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車いすでの外出について

10月20日 父親と車いすで外出する。

昨日退院した父親を連れて、電気シェーバーを買いに行った。入院中に使っていたものの切れ味が悪くなってきたので、いっそのこともっと使いやすい物に買い替えてしまおうという話になったのだ。家電量販店に勤めている従弟の店に行き、仕事ぶりを見ながら買い物を楽しんだ。

今日は日曜日で天気が良かったせいか、ショッピングモールは家族連れでにぎわっていた。ショッピングモール内の家電量販店にたどり着くまでも、たどり着いた後も、初めて直面する困難が多かった。

まず、駐車場の問題だ。今日は偶然車いす用の駐車場が空いていたため、そこに駐車して乗り降りをスムーズにできたが、いつもこうとは限らない。

駐車場からショッピングモールに移動するためにエスカレーターや階段が使えないので、エレベーターを待つのだが、これがなかなか来ない。来てもショッピングカートを転がしている人やベビーカーが乗っていれば、また次のエレベーターが来るまで待つことになる。

人の視線もさまざまだ。父親は車いすで、56歳で体格がよく、何も話さず、右手は常にひきつるか痙攣していて、目線は初めてのものを見るみたいにキョロキョロしている。当然指定難病のヤコブ病だなんて、誰も予測がつかないので、色々な視線が飛んできた。「かわいそう」「興味津々」「怖い」-私たちを追い越す際に二度見して、「なんの病気かな?」と噂している人もいた。はっきり聞こえたので、背中を睨んでおいた。

また、親切にさりげなく道を空けてくれる人もいるが、わざとどかない人もいる。車いすに乗っている方が悪いとでも言わんばかりに、こちらに気づいていながら道をふさいでいた40代ぐらいの夫婦もいた。私は、「すいません」と言ってどいてもらうのがとても嫌だったから、そういう時は周り道をした。父親は何も悪くないし、病気のため仕方なく車いすに乗っているだけなのに、道を通るだけで何故謝らないといけないのかと思う。"Excuse me."の意味の「すみません」だとはわかっているが、それでも嫌だ。礼儀のために言っている「ありがとうございます」も、何故感謝しながらじゃないと道が通れないんだ、と思ってしまう。車いすに乗っている人も押している人も、複雑に色々な思いをしながら生きているんだな、と感じた一日だった。

買い物が終わった後にお茶でもしようとフードコートに行ったとき、父親は嘔吐してしまった。おそらく、痰を出そうとして失敗したのだと思う。その時の周りのテーブルにいた人々の表情は、あまりにひどかった。嘔吐したものを片付けて、店員に消毒をお願いした。口をゆすいだほうがいいと思い、車いす用のトイレに行ったが、10分待っても中にいる人が出てこなくて、仕方なくフードコートの洗面台へ行った。車いすに乗っているので、丁度良い高さに洗面台がない。結局、大きくかがんで子供用の洗面台に吐き出すことになったが、やはりやりにくく、慣れない動作なのでとても時間がかかった。

私の方にも問題があった。今日一日で、腰がだいぶやられてしまった。大人の男性一人を車いすで一日連れまわすと、押す方にもダメージが大きいとわかった。ゆっくり休めばそれほど響かないと思うが、明日は難病申請に行くため、そこそこ早起きをしなければいけない。

疲れないと言ったら、嘘になる。それでも、私は自分の力でやれることはやりたい。娘としてのプライドもあるし、いくら会話がなかったとはいえ25年間一緒に過ごしてきた父親を、「はい、じゃあ世話が大変になったから後はよろしく」と介護士に預けるのは違うと思うからだ。父親は娘に介護されることを望んでいないかもしれないが、話しかけるたびに嬉しそうに反応してくれるところを見ると、そんなことはどうでもいいか、と思えてくる。

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