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伯母の存在について

10月26日 父親の友人たちが会いに来る。また、伯母の言葉に救われる。

今日は11時から理学療法士による派遣マッサージを予定していた。父親がなかなか朝食を食べ終わらず11時半からマッサージがスタートした。施術中、父親はとても気持ちよさそうにしていて、笑顔のまま眠ってしまうほどだった。私が遠くから親指を立てて首を傾げ、「良い感じ?」のサインを送ると、うんうんと頷いて答えていた。施術後は今まで不随運動とミオクローヌスに苦しめられ、まったく意のままに動かなかった右手が、自由に動くようになっていた。それを見た他の家族はその技術に驚いて、特に腰に狭窄症を持つ祖母とリウマチ持ちの伯母なんかは、「私もここを治してほしい」と寄ってたかってついでにマッサージを受けていた。要支援1の認定を持つ祖父は無料でマッサージが受けられるので、やってもらえば?と皆で勧めたが、頑固な祖父は「俺は元気なんだから無料でそういうのは受けねえ」と突っぱねて、やれやれ困ったねとみんなで笑った。

15時頃に妹夫婦と姪が到着し、それから程なくして父親の友人たちが家を訪ねてきた。同期入社してから30年にも渡って付き合ってきた仲間たちだ。父親の口から自分の交友関係について語られたことは一度もなかったので、どんな人たちなのだろうと、私も楽しみにしていた。

父親は声を聞いただけで珍しくサッと立ち上がり、4人で鈍行で白川に行ったときの話になった時は、「白川」と単語をつぶやいた。一生懸命話についていこうとしていた。顔には冷や汗をびっしょりかいていた。この病気になってから、父親は頭を使おうとすると、たくさん汗をかく。ただ、どれだけ汗をかいて頭を使おうとしても、出てきた言葉は「白川」だけだった。他は言葉にする前に、諦めてしまった。私は悔しくてやるせない気持ちをずっとこらえながら、隣で父親の右手をさすっていた。

帰りも友人たちが立ち上がると、一緒に立ち上がろうとした。2人がかりで介助して、見送りに玄関まで来た。そして全員と握手をし、それでも足りなかったようで、靴に履き替え門まで見送りに出た。病気になってから父親が自分から玄関の外に出たのは、初めてだった。全員を見送った後、もぬけの殻のようになり、玄関で靴を履いたまま15分ぐらい立ち尽くしていた。立ちっぱなしは全身に負担をかけるので、早く部屋にもどって横になってほしかった。15分の間「パパ、もう戻ろうよ」と声をかけ続け、足が曲がるように膝の裏を押したりしたけど、何も効果がなかった。正直、私は今なにをしているんだろうか、この行為に意味はあるのだろうか、と思った。

今日は、伯母と二人きりになる時間ができた。伯母は、昨日私に言われたことをずっと考えていて、答えが出たので伝えたい、と言った。昨日私に言われたことというのは、もちろん「叔母から『病気の原因はストレスで、つまるところ母親と私たち子供のせい』と言われたこと」についてだ。伯母は、昨日は「私もそう思ってしまう。仕方がないよ。」と言っていた。

「もし病気の原因がストレスだったとしたら、みんなが自分の悪かったところを反省して、後悔しなきゃいけないよね。みんながみんな、それぞれ悪い所があったよね。それは、パパ自身もね。」

「パパ自身もね」-この言葉を聞いた時、何かがストンと落ちた。父方の親戚からは「ママが一方的に悪い」としか言われてこなかったし、私たちを始めそうは思っていない人がいたとしても、口に出す事がタブーになっていた。ちょっと反発すれば、すぐかき消されてきた。たとえそれが事実でも、「子供を置いて出て行く母親のいう事なんて、嘘なんじゃないか」と言われた。

「あれだけ私たち親戚と仲良くやってて、佳奈たちのことを愛していたママだもんね。よっぽどのことがなけりゃ、出て行かない。みんな分かってたのに、その『よっぽどのこと』を認められなかったんだよね。」

「叔母ちゃんには、もう私から『病気の原因がなんやかんやって、それは今の佳奈たちには絶対言わないようにしようね。お母さんやお父さんにもね。過去を振り返ってもみんながつらいだけだしね』って言ったよ。たぶん叔母ちゃんは『もう言っちゃった、どうしよう...』って思ってると思うけど、今回はそれでいいよね。」

「例えば叔母ちゃんの悪かったところは『人の家庭に入り過ぎた』ことだし、私は逆に『入らなさ過ぎた』。それが上手くいってれば、もしかしたらもっと違う結果になってたかもしれないし、何も変わらなかったかもしれない。でも、そうやって自分の悪かったところを見直して、今後の人生で同じことを決してしないようにすればいいんじゃないかな。パパが身をもって教えてくれた教訓だと思ってね。」

すべての言葉、一字一句が私の心に刻まれた。この人と血がつながっていて、私は本当に幸せ者だと思った。心がラクになった。この5年間、ずっと重くのしかかった何かに、苦しめられていた。その何かからやっと解放された。伯母は、本当に偉大な人間だと思った。

夜、妹にこのことを話した。妹は「この家は伯母さんとお姉ちゃんで回ってる。ありがとう。」と言った。伯母のように、私もなれたらいいなと思うし、妹だけでも、わたしを伯母と並ぶ人物と思ってくれていることが、何より嬉しかった。

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