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ハロー、冒険。グッバイ東京。

情報が過多すぎる
タスクが増え続ける
浅くて広くなりやすい
その上お金ばかり使ってしまうし、意味がありそうで無い時間ばかりを浪費し続けてしまう空間
(もちろんそんな空間が愛おしくもあり、その空間を一緒に喜びあえる仲間達がいるのは何より尊い事なのだけど。)


霧雨の早朝の外を歩くのが好きなのは、そういう環境から一旦遮断されているような感覚に浸れるからなのかもしれない。
それはまるで少し肌寒い山奥の小道を1人で歩いてるような感覚だ。


知っている場所が落ち着いてしまう事は素敵な事でもあり、ある意味人の成長をとめてしまう恐ろしい場所なんだよと彼が言った。
その発言は私を更に、この場に留まっておく理由を探させた。


いつもだと楽しいと思えていた場所が、自分の中で老朽化してきている。
まるで手も足も機能せず、脳から発信されるはずの筋力やアドレナリンすらうまく循環されない。
私の身体は心だけを置いてきぼりにして、どこか先へ行っているみたいだった。

ちょっと前までは、みんなに私を知って欲しくてみんなに必要とされてみたかった。
音楽好きとして、行きたいイベントにはお金や時間の余裕が少しでもあれば隙間時間だけでも遊びに行きたかったし、そこで更に知り合いに会えば高い割には小さすぎるグラスを数杯奢って一瞬だけの悦びを分かち合ったりもしたかった。


今は、
誰かに私の素性を知って欲しいだとか、ましてや他の誰かが今日の夜どこへ行って何をしているのかだとかを、出来ればわざわざ知りたくないとまで思ってしまう。
パーティ疲れというやつなのか、人間疲れというやつなのかは分からない。
感情には特有の波がある。それが今では大波。
波乗り人間だったら喜んでしまうほどのビッグウェーブだ。

言語化できてしまう物を見すぎたせいか、
保存する時間の余裕があまりになさすぎるせいか
素敵な物を心に納めておく用のスペースとそれ用の時間が減ってきていると感じる。

事は至ってシンプルでいいはずなのに、どうしても難しく解釈してしまう。更に、わざわざ難しく解釈したものをマニュアル化してそれを子供達や悩んでる人達に提示してしまうからどんどん複雑化されていってしまう。
東京に居て、より一層そういう大人が多いと肌で感じる。


現代社会の“理想の定義”というものも高くなりつつあるのは、必要以上に機械化が進んできているのも関係していそうだ。
便利を謳っている不便なものばかりで溢れてきて、コントロールされやすい環境も増えた。
知りたい事だけじゃなく、知りたくないような事までスラスラ入ってきてしまう。



人間の波じゃなくて、私は、本当の海の波を眺めていたい。電車の発車ベルなんてものをしばらく聞かなくても良い場所へ。音楽ももちろん良いけれど今は、自然が生み出す心地の良いサウンドを長く聞いていたい。
毎日ちゃんと温かいご飯が食べたい。まだ見たことのない物を見てもっと驚き感動したい。人との繋がりの温かさを感じたい。

そんな事ばかり思っている中で、
そうだ、京都へ行こう。のノリでどこか行きたい所へぽんと行ってしまえばいいのだと気がついた。
なんせ「どこにも属さない人間」として日頃からフリーダムを讃美しながら生きているのだから、こういう時に動かなくてどうするのよ。なんて、思った。

そうして私は心機一転を計りに、そしてまだ見ぬ何かの為に着々と夏に向けてのプチ沖縄移住を企てているのである。
沖縄といっても、本島という訳もなく
プチ移住といってもほんの数ヶ月ほど、住み込みでお世話になるだけだ。

持ち物は「自分」。
自分の心の”素敵な物スペース”を拡大しに、そしてそれ用のたっぷりの時間を作るために旅に出かけようじゃないか。

誰がどこにいて何をしているのかすぐに分かってしまう今のこの世の中に少しの間だけでも中指を立てて暮らしてみよう。


また新たな自分に出会えるかもしれない。
今飽き飽きしているものの新鮮さが取り戻されて逆にもっと好きになるかもしれない。


私が生きている限り、旅は続く

場所はいつどこで変えたっていい

それは人間誰しも思っていて良いはずの事なのだ。

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