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僕が文章添削サービス「MIGAKU」を始めた理由

とてつもなくひっそりとではありますが、先日オープンいたしました。

いま話題のBASEからの出店です。無料のテンプレートで十分それらしいお店になるのがとてもいいですね。
そのうえHTML/CSSもコードからいじれる(それなりの制約はあるみたいですが)ので、自分好みにレイアウトやデザインをカスタマイズすることで、見せたい形にどんどん近づけていけます。
『どうぶつの森』が好きな人はハマるんじゃないかなんて思ったりもしますね。秘密基地をつくっているみたいな楽しさがあります。

そんなわけで、ご依頼いただいた皆さんの文章をどんどん添削させていただきます。言ってみれば赤ペン先生です。
ライトな校正/校閲に近いことをやりますよ!というサービスだと思っていただければ間違いないと思います。就職・転職活動向けの自己PRやブログにアップするための文章等々、書いたものを第三者的な目線でチェックしてほしい!とお考えの方は、ぜひお気軽にご利用ください。
一応5年間は出版社にいてそれなりに人の文章にああでもないこうでもないと口を出す経験は積んでおりますので、料金相応のお力にはなれると思います。
2000字以下ならワンコイン(500円)でお引き受けいたします。なにとぞよろしくご活用ください。

サービスの詳細はこちら↓。一度のぞくだけでものぞいていただけるとたいへんありがたいです。



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さて、言ってしまえばここまでは前置きでした。
お金取ってサービスやるのに宣伝を前置きと称するのはどうなのよ、という感じもありますが、今日メインに書きたかったのは「そもそもなんでこのサービスをやってみようと思ったか」という理由の部分です。
一応単なる小銭稼ぎのために始めたわけじゃあないんだぜ、というところをお伝えできれば皆さんからの心証アップにもつながるだろうとの邪心もあって書いてみようと思った次第です。冗談のようであながち冗談でもないという。

ビジネスとして大展開を目指しているわけではないけれど、誠心誠意やらせてもらうつもりはあるよ、というところを、少しでもお伝えできればと思います。
なんで文章添削なんか?と興味をお持ちくださった方が一人でも二人でもいらっしゃることを願いつつ、書いてまいります。


誰にでもできることだけど

手始めに一つ、自分のスタートさせたサービスの意義を根幹から否定するようなことを言います。
ぶっちゃけた話、伝わりやすい文章を書くのなんてそれほど難しいことじゃありません。

そりゃそうなんですよ。文章表現なんて、日常的に行っている言語的コミュニケーションの延長でしかないんですから。
読ませる相手を意識していさえすれば、他人に伝わる文章はおのずと出来上がるはずだと言っても過言ではないのです。

にもかかわらず、世の中はわかりにくい文章や、いまいち意味の伝わらない文章であふれています。
駅のポスター、先輩からもらった引き継ぎ資料、簡潔といえば聞こえのいい上司の言葉足らずなメール。
どうしてこれでいいと思ったんだとただただ不思議に思えるような文章は、見渡せばそこここに転がっています。

誰しも子どもの頃は、大人になれば自然と喋りも書き言葉も年相応にこなれていき、大人らしいやり方で言葉のやりとりをできるようになっていくのだろうだと、信じてやまなかったことでしょう。
でもいざその時が来るとわかるのです。決してそんなことはないのだと。
四十になっても五十になってもひどい文章で周囲を困惑させ、そのくせなまじ年ばかり取っているために周りから指摘されることもなく、コミュニケーションの大渋滞を生み出す張本人となっている人たちが、世の中には数えても数えきれないくらいたくさんいるのだと、気づかされる日がやってくるわけです。

そして、これは才能や頭の良し悪しで語れる問題ではないと僕は思います。
伝えるべき/伝えなくてはいけない事柄がある、そしてそれを伝える手段としての言語は十分身についている。そこまでの条件が整っていれば、伝わる文章が書けないなんてことはないはずです。
伝わるように書くというのは、Aという物事を「言語」という媒介を通してA'に翻訳する、言ってみればただそれだけの話です。
書くという行為は創造的な営みだ、なんて大げさに言われることもありますが、別にすべての文章表現が芸術性や創造性に満ち溢れている必要はありません。ただ伝えられさえすればいいというタイプの文章だって、世の中にはいくらでもあります。
そして、そういうものを書くのはそれほど難しいことじゃないはずなのです。

それなのに、なんでみんなこぞって「文章が書けない」と言うのか。
あるいは、なんでひどい文章を書き上げていながら「よく書けた」と思ってしまうのか。

前者はたいがい、書くべきことがそもそも定まりきっていないからです。ゼロに何を掛けてもゼロにしかならないように、いくら言葉を知っていても、誰かに伝えるべき何かを持たないかぎりは伝わる文章なんて書きようがありません。
そういう人たちは、いきなりきれいな文章を書き出そうとするのではなく、まずは書くべき事柄そのものを洗い出す作業を行う必要があります。
入念に妄想を膨らませるでもいい、乱雑な下書きで無理やりほじくり出すでもいい。とにかく「何を書くか」の核を定めることが重要です。

そして問題は後者です。世にひどい文章があふれているのは、たぶん後者のような人たちが山のように存在しているからでしょう。
埋めるべきスペースをひとしきり埋め終えたら、自分の言いたいことはすべて書きつくせたと信じ切って満足してしまう人たち。
その人たちは、書くという作業の中からブラッシュアップの過程が丸々抜け落ちてしまっているがために、自分の言いたいことと書かれた文章との間のギャップに気づいていないわけです。

上で述べたことと少し矛盾するようですが、Aという伝えたい事柄をA'という言葉に変換する際には、どうしても抜け落ち過剰といったノイズが生じます。
書いておかなくてはならないことを書きそびれたり、ついつい余計なことを書いたりするせいで、伝えたいことが十分に伝わらない文章になってしまうケースというのは少なくありません。いや、それどころかほとんどの文章は、一度そういう段階を踏まずにいられないとさえ言えます。
推敲やブラッシュアップと呼ばれる作業は、言い換えれば、文章を書いていたときの自分自身と少し距離を置いて、このノイズを取り除いていくものです。
それをきちんとやったかやらないかで、文章が読み手に与える印象というのは当然大きく変わってきます。

繰り返しになりますが、要するにブラッシュアップとは、「自分の伝えたいことと書かれた文章の齟齬をなくしていく」作業にほかならないのです。
ですから別に、めちゃくちゃ語彙が豊富でなくてはいけないなんてことはないはずで、ただ自分の伝えたいことがはっきりわかっていて、コミュニケーションに困らない程度に言葉を知っていさえすれば、この作業は誰にでもできるはずなのです。
でも、みんなびっくりするくらいやらない
だから駅のトイレの張り紙はだいたい読点の位置がちょっとおかしいし、上司は「忙しいから」というもっともらしい言い訳を盾にして、主語や目的語のすっぽ抜けたメールをいつまでも部下に送りつづけることになるのです。

推敲する力とは「習慣づけの度合い」だ

誰にでもできることなのに、多くの人はなぜやらないか。
一つ考えられるのは、結局のところ必要ないからだと思います。

僕は文章のブラッシュアップがやりこなせるか否かは、最終的には習慣の問題だと考えています。
ものを書いたらチェックする、言いたいこととのズレがないか読みなおす、という習慣が身になじめばなじむほど、作業の精度もスピードも上がっていきますし、そもそも意識的に取り組む必要もなくなっていきます。

極端な話、書きながら同時並行で推敲も行うことさえできるのです。
素晴らしい文章を、ほとんど手直しなしに一発で書き上げられる達人的な力量を持った人たちというのが世の中にはいますが、そういった人たちはいわば、文章を書きながら同時にバックグラウンドプロセスとして推敲を進めているのです。
習慣づけさえできてくれば、推敲というのはあれこれ考えて苦労しいしい行うような作業ではなくなっていくというのはそういうわけです。

ちなみに僕も、毎回のnoteの推敲には10分もかけていません
だからそんな低レベルなクオリティなんだよバーカ!と言われてしまったら閉口するほかないですが、今のところ幸いにもそういう評価をいただいたことはなくここまで来ております。
これも別に、僕に際立った才能があるからなどという話ではなく、書いては直す作業をそれなりに繰り返してきたことで、文章の粗を見つける目が養われたからというだけにすぎません。

常日頃から「ちゃんと書こう」と意識するだけで、文章をちゃんとしたものに整える力は向上します。
フィクションを書く能力とか、専門的な分野について書く力となると話は少し変わってくるかもしれませんが、それにしたって本質は同じであるはずです。
あくまで「伝えたいことを過不足なく言葉に変換する」という点に限って言えば、普段のちょっとした心がけで力量はいかようにも変わってくると僕は考えています。

にもかかわらず、なぜみんなやらないかといえば、それは「別にやらなくても困らないから」でしょう。
業務メールは指示内容がわかればいいし、売上に貢献しているのかいないのか判然としない商品説明文には、そこまでこだわらなくても困らない。
たしかにそれは一つの考え方なのかな、と思わなくもありません。
僕も別に、文章を書き散らすことそのものが好きで、こうして2日に1本のペースでnoteに記事を上げつづけるような人間でなかったら、書いたもの一つ一つをいちいちきちんと精査して整えるような面倒を背負い込んで生きようなどとは、一生思わなかったかもしれません。

ただ、「別にやらなくていいからやらない」という考え方には、一つ懸念すべき点があると思うのです。
すなわち、文章推敲力が普段の習慣づけの度合いに左右されるところ大であるとすれば、万が一どこかのタイミングでいざ「ちゃんとした文章を書かなきゃいけない」機会が訪れたとき、まともに推敲をやりこなせるだけの蓄積をしてこなかった人たちは、右往左往せざるを得ないということです。
つまり、言いたいことがしっかり言葉に置き換えられているか、読み手に伝わるかといった点を、肝心なときだけセルフチェックしようと思っても、それまでそういう作業を怠ってきた人たちには、どこを見て何を直せばいいのかがなかなか見えてこない。
「この夏こそは理想の美ボディで過ごしたい!」と夏の入り口にたってから張り切りはじめても手遅れであるように、文章添削の訓練も、それが本当に必要になったタイミングで取り組みはじめても遅いのです。

僕としては、○○(就活やら何らかの報告やら)のためにまともな文章を書けるようになりたい!と考える人には、その「○○」が本番を迎える少なくとも3ヶ月前には、自らの文章を逐一直す習慣づけを始めることをお勧めしたいです。
ただもちろん、そんな要るのか要らないのか疑わしい努力を忙しい日々の中に組み込んでいくのは億劫だ、という気持ちはよくわかります。
ダイエットのほうがまだ努力のしがいがあるでしょう。
読める文章が書けないわけじゃない、わざわざ手直しの労をとっても誰かが褒めてくれるわけでもない……そんななかで「習慣づけのために」とひたむきに頑張りつづけるのは結構難しいものです。

そこで、僕はしゃしゃり出てみることに決めたのです。
つまり、文章を書きっぱなしにせずきちんとチェックすることがどれだけ有意義かを皆さんに知っていただくとともに、手直しをするうえで見るべきポイントや頭に入れておくべき考え方を知っていただくことで、努力する負担を少しでも減らすお手伝いをできないかと考えて、今回のサービス立ち上げを決意したのです。

「これどういう意味?」は書き手にも読み手にも損である

ここから先はさらに個人的な考えというか、もはやエゴとさえいえるところではあるのですが、僕はまともな文章を書ける人を少しでも増やすことで、世にはびこる無駄をなくしたいと考えています。

つまり、ノイズだらけの読みにくい文章が「読めればいい」「わかればいい」という理屈のもとに流通しつづけているかぎり、「これどういう意味?」「いまいち何言ってるかわからない……」といった読み手の困惑もまた無くなることはありません。
そもそも、「読めればいい」「わかればいい」と言い回る人に限って、読める・わかる文章をろくに書けなかったりするものです。
練習で120点を目指さなくては本番で100点の演技はできない、なんてパフォーマンスの世界などでは言われますが、それと同じような話で、最初から60点の文章を目指しているような人たちが、その60点さえ満足に取れないなどというのは不自然でもなんでもありません。
そういう及第点にすら届かない文章を世にまき散らして平気な顔をしていられる人たちは、知らず知らず読み手を困らせ、うんざりさせ、時間を奪い、下手すれば失望すらさせているわけです。

考えていること持っているスキルは素晴らしいのに、それを表現する言葉が足りなさすぎるせいで伝わらないというのは、書き手にとっても読み手にとっても、実にもったいない機会損失ではないかと僕は思います。
どうして伝わらないんだとイライラするのも、こんなクソみたいな文章書きやがってと憤るのも、防げるなら防ぐに越したことのない純然たる時間の無駄でしょう。
僕もそんな無駄に付き合わされて、ずいぶんエネルギーを浪費してきた人間です。
そういう不幸や理不尽は、できることならなくしていきたい。少なくとも、そんなことで無駄骨を折るのはごめんだと願う人が、苦労をしなくて済むようになるお手伝いくらいはさせてほしいと思うのです。

おわりに

そんなわけで、僕が今回「MIGAKU」というサービスを立ち上げようと思ったのは、元をただせば「クソみたいな文章のせいでエネルギーを浪費したくない」というエゴイズムに端を発しています。
なんだか身勝手で高慢な物言いだなと自分でも思わなくはないですが、しかしエゴからモチベーションが来ているだけ、気持ちはホンモノだと確信しています。
依頼してくださった方々に対して厳しいことをグチグチ言ったりするつもりはまったくありませんが(そういうMっ気強い個別的な要望があればオプションとして応じるかもしれません)、僕個人のスタンスとしては、自分の力量の及ぶ限りしっかりしたものを、皆さんに提供していきたいと考えています。
自分の気持ちに正直にしたがいつつ仕事に打ち込むことがめぐりめぐって世の中に響いていくと信じて、細々と地道にやっていこうと思いますので、これからどうぞよろしくお願いいたします。

ずいぶん長々としてしまいました。
最後にもう一度サイトURLを貼らせていただきますので、よろしければお立ち寄りください。

それでは、今回はこのへんで!

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