大橋 知沙

京都在住のライター・編集者。京都案内、暮らし、手仕事の取材・執筆など。装いや暮らしまわ…

大橋 知沙

京都在住のライター・編集者。京都案内、暮らし、手仕事の取材・執筆など。装いや暮らしまわりの展示販売会を行う展示室〈written〉主宰。著書『もっと、京都のいいとこ。』『京都のいいとこ。』(朝日新聞出版)。noteはエッセイ中心。ご感想うれしいです。

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  • わたしの10年もの

    ふと気づけば長く使っている、「10年使える」「10年使いたい」と感じたものを紹介します。

記事一覧

当たり前はやめていい

梅雨が明け、日に日に蝉の声が力強くなってきた。 いよいよというか、とうとうというべきか、本気の本物の容赦ない夏がやってくる。 灼熱の太陽とアスファルトの熱気で上…

大橋 知沙
3日前
8

「その他大勢」になる時間が必要だ

ライターをしながら、自分でも小さなギャラリーで衣食住のあれこれを展示販売していると、たいていのものは知り合いの店や関わりのある作り手でこと足りるようになる。 彼…

大橋 知沙
10日前
17

「できたて」は食卓を救う

「へんなものは一つも入ってないんです」 おいしいお店を取材したり、食に気を配っている人の発信にふれたりしていると、時々こういう台詞に出くわす。「へんなもの」とは…

大橋 知沙
2週間前
24

家の「体型」をあきらめてからが、本当の暮らしの始まり

先日、わが家をリノベーションした時の図面を引っ張り出してくる機会があり、記された日付を見ると「2014年」だった。 竣工はその翌年だったと記憶している。つまり、この…

大橋 知沙
3週間前
41

人と比べてしまいそうな時は未来を想う

「50億年後、太陽は地球にぶつかるんやって」 時々息子の口から飛び出すこうした話に驚いて、脳がバグを起こすことがある。大抵は解説系YouTubeから聞き齧った知識を披露…

大橋 知沙
1か月前
24

「いたいのいたいの」が飛んでいかなくなって

いつからか「痛いの痛いの」が飛んでいかなくなった。 少し前まで、子どもが転んだり体をぶつけたりしても、それをやれば飛んでいったのに。 一回では大抵、飛んでいかな…

大橋 知沙
2か月前
16

「親孝行は3才まで」の意味

桜が終わる季節になると、私の記憶はいつも2015年にトリップする。 ワンピースの下に地球儀を隠し持つかのごとく、まるまると膨らんだおなか。予定日を過ぎても、陣痛が始…

大橋 知沙
3か月前
81

季節に駆られて暮らしたい

この春は、筍をちゃんとアク抜きして炊き込みごはんに、ふきのとうを天ぷらにできた。過ぎゆく日々のなかでそんな献立は1日か2日のこと。けれど、そのたった一度の食卓はま…

大橋 知沙
3か月前
15

茶の間のツナトースト

2本目の親知らずを抜いた一週間後のこと、御所東にある喫茶店「茶の間」を訪ねた。 抜歯後の痛みもかなり治まってきて、この日は抜糸と消毒。しかも、2月とは思えない小春…

大橋 知沙
5か月前
9

2冊目の本が出ました。

1月30日、朝日新聞出版より2冊目となる著書を上梓しました。 タイトルは『もっと、京都のいいとこ。』 2019年に出版した『京都のいいとこ。』の続編です。 現在も連載中の…

大橋 知沙
5か月前
24

わたしのとこのま

古道具店で一目惚れしたスウェーデンの陶人形を、玄関に飾った。 こういう抽象的なオブジェへの感想として、「私でも作れそう」という台詞がうっかり出そうになるが、いや…

大橋 知沙
10か月前
15

制約と創作のあいだ

先日、2組の作り手にインタビューしたら2組ともが、似たニュアンスのことを言っていた。 「制約の中で表現することで、自分たちのスタイルができた」という。 一人は型染…

大橋 知沙
1年前
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気忙しい日に鍋を磨いたら

「言いにくいけれど言わなくちゃ」と、返信を保留にしている案件があった。 それに加えて、なかなか着地点が見つからない昨日の打ち合わせの要点整理、今日入稿予定の原稿…

大橋 知沙
2年前
21

4000円の自由と恩返し

クラフトフェア探訪とうつわの企画展を終えた慰労旅行という名目で、家族で長野県・松本市を旅した。 初夏の光に満ちたクラフトフェアを満喫し、温泉にも入り、宿でくつろ…

大橋 知沙
2年前
58

一年生の母一年生の私が君にできること

ぷりんぷりんに真新しいランドセルを背負い、息子が小学校に通う毎日が始まった。 実際は入学式の前に学童クラブがスタートしたのだけれど、入所2日目にしていきなりコロ…

大橋 知沙
2年前
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春野菜と散文レッスン

菜の花、ふきのとう、芽キャベツ、うすいえんどう。 生まれたばかりのやわい芽を、つぼむ花を喰む。 青さと苦みが混ざり合って、こそばゆいような感覚になる春野菜が好き…

大橋 知沙
3年前
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当たり前はやめていい

梅雨が明け、日に日に蝉の声が力強くなってきた。 いよいよというか、とうとうというべきか、本気の本物の容赦ない夏がやってくる。 灼熱の太陽とアスファルトの熱気で上下から焼かれるような真夏の屋外を歩くたびに、「やめてよかった」と再確認することがある。数年前に手放した、それまで全く疑うことなく「やるべき」と考えていたこと。いざ省いてみると、少なくとも私にとっては、拍子抜けするほど必要のないものだった。 それは、夏の日差しでみるみる溶けてくずれてしまうもの。 かき氷ではない。 フ

「その他大勢」になる時間が必要だ

ライターをしながら、自分でも小さなギャラリーで衣食住のあれこれを展示販売していると、たいていのものは知り合いの店や関わりのある作り手でこと足りるようになる。 彼のコーヒーや彼女の料理が食べたくて、店の扉を開ける。 心から好きで、ものづくりの姿勢や背景に共感できるものと、暮らしを共にする。 そんなふうに顔の見える間柄で、一人ひとりの才能や得意に対価を払い、生活の隙間を満たしていけたら、どんなに豊かだろう。 ところが、小さく満ち足りた経済の循環を愛おしいと思う一方で、時々その

「できたて」は食卓を救う

「へんなものは一つも入ってないんです」 おいしいお店を取材したり、食に気を配っている人の発信にふれたりしていると、時々こういう台詞に出くわす。「へんなもの」とはきっと、農薬や添加物のこと。手間と時間をかけ、誠実に食に向き合って、作物を育てたり料理をしたりしているからこその発言だろう。私自身も口したことがあるであろうこの言葉が、ふと引っかかるときがある。 「へんな」と形容したとたん、そこには上下関係が生じてしまう。 入っていないことへの正義。 違和感のわけは、そこに無意識の

家の「体型」をあきらめてからが、本当の暮らしの始まり

先日、わが家をリノベーションした時の図面を引っ張り出してくる機会があり、記された日付を見ると「2014年」だった。 竣工はその翌年だったと記憶している。つまり、この家に住んで10年が経とうとしていることになる。 築90年を超えるコンパクトな一軒家で、夫の祖母の家を譲り受け、リノベーションした。10年の間に、家族が一人増え、猫を一匹見送り、通りに面した部屋を不定期オープンの展示室として運営することになった。体感では10年も住んでいるなんて信じられないけれど、こうして変遷を振り

人と比べてしまいそうな時は未来を想う

「50億年後、太陽は地球にぶつかるんやって」 時々息子の口から飛び出すこうした話に驚いて、脳がバグを起こすことがある。大抵は解説系YouTubeから聞き齧った知識を披露しているだけなので、細かい真偽のほどは怪しい。けれど、日常生活で接することのない「宇宙」とか「物理」とか「未来」の話を子どもの口から聞くと、思考が途端にマクロの視点にワープして、夕飯の献立や学校の連絡事項など砂粒ほどに縮んでしまう。「どういうこと?」と聞き返して、お互いの知識と感想を投げ合う、キャッチボールが

「いたいのいたいの」が飛んでいかなくなって

いつからか「痛いの痛いの」が飛んでいかなくなった。 少し前まで、子どもが転んだり体をぶつけたりしても、それをやれば飛んでいったのに。 一回では大抵、飛んでいかない。火がついたように泣く子どもの体にふれ、傷ついたところをさすったり、痛みを吸い出すようにぐうっと力を込めてから思い切り空に放り投げる仕草を何度かくり返すと、少しずつ涙は引っ込んでいく。 飛んでった? まだ。 飛んでった? こくん。 私には確かに、「痛いの」を飛ばす力があった。 すりキズたんこぶ以外にも、熱がある

「親孝行は3才まで」の意味

桜が終わる季節になると、私の記憶はいつも2015年にトリップする。 ワンピースの下に地球儀を隠し持つかのごとく、まるまると膨らんだおなか。予定日を過ぎても、陣痛が始まってもなかなか出てこない、のんびりやの命。 今、「ほら、もう行くよ」と何度声をかけても目の前の遊びにしか興味のない息子を見ると、あの胎児(こ)にしてこの子あり、と大いに納得するのだけれど、そんな息子ももうすぐ9才である。 ◇ 出産から1ヶ月ほど、実家の母に手伝いに来てもらっていた。 初孫で、元々子ども好きな

季節に駆られて暮らしたい

この春は、筍をちゃんとアク抜きして炊き込みごはんに、ふきのとうを天ぷらにできた。過ぎゆく日々のなかでそんな献立は1日か2日のこと。けれど、そのたった一度の食卓はまるで絶景を眺めたような充実感がある。 時々、「毎年お味噌とか作ってそう」と言われるが、作ってない。 梅仕事も、ジャムも、筍の下茹でやふき味噌や実山椒の塩漬けも、気まぐれに作ることはあるけれど、毎年必ずやることはない。 季節の食材をその時期にちゃんとつかまえて、まるでそうするのが当たり前のように保存食をこしらえること

茶の間のツナトースト

2本目の親知らずを抜いた一週間後のこと、御所東にある喫茶店「茶の間」を訪ねた。 抜歯後の痛みもかなり治まってきて、この日は抜糸と消毒。しかも、2月とは思えない小春日和とあらば、足取りも軽くなるというものだ。光がたしかに春になりつつあることに浮き立ちながら、京都御所に寄り道してほころび始めた梅を一通り眺めたところで、おなかがすいた。すぐ近くにあったのが「茶の間」だった。 この店の名物はカレーである。 しかも、かなり辛い。 以前に訪ねたのはもう10年近く前かもしれないが、辛くて

2冊目の本が出ました。

1月30日、朝日新聞出版より2冊目となる著書を上梓しました。 タイトルは『もっと、京都のいいとこ。』 2019年に出版した『京都のいいとこ。』の続編です。 現在も連載中の、朝日新聞デジタル「&Travel」のWEBコンテンツ「京都ゆるり休日さんぽ」の記事を大幅に加筆修正し、テーマ別に再編集した1冊です。MAPも付いていて、ジャンルでいうとガイドブックに分類されると思いますが、「読み物」であることも大切に制作しました。 京都旅行をひかえている人はもちろんのこと、旅する予定が

わたしのとこのま

古道具店で一目惚れしたスウェーデンの陶人形を、玄関に飾った。 こういう抽象的なオブジェへの感想として、「私でも作れそう」という台詞がうっかり出そうになるが、いやいやそこがいいのだ。 家族を見送るとき、宅急便を受け取るとき、出かけるとき。 何度となく目にするからこそ、表情も性別も印象も特定されない曖昧さが心地よい。 ところで、気に入りのうつわやオブジェ、ポスターなどを手に入れたとき、まず飾ってみるのはうちの場合、玄関だ。他にも、リビングのガラスケースの上とか、階段を上がっ

制約と創作のあいだ

先日、2組の作り手にインタビューしたら2組ともが、似たニュアンスのことを言っていた。 「制約の中で表現することで、自分たちのスタイルができた」という。 一人は型染め作家・kata kataさん。 もう一人はイラストレーターの高旗将雄さん。 2組とも、手法は違えど絵でものづくりをする作り手だ。 kata kataさんは型染めや注染、高旗さんはシルクスクリーン印刷を用いた作品が主力だが、どちらもその技法ならではの特性や、表現の条件がある。 具体的には、型染めは「破れない丈夫

気忙しい日に鍋を磨いたら

「言いにくいけれど言わなくちゃ」と、返信を保留にしている案件があった。 それに加えて、なかなか着地点が見つからない昨日の打ち合わせの要点整理、今日入稿予定の原稿、その他諸々の雑務がごちゃまぜになって、朝から気ばかり忙しい。息子の登校を見送り、最低限の家事を済ませたら、だらだらとスマホなど見ず、シャキッと取りかからなければと思っていた。 さて何から片付けようか_____。 頭の中でタスクリストを並べながら食器を洗っていると、ふと、あるものが目に留まった。 朝食のスープが入

4000円の自由と恩返し

クラフトフェア探訪とうつわの企画展を終えた慰労旅行という名目で、家族で長野県・松本市を旅した。 初夏の光に満ちたクラフトフェアを満喫し、温泉にも入り、宿でくつろぎながら「幸せだねぇ」と夫や息子と言い合っていると、ふいに二人が目配せをした。 リュックの中をゴソゴソ探り、ひと呼吸おいて 「お母さん、展示おつかれさま」 と元気よく息子が言う。 顔じゅうの毛穴からうれしさがにじみ出てくるといった表情で、手渡してくれたのは、竹でできた小さなアイスクリームスプーンだった。 聞けば、

一年生の母一年生の私が君にできること

ぷりんぷりんに真新しいランドセルを背負い、息子が小学校に通う毎日が始まった。 実際は入学式の前に学童クラブがスタートしたのだけれど、入所2日目にしていきなりコロナ陽性者が出てしまい、休館。期せずしてしばらく、学校が終わってまっすぐに帰宅する息子を迎えることになったのだ。 小学生が自分で帰ってくるって本当? 初登校の日、張り切って小学校に出かけた息子が、(最初は先生の引率付き下校とはいえ)本当に「お迎えなし」で帰ってくるのか、私は半信半疑だった。 だってつい先日まで、朝に

春野菜と散文レッスン

菜の花、ふきのとう、芽キャベツ、うすいえんどう。 生まれたばかりのやわい芽を、つぼむ花を喰む。 青さと苦みが混ざり合って、こそばゆいような感覚になる春野菜が好きだ。香りも風味もどこかソワソワしている。どっしりと土の気配を蓄えていた、冬の根菜とはまるで違う。とらえどころがなくて、あやうくて、時期を逃せばもう食べられない。みどりの芽やつぼみが青果売り場に並びはじめると、「今食べなければ」という使命感すら覚えて、次々とカゴに入れてしまう。 軽やかで青苦い、春野菜の料理は時間を