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第一六節 アカデミー維新

 突然すぎてなんなのだけど、学生時代を通して真剣にサッカーに取り組んだ経験がぼくにはない。
 もちろんサッカーは穴が空くほど見ていたしキャプテン翼だってそれこそ一言一句逃さず読んだ(毎週叔父さんが週刊少年ジャンプを買っていて、そのおこぼれを頂いていたのが実情だ。ぼくがいうのもなんだけど、あの頃のジャンプはとてつもなく最高なマンガのオンパレードだった)。
 ぼくのチルドレンライフにおいては、サッカーは見て楽しむものだと解釈していた節もある。
 世界最高レベルのサッカーも確かに面白かったし、ワールドカップにはどっぷりと魅了されたけれど、やっぱり何と言ってもぼくのサッカー人としての道を見つけてくれたのはJリーグなのだと思う。
 まだ三〇年しか経っていないリアルな人生だけど、素晴らしい歩みを与えてもらっていると断言してもいい。

 そんなJリーグサポーター人生の六年目にあたる一九九九年のJリーグ。昇格してから初の六位という成績をセレッソ大阪は収めた(もう少し細かくいうとファーストステージが一〇勝五敗の五位でセカンドステージが九勝六敗の五位。年間成績で六位だった)。
 ベルギー人監督のレネ・デザイエレの元、ここ数年で築いてきていた攻撃サッカーが花開いた感があった(一時期、元ベルギー代表のエンツォ・シーフォがやってくるんじゃないかと本気でドギマギした。”ベルギーの至宝”の受け入れ方法を真剣に悩んでいたりした。しかしながら結局は実現しなかった)。
 個人タイトルではあるけど、ファンセの得点王は本当に嬉しかった(リーグ戦二五試合出場で二四得点は驚異的でもある。そしてJリーグアウォーズの衣装も世間の度肝を抜いた。まさにスターだ)。
 さらに言えばモリシ(一二点)アキ(一一点)といったベテランや中堅の活躍も目立った。
 その上、西谷正也のような若手選手も出てきて(彼もこのシーズン八点取っている。ともかく前線の四人で五五得点っていったいどこの銀河系軍団なんだよと今でも思ってしまう)よりチームが活性化していったのをぼくは手放しで喜んだ。
 シーズン終了後にキングはいなくなってしまった。それでも韓国を中心とした外国人選手が徐々に揃ってきて「もしかしてリーグ優勝にも手が届くのではないか」という淡い期待が大阪市内のあっちこっちで話題になりはじめていた。
 とは言っても、今シーズンだけでJリーグが終わるわけではない。一〇〇年構想という大命題のなかで各クラブがしのぎを削っている。この圧倒的な攻撃力が未来永劫続くわけがない。
 選手層もそうだ。
 人は育てなければならないし、育てた選手をしっかりと使っていかなければならないのだ(この頃のぼくは仕事面でもグループマネージャーに近い立場にいたから、育成って言葉にはとても敏感だった)。
 育成と成績、理想と現実の両面で結果を出し続けなければ、この先のクラブに光は射さない。セレッソ大阪に関係するすべての人間が試される時代。審判の日が近づいているのだろうとぼくは薄々感じていた。

 セレッソ大阪には一八歳以下のアカデミーが存在する。ヤンマーユースからセレッソ大阪ユースへと名称変更しながらもしっかりと血を受け継いできていた。
 Jリーグクラブが下部組織を持つ理由。いくつかあるだろうがぼくの中にそれはひとつしかない。それは紛れもなくトップチーム強化のためだ。クラブのフィロソフィーや戦略・戦術を若い選手たちにしっかりと叩き込む。
 プロになって ― もしくは二種登録であったとしても ― Jリーグの試合ですぐにでも活躍できるプレーヤーを育てることを必要とされている育成機関なのである。
 なのでアカデミーに対してのサポーターの立ち位置などについてもぼくは構想を持っていたし、セレッソ大阪の一〇〇年後の未来にとって、もっとも大事な要素のひとつでもあるなと常々思っていた ― それでも今ひとつ情熱を注ぎ込むまでには至っていなかったけど。
 真剣にアカデミーを応援するようになったのはちょうどこの時期だった。それまでも何人かの選手が下部組織からトップチームに昇格する機会があったけれど、出場して活躍するまでにはなかなか至っていなかったのが紛れもない事実だ。高校を卒業して(高校在学中だったらもっと)いきなりプロの世界で一〇〇パーセントやっていけるなんてそれこそ奇跡のようなものなのだろう。
 学生スポーツの延長線で考えたりしていたら間違いなく消えてくことになる、そんなシビアな世界でもあるのだとぼくも充分にわかっているつもりだった。

 きっかけになったのはある食事会だった。三年前、セレッソ大阪へとやってきたあの御方が仕組んだ(のかどうかは定かではないけどぼくらにはまんまと乗せられている感が胸のなかに確かにあった)会合にはクラブの関係者そしてぼくらサポーターが同席した。
 とにかくこの頃のセレッソ大阪は大きな変革のときを迎えていた。バイエルン・ミュンヘンと業務提携はファンのみならずJリーグ全体を驚愕させた(あのバイエルン・ミュンヘンだぞ!あのチャンピオンズリーグで「カンプ・ノウの悲劇」に泣いたことなんてほんの些細なイレギュラーだ。いや、その程度で名声を落とすようなやわなクラブではない。何といってもドイツ・ブンデスリーガの巨星なのだ)。
 トップチームはファンセを失ったけれど、選手の層としては充実の一途を辿っている。まあ何と言っても前述したおの御方がすべてを変えていっているとも言い切れる(思いっ切り揉めたりもするけれど、愛を持って接してくれる親父のような存在だ)。
 さらに前年からはアカデミーの構造改革も進んでいたのだから、それこそぼくのテンションが高ぶらないはずがなかった。
 そんななかでの食事会なのである(この場所にはバイエルン・ミュンヘンの御方も同席していた。何という奇跡なのだろう)。
 元来ぼくはクラブや選手とサポーターは切り離して考えるべきだという思考プロセスを持っている。だから選手ともつながることもそれほど多くはなかった(これは説明が稚拙すぎる。常にフラットを標榜していたわけだからそもそもつながる気すらぼくにはないのだ。まあ出会ってしまったときは仕方ないのだろうけど、セレッソ大阪の現役選手と一緒に飯を食うなんて百万年先でも考えたりすることはないと今ここで誓える)。
 そういった心理状態下で、この集まりは一体どんな対話になっていくのだろうか。いささか不安でもあり、実のところ楽しみでもあった。やはり、人と人が交わればそこには希望が生まれる。

 あの御方のような素晴らしい大人に何度も叱られたり勇気づけられたりしながら、セレッソ大阪サポーターとしてのライフをぼくは生きてきた(割合で行くと叱られ率が八〇パーセントで残りが二〇パーセント。どこまでいってもぼくのライフはパレートだ)。
 大阪〇六が〇六六になろうとも(厳密には〇六は変わっておらず市内局番が四桁になったのだけど)大阪府に日本初の女性府知事が誕生しようとも、サポーターライフとしてのぼくの方向性は何ひとつ変わることはなかった。
 そんな、井の中の蛙のようなマインドを目の前にして、アカデミー監督は言葉を発した。鎖国状態にも似たぼくを威嚇するかのように。これまでのセレッソ大阪サポーターとしての生活、セレッソライフを根底から見直させるきっかけのために。
「クラブを愛しているのならトップを応援するだけじゃ駄目なんだ」
「サポーターはいつでもアカデミーに気にかけてやらなければならない」
「試合会場、そこに君たちがいるからこそ彼らは強くなるんだ」
「アカデミーが強くなることで必然的にクラブが強くなっていくんだよ」
 正直、ぼくは目が覚める思いがした。
 朝、目覚まし時計を何個用意しても起きられない体質だけれど、これほどまではっきりと意識を取り戻すことができるアラームをアカデミー監督は持参していたとは。たった四つの言葉でこれまでの奢りというぼくの眠気を見事にぶっ飛ばしていった。まるで幕末期に日本へとやってきたマシュー・ペリー率いる米国艦隊のようだった。
 この六年間、試合の勝ち負けに一喜一憂して、勝ったら勝ったで馬鹿騒ぎし、負けたら負けたで誰か犯人を見つけたりする。そんなどうしようもないサポーターライフをなぜ歩んできたのだろう。ぼくは何度も何度も歯噛みしてしまった。
 アカデミー選手が育っていないと散々クラブに言い続けた文句は、黒船から飛んでくる大砲の弾となって今、自分自身に向かってまっすぐに飛んできている。
 またしても、結局のところぼくは何にもわかっちゃいなかった。アカデミーの選手が育たないのはサポーターであるぼくにも大きな原因があったのだ。
 湯水の如くマネーを使えるようなそこいらのビッグクラブとはセレッソ大阪は根本的に違うのだ。だからこそ育てなきゃならない。育てて、次世代のセレッソ大阪を支えてもらわなければならない。
 こんな単純な社会の循環に今の今まで気づかなかったぼくの愚かさだけが、海の藻屑のように目の前でプカプカと漂っている。そんな能天気なサポーターに向けて、怒りの開国をアカデミー監督は迫ったのだった。

 サポーターがトップチームのことを思うだけで強くなるわけはけっしてない。だからこそセレッソ大阪すべてのカテゴリーに対して今まで以上に愛情を注いでいく必要があるのだ。
 この日を境にぼくはより多くのアカデミーの試合を見に行くようになった。一八歳以下のカテゴリーだけでは無く、一五歳や一二歳のセレッソ大阪プレーヤーの卵たちの試合にも足を運ぶようになっていった。
 トップチーム同様の応援は存在しないとしても、選手に声をかけ、励まし、ときにはプロ生活を意識させるような言葉をぶつけた。
 大阪の真のプロサッカークラブになっていくために、そして、大阪の真のウルトラスになっていくためにも、この儀式は避けては通れなかったのだ(それでも、たとえこのカテゴリーであったとしてもぼくの信条である”選手とは近づき過ぎない”を正しく実践していった)。
 そんな大事なことに気づかせてくれた大人の方たちに感謝するほかなかった。
 これまでの目先の目標だけでなく、遠い未来を見つめる目。サポーターにはそれも必要だ。
 これまでの結果ばかりを追い求める自分を脱ぎ捨てる日が来たのだろう。侍の世が終わり、刀を捨て、着物を脱ぎ、スーツと革靴とシルクハットで正装する日がそこにはあった。
 それでも、これまでのサポーターライフ、セレッソライフにもいいところはたくさん存在している。明治政府が徳川時代の良さを継承できたように、たとえアカデミー維新が到来したとしても、双方を上手く補完しながら新たな世を構築していくことができるはずだ。
 自分の考えだけではなく、より多くのセレッソ大阪サポーターと力を合わせることができたならば、それは絶対に可能なのだとぼくは確信した。
 アカデミー選手とセレッソオリジナルズのサポーターがクラブと深く関わっていけるように、ここからは組織の礎となっていかなければならない。できるかできないか、ではなく、やるかやらないか、だ。
 最大級の思いを持ってセレッソ大阪を愛していく。そんな熱い気持ちを胸に、二〇〇〇年シーズンという維新の夜明けをぼくは迎えようとしていた。

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