大橋 知沙

京都在住のライター・編集者。京都案内ほか暮らし、手仕事の取材・執筆など。展示会時のみ開…

大橋 知沙

京都在住のライター・編集者。京都案内ほか暮らし、手仕事の取材・執筆など。展示会時のみ開く展示室〈written〉主宰。著書『もっと、京都のいいとこ。』『京都のいいとこ。』(朝日新聞出版)。各種ご依頼→ chisam16*gmail.com(*を@に変えて送信してください)

マガジン

  • わたしの10年もの

    ふと気づけば長く使っている、「10年使える」「10年使いたい」と感じたものを紹介します。

最近の記事

いたいのいたいの

いつからか「痛いの痛いの」が飛んでいかなくなった。 少し前まで、子どもが転んだり体をぶつけたりしても、それをやれば飛んでいったのに。 一回では大抵、飛んでいかない。火がついたように泣く子どもの体にふれ、傷ついたところをさすったり、痛みを吸い出すようにぐうっと力を込めてから思い切り空に放り投げる仕草を何度かくり返すと、少しずつ涙は引っ込んでいく。 飛んでった? まだ。 飛んでった? こくん。 私には確かに、「痛いの」を飛ばす力があった。 すりキズたんこぶ以外にも、熱がある

    • 「親孝行は3才まで」の意味

      桜が終わる季節になると、私の記憶はいつも2015年にトリップする。 ワンピースの下に地球儀を隠し持つかのごとく、まるまると膨らんだおなか。予定日を過ぎても、陣痛が始まってもなかなか出てこない、のんびりやの命。 今、「ほら、もう行くよ」と何度声をかけても目の前の遊びにしか興味のない息子を見ると、あの胎児(こ)にしてこの子あり、と大いに納得するのだけれど、そんな息子ももうすぐ9才である。 出産から1ヶ月ほど、実家の母に手伝いに来てもらっていた。 初孫で、元々子ども好きな母はそ

      • 季節に駆られて暮らしたい

        この春は、筍をちゃんとアク抜きして炊き込みごはんに、ふきのとうを天ぷらにできた。過ぎゆく日々のなかでそんな献立は1日か2日のこと。けれど、そのたった一度の食卓はまるで絶景を眺めたような充実感がある。 時々、「毎年お味噌とか作ってそう」と言われるが、作ってない。 梅仕事も、ジャムも、筍の下茹でやふき味噌や実山椒の塩漬けも、気まぐれに作ることはあるけれど、毎年必ずやることはない。 季節の食材をその時期にちゃんとつかまえて、まるでそうするのが当たり前のように保存食をこしらえること

        • 茶の間のツナトースト

          2本目の親知らずを抜いた一週間後のこと、御所東にある喫茶店「茶の間」を訪ねた。 抜歯後の痛みもかなり治まってきて、この日は抜糸と消毒。しかも、2月とは思えない小春日和とあらば、足取りも軽くなるというものだ。光がたしかに春になりつつあることに浮き立ちながら、京都御所に寄り道してほころび始めた梅を一通り眺めたところで、おなかがすいた。すぐ近くにあったのが「茶の間」だった。 この店の名物はカレーである。 しかも、かなり辛い。 以前に訪ねたのはもう10年近く前かもしれないが、辛くて

        いたいのいたいの

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        • わたしの10年もの
          7本

        記事

          2冊目の本が出ました。

          1月30日、朝日新聞出版より2冊目となる著書を上梓しました。 タイトルは『もっと、京都のいいとこ。』 2019年に出版した『京都のいいとこ。』の続編です。 現在も連載中の、朝日新聞デジタル「&Travel」のWEBコンテンツ「京都ゆるり休日さんぽ」の記事を大幅に加筆修正し、テーマ別に再編集した1冊です。MAPも付いていて、ジャンルでいうとガイドブックに分類されると思いますが、「読み物」であることも大切に制作しました。 京都旅行をひかえている人はもちろんのこと、旅する予定が

          2冊目の本が出ました。

          わたしのとこのま

          古道具店で一目惚れしたスウェーデンの陶人形を、玄関に飾った。 こういう抽象的なオブジェへの感想として、「私でも作れそう」という台詞がうっかり出そうになるが、いやいやそこがいいのだ。 家族を見送るとき、宅急便を受け取るとき、出かけるとき。 何度となく目にするからこそ、表情も性別も印象も特定されない曖昧さが心地よい。 ところで、気に入りのうつわやオブジェ、ポスターなどを手に入れたとき、まず飾ってみるのはうちの場合、玄関だ。他にも、リビングのガラスケースの上とか、階段を上がっ

          わたしのとこのま

          制約と創作のあいだ

          先日、2組の作り手にインタビューしたら2組ともが、似たニュアンスのことを言っていた。 「制約の中で表現することで、自分たちのスタイルができた」という。 一人は型染め作家・kata kataさん。 もう一人はイラストレーターの高旗将雄さん。 2組とも、手法は違えど絵でものづくりをする作り手だ。 kata kataさんは型染めや注染、高旗さんはシルクスクリーン印刷を用いた作品が主力だが、どちらもその技法ならではの特性や、表現の条件がある。 具体的には、型染めは「破れない丈夫

          制約と創作のあいだ

          気忙しい日に鍋を磨いたら

          「言いにくいけれど言わなくちゃ」と、返信を保留にしている案件があった。 それに加えて、なかなか着地点が見つからない昨日の打ち合わせの要点整理、今日入稿予定の原稿、その他諸々の雑務がごちゃまぜになって、朝から気ばかり忙しい。息子の登校を見送り、最低限の家事を済ませたら、だらだらとスマホなど見ず、シャキッと取りかからなければと思っていた。 さて何から片付けようか_____。 頭の中でタスクリストを並べながら食器を洗っていると、ふと、あるものが目に留まった。 朝食のスープが入

          気忙しい日に鍋を磨いたら

          4000円の自由と恩返し

          クラフトフェア探訪とうつわの企画展を終えた慰労旅行という名目で、家族で長野県・松本市を旅した。 初夏の光に満ちたクラフトフェアを満喫し、温泉にも入り、宿でくつろぎながら「幸せだねぇ」と夫や息子と言い合っていると、ふいに二人が目配せをした。 リュックの中をゴソゴソ探り、ひと呼吸おいて 「お母さん、展示おつかれさま」 と元気よく息子が言う。 顔じゅうの毛穴からうれしさがにじみ出てくるといった表情で、手渡してくれたのは、竹でできた小さなアイスクリームスプーンだった。 聞けば、

          4000円の自由と恩返し

          一年生の母一年生の私が君にできること

          ぷりんぷりんに真新しいランドセルを背負い、息子が小学校に通う毎日が始まった。 実際は入学式の前に学童クラブがスタートしたのだけれど、入所2日目にしていきなりコロナ陽性者が出てしまい、休館。期せずしてしばらく、学校が終わってまっすぐに帰宅する息子を迎えることになったのだ。 小学生が自分で帰ってくるって本当? 初登校の日、張り切って小学校に出かけた息子が、(最初は先生の引率付き下校とはいえ)本当に「お迎えなし」で帰ってくるのか、私は半信半疑だった。 だってつい先日まで、朝に

          一年生の母一年生の私が君にできること

          春野菜と散文レッスン

          菜の花、ふきのとう、芽キャベツ、うすいえんどう。 生まれたばかりのやわい芽を、つぼむ花を喰む。 青さと苦みが混ざり合って、こそばゆいような感覚になる春野菜が好きだ。香りも風味もどこかソワソワしている。どっしりと土の気配を蓄えていた、冬の根菜とはまるで違う。とらえどころがなくて、あやうくて、時期を逃せばもう食べられない。みどりの芽やつぼみが青果売り場に並びはじめると、「今食べなければ」という使命感すら覚えて、次々とカゴに入れてしまう。 軽やかで青苦い、春野菜の料理は時間を

          春野菜と散文レッスン

          「それだけ」をする、5分/1日

          昨年の秋にオーダーしていた、銅のドリップポットが届いた。 小ぶりで、ミニマルで、直線と曲線のバランスが好ましい。銅の経年変化も楽しみな金工作家の品だ。大のコーヒー好きなので、コーヒーを淹れる道具が美しいというのは気分がいい。使い心地も申し分なく、それまで使っていた手頃なドリップポットより断然、微妙な湯量を調節しやすくなった。 コーヒーほど、淹れる時の気持ちが味に出る飲み物はない。 豆の品質だとか、お湯の温度とか注ぎ方とか、そういったクオリティーやテクニックも大切だけれど

          「それだけ」をする、5分/1日

          チャームポイントを見つけてもらう

          先週末、メイクのプライベートレッスンを受けてきた。 自宅でスキンケアとメイクの小さなサロンを営んでいる女性が主宰しており、普段のセルフメイクについてヒアリングしながら、1対1で教えていただける。学生時代に覚えて以来更新されていない自己流メイクを、プロの視点からアップデートしてもらえたのは貴重な体験だった。 レッスンのはじめ、彼女は私の顔を見てこう言った。 「黒目がきれいな薄茶色なんですね」 その言葉に一瞬驚き(そんな所まで見てくれたのかと)、じんわりとうれしさが湧き上

          チャームポイントを見つけてもらう

          ごほうびのような

          商店街の福引も、雑誌の懸賞もお年玉付き年賀はがきもまともに当たったことのない私に、夢のような吉報が訪れた。 「10年目の結婚記念日に絵を買いたい」と綴ったその絵が、わが家にやってくることになったのである。 (その時の日記はこちら) 購入は抽選制。正直、当たらないだろうと半分あきらめていたからこそ、最初の記事を書いたのだ。「記念日にアート」という選択肢が、誰かの心に引っかかりさえすればいいと思って。もちろん、店主さんはそんなこと知るはずもない。奇跡のようなご縁に、連絡をい

          ごほうびのような

          生きづらくない人へ

          「生きづらい」という言葉が広く使われるようになったころから、どこかもやもやした感情を抱いていた。 周囲に馴染めない、人に合わせられない、感情のコントロールができない、人よりも感覚が鋭い。そうした特性を個人の責任にせず、サポートの必要な人として理解しようという動きは、社会の大きな進歩だと思う。けれど、本で、ネットで、テレビで、会話の中で、いたるところで多用される「生きづらい」という単語を耳にすると、小さな反発を抱く自分がいる。 「生きづらい」ってなんだろう? たぶん、私は

          生きづらくない人へ

          おしゃれの呪文

          どろげりあ・くりべりーに ずっと気になっていたベルベットのスリッポンがセールになっていたので、ポチッとした。その名は〈drogheria crivellini〉。2014年にスタートしたイタリアのブランドで、フリウリ州という地方の農夫のシューズが元になっているらしい。鮮やかなカラーと品の良いベルベット生地が気になりつつも、あまりに貧弱なソールに購入を躊躇していた。半額と返品無料キャンペーンに背中を押され、試しにと買ってみたのだ。 おしゃれの世界には時々、「呪文」が登場する

          おしゃれの呪文