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名字と家紋にはハマるツボあり!

年明け早々から、地味ですみません。
家紋と名字についての話です。

しかし、これにはハマる人にはハマるツボがあるのです。

本来、家紋と名字とは繋がる意味を持つのですが、長い年月の歴史を経て、結局のところ、こんがらがって、勝手に名字を名乗ったり、好きな家紋をチョイスしたりと、現在の各家の紋は正当なのかどうかは定かではありません。

戦国武将など、始祖は源氏だ!平家だ!藤原だ!と、自分の都合のいいように、勝手に家系図を書き変えたりしているので、今さら真実を辿るのは不可能というものでしょう。

でも、本来の基本を知るだけで、自分の先祖はこうなのでは?という憶測はでき、ロマンある妄想が膨らむのです。


日本人のルーツの大半は四つのうじに繋がる


日本人を基本的な民族に分類すると、
げんぺいとうきつ
四つのうじに分類されます。

ここから始まった日本人の名字をたどることで、日本史のまた違った局面を見ることができます。

これらは古代~平安時代に、恩賞、臣籍降下しんせきこうか、または朝廷内の序列の整理などで、天皇から臣下へと与えられた賜姓(しせい)という氏姓うじかばねが元となっています。


源氏げんじ

「笹竜胆(ささりんどう)紋」出典:源平藤橘の話

・名の由来:中国の『魏書ぎしょ』内の「源を同じくする…」より

・発生年:814年

・始祖:嵯峨・清和・宇多天皇、みなもとのとおるみなもとの経基つねもと

かばね朝臣あそん(朝廷の家臣)

賜姓しせい理由:臣籍降下

武家ブランドの筆頭というべき家柄だが、鎌倉幕府を開くもたった3代で源氏将軍は途絶え、北条氏が執権を握る。
その北条氏は何を隠そう平氏なのだからなんとも皮肉な結果となった。

〈現在の苗字〉
多田・馬場・山県・落合・能勢・田尻・小国・深栖・池田・土岐・伊賀・浅野・船木・宇野・豊島・福原・石川・対馬・足利・木曽・大島・新宮・陸奥・石川・森・若槻・押田・新田・山名・里見・竹林・徳川・長岡・田中・徳川・世良田・江田・脇屋・矢田・広沢・仁木・細川・吉良・今川・畠山・桃井・斯波・渋川・一色・上野・鎌田・阿野など(清和源氏のみ)

出典:源平藤橘から出た苗字一覧


平氏へいし

「揚羽蝶紋」出典:源平藤橘の話

・名の由来:遷都した平安京の「平」より

・発生年:825年

・始祖:桓武天皇、たいらの高棟たかむねたいらの高望たかもち

かばね朝臣あそん(朝廷の家臣)

賜姓しせい理由:臣籍降下

主流だった「伊勢平氏」が平清盛によって栄えるが、彼の死後、壇ノ浦で源氏に滅ぼされ、変わって「坂東平氏」が朝廷を脅かすほどの勢力を見せ、その中で北条氏が頭角を現し、源氏による鎌倉幕府の執権を握る。

〈現在の苗字〉
北条・熊谷・名越・金沢・長崎・桑名・鷲尾・杉原・伊勢・菊田・岩城・城・加地・長田・加茂・水野・相馬・信田・村岡・秩父・河崎・畠山・小山田・小沢・千葉・東・中村・土肥・三浦・杉本・和田・朝比奈・岡崎・梶原・大庭・古屋・長尾・佐原など。

出典:源平藤橘から出た苗字一覧

藤原氏ふじわらし

「下がり藤紋」出典:源平藤橘の話

・名の由来:大和国藤原(奈良県橿原市の地名)より

・発生年:684年

・始祖:藤原(中臣なかとみ)鎌足かまたり、藤原不比等ふひと

かばね朝臣あそん(朝廷の家臣)

賜姓しせい理由:恩賞

藤原氏はさらに北家ほっけ南家なんけ式家しきけ京家きょうけの藤原四家が成立するが、なかでも北家ほっけだけが隆盛を極め、藤原道長・頼通の頃に全盛期となる。
その後、平氏~源氏の台頭により公家・藤原氏の勢力は衰え、武家が政治の中心となる。
しかし、武家・藤原氏も多数いる事から、四氏の中では一番の大族となっている。

〈現在の苗字〉
佐藤、内藤、斎藤、工藤、須藤、伊藤など「藤」が付く姓の他、原・久野・船越・興津・入江・吉川・二階堂・中野・波多野・松田・大槻・石黒・林・富樫・安田・山上などその他多数。

出典:源平藤橘から出た苗字一覧


橘氏たちばなし

「橘紋」出典:源平藤橘の話

・名の由来:杯に浮かんだ橘より

・発生年:736年

・始祖:あがたの犬養いぬかいのたちばなの三千代みちよたちばなの諸兄もろえ

かばね宿禰すくね(朝廷の家臣)

賜姓しせい理由:恩賞、臣籍降下

女帝・元明天皇が女官・犬養三千代へと授けられた氏。
三千代が美努王みぬおうとの間に設けた子がたちばなの諸兄もろえで、奈良時代の一時期には藤原氏を抑えて影響力を強めるが、盛衰を繰り返して徐々に朝廷での権威は弱まる。
書家、歌人、学者などを多く輩出し、文化面での活躍が目立つ。

〈現在の苗字〉
橘・立花・楠木・和田・甲斐庄・楢村・梶川・木全・楠瀬

出典:源平藤橘から出た苗字一覧

ちなみに、我が家の紋は「橘」ですが、名字は「藤原氏」の中にありました。


そもそも家紋て何?

日本の「家紋文化」は世界的にみても独特なものです。
簡単に言えば、家のロゴマークまたはシンボルマークであるため、細かい紋様の違いまで区別すると2万種類もあるといわれています。

発祥は古代土器に見られる文様文化で、朝廷に仕える公家達が、装飾として自分好みの「文様」を衣服や家具等にあしらって使うようになります。

武家に至っては、合戦時に、敵味方が一目で分かるように、家紋を旗指物や陣幕、兜などに取り入れていきます。

家紋は江戸時代に最盛期となり、公家や武家だけでなく、名字を与えられた職人、商家、農民たちにまで広まり、やがて明治に入ると一般化しました。

しかし、昭和に入って戦後になると急激に近代化がすすみ、家紋はある意味古典的なものとして区別されるようになります。

我が家も、墓石、お節句の兜、着物などに入っているぐらいで、あまり日頃は目にする機会はありません。

このままでいくと、せっかくの日本独自の家紋文化は失われる可能性が出てきました。

そういえば息子のお節句人形、もう何年出していないだろう。。。
紋付きの着物も何年着てないだろう。

機会がないのは仕方がないのですが、現代の日本人は本来の文化も忘れつつあるのは否めません。


家紋に見る日本人の美意識の高さ

家紋を見ていると、当時の日本人の美意識の高さとセンスの良さに驚くものがあります。
多種多様なパターンが存在し、そこには日本人のユーモアとデザイン力が満ちています。

例えば、徳川の葵紋を見てみると、

徳川葵

これを基本にして、以下のようにデザイン変化したものが続々と現れます。

私が特にお気に入りの菱形家紋をピックアップすると、
左右上下が完全に対照的なものや、アシメトリーなものあり、
わざと空間を演出して、限られた枠の中で見事にバランスをとったものが多く、それでいて何か分かるようにそれらメイン対象の特徴だけは残しています。


マジですかー!と思うような変わった家紋もあるのですが、それはそれでちゃんとした意味をもっているのです。
それはまた別の機会に書かせていただきます。


どれを見ても、ちょっとした遊び心と洒落っ気を感じさせる、ハイセンスなものが多いのには感心します。
これらはただ単に家ロゴであるという域を超えて、一つ一つに訓戒とポリシーが込められているのが伝わってくるのです。

各家が工夫を凝らせて完全オリジナルを狙ったデザインは、今でも通用するような斬新さを見せ、古代を起源とするこの文様文化のセンスは、日本人の遺伝子の中にずっと潜んでいるのかもしれません。


ご自分の名字と家紋がどの系列になるか調べてみると、皆さんのルーツに行き着くキッカケになるかもしれません。




出典
家樹
源平藤橘の話
源平藤橘から出た苗字一覧
お仏壇のよねはら
家紋のいろは
変わった家紋


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