他人は変えず、自分が変わる

①「あー、この人はなるべくしてこういう人なんだ。
スキルもない。
さらにコミュニケーションの努力もできない。
だからこそ、そういう人なのね」

そう心底見切ってしまえば、
その人に対して怒ることはなくなる。

「この人はこういう人だから」ってことで、
じゃあ自分がどうすれば上手く仕事が回るか、ってことを考える。

それが結果的に業務改善に繋がっていく。



②ある人は、自分よりレベルの低い人間がいることが嬉しくて仕方がない。

その人から生じる不都合を取り上げて、
その人がいない時に、周囲に、
「またこの人がこういうことをして、大変なんですよぉ〜」
なんて、陰口レベルで愚痴って
「あなたも大変ねー」なんて、同情してもらって満足げ。

そして、自分より出来の悪い人がいれば
自分の出来の悪さが目立たなくなる。
できない人の世話、という名目で、自分のアラも免除される。

自分より出来の悪い人間に対して優位に立てることで承認欲求が満たされて、
さらに周囲からは同情や応援の声なんかももらえる。

だから、その人本人への改善の働きかけはなし。

むしろ、ずっとそのままできない人でいてほしいので、
表面上、とても優しく良い人として接する。




③またある人は、本人を強く叱責する。

前も同じミスをしましたよね?
挨拶もできないんですか?
なぜすぐに報告しないんですか?

たいてい、この手の人は、初めはとても親切に丁寧に接している。

それでも相手側に改善がなく、
根気よく接する中で
だんだんと口調が強くなるのが特徴だ。

表面的な態度は冷たく厳しいが、
その人を思ってのこと、だったりする。

会社で、はたまた社会で、通用するような人間とは?というのを、教えよう、教えてあげねばっていう責任感が強いのだ。


④さらにある人は、初めから差別的だ。

自分より社会的な立場が下、能力が思っているっていうだけで、見下している。

挨拶しても無視するけど
無視されるからと、挨拶しなかったら叱責するとか

質問や報告しても、超絶冷たい反応。

そんなことも分からないの?できないの?自分で判断できないの?

もちろん自己判断したらしたで、それは全否定。

ツンとした態度で取り付く島もない。


③の人が、やがて④になることも少なくないだろう。


①②は他人を変えようとはしない。
③④は他人を変えようとする
(④は他人を究極に変えようとした結果=排除)


人としてまともなのはどれなのかね。



どの立場も私がやってきたことだ。
そして逆にやられたこともある。


②ほど胸糞悪いものはないけど、
一番ラクだし、社会的に角は立たないよね。

ワタシは②を自分がやっていることに気づいて、
自分に嫌気がして離職したこともある。

そういうラクな立場に溺れてしまうと
気づいたとて、そこでやり直すのは難しかった。


そしてここ数年でようやく①のような立場もあるのだと、開眼したのだけど。



「自分が変われば他人も変わる」的なアレなんて
もってのほかだなと思う。

結局は自分の都合の良いように他人を変えたいだけ。


「他人が変わらないとして、自分が変わる。」

それは時に理不尽で腹立たしいことだ。

自分のメンタルが破壊されかねない局面もある。

しかし、真に自分の傲慢さやアホさ等々と直面し認めた上で、
それが体得できれば、

ある種の無敵さを得られる気がする。



赤ちゃんに振り回されることができた親だけ、
真の親子の絆を作り出せるんじゃないかなと
そんなことも思うのだ。

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