどちらに付いたかでその後の明暗は分かれ、敗者となった薩摩や長州は徳川政権260年もの間、首根っこを押さえこまれるように、中央から遠い所で粛々と過ごしていたのです。
その端に追いやられた薩長が中心となって徳川幕府を倒し、「戊辰戦争」を経て明治維新を実現しました。
これは時代を超えた大いなる仕返しと言えるかもしれません。
ですから、幕末~明治維新を知るには、「関ヶ原の戦い」まで遡る必要があり、各武家が東西に分かれた理由を探れば、本質が見えてきたりします。
「関ヶ原の戦い」を機にそれまで戦国時代の流れで不安定だった時世が、安定方向へと舵をきることになりました。
戦国時代はいつからいつまで
では戦国時代とはいつからでしょうか?
それは1467年の「応仁の乱」が始まりでした。
足利氏による室町幕府の権威が衰えた中、次の2つが主な原因でした。
・8代将軍・義政の時期後継者争い
・山名宗全と細川勝元の権力争い
結局、この「応仁の乱」は11年後に、誰も得しないまま、勝敗もつかずに終焉しますが、その後も大名同士の争乱は全国規模で続きます。
やがて頭角を現した織田信長がほぼ統一を成し、最後の将軍・足利義昭を京都から追放して室町幕府が滅亡した1573年までを戦国時代としています。
しかし、その後も「本能寺の変」で織田信長が横死し、その後を継いだ豊臣政権も秀吉の死後には不安定となり、「関ヶ原の戦い」によって徳川家康が事実上トップに君臨して江戸幕府を創立します。
さらに家康は、15年後の「大坂夏の陣」で豊臣を完全滅亡させて、安定した基盤を作る事になりました。
700年続いた武家政権の始まりは??
徳川による武家政権は、その後260年も続くのですが、そもそも武家政権はいったいいつからなのでしょう?
これがまた色々な意見があり、今年の大河「鎌倉殿…」の源頼朝による鎌倉幕府だと思われがちですが、私はそうは思いません。
ズバリ、それ以前の平清盛による政権だと思います。
1159年「平治の乱」で頼朝の父・源義朝を倒し、京都の六波羅で清盛が執政を開始した事に始まります。
これを機に平清盛は朝廷内でメキメキと出世し、いつしか政治をも司る立場にまでになったのです。
それ以前は、平家であれ、源氏であれ、武家は単に朝廷の家来に過ぎず、天皇を守るための警備役で「朝廷の犬」と蔑まれていた立場でしたが、天皇家を上手く利用してのし上がりました。
公家による朝廷政権だったのを武士による武家政権へと大きく変化させたのです。
明治維新とは、平清盛による六波羅政権から700年も続いた武家政権を終わらせた大革命なのです。
第二次世界大戦敗戦の原因は明治維新か?
明治維新を軸に時代を遡って原因を探ってきましたが、今度は時代を下ってその影響を探ってみましょう。
令和の現在、ややこしい世界情勢の中で、日本は何かとアメリカの顔色を伺うのは第二次世界大戦での敗戦が尾を引いています。
言わずと知れた1941年に日本がハワイの真珠湾を攻撃した事で始まった大戦です。
なぜ日本はそんな愚かな戦争を仕掛けたのでしょうか?
それは先の「日露戦争」での勝利に起因しています。
実際には日本も無意味な戦死者を山ほど出して、実質的には勝利などしていない戦争でした。
(ここでは詳細は割愛します)
それによる慢心が大国・アメリカへの先制攻撃であり、これもまた罪のない庶民が多く犠牲になり、日本は大敗する事になりました。
無謀な戦争を始めたのは、当時の日本の軍国主義による極端な政策が原因でした。
では、この軍国主義へと変った原因はといえば、明治維新における「戊辰戦争」ではないかと思えるのです。
薩長が中心となった新政府軍が、大政奉還しているにも関わらず、徹底的に旧幕府軍を叩きのめすという極端な行為が発端だと言えるのです。
そういう見方をして軍国主義を招いたと思うと、当時の勝者となった新政府軍の責任はとても大きいのです。
敗者側から見た戊辰戦争こそ、本当の真実があり、今の日本の根源があるように思うのです。
◇◇◇
このように歴史には大きな流れがあって、その流れに沿って探究してみると、ピンポントの事柄ではとうてい見えてこないものが見えてきます。
そして過去の出来事と繋がる事で、さらに角度の違う見方もでき、うわべだけでは見えなかったことまで見えるものです。
そうなった時にこそ、本当の意味で歴史を楽しめるのだと思えます。
今現在も世界情勢は不穏な動きを見せています。
過去の歴史を教訓にして同じ過ちだけは繰り返さないよう、心から願うばかりです。
※以上、あくまでも個人的な意見です。
【参考文献】
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