マガジンのカバー画像

昔のカンボジア写真館

21
運営しているクリエイター

#プノンペン

【昔のカンボジア】23 ゴミ拾いの親子

【昔のカンボジア】23 ゴミ拾いの親子

空き缶や銅線などの資源ゴミを回収する親子です。プノンペン中心部にも、まだスラム化しているエリアが複数ありました。皆が貧しかった時代が終わり、この頃から貧富の格差が顕在化してきたように思います。2005年頃。

当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。

【昔のカンボジア】22 プノンペンの日本橋

【昔のカンボジア】22 プノンペンの日本橋

プノンペンの通称日本橋、正式には日本カンボジア友好橋です。1枚目の写真右奥がプノンペン中心部です。高層ビルはまだ1つも見えません。日本の無償援助で修復するときに歩道に休息スペースが作られました。平和になって、橋の途中で景色を愛でれますようにとの思いを込めたものだったと聞いていますが、その後潰され、警備小屋が作られてしまいました。今はどうなっているのでしょうか。
あれから四半世紀が経ち、交通量も増え

もっとみる
【昔のカンボジア】22 プノンペンの日本カンボジア友好橋(1994年)

【昔のカンボジア】22 プノンペンの日本カンボジア友好橋(1994年)

プノンペンの日本カンボジア友好橋です。写真右奥がプノンペン中心部ですが、高層ビルは1つも見えません。カンボジアの戦後賠償の放棄を受けて、日本が支援したプロジェクトの1つです。内戦により壊れていた橋を、1990年代に日本の無償援助で修復しました。その際に、平和になったカンボジアで橋の上からのんびり街を眺めてほしいとの思いから、休息スペースがデザインされました。残念ながらその後潰され、警備小屋が作られ

もっとみる
シアヌークビルへの高速道路の今昔

シアヌークビルへの高速道路の今昔

昨年、中国企業によりシアヌークビルへの高速道路が開通し、カンボジア初の高速道路と認識されている方も多いと思います。実は「高速道路(highway)」と名付けられたカンボジア最初の道路は、1959年に開通していました。

今回の中国企業と同じく、首都プノンペンからシアヌークビルまでの道路がアメリカの支援で開通し、「クメール・アメリカ友好高速道路」と名付けられています。国連暫定統治により新生カンボジア

もっとみる
【昔のカンボジア】16 オルセイ市場付近

【昔のカンボジア】16 オルセイ市場付近

プノンペン中心部、111通りです。画面左の空き地は現在のオルセイ市場です。この時期は改築準備中で、オリンピックスタジアムの敷地内(現在のオリンピアシティー)で、仮設営業中でした。まだまだ新しい建造物がなく、内戦前からの古い町並みが残っていました。1995年。

【昔のカンボジア】17 野党大躍進の選挙運動(2017年)

【昔のカンボジア】17 野党大躍進の選挙運動(2017年)

2017年地方選挙の野党の選挙運動の光景です。この選挙での躍進を受けて、政治的な圧力が強まり、野党は非合法化されました。会見風景の写真は、選挙前日の国家選挙管理委員会による事前総括の会見です。政府から参加した内務省高官が最前列に座っているのがわかります。

当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。クリックにご協力ください。

【昔のカンボジア】5  1998年のデモ

【昔のカンボジア】5 1998年のデモ

7月事変の翌年、1998年の第2回国民議会選挙の際の野党支持者のデモ行進です。国民の政治参加へのエネルギーが強い時期でした。

【昔のカンボジア】6 王宮前の川辺(1994年)

【昔のカンボジア】6 王宮前の川辺(1994年)

王宮前のサップ川の川辺です。奥にはカンボジアーナホテルの前に係留されていたカジノ船ナガが見えます。この頃は、王宮前でも釣りをしたり、洗濯したり、水浴びする人もいました。1994年。

【昔のカンボジア】1 プノンペンの大通り

【昔のカンボジア】1 プノンペンの大通り

まずはこれから。アチャミン通りがモニボン通りに名前が変わった頃の写真です。ニアックポアンホテルから撮影。右側にCanonの看板がかかっている雑居ビルは、今は大手財閥となっているRoyal Groupの当時の本社です。
1994年。