実家暮らしのことと二人暮らしをしてみて ~家族でも共同生活者~
夫となる人と一緒に暮らすのが、実は人生で初めて実家を出る経験だった。
35年以上過ごした実家から出るのが初めてなことに、一番心配を抱いていたのが彼と私の父親だったけれど、私自身ものすごく箱入り娘というものでもないからさほど心配にも不安にもなっていなかった。
(まぁ、母も若干心配していたとは思う。)
実家の頃からたいていの家事はやれていたほうではあるし、しいて言えば飼い猫に触れないのはロスだなぁくらいに思っていたほど。
結論として、正直二人暮らしはとても楽しく、大変だと感じるところはない。
家事炊事も今のところ「思っていたよりもラク」なのが現状だった。
もちろん彼の協力も大きいおかげなのもあり、生活するうえで困った事や分からない事がさほどない。
それに元々、居心地の良い空間を求めるためなら労力をいとわない性格なので、そのための断捨離や掃除は大好きだった。
とはいえ「ずっと実家にいたから、家事するの大変でしょう?」「不満がそのうち出てくるよ。疲れてくるよ」というアドバイスもちらほら聞くので、そうなってくるんだろうなと思うのだけれど、今のところその予兆はまだない。
何故私が初めての同棲をラクに感じることができているのか?
私が二人暮らしをラクに感じられた理由を考えた時に、4つ思い当たることがあった。
①実家暮らしだからこそ「家族という名の共同生活者」というのを一番に心がけるようにしていた。
②食いしん坊である
③元々ハウスキーピングに興味があり、ずっと実践していた。
④そもそもの愛読書が「暮しの手帖」、高山なおみさんの「チクタク食卓」らへん
ここで備忘録もかねて、いわゆる「こども部屋おばさん」として、35年以上実家で暮らしていた今までの私の生活を少しだけ振り返りつつ、二人暮らしの感想を綴っていきたい。
また、理由は家庭事情によってさまざまなので、地方OLとして30後半で独身実家暮らしをしている働くアナタに、どこか共感してもらえる部分がほんの数ミリでもあれば幸いです……。
実家暮らしのあらまし
実家暮らしをしていたあらましはこんな感じである。
学生時代は自宅から通える距離の学校だったし、働き口も実家から車で10分程度だったので、家族関係も良好で比較的仲の良い家族でもあったことから自分でも一人暮らしをするような機会を作ってこなかったのが正直だ。
地域的にも結婚するまでは実家で、結婚を機に家を出るという流れがほぼほぼ定着していたのも理由の一つにあるかもしれない。
そもそも社会人を機に一人暮らしはしなかったのか?問題については、地方OLといえど正直手取りが高くない非営利団体系の事務職というのもあり、マイカーを維持しての一人暮らしは現実問題厳しかった。
それに加え、家を出て貯金ができなくなるより、ギリギリまで堅実に貯金できる道を選ぼうと思い、実家で生活をしていた。
住んでいる環境も車さえあればあまりにも便利すぎて、何より家族と協力しながら暮らしていたことが本当に楽しくて幸せであったので、家を出たいとすら思わなかったのも大きい。
そう考えると、そもそも一人暮らしなど毛頭にない感満載なのは否めない……。
(実家暮らし独身OLが意外と地方に多い理由はこれなんだろうなと思いつつ、自立している人はそうしているのでただの甘えですね)
お金については家族との話し合いで、月々の給料から三分の1を、夏季冬季のボーナスからは大体25~30%ぽっちだが、家に入れることで免じてもらっていた。
あとは「エアコン使いすぎたな…」とか、「親にお小遣いあげたいな…」と、物思う事があればちょこっと「生活の足しにしてください」と渡していた。
一人暮らしすることを考えればはるかに格安であることを思うと、実家が持ち家なうえに両親も健在なところも本当に恵まれていると思っている。
実家にいた時の過ごし方を振り返る
お次は実家にいた時の過ごし方を書き出してみたい。
・食事について
普段の食事のついては、夕飯の支度は母にお願いしていたが、自営業で両親ともに多忙だったことから、子供のころから基本は朝も昼も「各自で」というスタイルだった。ちなみに”朝ごはん”を用意して貰えた記憶は小学生3年生頃で止まっている。
なお、補足としてネグレクトとかではないです。「ご飯炊いてあるのと、パンとか牛乳あるから、卵かけご飯とかで自分で何とか食べてって~」といった感じ。あんなに忙しそうだったのに米を炊いてくれてただけでありがたさ満点である。
(今では自営の人はもちろん、共働き世代で育った方が多いので分かってもらえるのでは……)
昼食は高校に上がった時点で、自分でお弁当を作るルールだったこともあり以来ずっと手弁当だ。
職場付近もランチに行けるような環境ではない感じの田舎であるので、職員は全員お弁当持参である。
お弁当は高校の頃からあれこれ工夫をしながら作っていた。
冷凍食品の味の塩梅があまり好きではないため、副菜は小まめに作り置きし、手作り冷凍食品が多めかもしれない。
(冷食も安くなったとはいえお弁当は毎日のものなので、沢山買えば出費が手痛いので作った方が安上がりな時がある)
買い出しについては、両親ともにほぼ隠居生活なので、すっかりお願いしてしまっていた体たらくな実状でした。
・洗濯について
洗濯に関しては自分で洗いたいタイミングの時は自分で済ませていたし、基本土日は私の担当だった。
母が超がつく倹約家なので、服2着ほど洗いたい時は手洗いがルールだったのと、普段着るニットやブラウスのおしゃれ着はクリーニングに出すとお金がかかるので、自分で手入れできそうなものは極力手洗いしていた。
手洗いなんてめんどくさくてできねーよ!って時ももちろんあったので、そんな時は目を盗んで使ってましたが。
シワシワの服など、だらしなく見えるものが、元々自分の性格的に苦手というのもあったから、アイロンがけもマメなタイプだったと思う。
なお、同棲したての時に一番最初に購入したのはアイロンとアイロン台だった。
ただ、手洗いのメリットとして、服の状態が自分で分かる上に、安物でも生地の状態が圧倒的に長持ちで傷むスピードが全然違うことだ。洗いあがりもシワが少ない。
だから、お気に入りの服はずっと良い状態で楽しめていた。
・掃除や整理整頓について
掃除や整理整頓については、元々整えることが好きなほうだった。
ある時に水場の掃除にドハマりしてから排水溝の掃除が日課になり、それからハウスキーピングに興味が出た。
参考になる動画を漁り、図書館で掃除術の本を片っ端から借り、見よう見まねで実践していくうちに掃除・整理整頓が大好きになった。
また、母が潔癖症の祖父の血を継いでいるせいで、日々口やかましい感じに綺麗好きだったので、子供のころから机やイス以外に基本床に物が置いてあるのを見たことがなかった。
それもあって自分の部屋も、たとえ物はあっても綺麗に整えるようにしていた。
「物の場所は決めておく。出したら戻す」
「キャパを考えて収納する。収納道具は必要以上に無駄に増やさない」
「買ったら捨てる。もしくは、買いたいなら捨ててから」
「朝起きて一番にすることは寝具を整える」
「目についたものは片付ける」
部屋を管理するうえで、ずっと意識していたことだし、今も心掛けていることだ。
けれどこれをひっくるめて一番に置いていることは、綺麗好きを日々口やかましく言ってくる母に気疲れした経験もあってか
『無理に人に強要しない。自分が気になるなら自分の中だけで処理をする』
これだけは守っていきたいと思っている。
なので同棲していてもお互い「聖域ゾーン」なるものがあり、そこは極力放置プレイをしている。
たとえば、リビングローテーブル・壁との隙間の一角が私の聖域ゾーンで、化粧ボックス、レシピ本を入れているファイルボックス、テーブルに頂き物のお菓子コーナーがあり、ダイニングテーブルは彼がおきっぱなしにしているレシートや小銭やゴルフの結果表やら色々である。
・車について
車のメンテナンスは、兄のおさがりの車を手放し自分でマイカーを契約・購入してから「自分の車」という意識が強くなった。
それまで車関係の事は、車好きの父に任せていたけれど、父が亡くなった場合の事を考えたときに「いい年齢して全部父親任せで、私は車のことはよく分からないんです~」という状態になりたくなかった。
それからメンテナンスはもちろん、タイヤ交換や保管についても全部自分で管理するようにした。
なお、私がますます自分の車関係の事をしっかりするようになった出来事として、玉突き追突事故に遭い全ての事故処理を自分一人で行ったというのもターニングポイントだったかもしれない。
自分で警察・保険屋に電話をし、レッカーと代車の手配、ディーラーへの連絡、病院へのアポ、相手方の保険屋との話し合い等、通院・リハビリしながら半年間対応し、事故処理を全て一人でやり切った事が幸か不幸か自信に繋がった感はある。
余談だが、事故状況として、自分は玉突き事故の真ん中で打撲・車は損壊で一番被害を受けていた状態だったが、私の車の前も後ろも運転手は後期高齢者だったため「若い貴女が全てとりしきって警察に連絡して頂戴!私達なんにも分からないおばあちゃんだから!」と言われ、実に理不尽だった…。
なお、追突してきた方はその後、免許を返納されたそうです。
食いしん坊の原点と割れ鍋に綴じ蓋の夫婦
ここまでくると、私の母が何もしない人のように思えるが、私が食いしん坊に育ったおかげは彼女の影響だったりする。
仕事で忙しくない時は、普段からわりと料理マメな人で、たいていのものは何でも作ってしまう人なのだ。
外で美味しいものを食べに行き、「また食べたいなぁ」と言えば、ほぼ同じ味でそれを食卓に出してくれるような器用ぶりはうらやましいほど。
本人は「家が貧乏だったし節約したかったから、だったら作れるようになればよくない?自分でできたほうが生きてくのに便利じゃない?という精神で生きてきただけ」と言うが、本当に何でもやってしまうのだからすごい。(まぁそれを娘にも同じように押し付けるので、良くも悪くもだが)
面白いのが、逆に父が「THE何にもできない昭和の男(しかも5人兄弟の末っ子)」という点。
正直、割れ鍋に綴じ蓋だなと思う。
そして、父は本当に何もしない人なので、母がいなくなったら生きていけないと思う。酷い話かもしれないが、できれば長生きは母の方にしてもらいたいと思っていたりする。
もちろん上げ膳据え膳の男なので、母が不在の時は代わりに私が動くしかない。
そんなこんなで、「人をアテにするのでなく、やれることは何でも自分でやる。でも、出来る時にやる。」という事が自然に身についてしまっていた。
ご近所や親戚関係についても、自分が結婚が決まる前は実家で両親の面倒を見ていく気満々だったので、なるべく回覧板にも目を通し、ご近所にどんな方が住んでいるかもざっくり聞いた。
コロナ禍になり町内会の運動会がなくなったのが幸いなのは本音だったりする。
結局は「お互い」が家事をこなすタイプだからうまくいっている
今回はじめて家を出て他人と生活するにあたり、私の課題だった「初めて夕飯をきちんと用意し、献立を考えないといけないミッション」は、今のところ楽しめている方だと思う。
食いしん坊と少々ケチな性格もあってか「冷蔵庫にあるもので、いかに美味しい思いができるか」をテーマにしているので、あれこれ考えるのが本当に苦ではないのだ。(ほんと母親譲り過ぎるが)
何より、実家の頃だと台所はやはり母の領域で、食材も自由には使いづらく(本人は「使ってくれてもいい」というが、いざ使うと「その野菜、〇〇を作るのに使おうと思ってたのに~。まぁいいけど」を言われる事態がほぼ発生するので……そうなると結局使えないって話ですよね!
今は自分の好きなように、自分が作りたいものを作れる楽しさに目覚めて、いい感じに料理が毎日楽しかったりする。
自炊生活のちょっと嬉しい近況として、私がおかずをたくさん作るようになり彼の食生活も変わったのか、ジムでの体重結果・BMI数値・筋肉量が徐々に改善していったらしく、心でほくそえんでいるところだ。
日用品の買い出しも、今度は自分で把握しやすくなり、彼もストック大好きマンな心配性なので「あれ買っといてって言ったのに!」という押し付け合いがなくてありがたい。
家計簿は出納帳アプリを実家にいた頃からつけていたので、かえって買い出しも色々考えるようになって楽しい物になっている。
光熱費の使用料も、実家の時でも毎回自分が使いすぎていないか請求書には必ず目を通していたし請求額も聞くようにしていたので、チェックするのも好きな方だ。
(もし前回より料金が上がってるとなれば、プラスアルファで生活費を渡す必要もあるし)
それに加え、私も彼も性格的に(これは嫌だな……)と思う価値観がわりと近い事も幸いしているように思う。
「気が付いたらやりたいし、なんなら自分でやった方が早い」「どうせならついでにやっちゃう」がお互い共通しているので家事を終えるのも早い。
仕事での出会いというのもあり、必要な事があればすぐに報連相しているので、とてもスムーズに生活が送れていると思う。
なるべく自然に習慣化させて気持ちよく共同生活を送れればいいなと思う。
そんなこんなで、実家暮らしの友人が同棲・結婚した際に「二人暮らし大変!確かに実家のときのほうが楽だった……」と沢山聞いていたので身構えたら全然そんなことはなく、3人暮らしから2人暮らしに減っただけの感覚に近いかもしれない。
そして何度も思うけれども、家事が好きな男性ってやっぱりありがたい。そこはすごく恵まれているので感謝しきりだ。
惚気になるが同棲してから「こんなにも居心地がいい人だとは!」と思う事の連続で、ますます信頼度が増したように思う。
もちろん家事がお互い不得手な場合だって当然ある。
もしかしたら家事ができるというよりも、共同生活をしていく者同士が同じくらいに家事が ”苦にならない” というのが一番大事なのかもしれない。
「共同生活」として考えたら、家庭内マウント感が薄まる気がする?
同棲してみて思ったのが、実家の頃から家族と言えど「あくまで共同生活者」の精神を持っていて良かったということ。
それは「親しき中にも礼儀あり」に近い事だと思う。
考えてみたら、友人でも仕事でも全部の人間関係において、そういった事を大事にして接している人は、一緒に行動を共にしてもたいてい心地が良い人だなと感じることが多い。
それに「共同生活者」として俯瞰してみると、なんとなーく自然と助け合い、持ちつ持たれつ、お互い様、と自分が思えるようになる気がする。
もちろん、収入の格差や、家にいる時間の比率も家庭それぞれではあるけれど、「一緒に生活を送っているんだから」という気持ちは大事だなと思う。
ちなみに自分の考え方としてはこんな感じかもしれない。
自分は〇〇が得意だからやろう、その代わり自分は◎◎が不得手だから相手にお願いしてみよう。
支払いの按分も収入の関係で彼の方が出してくれているから、時間は自分の方があるから代わりに〇〇を担当するようにしたいことを相手に相談してみよう、など。
ルールを決めると苦しくなる時が来るので「なんとなーく」という風にしているが、気を付けているのは「私はこれやるからアナタはこれお願いね!」と勝手に決めないことにしている。
自分のゆきわたらないところを助けてもらっているから、向こうの不得意な部分を自分が助けようというように、できるだけ等価交換に近くなるように考えているかもしれない。
なぜなら、人間誰しもフェアに扱ってくれる人を好きになるし、大事にしてくれる人を大事にしたくなるのが精神だと思うから。
(モラハラ経験済だったからこそ、余計にそう痛感します。)
自分がこんなにも家事が苦ではないのは、なんだかんだ実家の方針のおかげだった。
正直、結婚しない人生も考えていたので、いずれ両親を見送ったあとは一人で生きていくわけで、いつそうなっても良いように準備はずっとしていた。
料理はお弁当くらいしか作った事はなかったけれど、お弁当が作れれば普段の食事だってできるし、生活環境の整え方も掃除する癖さえ身についていればいつだって快適だ。
生活習慣を厳しめにしてくれた親には本当にありがたく思っている。
あまり好き嫌いなく自分で食事を作れる。身の回りの掃除や整理整頓ができる。
困った時は臆せずに業者や行政の人に何でも聞こうとする姿勢ができる。
おかげさまで35年過ぎて実家から出て、いきなり他人と暮らし始めても何の不都合も感じません。
(一人暮らしすらしたことないのに、料理・掃除・住環境に詳しい&うまいことやりくりできているので、本当に実家から出たことない人なのか?と疑われています……)
よく話題に上がる「実家暮らしは家事出来ない問題」も、結局は実家でも一人暮らしでもやらない人はやらないし、ちゃんとできる人はできるし、一概には言えないんじゃないかなとは思う。
それから、一時でも一人暮らししたいともそんなに思わなかったくらいに両親との関係性も良好だったのは本当に幸せだと痛感している。
いい年して親離れ・子離れできてないという風に思う人もいるかもしれないけど、それとはまたちょっと違うんですよね。うまく言えないけど。
実家暮らしって色々言われるし、「子供部屋おじさん(おばさん)」という言葉も生まれるくらいに負い目もあるけど事情は様々なので、地方の環境・親子関係あるあるなんじゃないかな~とも思っています。
自活している人から見たら全て言い訳にしかないんですがね…(;^ω^)
まぁしかしながら、やはりどんな手取り額でも、自分だけのお金で家も車も何もかも賄って自活してる人は心底すごいなとますます尊敬を感じた次第だ。
だって自活できるだけの給与の仕事に就く努力をした結果と思うと、地元でゆるーく通勤したいと考えたまんま生きてきた私は頭が上がらないです。
最後に
今すごく思うことは、実家暮らしは楽しかったけれど自分が決めた好きな人との生活はそれ以上に楽しいということ。
実家とは違う自由を感じて居心地が良くて、生活を自分たちで切り盛りしていくのは結構面白いことだなと感じる。
夫婦ふたりが「たすけあって」って、こういう事なのかもしれないなと、日々のところどころに気付くものがあります。
こんなのは初めたばかりだけかもしれないけれど、一緒に生活していけるやりがいなんて実家ではここまで感じられなかったから、やっぱり実家にたくさん甘えていた部分はあったんだと思う。
同棲も楽しいし実家の時も楽しかったっていうのは、本当に幸せなことでしかないなと改めて家族の優しさと、感謝の気持ちを痛感している。
そんな備えあれば憂いなしということで、現在も実家にお住まいで共同生活を送っていて、なおかついずれは結婚をしたい方の参考になれば幸いです…。
※気が付けば、書き方がずいぶんエラそうになってるので、ちょこちょこ修正するかもです……