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シアヌークビルへの高速道路の今昔
昨年、中国企業によりシアヌークビルへの高速道路が開通し、カンボジア初の高速道路と認識されている方も多いと思います。実は「高速道路(highway)」と名付けられたカンボジア最初の道路は、1959年に開通していました。
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今回の中国企業と同じく、首都プノンペンからシアヌークビルまでの道路がアメリカの支援で開通し、「クメール・アメリカ友好高速道路」と名付けられています。国連暫定統治により新生カンボジア王国となった後には、アメリカの支援により再整備され国道4号線となり、交通量が少なかった1990年代にはプノンペンからシアヌークビルへは3時間での移動が可能になりました。私も快適に何度も移動した記憶があります。
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時を経て道路の状況は劣化し、また交通量が増える中で、移動時間は長くなり、時には7時間かかるようになりました。2005年頃からでしょうか、政府と契約を結んだカンボジアの政治家が保有する企業による有料運営に移行しましたが、道路の整備や拡張は不十分な状況でした。既存の有料道路への投資や高速道路計画については、長年支援をしてきた日本政府や日本の企業にも提案がありましたが、残念ながら実を結びませんでした。結局は有料道路は撤廃され、新たに高速道路を作る計画は、中国企業によるBOT契約となりました。
アメリカの支援による、カンボジア初の高速道路は、時を経て塗り替えられ、中国の一帯一路構想の一部となる道路へと変容したことになります。昨年11月にプノンペンで開催されたアセアン首脳会議に参加した中国の李克強首相は、プノンペンで準備された開通式典に参加しました。しかしながら、アメリカのバイデン大統領も同じプノンペンに来て会議に参加することになっており、米中関係も良好とは言えない状況で、このような経緯にも配慮して大がかりにすることを控えたのか、国内外で注目されている事業にも関わらず、報道も含め目立たない対応でした。
投稿のタイトルを「今昔」としましたが、新たに開設された中国企業による高速道路については、多くの方が、ブログやSNSで投稿されていますので、割愛します。
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