初めてのお盆

お盆だからという理由で帰省するのは初めてだった。今までTV業界にいたため、なかなか決まった期間に休みが取りづらかったのもあるが、自分の中で「お盆」というイベントがそれほど重要でなかったことが一番の原因だと思う。

令和元年の12月24日、お盆という期間が一気に身近になった。そのため、今年は夏季休暇を取得し、実家に帰って一泊した。コロナウイルスが猛威を奮っているので高齢の祖父母が住む家に戻るのは心配だったが、二人ともワクチンの接種が完了していると聞いて、それならということで実家で長い時間を過ごした。もちろん、私も会社でワクチンをしっかり受けさせてもらった。

実家に戻るとやはり色々思い出す。畳の寝室を見てはそこにあった介護用のベッドを思い出すし、食卓に座れば一緒に食べた最後のラーメンを思い出す。ただ、以前のように悲しい思い出では無くなっていた。旅立った父と過ごした日々は、純粋に楽しかったからだ。体こそ無くなったが、本当に今もどこかにいるようで、いつでも父のことを思い出すことができる。顔も声もはっきりと思い出すことができる。

逆に父が生きていて、距離を置いていた頃は、顔も声もはっきり思い出せなかった。いなくなってからの方が、存在をはっきり感じられるような感覚で、いつでも好きな時にそばに呼べるような、そんな不思議な感覚だ。

祖父母は近くに住んでいる伯母夫婦の力も借りて、あの家でたくましく強く生きていた。二人にとっても、つらい思い出から温かい思い出に、もう昇華できているのかもしれなかった。二人と話していると、私も包まれるような、安心する気持ちになった。祖母は、「お盆が初めてだからほおずきや精霊馬の飾り方が合っているか不安」という話を何回もしていた。「飾り方はどうでもよくて、気持ちが大事だとお坊さんが言ってたよ」と何度言っても、やはり気になるようで、何度も何度も相談されたし、何度も位置をずらしたりちょっとだけ直したりしていた。いつまで経っても、おせっかいな母親だった。そういうところが嫌いなんだと、前に父が言ってたのを思い出した。

お盆では、提灯を持ってお墓に行き、魂を迎えて、家の蝋燭に火をつけて家の中に居座ってもらう。灯りが目印になるから絶対に消さないようにと口すっぱく言われた。五十年以上住んでたんだから灯りなんてなくても大丈夫だろうと思ったけど、そういうルールらしいので、雨が降るなか蝋燭を死守して家まで帰った。

伯母が作ってきてくれた天ぷらをお供えして、その横の机で私たちも一緒に食べた。夜にはビールをお供えして、私はお酒に弱いので飲まなかったが、祖父は父に合わせて、真っ赤な顔をしてちびちび飲んでいた。会食の場でもほとんど喋らない父だったので、本当に生きていてそこにいるみたいだった。今年の夏はコロナのせいでどこにも行けなかったけれど、大切な思い出ができた。

翌々日、私は東京に帰った。祖母たちがまた提灯の灯りで誘導して、父の魂をお墓に戻しに行ってくれた。

今まで気にもしなかったお盆だが、こうやって毎年迎えることが楽しみになった。今年は妹は来ることはできなかったが、来年こそは世の中が落ち着いて親戚全員で集まれればいいなと思う。

最後に、たくさんの人が父のお墓に来てくれているようで、もし読んでくれている人がいれば、本当にありがとうございます。この前も祖母がお墓参りに行った時、誰かが供えてくれたお花がとても綺麗だったと喜んでいました。これからも、ふと父を思い出したときに、お墓に足を運んでいただけたら嬉しいです。

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