マガジンのカバー画像

父親が「ヤコブ病」と診断された

68
運営しているクリエイター

#日記

初めてのお盆

お盆だからという理由で帰省するのは初めてだった。今までTV業界にいたため、なかなか決まった期間に休みが取りづらかったのもあるが、自分の中で「お盆」というイベントがそれほど重要でなかったことが一番の原因だと思う。

令和元年の12月24日、お盆という期間が一気に身近になった。そのため、今年は夏季休暇を取得し、実家に帰って一泊した。コロナウイルスが猛威を奮っているので高齢の祖父母が住む家に戻るのは心配

もっとみる

施設に移る日

11月20日 父親が施設に移る。

朝9時に施設の介護タクシーが迎えに来た。リクライニング車椅子で車に乗り、出発した。父親は外の景色を見たり寝ていたりして、心なしか楽しそうな表情をしていた。2週間ぶりに外の空気を吸って、リフレッシュした感じでスッキリとした表情だった。この顔が見られただけで、外に連れ出した甲斐があったな、と思った。

この日の夜、不随運動で興奮した父親が、86歳の祖父と82歳の祖

もっとみる

主治医のことば

11月19日 自分のことを、はじめて主治医に相談する。

私は、相手の立場や職業をわきまえず、なんでも自分の話をする人が嫌いだ。例えば、叔母が医療の専門である医者に「家族がいなくなると思うと本当に辛くて眠れなくて、睡眠薬を飲んで寝てるんです。」話したとき、正直すごく無駄な時間だと思った。誰彼構わず自分の弱いところを見せるのも、無意味だと思っている。

朝の回診の際、「病気の原因は5年前の離婚である

もっとみる
わたしにとっての正解

わたしにとっての正解

11月12日 「家で看る」という選択肢を切り捨てる。

叔母はまだ納得していないようだった。「父親を家に帰してあげたい」と何度も何度も泣いていた。伯母は、冷静さを欠いた叔母に少しいらいらしているようだった。

主治医の話では、もう父親はおそらく自分がどこにいるかを分かっていないという。仮に分かっていたとしても、自分の足で歩けなくなって、寝たきりになって家の天井を眺めて、本当に「ああ、家に帰ってこれ

もっとみる
涙もろくなった父親

涙もろくなった父親

10月28日 私の顔を見て、父親が声を出して泣く。

今日は、病状が一気に進行したように思えた。

歯磨きは完全にできなくなり、吸引歯ブラシを購入して、私が父親の歯を磨くことになった。
父親の歯は銀歯だらけで、前歯の裏側はタバコのヤニで真っ黒だった。こんなことにならなければ、一生見ることはなかっただろう。

座ることが困難になり、太ももを下に抑え込みながら膝の裏側を強く押すことで、15分ぐらいかか

もっとみる
父親がみんなの前で泣いた日

父親がみんなの前で泣いた日

10月27日 父親が家族の前で泣く。

あんなに泣いた父親を、初めて見た。

最近、父親はほとんどぼーっと過ごすことが多く、呼びかけにも答えなくなってきて、目が開いたまま意識がなくなりそのまま眠ることも多くなっていた。日常の動作は介助なしでは出来なくなっていた。介助といっても、父親が自分で行動するのをサポートしているのではない。父親の体を借りて実際には私がやっているようなものだった。

例えばトイ

もっとみる
伯母の存在について

伯母の存在について

10月26日 父親の友人たちが会いに来る。また、伯母の言葉に救われる。

今日は11時から理学療法士による派遣マッサージを予定していた。父親がなかなか朝食を食べ終わらず11時半からマッサージがスタートした。施術中、父親はとても気持ちよさそうにしていて、笑顔のまま眠ってしまうほどだった。私が遠くから親指を立てて首を傾げ、「良い感じ?」のサインを送ると、うんうんと頷いて答えていた。施術後は今まで不随運

もっとみる

「介護拒否」という壁

10月25日 介護拒否が顕著になる。

介護拒否とは、読んで字のごとく介護を拒否することだ。プライドが高かった人や、情けない、迷惑を掛けたくないと思っている人によくあるという。残念ながら父親にはすべてがあてはまっていて、先日より介護拒否が度々見られたのだが、今日は特別顕著だった。

特に食事の際は「赤ちゃんじゃない」「自分でできる」「全部食べられる」などしゃべることがあり、介護を拒否したいという何

もっとみる

同じ土台にいる祖父母の存在

10月24日 叔母のことについて伯母に話す。

父親は夜、やはり眠れなかったようで、何回か飛び起きていた。朝方になってやっと落ち着いて眠りにつき、昼頃まで私は同じ部屋で寝ていた。

父親の妹(叔母)は、前にも書いたがヒステリックな性格をしている。家事をやってくれるし、介護の経験もあるので助かっている部分も多い。だが、「~してあげる」という介護へのスタンスや、自分を心配してほしいことが分かるような言

もっとみる
はじめて聞いた言葉

はじめて聞いた言葉

10月23日 父親と本当の親子になる。

最近父親は、おそらく「夜間せん妄」という症状にうなされて、よく眠れていない。せん妄とは、認知症の方に多く見られる、幻覚、幻聴、妄想が一時的に起こり、混乱する状態のことだ。奇声とともに飛び起きたり、いきなり立ち上がろうとすることもあって危険なので、隣で寝ている私も異変を感じたらすぐに起きて、寄り添って安心させることが大切だ。どうやらレム睡眠(あまり深くない眠

もっとみる
認知症の急速な進行

認知症の急速な進行

10月21日 「近いうち限界がくるかも」と感じる。

今日の午前中の父親のようすは話しかければ反応があるし、トイレに自分から行きたいと言ったりと、割かし調子が良かった。

今後お世話になる訪問看護師の方が家にきてバリアフリーの状況を確認したりして、時刻は昼を回った。

私は風呂の大掃除をしたり、洗濯物をたたんだり、インフルエンザの予防接種に行ったりして、夕方まで忙しくしていた。その間父親は目を開け

もっとみる
どうしようもない苛立ち

どうしようもない苛立ち

10月22日 父親に、そして親戚に、どうしようもない苛立ちを覚える。

はじめてヤコブ病の父親に苛立ちを感じた。これはどうしようもない苛立ちだったので、すぐに自分で原動力へと昇華できた。

朝食をとっている時、介護役の私には他の家族から指示がとんでくる。「食べにくいだろうから切ってやれ」「空いたスプーンにおかずを乗せてやれ」といった「やれ型」の指示もあるし、逆に「今は噛んでるんだから邪魔するな」「

もっとみる
車いすでの外出について

車いすでの外出について

10月20日 父親と車いすで外出する。

昨日退院した父親を連れて、電気シェーバーを買いに行った。入院中に使っていたものの切れ味が悪くなってきたので、いっそのこともっと使いやすい物に買い替えてしまおうという話になったのだ。家電量販店に勤めている従弟の店に行き、仕事ぶりを見ながら買い物を楽しんだ。

今日は日曜日で天気が良かったせいか、ショッピングモールは家族連れでにぎわっていた。ショッピングモール

もっとみる
退院の日

退院の日

10月19日 父親が退院する。

父親の退院は、積極的な意味を持っていなかった。「現代の医学では治せない病気だと分かったので、これ以上病院にいても仕方がありません。ですので退院してご家族の時間を作ってください。」という意味での退院だ。つまり、消極的な退院だった。父親はこの退院の意味を理解していたと思う。症状は日に日に悪化していくばかりだし、治療も何もしていないのに突然退院することになったのだから当

もっとみる