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アカペラサークルの活動がストップしている今も僕がボイトレに通いつづける理由

宣伝じゃないです。結果的にそう読まれても仕方ない仕上がりの記事になるとしても、そのつもりで書いてはいません。
とにかくこのタイミングで書き残しておきたいなと思っただけです。
パッと見て今の生活において役に立たなさそうなボイストレーニング通いをなぜ今なお続けているか、続けられているか、その理由を書いておきたかった。本当にそれだけ。

逆にみなさん気になりません?
「コロナ以来、各大学のアカペラサークルが活動自粛を要請されて、もはや今年度のスケジュールが丸ごと吹き飛びかねない空気感さえあるこのご時世、なぜわざわざ一回往復6時間、1万円以上かけてボイトレ教室なんかに通いつづけているのか」。
この記事を読んだ人に是非ボイトレ教室へ足を運んでみてほしい……なんてことを言うつもりはまるでないんですが、この奇妙にさえ思える現状、なかなか書きがいがあるんじゃないかと思って、記事化してみることにしたわけです。
ね、ちょっと気になりません?

……ということで、いつもよりだいぶうざったい前置きから始まってしまいましたが、面白がって読んでくださる方が一人でもいれば幸いです。


そもそもなんでボイトレに通ってるんだ

僕が通っているのは、京大法学部卒という異例の経歴でありながら、今や第一線で精力的に活動されているボイストレーナー・伊藤俊輔さん(https://mobile.twitter.com/shun_1_2_3)の主宰されているお教室「LogiVo」です。

大学1年生のときにとある先輩から「お前の発声はこのバンドの中でダントツ一番終わってる(意訳&超訳)」というありがたいご指摘を賜って以来、自分の歌に一つも自信を持てなくなった僕は、大学4年間のアカペラライフを実に惨憺たる結果とともに終えました。
その詳細な歩みは本noteのマガジンにまとめてあるので、興味のある方はぜひご参照くださればと思うのですが、ともあれ僕の発声は4年間最悪なままでした。

そして大学卒業から3年後、僕は大学時代の敗北と後悔を清算すべく、就職にともなって移住した先で、社会人も入会可能な大学アカペラサークルに潜り込み、アカペラ再チャレンジに乗り出します。
なぜ社会人サークルじゃなく大学のサークルだったのか、という点についてはきわめて簡明かつ合理的な理由があるのですが、本筋とは関係ないので割愛します。
いずれにせよ、僕はリベンジに乗り出し、その最初の1年をそれなりに楽しく過ごすことに成功します。

ただ、僕は1年を終える頃に思い至りました。
「ここから先、伸び代の分だけきちんと成長しようと思ったら、やっぱり発声を誰かに習うべきなんじゃないか?」
それまでは発声に関しては独学のみでなんとか頑張っていましたが、本当に自分のやっていることが合っているのか、間違った方向に向かって努力してしまっていないか、第三者目線のチェックが入らないと、いよいよどこかでつまづくに違いないと思ったのです。

こうして、サークル入会から丸1年ほど経ったのち、僕はボイストレーナーに師事することを決意しました。

そのなかでも伊藤さんのレッスンを選んだのにはわけがありました。
というのも、僕がそれまで独学で学んでいたボイストレーニングの流派と、その当時伊藤先生が主として参照されていた流派が同じものだったのです(3年以上経った今は当時と変わった点も色々あるのですが)。

発声という領域は5〜6年学んでも学びきれないくらい奥深いものだという前知識だけは一丁前に持っていたので、自分の状況や環境が許すあいだは京都まで足を運び、長い目で見てメソッドを身につけていこうと、最初から覚悟はしていました。
ただ、教室通いを始めて3年になる今年、世界中を混乱に陥れた例のウイルスによって、サークル活動自体は停止に追い込まれ、必然的にアカペラも満足にできなくなりました。
それどころか近場のカラオケ店も軒並み休業となるなど、歌う機会や場所そのものが大幅に奪われてしまいました。
そんななかでボイストレーニングに(オンラインと対面のハイブリッドで)粛々と通いつづけるというのは、傍から見たら変なものだろうなぁと思いつつ、それでも当面辞めるつもりはない、というのが僕の現在地です。
駆け足ではありますが、なんとなくはおわかりいただけたかと思います。


「継続は力なり」なんて単純な話じゃなく

ここまでの経緯を読んでみて、なるほどトレーニングって習慣のものだから一度辞めると戻るのが難しいんだな、コロナが収束するなりwithコロナ的なサークル活動が確立すむまでとりあえず継続の火を絶やさないように地道に守るつもりなんだな、と思われた方、いらっしゃると思います。
その見立ては外れてはいません。
しかし、正直なところ大当たりかと言うとそれは違うのです。

僕ははっきり言って、「自分にとって必要ない、役立たない」と思った物事に対してモチベーションを保つことがものすごく苦手です。

アカペラもできない、歌も満足に歌えない。他方で新天地(転職先)での仕事やら文章執筆やら麻雀やらと、やることやりたいことには事欠かない。
そんな現状において、声そのものの改善という取り組みはまったくマストではありません。
正直なところ今のスタイルであれば、声なんて出さなくたって生活できます。
目先の話だけで言えば、ボイトレは僕の今の生活にはぶっちゃけ必要ないのです。

もちろん、今まで割いてきたリソースや、それに対して得られたリターン(声はだいぶ良くなったと自負してますし、先生との人間関係も時間をかけて培った大切なものだと思ってます)のことを考えると、このタイミングでむざむざ教室通いを辞めてしまうのはもったいない、という気持ちはあります。
しかし、僕だってそれなりにいい大人ですから、そういう「もったいない」に引きずられて未来のないところに投資をするのは大概意味がないことくらいはわかっているつもりです。いわゆるサンクコストに対するドライさは、人生の中できちんと培ってきました。
そんな単純な気持ちで月に10000円以上の出費を許しているわけではありません。ましてや転職して収入が下がったいま、お金なんて惜しすぎるくらい惜しいわけで、無駄だと思うところにお金を垂れ流すゆとりなんてないのが本音です。

それでも僕はお金と時間を割きつづけることを選び、ボイトレを続けることを選んだのです。
それはなぜか。僕の中にはそれなりの理由がちゃんとあります。


つながっているすべて

スポーツでも武道でもある程度はなんでもそうだろうと僕が思っていることに、こんなことがあります。
すなわち、基礎に遡れば遡っただけ、「身体そのもの・精神そのものとどう向き合うか」といった話に近づいていく、ということです。

ごくわかりやすい例として、「体幹」を挙げましょう。
体幹という概念は、テニスでもサッカーでもラグビーでも柔道でも、その他どんなスポーツ・武道においても、きわめて大切なものだと思います。
ボイトレないしは歌においてもそれは同じです。すなわち、体幹が安定しているほど、声は安定した、聴きやすいものになっていきます。
喉から出てるか腹から出てるか、なんて単純な二分法に到底還元できないほど、声には体幹のはたらきが繊細に関わっているのです。

ある競技・技芸だけに見られる特殊な動き、といったものは確かにあったりします。
しかしその一方で、どの分野においても基礎となっている部分、どの分野においても通用する共通的な土台というのもあるわけです。
それらは競技や演技の場面においてのみ重要なわけではない、言ってしまえば生活全般において通用する技術です。
疲れにくい身体、コストパフォーマンスのいい動き、精神の安定といったアスリートに不可欠な基礎が、日常生活においても実は望ましいものであることは、疑いなくご理解いただけるのではないかと思います。

僕が今なおボイトレを続けている理由も、まさにそこにあります。
つまり、声というものを通して、心身全体を、自分自身をよりパワフルかつ効率的に使うということそのものを学んでいける面白さがあるからこそ、声をろくに使えない今も、モチベーションを絶やさず続けていられるのです。

変な話、ボイトレを通して身体の歪みを矯正した結果、仕事中の肩こりや首の痛みが解決したり、呼吸法への意識が変わったおかげで風邪をひきにくくなったりといった、大きすぎる副次的リターンもあるわけです。
声を良くしようと思ったら、体や心の全体を整えていかなくてはならない。
それは裏を返せば、発声改善に取り組むことが、生活のあらゆる場面にとって望ましい心身の変化につながっていくということでもあります。
心身が安定すればいろんな物事に対する自信もつきますし、疲れやストレスに苛まれにくくもなります。

こうやって日々文章を書きつづけていられるのだって、ボイトレを通して得られた心身の安定が、アウトプットを続けるゆとりをもたらしてくれているからだとさえ言えるかもしれません。

もしかしたら、ボイトレじゃなくてもよかったのかもしれません。
どこかでアカペラとはまったく違う何かと出会って、そちらで頑張りつづけていたら、ボイトレから得てきたのとほぼ全く同じような学びや気づきを、今とはまるで違うかたちで手にしていたかもしれない。
もちろん、それだけ普遍的で根本的な気づきをもたらしてくれる師に出会うのは、なかなか簡単なことじゃなかったと思います。
でも、そういう人やものに出会うことができれば、たとえ一時的に活動の中断を余儀なくされたり、プレイヤーとしての人生を絶たれたときでも、学びつづけるモチベーションがあっさり消えてしまうことはないんだろうなぁと思います。

頑張りつづける意味や意義について疑問を持たずにいられるくらい、深い知見や気づきをもたらしてくれる先生にめぐり会えたのは、僕にとっては稀有な幸運でした。
これからも人生はだらだらと続いていきますが、その時々の情勢や環境に流されず、学ぶことを学んでいければなぁと思っています。


おわりに

見返してみるとなんだろう、怪しげなセミナーとかカルト宗教の体験記みたいな雰囲気がちょっと混じっていなくもない……。
「物事の本質〜」みたいな語り方をすると、どうにもそういう色彩が付きまとってきていけませんね。
誤解なきよう申しておきますが、別に僕の先生は何かしらの教祖様でもないし、ボイトレ教室がカルト的な何かであるということも一切ございません。そこだけはあしからず。

何かを学ぶことの面白さの一つは、学びが点にとどまらず、別の領域とつながって面をなし、広く深くつながっていくことにあると思います。
そしてそのつながりは、人間としての生そのものの根底を知ることにまで達し、僕たちの人生をより面白く豊かなものにしていく。
そんな希望がある限り、僕は何かしらを学ぶことをやめられないのだろうなどと、浅学の身分でありながら思います。

ということで、みなさんも気分が向いたらボイトレ挑戦してみてください! うまい締め括りが見つからなかった!
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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