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読書人間📚『むらさきのスカートの女』今村夏子


『むらさきのスカートの女』今村夏子

2019年発行 (朝日新聞出版)
第161回芥川賞受賞作。 
『こちらあみ子』で2011年に三島由紀夫賞受賞



今村さんらしいと言うか、まだ4作目ですが、今村ワールド掴めてきました。なんだかよくわからない、わからないから先が気になる。ぐんぐん読み進める。ある種、ミステリーですね。読む人に寄り、いろんな推測や、解釈があると思います。以下、感想、解釈は本作を読んでいる人にしかわからないかもしれません。自分の為のメモでもあります。



一人称「わたし」の視点で描く。
"わたし"を「黄色いカーディガンの女」とし、"わたし"が「むらさきのスカートの女」と、友達になりたいと追いかける物語。


「黄色いカーディガンの女」は「むらさきのスカートの女」を同類、似た者と思い、追いかけだしたのか、助けてあげたいと言う気持ちは"わたし"を優位に立たせ、"あげている"という身勝手なエゴ、優越感を満たしてくれる存在として「黄色いカーディガンの女」に注目した事だろうと感じます。
「黄色いカーディガンの女」は、"普通"の感覚では無い行動をとる。その一方で、「むらさきのスカートの女」は普通の女、どこにでも居そうな女として形が浮かび上がってきます。徐々に"なんだかよくわからない"が、見えて来る。読者は「むらさきのスカートの女」が倫にはずれていくヤバさよりも、「黄色いカーディガンの女」の異常性、ヤバさに気付いていく。
けれど、作中2人の女の周りの人間達には「黄色いカーディガンの女」のヤバい側面はなかなか見えず、「むらさきのスカートの女」を、針のむしろに追い込み排除する。「黄色いカーディガンの女」は何も無かったように、持ち前の非道さで人をのみ込み生きていく。

物事には二面性があり、真実を見極めるのは容易ではありません。似た者かと思いきや、似て非なる者。誰にもわからない狂気が直ぐそこに潜んでいるかもしれません。
読み終わり、読書の視点は"わたし"から「むらさきのスカートの女」の立場に変わり、ゾっと背筋が凍る. . .



と、私(村田)は読みました。この解釈は、一ヶ月後、自分で読み直して解るのか?、さっぱり自信がありません。この長さで、よく出来た作品だと感じます。頭を使わせます。今村ワールドは読了後にじわじわきますが、好みが分かれる作家かもしれません。本作で4作品目、私は癖になりつつあります。


装画  榎本マリコ
装丁  田中久子

陰気で不思議な可愛らしさはダークファンタジー系かと惹きつけられましたが、納得できました。こわいこわい。

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🌝声、発声、機能を考える
ボイス・ボーカルレッスン/東京都 
音楽療法(医療行為は行わない)の観点からオーラルフレイル、口腔機能、老化防止を意識した呼吸法、発声のレッスンも行います。

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