愛は必要なものなのか。
※ここで言ってる「愛」は、愛情のこと。
「親に嫌われない方法」を考えなくては、
生きていけなかった子供は
地獄を生きるのではないか。
そんな仮説を立ててみた。
嫌われない方法が処世術となれば
常に「嫌われる」が隣にあるのだ。
どうしたら嫌われないか?
その正解の振る舞いを探せば探すほど、
「正しい」振る舞いは、針穴ほどに小さくなり、
常に「間違えた振る舞い=嫌われる」に飲み込まれる。
「嫌われたら生きていけない」
言語を習得する前に獲得済みの、
ものすごく深い恐怖に囚われている。
その恐怖も、
その恐怖に囚われている苦しみも、
いやというほど、知っている。
もし、人間として生まれた瞬間、
身体的にも頭脳的にも、
すでに成人として機能が発達していたら、、、
生まれた瞬間に、
すでに今の自分と同じように
二足歩行で歩き、
言語を理解し話すことができ、
自分で働き、
ご飯を食べることができたなら。
親に嫌われようが見捨てられようが、
そんなことはどうでもよくて。
多分、淡々と自分を生かすために、
自分のために自分で行動してただろう。
なんて事を考えていると、
誰からも愛されてなくても
今を淡々と生きればいい
ってことになる。
こんなにも、「親から愛されたかった」と
無意識に求めているのは、
愛されなければ、
面倒を見てもらえなければ
即死んでしまうという、
無力な赤ちゃん時代の名残。
意外と、というか、現に
誰からも愛されず
誰も愛さず
普通に生きてる自分がここにいる。
とりあえずなんであれ、死ぬまで生きるしかない今となっては
持っているものが少なければ少ないほど
最強なのかもしれない。
別に好きで強くあるわけでもないけど。
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