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家の「体型」をあきらめてからが、本当の暮らしの始まり

先日、わが家をリノベーションした時の図面を引っ張り出してくる機会があり、記された日付を見ると「2014年」だった。
竣工はその翌年だったと記憶している。つまり、この家に住んで10年が経とうとしていることになる。

築90年を超えるコンパクトな一軒家で、夫の祖母の家を譲り受け、リノベーションした。10年の間に、家族が一人増え、猫を一匹見送り、通りに面した部屋を不定期オープンの展示室として運営することになった。体感では10年も住んでいるなんて信じられないけれど、こうして変遷を振り返ってみると、それなりの時間が流れていたんだなと思う。そして、10年目にしてようやく、私は、この家と自分の暮らしがしっくりきはじめたような気がしている。

毎日暮らしている場所なのに、10年経ってやっと?
と思うかもしれない。

たしかに、これまでも「しっくりこない」とまでは感じていなかったのだ。リノベーションしてすぐの家はどこもかしこもぴかぴかで、一つひとつ自分で選んだインテリアに囲まれて過ごす高揚感があった。家の写真もたくさん撮っていたし、ものはなるべく減らし、生活感のあるものは隠して収納するように努力していた。当初はそれが全く苦ではなかった。

だけど、住み続けていると、「努力」は「負担」に変わる。
わが家の場合、光がよく入る2階にLDKを作ったので、生活の中心はどうしても2階になる。ところが、掃除道具の収納場所は1階。洗濯機は1階で、洗濯物を干すのは2階のベランダ。もう書いているだけで息切れしてきそうだが、家事のたびに何度も階段を上り下りしなければならないのが、わが家だった。

生活動線のわるさを感じても、一度決めた家事の流れや収納場所を変えるのは容易ではない。引っ越してから6、7年、最初に決めた生活スタイルを疑うことなく、「こうするしかないから」となんとなく続けてきてしまった。

きっかけは、3年ほど前。虫の発生と生い茂る葉の勢いに音を上げて、奥の庭の木を一本伐採してもらったことだ。昼間でも薄暗かった庭に光が入るようになると、ふと「ここに洗濯物を干したらどうだろう」という考えが浮かんだ。1階の洗濯機からもクローゼットにも、近いじゃないか。やってみるとそれは、拍子抜けするほど簡単だった。今まで洗濯かごを持って2階に上がり、取り込んだら1階のクローゼットにしまっていた自分が滑稽に思えるほどだった。

それを機に、少しずつ動線を見直し、「ここにこれがあったらいいな」と思う位置に道具や収納を置いた。当たり前のことと思うかもしれない。でも、私は長い間それができなかった。住み始めた時に描いた「こういう暮らしがしたい」という理想図が、手放せなかったからだ。

ここにものを置きたくない。
掃除道具を見せたくない。

デザインを気に入って買った服を、体型に合わないのに着続けてしまうように。家の造りに合わない生活スタイルを「似合っていない」と認められずに、続けていた。結果的に、片付けられなかったり、掃除が億劫になったりしていた。

今、リビングのいつでも手の届く位置にダイソンの掃除機と付け替えのヘッドを設置しているけれど、とても快適である。インテリアの洋書のように、好きなデザインのブラシやほうきが掛けられた一角ではない。けれど、思い立ったらすぐ掃除機にアクセスできる心地よさの方が、北欧製のブラシより、掃除機が見えないように収納されていることより、勝る。

洗面スペースに家族の下着類を入れる小さな引き出しも置いた。
洗面台の下が空いた抜け感のあるデザインが気に入っていたけれど、取り込んだ洗濯物からの動線を考えれば、このデッドスペースを生かさない手はない。お風呂上がりに子どもが自分で下着を取り出す仕組みもできた。

おしゃれと同じように、家にだって「体型」があるのだと思う。

背が高かったり低かったり、脚の形やおなか周りにコンプレックスがあったり…。それでもみんな、自分の体型を受け入れて似合う服を探す。今から背は伸びないし、ダイエットだって簡単じゃない。これが自分なんだとあきらめて、開き直ることだって大切だ。自分をよく知り、似合うものを着こなしている人はみな、かっこいい。

10年が経ってようやく家と暮らしの呼吸が合いはじめたのはきっと、私がこの家の「体型」を受け入れたからだ。新築のころよりもあちこち、キズや汚れがついてきたことも理由の一つだろう。シワやシミのように、年齢を重ねた証だと思えばあきらめもつく。ついでに、階段の上り下りもこまめな片付けもできない、自分のずぼらな性格も認めてしまおう。

不恰好な体型も、シワや性格も、「これが私の家なんだ」とあきらめてからが本当の、自分らしい暮らしの始まりだと思う。
誰に見せるわけでもない生活を、自分が一番心地よくキープできるように営んでいく。

その日々が何年も積み重なったとき、家と住む人がぴたりと似合って「あなたらしい」と言ってもらえる住まいになると思うのだ。


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