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vol.82モラハラ夫編【号泣と花束】我慢発うつ病行き〜回想録のような備忘録〜


小説(フィクション)⤵️


👓脳内出血

娘が通う幼稚園から「頭が痛いと言っているので迎えに来て欲しい」と連絡がありました
寝かされている娘に「帰るよ、起きなさい」と声をかけましたが目を開けません
「ふざけてないで」と言いながら体を起こそうとしましたが、グニャグニャするばかり
先生もおかしいと気づき、救急車を呼んでくれました
脳内出血をおこし脳室に髄液が溜まって脳を圧迫しており水頭症の状態
翌朝に緊急手術
説明を聞いたり決断したり署名したりで大忙しです
夫のHは廊下のべンチで大号泣
義母は泣かない私に向かって「Hは優しい子だから…」と冷たい目をして言い放ちました

夫婦が2人揃って泣いていたら一体誰が医師と話をするのでしょう
普段育児をしないHが人目も憚らずに泣く姿を見て何かがスーッと冷めて行くのを感じました


👓付き添い

当時は24時間誰かが付き添うのが当然でした(家政婦さんでも可)
日中は私が夜間はHが昏睡状態の娘に付き添いました
息子は義両親に初めて預かってもらうことができました
Hは仕事が終わると一旦帰宅して義母が作った2人分の夕食を持って車で病室に来ます
病室で食べて私が容器を持って帰り洗って義母に返します
入浴・就寝、早起きして洗濯•犬の世話だけをして自転車で病院に向かいます
入れ替わりにHは義両親宅に帰り温かい朝食を摂ってから仕事に行きます
ある日「ご主人は毎晩熟睡していて夜間の巡回のときも早朝の検温のときも起きない」と看護師から言われました
Hが泊ってもレンタルベッド代が余分に出て行くだけなんだなとぼんやりとした頭で考えました


👓入院生活

娘は奇跡的に昏睡から覚め命の危機は脱しましたが意識がはっきりしません
頭からは髄液を排出するドレン、鎖骨の辺りにはIVH、腕には点滴、排尿はバルンカテーテル、気管挿管、胸には心電図、手指にはパルスオキシメーター…
時々錯乱したように管を抜こうとするので片時も目を離せなくなりました
余りにも気が休まらないので手を拘束して欲しいと頼んだことすらあります
播種性血管内凝固症候群(DIC。感染症により血液が固まりやすくなったり流れて止まらなくなったりする)で再び命の危機に陥ったりもしました
Hは毎晩病室に泊まるので「仕事もあるのに子ども思い」という評判を病院内で得ました(熟睡していますが)
日中は回診・尿測・検温・点滴の見張り(抗生物質の点滴は半分で止めて下さい等と看護師から命じられます。今では信じられませんが)•着替えや清拭の手伝い…
Hは昼間の忙しさを知りません


👓ブーケ

娘の意識が随分と戻りVPシャント手術(髄液をお腹に流すようカテーテルを頭から腹腔まで通す)を受けました
IVHも気管挿管もバルンカテーテルも抜けました
少しずつ口から食べ声も出せるようになってきた頃、私の誕生日がきました
いつも通り忙しい日中を過ごし、お腹も空きぐったりと疲れていましたが交代のHがなかなか来ません
漸く来たと思ったら「麻子(仮名。私のこと)お誕生日おめでとう」とピンク色のチューリップの大きな花束を抱えています
看護師さん達が「きれい」「素敵な旦那さん」と褒めそやすので嬉しそうです
花瓶なんてありません
由美は個室ですが機器や薬品や衛生用品がとても多く、花瓶があったとしても置くスペースがありません
置けたとしたら毎日の水替えは私がやらねばなりません
感染症に注意が必要な由美の病室に生花なんて…

喜ばないと無視か逆上が待っています口では「有難う。可愛い。嬉しい」と言いましたが困惑しかありません
私が欲していたのはブーケではなく、充分な食事と休息と睡眠です
たった1日でいいから病院と離れる時間、息子の顔を見る時間を作って欲しい
夜間熟睡しているHに伝わることはありません
「仕事があるのに付き添いをする良い夫」だと自分でも思っているのですから


👓退院

今では信じられないことですが、脳外科のある病院でもMRIがある病院は限られていました
入院先は兵庫県西宮市でしたが、退院前のMRI撮影には宝塚市民病院や伊丹市民病院へ行きました
音もかなり大きく、大人でもトラウマになるほどで、とても幼稚園児に耐えられる代物ではありません
何度かトライしましたが最終的には鎮静剤を使って眠らせてもらいました
退院許可がおり、何とか卒園式にも入学式にも間に合いました
当時のMRIは精度も良くなく、4年後に再発することなど医師ですら予想できませんでした


👓丸坊主

何度も頭部の手術を繰り返したので当然、丸坊主です
娘自身が余り気にしなかったのが救いです
頭部保護のため毎朝バンダナを海賊のように巻きました
中肉中背で活発だったのに、背は伸びず痩せっぽちで運動音痴になりました
赤ちゃんのときには娘を見せびらかすのに余念がなかったHですが、息子ばかりを構うようになりました
自分の子どもが丸坊主で痩せっぽちでは恥ずかしいのでしょうか


👓息子

哺乳瓶からミルクを吸えず育ちが悪かった息子は検査入院でも原因は判りませんでした
医師からは絶対に無理だと止められましたが、スプーンでミルクを飲ませ離乳食も早めに開始しました
異常なほど落ち着きがなく拘りが強く反面、神経質で過集中な子どもでした
歩けるようになると、荷物を持ちかえよう繋いでいた手を離した1〜2秒の隙に目の前から居なくなります
長じてレジャー施設等に行くようになると、何度迷子アナウンスをされたか判りません
2才前には100ピースのパズルを自力で完成させることができました
一度も教えていないのに、私の絵本の読み語りだけで平仮名と片仮名を自然に覚えました
脱いだパジャマは縫い目通りに時間をかけて畳みます
好奇心旺盛で何にでも触ってしまいます
娘に代えて息子を連れ回していたHでしたが、落ち着きのなさが手に負えなくなると「麻子の躾が悪い」「大人しくさせてくれ」「前田(仮名)の血筋ではない」と言い出しました


👓稽留流産

子どもはできれば4人、少なくとも3人は欲しいと思っていました
息子の次の妊娠は5ヶ月で稽留流産となり、既に亡くなっている男児を産みました
出産の喜びに溢れる方々との4人部屋でした
死産児の火葬にはHが一人だけで立ち合いました
「火葬場で、お花も持って来てないの?って言われたわ」と笑っていました
私はこの赤ちゃんとは一目も会えませんでした


👓次男

娘とは8学年、長男とは6学年違いで次男が生まれました
少し年齢が離れていることもあり、皆から可愛がられました
娘はまるで母親のように世話をやきました
長男も「赤ちゃんは泣くのがお仕事だよね
何かお話をしてるんだよね、
お母さん」と可愛がってくれました
痩せっぽちの娘や長男とは違いぷくぷくとした機嫌の良い赤ちゃんでした
実は私は妊娠初期に悪阻とインフルエンザのダブルパンチに見舞われました
医師からはこれ以上体重が減ったら点滴ですと言われていました
家事•育児にも支障が出ましたが義両親からは「妊娠は病気ではない」と言われました(正論です)
Hは仕事を休めず、夜に2人の子どもと自分 の計3人分の食事を買って帰って来ます
食欲はなく嘔吐ばかりしていた私ですが、私は一体何を食べればよいのでしょう?
子ども達が食事を済ませると「早く片付けて早く休みなさいよ」とHが言います(「片付けはしなくていいから」ではありません)
きっと優しく気遣っていたつもりなのでしょうね
丁度この頃「麻ちゃんは子どもができやすい体質だから気をつけなさいって親父から言われたよ」とHから告げられました
義父のことを心底気持ち悪く思うと同時に、本人に告げるHの気遣いのなさを疑いました

vol.83に続く


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