見出し画像

もしも芸術がなかったら

ヒトは太古の昔から、歌い踊り、彫刻や絵画を遺し、貴重な時間を一見不毛とも言える芸術に費やしてきた。

どうしてヒトは芸術をするのだろう。
どうして私たちは、奥底から湧き上がる衝動を、表現せずにはいられないのだろう。

求愛

鳥の求愛を考えてみる。
とんでもなく激しいダンスやよく通る鳴き声、美しい羽の模様を見せつけるさま。

ヒトが見ても心打たれる表現の数々。

芸術を鑑賞するとき、ヒトは「美しい」と感じたり、「好みではない」と感じたりする。

芸術は性選択(優れた子孫を残せる相手を探す本能)の道具なのか?

それは大体間違ってない。
でもそれだけでは説明しきれない。
芸術は生物の生存と密接に絡みあっている。

ヒトは皆アーティスト

みな自分という役割を表現して生きている。

喜んだり笑ったり怒ったり泣いたり。
時には病気になったり、何かのきっかけで信仰を変えたり、忙しい。

ところでTwitterも最近、一つの界隈同士で固まりやすくなっている。
アルゴリズムが同じ芸術の影響下にある人々を同じ場に参加させ、一人一人の感情を沸き立て、文化を形成する。さながら集落や街のように機能する。

話が逸れた。
ヒトは集団に属していながら、それぞれが固有の意思を持った別々の魂だ。

目の見えない人に赤いものを説明するとき、あなたはどのように伝える?

世界の捉え方はそれぞれ微妙に違う。
信条や情動が違う。

りんごを食べたことのない人にりんごの美味しさを伝えるとき、
目の見えない人に赤いものを説明するとき、

自分がリンゴを食べて受けた感動とか、熱い気持ちになった時の心情とか、それぞれの言葉で、一生懸命説明するだろう。

それはリンゴを食べたことのない人や目の見えない人に伝わる。
あなたの感動はだれかに伝えることができる。

科学も宗教も芸術も

芸術や宗教がヒトの象徴的な物事を捉え、生活を豊かにする手段だとすれば、科学は現実的な問題に対応し、生活を豊かにする手段だ。

こういったものに上下関係はない。

心を打つ芸術はヒトの心身に特別な状態を引き起こし、生きていくための原動力となり、深刻な心の問題の助けとなり、日常を彩る付加物になる。

もしも芸術がなかったら

芸術は死なない。

芸術がなかったら、死ぬことへの恐怖を乗り越えられるだろうか。

私のnoteは、永遠に私や誰かの心に残り続ける。
私は私が存在したことを永遠に証明し続ける必要性に駆られている。

その原動力が、何もないところから何かを生み出す。
何もないところから宇宙が生まれたのと同じように、ひとたびの爆発が無限の広がりを生み出す。
芸術は爆発なのだ。

岡本太郎の言葉を言ってしまった。
芸術はそうやって、どこかから、何かを受信して始まるのだ。


芸術がなかったら、ヒトはここまで生存してこれたろうか。

喜びから苦悩は生まれる。
苦悩から喜びが生まれる。

芸術には産みの苦しみがある。
芸術を産み出す不屈の精神に、ヒトは驚嘆する。

芸術は生であり死。
芸術無くして生も死もないだろう。

もしも芸術がなかったら、という問いそのものが、輪廻転生の無限ループへ入り込む鍵だったのだ。

答えはあなたの中の宇宙にある。


この記事が参加している募集

スキしてみて

眠れない夜に

皆さまの施しによって生かされています。 一期一会を大切にしてまいります。 受けた御恩は一生忘れないようにいたします。