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「できたて」は食卓を救う

「へんなものは一つも入ってないんです」

おいしいお店を取材したり、食に気を配っている人の発信にふれたりしていると、時々こういう台詞に出くわす。「へんなもの」とはきっと、農薬や添加物のこと。手間と時間をかけ、誠実に食に向き合って、作物を育てたり料理をしたりしているからこその発言だろう。私自身も口したことがあるであろうこの言葉が、ふと引っかかるときがある。

「へんな」と形容したとたん、そこには上下関係が生じてしまう。
入っていないことへの正義。
違和感のわけは、そこに無意識の、オーガニックや無添加こそ清廉というわずかなマウントが潜んでいるからだろう。

私だって、無農薬の野菜がうんと濃いことや、小麦粉と水だけで手作りした餃子の皮の感動的なおいしさは知っている。一方で、大手食品メーカーの冷凍餃子が、「水なし・油なしで簡単羽根つき」で見事に焼き上がることに感動するし、在宅ワークのお昼ごはんはカップヌードルトムヤムクン味が大好きだ。「どっち派」という話ではなく、無意識にどちらかの立場を落とす表現をしていないか、ほんの少し気をつけていたいと思う。

入っているか、いないか。
手作りか、そうでないか。
あっちとこっちに分かれる正義には中庸でありたいと思うけれど、一つだけ、食において正義だと信じていることがある。

京都で60年以上続く「まるき製パン所」というパン屋にうかがった時のこと。
品ぞろえはほぼコッペパンサンドのみ。柔らかくて少し甘めのコッペパンに、ハムとキャベツ、コロッケとキャベツ、あんこにクリームなど、さまざまな具を挟んで販売している。地元の学生やおばちゃん、通勤途中に立ち寄る人から観光客まで、軒先はいつもにぎわっていて、ショーケースからはおおげさでなく「飛ぶように」コッペパンサンドが売れていく。
素朴でなつかしくて、かぶりつくと切り口を二度見するほど、おいしい。

「特段ええ材料を使っているわけではない」と社長さんは笑っていたけれど、コロッケもあんこも自家製だ。「手作り」だからおいしいと言ってしまうのは簡単だけれど、それだけではないような…。厨房を眺めていると、コロッケをはさんでいたパートのおばちゃんの一人が「答え」を言った。

「おいしいのは、できたてやから」

できたて。
どんな料理も、この言葉を添えればごちそうだ。
ごはんを炊けば「炊き立てだからね」。餃子を焼けば「はい、焼きたて熱々!」。カップラーメンだって、3分経ったらすぐ食べないとのびてしまう。
この4文字にはすべての、無添加だとかレトルトだとかオーガニックだとかジャンクだとか、あらゆる食の階層を飛び越えて、作る人と食べる人を幸せにする説得力がある。
だって、焼きたてのコッペパンに揚げたてのコロッケをはさんでいる人が言うのだ。
そんなの、そんなの、おいしいに決まってる。

バタバタしていてろくに作れなかったと嘆く日の夕食も、あのおばちゃんの言葉を繰り出す。
「さ、できたてやから」
ごはんしか炊けなくても、冷凍餃子でも、そう言って湯気の立つ一皿を出せば、食卓は平和だ。



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