ただ孤独に生きるひと

生きづらさビジネスと 勘違い運命に翻弄され 気づけば本格的に人生詰んでしまった人。 …

ただ孤独に生きるひと

生きづらさビジネスと 勘違い運命に翻弄され 気づけば本格的に人生詰んでしまった人。 社会の中で普通の人として生きるには? 人生とは結局?? 自称プロ・なんちゃって専門家なカウンセラーやヒーラー等々に 真顔で騙され、散財してようやく分かってきたこと。

最近の記事

滲み出る本性を読み解く

一言、「あ、そうだったの、ごめんねー」 軽ーい感じでも、そう言ってれば、 「いえいえー、お互いさまですよね」 で終わることもある。 「いや、そうじゃなくて!」 自分が潔白であることを証明しようと必死になるヤツ。 すぐ第三者を巻き込みヤツ。 正しさにこだわるヤツ。 必ず、何かしらの後ろめたさを抱えている。 他人のミスに過剰とも言える反応をするヤツ。 「もー、こんなミスされたら、私のクビが飛ぶ〜。 どうしよう〜。 教え方が悪いのかなー」 言葉とは裏腹に、 ど

    • おひとよし脱却

      「そんな扱いを受けることは、到底容認できません」 本日、別の場所で、2回も表明してきた。 もちろん細かい内容は違うけど。 目の前から消えろとも、 それこそ扱いを変えろとも言うつもりもなければ、 私自身が、今いる場所から離れるつもりもない。 相手に変われとも 自分が変わろうとも思わない。 ただ、今いる場所において、 存在を軽んじた態度を示された。 いい加減なことをされた。 それに対して、 「あなたの私に対する態度を、私自身は容認しません」と 目を見据えて

      • ほんとの魅力

        お金がなくなった途端、人が離れていった。 離れていった人は、お金目当ての、所詮その程度の人だった。  的な話を、 かつては、ふむふむ、そうだなーくらいに 普通に聞いていたけど、 最近は、違うことを思う。 それより何より、 お金がないと相手にされなかった、 あなた自身の人格に問題はないのか? そう自問自答した方が良いよね。 何も持たない自分が、他人に相手にされるほど魅力的? 何もなくなった人間にだけ与えられる、 とっても素敵な、地獄の問答。 向き合える人

        • クズの背比べ

          他人のミスとか他人の欠点とか他人の至らない所。 そっから生じるいろんなこと。 それを利用して その人を貶めようとしたり はたまた自分の評価を上げようとしたり。 そういうことをしたときは、 それをやった本人に きちんと返ってる。 要は 自分を価値を貶めることになったり 他人の評価を上げることになったり   ちゃんとそういうことが起こる。 信じられないなら、 まず自分が、 他人をダメなところをあげつらって、 その他人を貶めたり 自分をよく見られようとす

          出すぎても、無能には通じない

          お小遣い稼ぎ程度の ご自身の承認欲求満たすことが第一目的な 仕事レベルのひっくーーい 無能パートオバチャンたちには あなたたちが叩くには、出過ぎている杭だとも 気付けないようだ。 こんな無能な底辺なんて、、、 かつてはそんな風に自分のことを思っていた。 周囲の人間はとてつもなく素晴らしい人たちに見えて 上の中にもさらに上はいる現実もよく見えて 自分よりひどい人間なんていないと感じてた。 無能な上に無気力で 社会不適合なのは分かってるのに それを隠して

          出すぎても、無能には通じない

          所有物意識

          一人暮らしをしていると 田舎の親から、いろいろ農作物的なものが送られてくる。 語り方によっては 離れても子を思う、親の気持ち的な 感動話の一つにでもなるでしょうか。 若い頃、私のところにも、過剰な量の実家産農作物送られてきていた。 保存できるようなものならまだしも、 果物だったりするので、 多すぎて食べられない、腐るだけだと伝えても 頭が悪く理解できないのでしょう、 毎回大量に送りつけてくる。 「迷惑だから送ってくるな」と伝えたところで、 親の気持ちが受

          コミュニケーションの極意

          人に好かれるか嫌われるか とか あの人が好きか嫌いか とか そーいうのは 一旦脇に置いて 今ここで自分は何をするのか 何をするためにここに来たのか そのために自分は何をすればよいのか それだけを大事にする。 それを大事にしようとしたら、 自分に足りてないものが見えてくる。 すると、誰に何を聞けばよいのかもハッキリする。 そういうところから発生させたコミュニケーションは、 けっこう良質で、心地よい。 内心は、考え方が合わなかったり めちゃくちゃ苦手

          コミュニケーションの極意

          愛は必要なものなのか。

          ※ここで言ってる「愛」は、愛情のこと。 「親に嫌われない方法」を考えなくては、 生きていけなかった子供は 地獄を生きるのではないか。 そんな仮説を立ててみた。 嫌われない方法が処世術となれば 常に「嫌われる」が隣にあるのだ。 どうしたら嫌われないか? その正解の振る舞いを探せば探すほど、 「正しい」振る舞いは、針穴ほどに小さくなり、 常に「間違えた振る舞い=嫌われる」に飲み込まれる。 「嫌われたら生きていけない」 言語を習得する前に獲得済みの、 ものすごく

          愛は必要なものなのか。

          真面目な労働がイチバン。

          変な夢を見た。 初めから最後まで覚えてるけど とっても変なので とても描き綴れるような内容ではないのだけど 最後の最後だけ、めちゃくちゃ分かりやすかった。 「引き寄せの法則とか言ってるヤツがいかにアレなのか」 ということを、私が力説して終わったのだ。 他人に口弁を垂れるのは、とっても気持ち良い。 マウント取れるもんね。 他人を否定して、持論を述べるってね、 めちゃくちゃ高揚感に浸れるよね。 他人が知らないことを、さも知ったかのように教えるのも 他人が信

          真面目な労働がイチバン。

          毒親はすぐそばに

          一見普通の、ただのパートのオバチャン。 隣の部署にいた頃から、顔と名前は知っていたけど、 ほんとに、どこにでもいるただのパートのオバチャンだった。 だけど、一緒のグループで働くようになり、 なんだかおかしいなぁとは、うすうす感じていた。 コイツ、共依存じゃね?? だけど、そんなおかしさを感じているのは多分私くらいで 誰からも非難されたりすることもなければ 褒められるようなこともない たぶん、大部分の人が「普通に良い人」みたいな評価をするであろう感じ。 ある日

          他人は変えず、自分が変わる

          ①「あー、この人はなるべくしてこういう人なんだ。 スキルもない。 さらにコミュニケーションの努力もできない。 だからこそ、そういう人なのね」 そう心底見切ってしまえば、 その人に対して怒ることはなくなる。 「この人はこういう人だから」ってことで、 じゃあ自分がどうすれば上手く仕事が回るか、ってことを考える。 それが結果的に業務改善に繋がっていく。 ②ある人は、自分よりレベルの低い人間がいることが嬉しくて仕方がない。 その人から生じる不都合を取り上げて、 その人がいな

          他人は変えず、自分が変わる

          他人は変えず、自分が変わる

          ①「あー、この人はなるべくしてこういう人なんだ。 スキルもない。 さらにコミュニケーションの努力もできない。 だからこそ、そういう人なのね」 そう心底見切ってしまえば、 その人に対して怒ることはなくなる。 「この人はこういう人だから」ってことで、 じゃあ自分がどうすれば上手く仕事が回るか、ってことを考える。 それが結果的に業務改善に繋がっていく。 ②ある人は、自分よりレベルの低い人間がいることが嬉しくて仕方がない。 その人から生じる不都合を取り上げて、 その人がいな

          他人は変えず、自分が変わる

          ひっくり返った世界の中で

          愕然とする。 世の中、本気で変な人たちばかり。 下には下がいて こんな人たちが、自分の権利を大なり小なり主張しながら のうのうと生きてるんだなぁ。。。 底辺と言われるには、 それなりの理由があるのだなぁ 底辺に飛び込んだ自分が、実際にその世界を数年体験した感想。 たまーに「社会的弱者」みたいな方の人生が ネットの記事なんかになっていて たいてい、政治やら社会やらが悪い、みたいなまとめ方になっているけど そういう弱者になるにはその人自身に理由がある場合も多いの

          ひっくり返った世界の中で

          毒親から与えられるもの

          愛情ではなく執着。 以前働いていた、超絶人間関係の悪い職場に 人間味のない冷たーい感じの変な感じの男性がいて その人は事あるごとに、 自分の娘がいかに大事な存在であるかを、 しきりに説いていた。 職場に家族なんて関係ないんだけど なぜか敢えて家族の話を持ち出してくるのだ。 なんとなく不自然感があるけど へぇーと聞くしかなかった。 ある日、ある人が 「娘ちゃん、大きくなったら悪い男に引っかからないようにねー」 と、軽ーい冗談を言った。 ら、 烈火の如く起こり出し

          毒親から与えられるもの

          人生がひっくり返っていく

          人生を変える 言うのは簡単なんだ。 人生変わりました も 人生変えられます も。 そう簡単に言ってる人間の どれほどが 本当の意味で人生を変えたことがあるのか。 空気よりもかっるーい脳から発せられる 「人生が変わります」のふれ込みに 騙されてからようやく気づく。 昨日までの敵が、 味方になるのは、 とても嬉しい。 昨日までの味方が 敵になるのは、 とても悲しい。 悲しみの昇華の仕方が分からない。

          人生がひっくり返っていく

          職業に貴賤はない

          って、ずっと信じてきた。 つもり だったんだけどなー だけど、私のその一見美しい(と思うこと自体がもうアウトだけど)信念のようなものは、 単なる共依存的発想の一部で 自分の価値観の中で賤に当たるような職業の人を見下した上での、 同情心だったのだ。 そう思い知らされるような場面に遭遇して そんな卑しい発想の自分に直面し またこの世から去りたくなるのだ。 去らないけど。 そんな同情心に気づき、認めることって 言うほど簡単じゃない。 一見は、「正しい信念を