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一年生の母一年生の私が君にできること

ぷりんぷりんに真新しいランドセルを背負い、息子が小学校に通う毎日が始まった。

実際は入学式の前に学童クラブがスタートしたのだけれど、入所2日目にしていきなりコロナ陽性者が出てしまい、休館。期せずしてしばらく、学校が終わってまっすぐに帰宅する息子を迎えることになったのだ。

小学生が自分で帰ってくるって本当?

初登校の日、張り切って小学校に出かけた息子が、(最初は先生の引率付き下校とはいえ)本当に「お迎えなし」で帰ってくるのか、私は半信半疑だった。
だってつい先日まで、朝に夕にと電動自転車のペダルを漕いでいたのだ。雨の日は前カゴまで包めるカッパを着て、帰り道には「赤とんぼ」や「もろびとこぞりて」を歌いながら。
あの送迎の日々が終わっただなんて!

11時半頃を過ぎるともう、時折窓の外から聞こえる通行人の気配を察するたびに、ソワソワして落ち着かない。

あ、違った。
また違う。
これはご近所のWさん。
これも違うな。

なんてことを何度かくり返したのちふいに、パタタッ!と靴が鳴る音がした。

足音だけで確信する。
引率の先生に「ここ!」と話す声がする。
息が弾んでいるのがわかる。

「おかえり!!!」
と両手を広げてアメリカンホームドラマのように出迎えたい気持ちをぐっとこらえ、何食わぬ顔で「おかえりー。さ、手ぇ洗いー」とうながす。「おつかれさま」とハグすると、息子も軽くハグを返すやいなや、それどころじゃないといった様子で、興奮ぎみに1年1組1日目のできごとを話しはじめた。

その瞬間、「ああ、本当に終わったんだ」と実感した。
同時に、子育てが次のフェーズに突入したことを、私は確信した。

大人のほめたいこと、子どものほめられたいこと

いま、息子は何もかもが新しく、まぶしく、新しい日々への希望と期待にあふれている。

けれど、彼の性格と性質上、期待値が高ければ高いほど、一つつまづいたときにネガティブな感情が跳ね返ってくることを、私は知っていた。
(息子のことは以前もこちらのnoteで書いています)

その反動は時に、自分や自分の大切にしているもの・人にぶつけることでしか解消できず、周囲も、何より彼自身も傷ついてしまう。

これまでの園生活は、息子のその性質に悩み、謝ったり気をつかったりして疲れ、私では母親は務まらないと泣き、それでも手探りで彼が彼らしく、私が適度に力を抜きつつ、生きる方法を模索してきた数年間だった。

「おかえり!」と大げさに出迎え、ほめちぎらなかったのは、反動に備えての伏線だ。大人が過剰にほめたたえることを、息子はとても嫌う。いや、正確に言うと「大人がほめたいからほめている」ことを無意識に見抜き、プレッシャーに感じてしまうようだ。「ほめて伸ばす」ことを推奨する教育論が多いなか、ほめすぎると怒る息子の気持ちがわからなくて、最初は途方にくれた。ある時、仕事で知り合った子育ての先輩から「『次もできるよね?』ってプレッシャーに感じるのかも」と言われて、ハッとした。

私、本当に息子をほめてあげられていたのかな。
自分がほめたいことばかり、ほめていたんじゃないだろうか?

じっと座ってられてえらい!
ごあいさつできるなんてすごいね!
上手に書けたじゃん!

でも違う。
息子が本当にほめられたかったのは、本当に無邪気に得意げに胸をはってきたのは、大人が絶句してしまうような盛大な散らかしの末にできあがった工作や、迷惑千万な遊びのアイデアの方だ。

ほめるかわりに手渡す言葉

そう気づいてから、「大人がほめたいこと」をほめるときはさりげなく、深追いせずに伝えるようにした。そして代わりにこう言う。「ありがとう」「お母さんうれしい」

座って待っててくれてありがとう。
あいさつしてくれてお母さんうれしい。
一生懸命書いてくれてありがとう。
「行きたくない」って気持ちを言ってくれてありがとう。

これは、一年間通った療育の先生の声かけに学んだことだ。
「ありがとう」や「うれしい」は、ほめるのではなく私自身の感謝や気持ちの変化だから、受け取る方も自然で負担にならない。

ある時、私が忙しく夕飯の支度をしていると「ハサミがない!」と息子が怒りはじめたことがあった。「ちょっと待って」「自分で探して」と何度かかわすも、息子の苛立ちは収まらない。
空腹でイライラ、相手をしてくれない母親にイライラ、ハサミがないことで作りたいものが作れないことにイライラ。息子の爆発寸前の気配を察知し、私は仕方なく料理の手を止め、ハサミを探した。

「探してくれてありがとう」

確かにそう言った。
さっきまでハサミがないだけで怒っていた子が、自分から。


ああ、変わるべきは息子じゃなくて私の方だった。
そうだよね、こういう時「えらい」とか「すごい」とか言われてもうれしくないよね。
「ありがとうって言ってくれてありがとう。ごめんね、すぐに探してあげられなくて」



初登校の一週間は終わった。
くる日もくる日も電動自転車の後ろに座っていたあの男の子はもう、自分の足で歩き始めた。
私の手を必要とすることは、一つずつ減っていくだろう。誤解やトラブルも、彼自身で乗り越えていかなければいけない日も増えるだろう。

だからせめて「ありがとう」って言い続けよう。
息子が一年生なら、私も小学生の母一年生。
してあげられることが減ったとしても、私は彼の鏡なのだ。

さあ、来週息子が学校と学童から帰ってくるのを、夕飯の匂いで迎えよう。

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