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それぞれの幕府、それぞれの幕末。

「幕府」とか「幕末」と聞けば、まず浮かぶのが「明治維新」前の徳川氏による江戸幕府とその幕末でしょう。

一般的には、日本史の中には源氏の「鎌倉幕府」、足利氏の「室町幕府」も含めた3つの幕府が創設され、それぞれは新興勢力により倒され、歴史の大きな変換がありました。


そもそも「幕府」って何だ?

幕府とは将軍の任命を受けた者が、朝廷の外にあって、朝廷のために活動するために設けた役所。

Wikipedia

朝廷の外にあってという事は、公家から完全に独立した武家政権が幕府であるという事。


そして驚くことに、「幕府」という言葉が使われるようになったのは。江戸時代の後期なのです。

一般的には江戸幕府の末頃まで、そう呼ばれた事実はなく、
「関東」「武家」「公方くぼう」などと呼ばれ、朝廷から幕府を開くようにという勅命ちょくめいもありませんでした。

しかし、明治維新前の「王政復古の大号令」において、初めて明確に幕府の廃止だけは宣言されました。


では、その幕府の中心となる将軍とは何か?
征夷大将軍の意味もありますが、元々の意味は、

一軍を統率・指揮する役の人。また、陸(海)軍の将官の俗称

コトバンク

それらの定義を丁寧に考慮すると、以下の幕府も存在した事になります。
平氏による「六波羅ろくはら幕府」
織田信長による「安土幕府」

それらも仮の幕府として、それらの盛衰を順番に整理してみました。
ただし、戦国三英傑の一人である豊臣秀吉は、あくまでも朝廷の役職である関白としての政権だったとして、今回は除外します。



1156年〉(仮)六波羅ろくはら幕府

創設者:平清盛 (建物自体は祖父の正盛)
特徴:軍事的に武家としての独裁体制でありながら貴族化。
経済的基盤は荘園。

1156年の平治の乱で源氏を破り、唯一で初の武家政権の棟梁となる。
六波羅とは、京都の鴨川東岸の五条大路から七条大路一帯を指し、平家一門が拠点として政権を持つ。
日本の律令体制内法律の範囲内での栄進により権力を得る。
しかし、武士として独裁体制でありながらの貴族化は、旧来の貴族たちとの対立を招き、また他の荘園領主や社寺などと抗争も生じた。
清盛の死後、1185年に壇ノ浦の戦いで源氏に敗れ滅亡


1185年>鎌倉幕府

創設者:みなもとの頼朝よりとも
特徴:御家人制度、「御恩と奉公」の関係。

源氏将軍は3代で途絶え、その後は公家の血を引くものを形だけの将軍傀儡将軍として、その後9代まで北条氏が台頭して政治を行った。
今年の大河の主人公である北条義時の直系となる得宗家が執権となり代々継いだ。
140年続いたが、御恩と奉公のバランスが崩れて弱体化し、1333年新田義貞の挙兵によりに滅亡した。

~南北朝時代~
ここはややこしいので、またの機会に妄想話を書きます。


1336年>室町幕府

創設者:足利尊氏
特徴:有力な守護大名との連合政権。管領のもとに様々な役職を設置。

北朝として京都に創設された幕府だが、当初は南朝方に家来がつく事を懸念して、気前よく恩賞を与えた。
そのため幕府としての財産は少なかった上、京都に幕府があったため公家との交流が深く、軟弱化したのかもしれない。常に有力大名の台頭によって政権は脅かされ、組織維持が困難になる。
15代続いたが、最後の将軍・義昭が1573年に織田信長により京都から追放され237年続いた幕府は事実上滅亡した。


1573年〉(仮)安土幕府

創設者:織田信長
特徴:信長一ヶ所に権利を集中させた中央体制。

信長を頂点として、その下に連枝衆(織田一族)、さらに下に家老衆、馬廻衆、吏僚衆、近臣衆、武将衆などを置く。
武将衆は譜代と外様に分ける。
良くも悪くも信長のカリスマ性により、近世の武家政権の基盤を作った。
この後に続く豊臣政権も引き継ぎ、これらを織豊時代とも言い、武家政権の到達形態を作る。
1582年の本能寺の変において織田信長は死亡するが、まだその子ら信雄・信孝が安土に形だけでも存在したため、1585年豊臣秀吉が関白となった時点で滅亡とする。


1603年>江戸幕府

創設者:徳川家康
特徴:日本全国に大名を置く幕藩体制の確立。
武家諸法度や参勤交代、身分制度などを定め全国を統制。

実質的には、1615年の大阪夏の陣で豊臣家を滅亡させた時に確固たるものになる。その後260年以上も続く日本史の中で最も長命な政権となる。
しかし、その身分制度や武士の特権などに不満を持つ者たちによる倒幕思想や、欧米列強の開国欲求、力を付けた地方の雄藩により、幕府の権威は弱体化する。
1867年、徳川幕府・最後の15代将軍となった慶喜による大政奉還で政権を朝廷に返し、事実上滅亡する。


長続きしないカリスマ政権

以上、今後の執筆のための覚書として、妄想を含めた大まかな日本史の経過をまとめてみました。
一気に検索して書き留めたので、おかしなところがあるかもしれませんが、大きな目で見てやって下さいね。


ここで(仮)と付けた、六波羅と安土における平清盛と織田信長は、幕府とするには確実な宣言はなかったものの、事実上の征夷大将軍的?な地位となり、日本を掌握していたとして列挙してみました。

私としては、最初の武家政権は、源氏による鎌倉幕府ではなく、平氏による政権が最初ではないかと思っています。

そして、最初に中央体制を敷き、幕府の在り方を創り上げた織田政権

これら両者は清盛と信長という、圧倒的カリスマが時代の先駆者として切り開いた政権だった事は、忘れてはならない重要な日本史のターニングポイントを作り上げたのです。

ただ、この二つの政権は長続きせず、ほぼ1代でついえてしまいました。

そして、必ず後の新権力者がそれを教訓にして確実なものにしていきました。

この両者、似通ったところもあったりして、いろいろと比較すると面白くなりそうなので、また後日、記事にしてみたいなと思っています。



出典
日本の歴史の面白さを紹介!日本史はくぶつかん
サライ
コトバンク




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