見出し画像

父親がみんなの前で泣いた日

10月27日 父親が家族の前で泣く。

あんなに泣いた父親を、初めて見た。

最近、父親はほとんどぼーっと過ごすことが多く、呼びかけにも答えなくなってきて、目が開いたまま意識がなくなりそのまま眠ることも多くなっていた。日常の動作は介助なしでは出来なくなっていた。介助といっても、父親が自分で行動するのをサポートしているのではない。父親の体を借りて実際には私がやっているようなものだった。

例えばトイレだと、体を支えながら足を交互に持ってなんとか歩かせ、トイレまで連れて行く。手摺につかまらせたらその間に私がズボンとパンツを下ろし、膝の裏側を押して便座に座らせる。用をたすように何度か念を押し、さらに5分おきに声をかけ、15分待って用を足し終わっていることを確認したら、ウォシュレットで洗浄・乾燥する。また手摺につかまってもらい、その間にズボンとパンツをあげ、体を支えて足を持ち歩かせながらベッドまで戻る。大人の男性なので体重も重く体格もいいし、全身の筋肉が硬直し始めているので、これで30分ぐらいかかる。なかなか重労働だ。

その父親が、家の二階へつながる階段をずっと眺めていた。うちは二世帯住宅で、父親の部屋は二階にあった。「二階に行きたい?」と聞くと、ゆっくり、しっかりと頷いた。女手4人がかりで、父親は二階へ上ることができた。

二階では、離婚を機に父親が飼い始めたウサギをベランダで遊ばせたり、父親が好きだったTOTOやクイーンの音楽を聞いたり、思い出話をしたりして、和やかに過ごした。あんなに喋ろうとしたり、長時間意識がはっきりしている父親を見るのは久しぶりだった。「この曲、スティングだよね?」と聞けば「うん...スティ...」ぐらい答えたし、湿度計の55%という表示を眺めて「ご...ご...」と呟いたり、本当にしっかり意識があった。

その後、私と妹で父親を風呂に入れることになった。父親もそれを望んでいたようで、風呂に入りたいか聞くと頷いていた。風呂は一階にあるので、階段を下りることになったのだが、私や妹の女手だけでは、介助が不可能だった。家の階段は割と急で、もし踏み外したり滑ったりすれば、大変な事態になるからだ。だから伯母の夫と妹の夫にも、一緒に介助してもらうことになった。

風呂場まで着くと父親は、「あ...い...」と呟いた。「ありがとう」と言いたいのだと分かり、そうかと確認すると何度も頷いた。代わりにみんなに伝えた。パパがありがとうって言ってるよ、と。それから父親は、妹の前で号泣した。

それを見た家族のみんなが泣いていたので、私だけは泣くもんかと思って、わざと冗談を言いながらみんなの涙をハンカチで拭いて回った。変なプライドに雁字搦めにされて、人前で感情を出さなかった父親の本物の涙を見て、やっと素直になれたんだなと思った。パパ、よかったね、やっと楽になれたね、と。

夕食は父親の好物の唐揚げとハンバーグだった。父親は美味しそうに、完食した。これも本当に珍しいことだった。相変わらずぼーっとしていたが、歯を見せて笑ったり、孫を愛しそうに見ていたり、そこにはたしかに意思があった気がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?