まなこで想う、西表の島
現在、私は沖縄県の西表島という小さな島の中の民宿で働かせてもらっている。
1人で旅に出てみたい、色んなものを見て色んな人と色んなものを分かち合ってみたい。
という気持ちが多かれ少なかれ昔から自分の心の奥に存在していた私にとっては、今回の住み込みアルバイト旅は大冒険だ。
沖縄本島すらろくに行った事のない私だのに、本島から石垣島をすっ飛ばして西表島に来てしまったのは我ながらに阿保らしいがそれでいて自分らしいなとも思う。
目に飛び込んでくる景色は、見た事のないような綺麗な色彩の海、大きな空。木。花。
ザ・観光客のような見た目で興奮しきっている私を見て、民宿まで送ってくれる無料送迎バスの運ちゃんは若干呆れ顔だった。
東京でよく見かける、目を輝かせた上京したての大学生を見る時の私の顔とほぼ同じだったので、気持ちは聞かずとも分かった。
が、興奮を抑える事は出来なかった。
働く宿先に着いた。
綺麗な空色に塗られた外壁と、外から覗ける大きくて綺麗な窓、その窓を覗けば過去に釣ったのであろう色鮮やかで大きな魚達が壁を泳いでるのが見える。
思わず、「素敵」と声が出る。
まるでドラマの主役、あるいはジブリのヒロインにでもなったかのような気持ちに自然と口角は上がる。
重たいキャリーバックを持ち上げ、扉の前に立つと、エプロンをつけた優しそうな女性と、背の高い女性が見えた。
中に入るやいなや、背の高い女性と目が合うと同時に彼女は両手を前に振り翳し、まるで平成ギャルの挨拶かのように「ア〜!」と声を上げ、私に大きく手を振りながらこっちに向かってきた。
あまりに急な事だったので、「もしかして前に会ったことがある人なのかな」と一瞬頭をよぎったが、そんなはずもなかった。
「あ、初めまして!本日からお世話になる者です。何卒よろしくお願いします!」と、勢いをつけながらも律儀に挨拶をすると、彼女は何やら手で何個ものジェスチャーを繋げながら微かに聞こえる声でこう言った。
「今日からの子だよね!よろしくね!楽しみに待ってたよ!」
多分、そう言っていた。
すると奥から、さっき見えたエプロンをつけた女性が出てきて今度ははっきりこう言った。
「長旅ご苦労様、待ってたよ!今日からよろしくお願いします」
2人ともニカニカの笑顔だった。
安堵で涙が溢れ落ちそうになるぐらい、彼女達の黄色くて心地の良いオーラがすぐに私に浸透し、包み込んだ。
背の高い女性は、マナミさんという。
生まれつき、耳が聞こえない。
それもあってか、彼女の仕草や表情はひとつひとつ巧妙で、そしてとても可愛らしい。
ファーストコンタクトであそこまで大袈裟な歓迎を受けたことは今までで一度もない。頬にキスをするぐらいの勢いで歓迎してくれたマナミさんはもはやギャルというより愉快なイタリアのおじさんに近かったかもしれない。
私も早々に「アモーレ!」と言いたい気分だった。
エプロンをつけて奥から出てきたのが、ミキさん。ここの宿主だ。
とても朗らかで、お母さんのような安心感を放つミキさん。現に、四児の母でもあった。タフであり、頼れるお母さん。
笑顔からもう優しさが滲み出る。
そうして良い意味で初めて会った感じがしない2人に歓迎され、なんとか私の西表島生活がスタートした。
宿に着いた日は1人で1日、西表の島を見て廻った。とはいっても歩きで行けるところも限られているので散歩という程度だ。
見たことのない花、立派な木の幹に何重にもなって巻かれている奇妙な形の蔓、壮大すぎる海、ヤシガニ、アダンの実、マングローブ。
ここは本当に日本なのか?と思わされる景色ばかりで圧倒される。
視覚から入ってくる情報が、スゴイ。
仮にもし音が聞こえなくとも、鳥の声や木々のせぜらぐ音が、視覚からでも聞こえてくる。
そんな場所だと思った。
実際の仕事は、予想より遥かに大変だった。
一部屋を掃除するだけで一苦労。
まるで部活、いや、修行と言ってもいい。
それぐらい、あり得ないほどの汗をかく。
マナミさんの体力は底知れずだ。
私が滝汗を流しながら仕事をしているのに対し、彼女は少しばかりの汗を額に垂らすだけで顔もかなり涼しげだ。
自分の体力の無さには落胆した。
そんな私を見て、マナミさんはいつも笑顔で両手をグーに握り「ファイト」のポーズで励ましてくれる。
私は、マナミさんと会ってから手話を少しばかり勉強し始めた。
ただただマナミさんともっとたくさん会話がしたいという単純な思いからと、手話の楽しさに気づいたからだ。
手話って、楽しい。
それに、周りにあまり聞かれたくない話を堂々と話せるのは、時として便利だ。
現に、手話が素早く構築できない私達の為を思って、マナミさんが分かりやすく簡単バージョンの手話を作って教えてくれるので、それを知らない人達が私達の会話を見たらほとんどが隠語の会話のようなものなのかもしれない。
マナミさんとミキさんといると、心が和らぐ。
生きている上で滅多に感じることの出来ない、懐の深さの更にその中の柔らかさを感じるような人たちだと感じる。
それを感じる人達は、血の繋がっている家族や昔からの友人、あるいは恋人に感じるような私にとってとても特別な感情だ。
本当のお母さんとは別に、私はこんな所にアンマーを2人も見つけてしまった。
そして2人を見ていると、こうも感じる。
えらく大人ぶっているような大人なんかより、少々子供ぶっている大人からのほうが学ぶ事が多いな、と。
これは東京にいる時から思っていた事だ。
島の人たちはなんだか皆んなオープンで、もちろん良い意味で子供のように無邪気に、自分の気持ちのまま素直に生きてるように見える。
それは、あまりにも環境が開放的だからなのだろうか。
ここの人達は私が知っているモノ(東京などで見てきた世界など)は知らないけれど、
私が本当に知りたい数々の事を知っているように思う。
沖縄は神を祀る神聖な島国だという事、同じ日本だというのに何にも知らないで「海外に行きたいわ〜」なんてよくぼやいていた。
もちろんそれを否定するつもりはないけれど、私はもっと自分の住んでいる街以外にも、生まれ育ったこの国を知っていかなくちゃならない。
そう思わされる毎日で、ついつい無知な自分を振り返る。
島生まれの人たちはよくご存知かもしれないが、島ではみんなが家族だ。
少し歩けば知ってる顔が笑顔で手を振ってくる。
「おはよう」「いってらっしゃい」「おかえりなさい」時には、「夜みんなでのむからお前も来いよ〜」「ご飯あるのか?食ってくか?」なんて言葉たちも日常茶飯事。
海人、米農家、カフェ、民宿、呑み屋、それぞれ皆んな自分のステータスを自分だけのものにしない。蜘蛛の巣のように横にも縦にも広げて皆んなで楽しむ。
小さい子供なんて手放しで外で遊ばせても、周りには家族だらけなので心配ご無用のようだ。
子供達は島のみんなで見守り、みんなで育て上げる。それがルーツらしい。
こういう決して耳では聞こえない温かいものを尊いと思わずなんと思えばいい。
東京にいると、何をしてでも「上を向いて歩いていけ」「失敗しても立ち止まるな」「踏ん張れ」という気張った言葉ばかりを耳にする気がするが、ここではあまりに時間がゆっくりすぎて立ち止まらない理由がない。立ち止まっていて良いと思わされるぐらいのゆっくりな時の流れ。
空が広いのでもちろん上も向くけれど、上ばかり見ていると今度は下にいるかもしれないヤドカリ達のような小さな生命を踏んづけ兼ねない。
私の足によって自然を破壊する訳にもいかないので下(足元)を向いて歩くのも時には大切だと感じる。
踏ん張りすぎると、すぐに柔らかい砂浜が私の足を覆うから力を抜くことも必要だ。
私の足を覆ってしまうぐらい柔らかい砂浜は海が成してくれて、それでも固い地面を作ってくれるのはジリジリ照りつける太陽があるからだ。
そこに私たちが立っているという事は、紛れもなく私たちはこの地球に生かされているという事なのだろう。
裸足で、裸の心で、見える、聞こえる
この暖かさが好きだ。
決して耳が聞こえなくとも
海の音やみんなの笑い声が響き合っている。
それで満たされていく。
全ての感覚、何もかも。
もう既に、私はこの島の虜だ。
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