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4000円の自由と恩返し

クラフトフェア探訪とうつわの企画展を終えた慰労旅行という名目で、家族で長野県・松本市を旅した。
初夏の光に満ちたクラフトフェアを満喫し、温泉にも入り、宿でくつろぎながら「幸せだねぇ」と夫や息子と言い合っていると、ふいに二人が目配せをした。
リュックの中をゴソゴソ探り、ひと呼吸おいて

「お母さん、展示おつかれさま」

と元気よく息子が言う。
顔じゅうの毛穴からうれしさがにじみ出てくるといった表情で、手渡してくれたのは、竹でできた小さなアイスクリームスプーンだった。

聞けば、私がクラフトフェアで作家さんへの挨拶と作品巡りをしているあいだ、夫は息子にお小遣いを渡して「自分で考えて使っていいよ」と伝えたらしい。
スプーンは、その物色の成果ということだった。

てっきり公園の水辺や遊具で遊んでいたと思っていた私は、本当に驚いた。

そして夫も、息子がジュースやお菓子、ワークショップやクラフト材料(息子は大の工作好き)などに使うだろうと踏んでお金を渡したから、「家族3人分のプレゼントを買う」と言い出したとき、とても驚いたという。

あまりにうれしくて、どんなふうに選んだのか、どんな作家さんから買ったのか、「はじめてのおつかい」の視聴者のような気分で根掘り葉堀り息子に聞いた。

息子は息子で、何周も会場を回ってみんなの好きそうなものを見つけたこと、どれも高くて予算内に収めるのが難しかったこと、作家さんが200円まけてくれたことなどを、冒険談を話すように目をキラキラさせて教えてくれた。

世界を変えた“自由”の代金

さて、夫が小1の息子にいくら渡したのかというと、4000円である。

その額を聞いたとき、私は夫の絶妙すぎる金額設定に膝を打った。

息子にしてみれば、お年玉くらいの臨時収入だ。
でも、クラフトフェアに出店している飲食ブースでドリンクとおやつを買えば、それだけで1000円弱はかかる。ワークショップやちょっとした材料なら1000〜2000円前後。マグカップなら1つで3〜4000円はするだろう。4000円は、子どもが半日遊ぶには、多すぎず少なすぎずのギリギリの金額だ。

たとえば子どもに「ジュース飲みたい」「あれがほしい」とねだられ、ワレモノの扱いや癇癪にヒヤヒヤしながらその都度財布を開いていたら、4000円なんてあっという間になくなる。

それならば、いっそお小遣いとして託して「自分で考えて使わせてみよう」というのが夫の目論見だった。

結果、夫のねらいは大当たりだった。

それまで「親の趣味に付き合わされて」クラフトフェアを訪れていた息子の世界は180度変わり、自分事として楽しむ場所になった。
買えないものを触って、叱られなくてもいい。
欲しいものややりたいことを見つけるたびに、親に「許可」を得なくてもいい。

夫の一声と4000円で、彼は自由になったのだ。

あまりあるものを分け合うということ

「自分で決めていい」
ということは、その人の意思を尊重し、存在を肯定するメッセージなのだと思う。

災害時には、直後は無償でいち早く食料や物資を配る必要があるが、復旧が進んでくると、スーパーやコンビニを普段通りに開けることが大切だと聞いたことがある。

今日食べるものを自分で選べる。
施しを受けるのではなく、自分の意思で対価を払い、受け取る。
その行為が、その人の尊厳を守り、失われた生活を自分の手元にたぐり寄せる力になるからだ。

4000円という大金の使い道を「決めていい」と言われたことは、息子にとって、今日を生きる手段が自分に委ねられた、と同義だったのだろう。


とはいえ、息子に与えた自由代が、まさか自分たちに返ってくるなんて、当の親は予想していなかった。

これまでも、息子に自分で考えてお金を使わせたことはあったし、無駄づかいに終わってしまったことも一度や二度ではない。今回も、失敗も含めてお金の勉強になればくらいの気持ちだったという。

けれど、息子は私たちへの贈り物に使うことを当たり前のように選んだ。

松本旅行はずっと前から家族で楽しみにしていたイベントだった。
夫が忙しい中段取りしてくれたこと、私が展示を終えたばかりだということ、そしてこのお小遣いは「旅の思い出代」だということを、息子はよくわかっていたのだと思う。

彼にとって大きな額でも、クラフトフェアで作品を3つ買うには、4000円なんて全然足りなかっただろう。
 

それでも知恵を絞って、お風呂上がりのアイスが楽しみの私には、アイスクリームスプーンを。
お酒の大好きな夫には宙吹きのグラスを。
先日お箸を折ってしまったばかりの自分には、お箸を選んだ。
どれも普段から、相手の好きなものをよく見ていないと思い付かないものばかりだった。


7歳はもう、自由の喜びを知っている。

そして本能的に、食後に「ごちそうさま」というくらい自然に、持ちきれないほどの恩恵は分け合うものだということを、わかっている。

この小さなアイスクリームスプーンを使うたびに、自由の意味と、与え与えられることの豊かさを思う。

そして、私たち家族に起きた小さな経済の循環に、まるで素数の秘密でも解き明かしたかのように、ドキドキしている。

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