見出し画像

#34 コンクールがよくない理由を教えてやんよ

先日こんな記事を書きました。みんな大好き鳥居みゆきと冨岡義勇が登場します。

ここで私は、
・目的があるなら欲張らずにさっさとそれをやる(遠回りしない)
・受け手に基準を合わせない
ということを結論した、というか、教訓として(勝手に)学びました。
その一つである「受け手に基準を合わせない」ということについて今日は書きたくなったので、やっていこうと思います。

率直に言って、
受け手に基準を合わせる=生殺与奪の権を他人に握らせる
ことだと私は感じており、それが望ましくないことだとも思っています。
前々から思っていたことで言うと、例えば、音楽コンクール。
あれは何のためにやっているのですか。
そこで、箔をつけて、キャリアアップして、仕事を貰うつもりですか。
なるほど、それが上手くいけば、ステイタスとカネが得られるかもしれませんね。
でも、そんなの楽しいですか?幸せになれるんですか?
そんな「○○コンクール入賞」「世界の○○が認めた奇才!」などという情報でしか物事の良し悪しを判断できない連中にもてはやされたところで、つまらないでしょう。
一時は満たされるかもしれませんが、じきにバカバカしくなりますよ。
くだらないおしゃべりに辟易として、虚無状態になるのではないですか。
俗物に付き合っていては、こころが摩耗して、疲弊します。
更に、そんな連中が企画する仕事なんてつまらないに決まっています。そして、恐らくそこにはつまらない客が集まるでしょう。
それで、クオリティ、上がりますか? やりがい、得られますか?
あなたは、一体なんのためにそれをやっているのですか?
・・・・だから、基準は他者に合わせないほうがいい。
それが、「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」ということです。
しかし、コンクールが絶対悪だというのもまた極論でしょう。(私も鬼ではありません。)
「賞レースで一番を取るのが楽しくてたまらない」
「他者から認められることが楽しくてたまらない」
あるいは、
「○○という審査員に自分を売り込みたい」
という場合などにコンクールに出場するのがいいのではないでしょうか。
その人の気持ち次第ですね。本心から出たいのであれば、常に正解です。それから、音楽にスポーツ的なコンペティションとしての側面があることも事実でしょう。それを楽しんでいる人を否定することは私にはできません。

これ、学歴にも共通することですね。
高学歴はすごい、などと思う連中はつまりません。
彼らは自分で責任を負うこと(=本音をいうこと)に恐れていますから、真贋が解らないんです。いや、白状すると、私もよく解らないんですけど、でも感性の鍛錬ぐらいはしていますよ。今は拙くとも、いずれは自分で判断できるようになりたいんです。(ひきこもり状態なのに、いっちょまえに自立心は高めなのですね。)
彼らは自ら積極的に、生殺与奪の権を他人に握らせてしまっています。
そうすると、恐らく楽なのでしょう。だから学歴とか受賞歴といったものを参照し過ぎてしまう。最早、依存ですね。
自分で判断するということは、自己責任になりますから。
でも、自己を隠蔽すると精神衛生上あまりよろしくない気がしますけどね。私は楽はいいことだと思っていますが、副作用のある類の楽もあるのです。刹那的な享楽がその典型ですよね。そういうものは大概リバウンドがあります。
ところで、学歴詐称のニュースが時折報道されますけれども、あれは如何に自分基準で物事を判断できない人が多いかを物語っていますよね。
ニーチェに怒られますよ、きっと。実存を無視するなと。あと、ベーコンあたりも相当うんざりするんでしょうね、、、、商売などイドラの見本市みたいなところがありますから。通販の広告を見てごらんなさい。
いや、彼らの名前を出すのはやめましょう。私は哲学などというものはよく解りませんから。背伸びすると足がつって転びます。ですからそれはインテリ文化人に任せましょう。あたしゃ、しがないひきこもり風情ですから・・・・(と言いながら、踵を返し、静かに立ち去る)
まぁ、でも「学が無い輩の高校レベルの倫理の復習を傾聴するボランティア」だと思って最後まで読んで下さると幸いです。
そんな慈悲深い、人情味あふれるあなたが私は大好きです。
そして、もしも楽しんでくださった読者がいるならば、この上ない幸せです。
マイプレジャー。至上の喜び。


※本記事は個人の感想です。

いやはや、すごいですよね。ひきこもりに起因する乏しい社会経験を、妄想という力技で補強して、さも経験者であるかのように、しかも偉そうに、ここまで言い切ってしまうのですから。私って、すごい。しかもシラフで書いてますからね。すごいでしょ、あ、別に褒めてくれても構わないんですよ。


追記:
この記事も著名人が書いたことにすれば、啓蒙に満ちた素晴らしくありがたいものと化すのでしょうね。
自分の非力さを痛感します。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?