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どうしようもない苛立ち

10月22日 父親に、そして親戚に、どうしようもない苛立ちを覚える。

はじめてヤコブ病の父親に苛立ちを感じた。これはどうしようもない苛立ちだったので、すぐに自分で原動力へと昇華できた。

朝食をとっている時、介護役の私には他の家族から指示がとんでくる。「食べにくいだろうから切ってやれ」「空いたスプーンにおかずを乗せてやれ」といった「やれ型」の指示もあるし、逆に「今は噛んでるんだから邪魔するな」「無理矢理食べさせるな」といった「やるな型」の指示もある。正直そういうのは、野球観戦をしながらプロのプレーについていっちょまえに文句を言う、昔ちょっとかじったことがあるだけの腹が出てるおっさん、ぐらいにしか思っていない。本当に苛立ったのは、その後だった。

あまりに父親が食べるのに集中できず遅いので、他の家族・親戚は別の部屋で受け入れ先病院について話し合っていた。私と父親だけが食卓にのこり、ゆっくりと食事の手伝いをしていた。父親は、妹が作ったわかめの味噌汁を見て、食べ方を忘れたような感じで10分ほど見つめていた。そろそろ食べ方を教えないと埒が明かないと思い、スプーンにわかめと汁を乗せ、父親の口の方にゆっくりと持って行った。その時、父親が突然「赤ちゃんじゃないよ!」と大きめの声で言ったのだ。足は地団駄を踏んでいた。私は久しぶりに父親が「うん」以外の言葉をしゃべったのもびっくりだったし、普段より大きい声が出たことにも驚いた。そして同時に、「じゃあどうすればいいんだ」という苛立ちが湧いてきた。

だだをこねる、いらいらして気性が激しくなる、人格が変化する。これらはヤコブ病型認知症の特徴だという。分かっていはいたが、普段表情を変えず、あまり大きな声を出すことのなかった父親の必死の叫びを聞いて、胸が締め付けられた。でも、ならどうすれば貴方が食べたい、妹の手料理の味噌汁を食べさせられる?自分が先に食べて見せて、何度も何度もやってもわからなかったから、自分の分はなくなってしまった。これ以上お手本を見せることはできない。口で食べ方を説明しても分からない。味噌汁は10分経って、冷めてしまった。台所も一向に片付かない。スプーンでなら食べられるだろうから、途中まで私が手を動かして何が悪い?何が気に障った?

何もわからず、考えても考えても正解が出ず、やがて考えても考えても正解は出ないのだと分かった。そして、こういう時は諦めて片付けようと決めた。医者から「なるべく長く生きられるように、水分は食事に取り入れるように」と言われていたが、父親が嫌な思いをするなら一日長く生きられたところで意味がない。だったらいい思いをして死んだほうがましだ。私は、自分が父親のためによいと思う介護をしよう。誰のやり方も参考にしないし、勉強もしない。それでいいんじゃないかと思えてきた。

父親も意識が漠然とある中で、ぼーっとしてしまう時間もあるが、はっきり何かを伝えたかったり、やりたいときもある。その時に右手を動かそうと思っても思うように動かないのだ。周りは自分の知能が落ちているからだと思い込み、子供に言うような言葉をつかったり、世の中の56歳には絶対にしない行動をしてくる。そりゃあ、患者本人が一番歯がゆい。

仲直りし、夜はひきつる右手を握って寝かしつけた。父親は鴨居にかかっている祖父の釣り竿をずっと眺めていたが、やがて安心したように目を閉じた。「今日はごめんね、おやすみ」とつぶやくと、ゆっくり頷いて、寝息を立て始めた。私は手をさすりながら、しばらく泣いていた。

叔母に対する苛立ちは、もっと簡単なものだった。叔母は献身的だがそれゆえに「介護とは『してあげる』ものだ」と考えていて、私とあまり意見が合わない。何か問題が起きれば誰のせいか追求したがるところもあり、私の両親の離婚の際には、娘である私にさんざん生みの親である母親の悪口を言った。この前も、父親が脳の病気と分かった時点で、ストレスによる発症だと決めつけ、犯人さがしを始めた。完全に今やることじゃないし、父親方の親戚が何と言おうと離婚の原因を作ったのは父親に変わりはないので、このことで私と大喧嘩した。今は私が色々なことを諦め、妥協することでなんとか均衡を保っている状態だ。

この時一時停戦した「原因はストレスで母親と子供たちが犯人」という「自分を納得させるためだけの論」を、もう一度ぶり返されたのだ。

私たち家族と一緒に住んでいたわけでもないのに、父親がこうなった途端にまたあのことをぶり返すのか、と呆れた。私も自分の悪かった点は認めていて、意固地になってわざと父親を大切にしなかった分の贖罪のつもりで介護をしているところもある。だからこそ、「今それをまた言うか」と思ったし、何度同じ場所で足踏みしても、一向に前に進まない叔母の性格に、心底がっかりしてしまった。

大阪からこちらに来て、家事や手続きをやってくれているので、そこは感謝しなければいけない。だが、それはそれ、これはこれ、だ。うまく付き合えるように、有益な情報と事務的な内容以外の話は、ほどよく聞き流すことにした。

今日は家の大掃除をする時間もあって、ユニコーンのアルバムを聴きながらシンクをごしごしこすったりして、これらのいらいらを一時忘れることができた。だが、今こうして一日の終わりに振り返ってみると、このことを一番に書きたいと思ったので、やはり完全に忘れることはできていないんだと思う。裏を返せば、今日嫌だったことを覚えていれば、明日は回避できる材料を手に入れていることになる。そのぐらいの強気な気持ちで、父親の最期まで過ごしていきたい。

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