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邪道作家第8巻 人類未来を虐殺しろ!!

前書き

狂気と執念が無い奴に、大作を書くなど不可能だ。

当たり前だ。大体が普通の人間で満足できるなら、作品なんぞ書くべきではない。
むしろ、何を思って目指すのか不思議だ。楽して儲けられるのであれば、それに越した事はないだろうに。

順風満帆、実に結構。

私は真逆だったが••••••まあ、そういう意味では、それらを学ぶ上ではとても役に立つ、のかもしれない。私自身はこちらが「自然体」なので、そうでない人生の方がよく知らん。

狂気か••••••普通の人間、人の善性なんてものの方が不思議だ。
余程、その方が異常じゃないか? 笑いながら殺し合う、それが人間の歴史だ。

そうでない貴様らの方が、過去からすれば異常だろうよ


   0

 狂気を武器にしろ。
 誰にでも持ち得る「武器」それは狂気だ。どんな環境に生まれようがどれだけ「持たざる側」であろうが、どれだけ人間から離れている、人間性のない化け物であろうが・・・・・・狂気は持てる。
 万人に与えられた「武器」だ。 
 それこそが力であり、人生の充実だ。
 生きる事を自覚したい? なら、狂気を身に纏えばいい。私のように「何を手にしたところで」幸福になれない化け物ですら、狂気を持つことで人生を「充実」させられる。
 無理矢理にでも。
 可能になるのだ。
 それが、狂気。
 それこそが「人間の本質」であり、人間の向かう先なのだろう。だからこそ、歴史を変え、人を変え、運命を変えるとすれば、狂気にまみれた人間だけだ。
 狂気こそが。
 不可能を可能にする。
 悪魔に憑かれたかのように、同じ事を繰り返す。何度も何度も。「成功するまで」繰り返し続ける。
 それが不可能でも。
 可能になるまで続ける。まさに道化だ。私などその良い例だろう。嫌だ嫌だ書きたくない書きたくないと思いつつも、背負った業はそう簡単に捨てられるモノではない。「作家」という「業」そして「狂気」という「指針」が、私を私たらしめる存在証明だ。
 私には「心」が無い。だがそんな私でも持てる・・・・・・いや、そんな私だからこそ持てる。
 「心」を「捨てる」ことで手に出来る武器、それが狂気だからだ。狂気とは、己の全存在を賭けて、一つの目的へ挑むことだ。
 ささやかなストレスすら許さない、平穏なる生活。そして「生きる」ことを「充実」させる。
 それが私の目的だ。
 金にもなっていない物語を書き連ねることでしか表現できない、私の証だ。
 だからって売れなくて言い訳ではないがな。売れるに越したことはない。売れてこその物語だという考えに、嘘はない。
 狂気とて、同じ事だ。
 形にならねば意味がない。
 そういう意味では、だが・・・・・・私は生きる上で本来求めるべき「生きた証」というモノを、既に達成できている。それについて達成感はまるでないが、感じるつもりもないが、あるに越したことはないだろう。
 どうでもいい。
 問題は、金だ。
 目的にするほど、目的とは達成できない。結ばれることそのものを目的とする女が、目先の人間すら見えないのとは違う。
 私は金を追ってきた。
 だが、その結果得られたモノは、およそ金とは関係がない、どころか「真逆」と言っていいモノばかりだ。それは「誇り」であり「信念」であり「狂気」であり「業」であり「生き方」であり、そして・・・・・・「生きるとは何か」を知る旅そのものだった。
 皮肉なことだ。
 金を得た人間が、得られずに苦悩するモノばかりを、私は手にしてきたのだ。本当に皮肉だ。そんなもの求めてすらいなかったが、何かを求めてそれをすぐに手に入れる成功者と、それに行き着くまでの間、長い長い遠回りを強いられ、何かを学び続ける道を歩かざるを得ない人間、いや、私のことを人間と呼べるのかは知らないが、つまり世の中の道は二種類と言うことなのだろう。
 結果を得て物足りなさを感じる人間。
 結果に至るまで遠回りが必要な人間。
 前者でありたかったが、今更言っても仕方がない。遠回りをしたところで「人間的な成長」などと言う戯れ言ほど、私に不必要な上、意味の無いモノはあるまい。
 私個人が必要とすらしていない。
 別にしたくもないのだから。
 だから、意味はなく価値はない。
 けれど、物語としては一見の価値があることを「保証」しよう。それこそ、物語の狂気に呑まれ正気を失ってしまうかもしれないが、なに、生きている時点で正気など、誰一人として持ち合わせてはいないものだ。
 それが生きるということだ。
 私はそうしてきた。
 押しつけるつもりもないが、その事実から逃げることは難しいだろう。生きている以上、生きること空は逃げられない。
 それが、人生というものだ。
 まぁ、私自身はそういう人間賛歌よりは実利を求める人間だが、そんな人間からでも見えるモノはあるということだ。さて、始めようか。
 邪道作家最後の物語を。なんて、こんな嘘に騙されているようじゃ、お前達、読み終わったときに正気を保てる保証は無いぜ。
 
 語り手は、他でもない「私」なのだから。

   1

 とはいえ、何の役にも立たないのも事実だ。
 大体が、この世界というのは「成し遂げた事」に対して「それ相応の対価」を払えるように出来ていない。だからこそ、努力は無駄に終わるのだ・・・・・・人がやり遂げた事柄は、それに対して世界が何か責任を果たすことなど、無い。世界は手を抜いて出来ている。
 無能こそが世界の本質だ。
 等価不交換、その事実は生きていれば分かるだろう。未だかつて人間がやったことに対して、相応しい扱いなどあっただろうか? 無い。歴史を荒探しても無いだろう。どうでもいいこと、中身のないゴミこそを高く買い、高く売り、そしてそれらを評価してきたからこその人類だ。世界は、ランダム性によって構築される。
 だから成功に意味はない。
 失敗に意味はない。
 ただの運不運だ。
 運命の有る無しさえ、運不運でしかない。
 何か成し遂げたから自分は成功したのだ、と、そう思いこみたいだけだ。実際には、努力も労力も「結果」に関与することはない。ただ偶然に、運が良かった人間を選ぶだけだ。
 無作為に適当に、選ばれるだけ。
 失敗作の硬貨のようなモノだ。
 狂気はそんな中で輝かしい真実に見えるが、真実か否かさえ、関係ない。「結果」が「全て」の世の中だ。そして、結果とは幸運の賜物である。「本当にそう思いますか?」
 神を気取った、いや、正体などどうでもいいことだ。問題は、その女が神の目線を持っていることだろう。その女は神社で掃き掃除をするのにも飽きたのか、今回は私を建物内に案内し、茶菓子と共に出迎えるのだった。
 赤い布みたいなモノが机に掛けられており、如何にもな雰囲気だけは出ていた。それが内実を伴っているのかは、私には関係ないが。
「当然だろう。他に何がある」
「私は世界の全てを知っているわけではありませんが、それでも言えることがあります。運命には必ず意味があり、宿命には必ず因果がある」
「つまりどういうことだ」
 もっと分かりやすく説明しろ。
 私にも分かるくらいにだ。
「貴方が・・・・・・「作家」としての宿業に振り回されていることすらも、全て後の成功の為だということです」
「言い訳は終わりか?」
 この女はやけにこの世界の肩を持つ。
 だが、それは詭弁であり言い訳だ。
「後の為だと? どうとでも言えるな。そして、どうとでも言えることに価値はない、意味すらもな」
「そうでしょうか」
「そうだ」
 いいから依頼だけ言えばいいのだ。という態度がカンに触ったらしく、中々話を切り出さない。 面倒な奴だ。
 いや、面倒なのはいつも女か。
 現実味がない夢物語に、夢見るだけで良いというのだから、暢気なものだ。そんな態度を私は隠すつもりにもならなかった。
 いい加減、この女の言い分も聞き飽きたしな。「その「後」って奴は、私の人生には来なかったぞ。それともこれから先にあると言い訳するか? 馬鹿馬鹿しい。未来の可能性に逃げるなど、ただの卑怯者以外に何がある」
「可能性を信じない人間に、成功はありません」 むすっとした顔で茶を啜り、そんな事を女は言った。だから何だって感じだが。
「下らん。お前は口に出すだけで、何の行動もせずに茶を飲んでくつろいでいればいいのだろうさ・・・・・・現実に「それ」を行動し実行した人間からすれば、たまったものではないがな」
「・・・・・・・・・・・・」
 暗い、俯いた表情で、女は黙った。綺麗事を並べ立ててはいるが、本人が一番分かっているのだろう。自分の言葉に重みが欠けることを。
「私は、ただ」
「ただ、何だ? 役に立とうとでも? だが、同じ事さ。「結果」に関与しない気持ちなど、ないも同然だ。お前が何を思っていようが、どれだけ憐憫の情を勝手に抱いて行動しようが、私の結末には何の関係もない。お前がテレビを見て茶を啜って遊びほうけていようが、必死に頑張っていようが私の人生には関与しない」
 だからどうでもいい。
 持つ側の余裕ある台詞など。
 聞いてなくても同じだ。
 耳障りなだけだ。
 実利を、求めているのだから。
「良く、「気持ちがこもっている分価値がある」などと言う言葉を吐く馬鹿がいるが、そんなモノに価値はない。何の意味もない。お前がどういう心境で、私に「憐憫」だとか「哀れみ」だとかを身勝手に感じ取ったのか知らないが、うざったいだけだ。役に立たない女の戯れ言など、聞いているだけで鬱陶しい」
「・・・・・・「始末」の依頼があるでしょう?」
「ふん、どうかな・・・・・・それも、意味のあることとは、思えなくなってきた。所詮私の意志とは関係がない。どうでもいいことだ、そして、私個人が目指す「目的」を果たせないならば、長生きしようが僅かばかりの金を貰おうが、意味なんて、どこにもない」
 やっていてもいなくても、まるで等価だ。
 なにせ、肝心の私の目的が、それで蔑ろにされるというなら、意味なんてあるはずがない。
 あってたまるか。
 私は奴隷ではないのだ。
「それは」
 そうですが、と弱々しく女は答えた。
 私のあり方はこういう存在からでさえ、無駄の極みなのだろうか・・・・・・そうでもなければ、あんな下らない綺麗事くらいしか、私のような生き詰まった人間に、非人間に掛ける言葉は、無いのかもしれないが。
 無駄は無駄。
 だから、綺麗事くらいしか、向こうも返せないし、返すつもりも恐らく無い。あったとして、気持ちだけ高くあられても迷惑だ。下らない。
「何もかも無駄だった、か。言葉にすれば簡単だが、「作家」を志した行為そのものが無駄だとすれば、私の存在そのものすら、いや、私が自身で選んだ道すらも、また、無駄なモノなのか」
「そんなこと」
「ありませんよ、ってか。そんな安い言葉しか返せないと言うなら、何も喋らない方がまだマシだと思うぜ」
 実際、私は綺麗事など聞きたくもない。
 聞く気もない。
 押しつけられて、来ただけだ。
 ますます申し訳なさそうな顔をする女だった。「そんな顔をされたところで、意味なんか無い。頑張っているから許される、と思いこんで何もしない人間と同じ、ただの言い訳だ」
「・・・・・・そうですね」
 貴方のような人間を生み出してしまったこと、それに対して責任はあるでしょう。そんな言葉を続けていたが、それなら最初から何とかしておけよと、思わざるを得なかった。
「責任を感じるだけなら簡単だ。責任を取るかが重要だろう」
 もっとも、この女に責任を追及すべきなのかどうなのか、私には計りかねるが。だとしても、尚更勝手に責任感だけ募らされても、ただ迷惑で意味不明なだけだが。
「ええ。貴方は私が責任を持って面倒を見ますよ・・・・・・貴方が幸福だと、自信をもって言える、その日まで」
「その日が過ぎたらお別れか?」
 そうなると、この依頼形態も消滅するのだろうか? だとしたら、また別の方策を探さねばならないのだろうが。
「いいえ」
 と言って女は振り向きながら。
「貴方という人間に、私は付いて行きましょう」「・・・・・・?」  
 意味が分からないが。
 まぁ、どうでもいいか。
 そんな日は来ない。
 だから、考えるに値しない。
 どうでもいいことだ。
「お前は何か勘違いしていないか? 私は、私の作品と私自身の未来を確信しているさ。そうあるべきではなく、そうであって当然だとな。信じられないのは作家である私に本を売らせようとしたり、作品を認める目がなかったり、私の傑作に対して立ち読みして金も払わず満足したりする、お前達のことだ。お前もそうだ。信じるにはまるで値しない。何か小綺麗な言葉を吐いたら、それで満足していないか? お前がそんな風に「それらしい台詞」を吐いたところで、私の人生には何一つ関係がないんだよ」
「それも、そうですね」
 べつに助けるつもりもありませんし、と女は続けた。なら、何で綺麗事ばかり言うのだろう? 正直鬱陶しいのだが。
 実際に行動している人間は、綺麗事が無意味なゴミであることを、知っている。
「私はただ、貴方という人間を評価しているだけですよ」
「ありがとう。別に役にも立たないから、嬉しくも何ともないがね」
「そうやって、物事を「役に立つか立たないか」で判断して楽しいのですか?」
「残念なことに、役に立たない奴とつるんでも、得られるモノはないと、既に学び終わっているのでな」
 「始末」の依頼もこれから引き受け続けるべきなのか、正直微妙なところだ。私はあくまでも、作品を金に換えて平穏な生活をしたいわけであって、このままこき使われたいわけではない。
 奴隷と同じではないか。
 みたいなものではなく、同じだ。
 それで綺麗事を聞かされるなど、死んだ方が遙かにマシだ。真面目に作家なんてやっている人間からすれば、そんな不真面目な台詞を吐いて、生きることと向き合わないでいる奴が美味しい思いをしているというならば、生きることが既に、無駄でしかない。
「貴方はどうして・・・・・・人を、世界を、世の中の仕組みを信じないのですか?」
「信じるに値する出来事が、生憎一度も無かったからな。人を、世界を、世の中の仕組みを「信じて欲しい」なんて傲慢ではないか。こちらはせっせと作品を書いて、己の狂気を形にしてまで金を稼ごうとしているのに、今までクソの役にも立たなかったゴミクズが、「私を少し信じてみてくれないか、そうすればきっと上手く行くから」なんてどこの振興宗教だ? もしかしてお前等、私に言い訳でもしているのか?」
 散々だったくせに、人間を世界をその仕組みに「実は」大きな意味があって「これから」それらが働いてくるんだよ、なんて。
 今まで駄目だったことに言い訳しているだけだ・・・・・・金の貸し借りと信頼は似ている。私は散々やるだけの事をやった、そして今まで何一つとして返ってくることは無かった。そこへ図々しくも金をせびっているのだ。
 一体どの部分が信じられるのだ?
 私を使い潰したいだけではないか。
「断っておくが・・・・・・私でなくても、実際に何か一つのことをやり遂げた人間が、そんな子供の言い訳みたいな台詞を、真に受けることは無い。例え実際にそうだとしても、そんな台詞で満足するような奴は、そもそもやるべき事をやり遂げていないだろう」
「そんなことは」
 いいませんよ、と思い出したかのように茶菓子を摘む。・・・・・・こういうモノは別腹だと良く聞くが、太らないのだろうか?
 神に脂肪分はあるのか?
 ・・・・・・下らないことを考えてしまった。しかしこんな甘いモノを食べられる、そして大量に食べる女という生物は、やはり根っから別の生き物なのだと改めて思った。
 女は理想を見る。
 男は現実を見る。
 まぁ、最近の社会では男も女も夢ばかりって感じだが・・・・・・理想と現実は違うものだ。作家という肩書きに夢を見る馬鹿も多いが、ちやほやされたいのか何なのか知らないが、作家なんてロクなモノではない。
 金にならなければ奴隷もいいところだ。
 強いて言えば、だが・・・・・・自己満足の手法としては、良いのかもしれない。無論、私は元々が金目的なのだから、儲からなければ嬉しくも何ともないが。
 金、金、金だ。
 金にならない物語など、噺にならん。
 このお高く止まっている女だって、窮地に陥れば金の力を思い知るだろう。どれだけ金の力を信じていなかろうが関係ない。金とは、実際的な力そのものだ。従いたくなくても、従わざるを得なくなるモノだ。
 銀行が潰れればそれで終わりだが、それならそれでまた商売でも始めるしかない。まぁ、作家に本を書く事以外を求められたところで、無駄に終わるのだろうが。
 最近、本を書くこと以外を求められてきたが、金になった試しがない。作家に他の労働能力など期待するんじゃない。本を書くことと邪魔者をこの世界から「始末」すること。それが作家の本分であり、それ以外を求めるのは道理に反する。
 道理に反するモノを、求められても迷惑なだけだ。無茶を言うな。

「お前達の言う「綺麗事」や「言い訳」が、一度として金になったことが、あるのか?」

 私が言いたいのはそういうことだ。
 それだけだ。
「貴方は、お金が欲しいんですか?」
「ああ、そうだ」
「嘘つき、ですね」
「金は欲しいさ」
「必要なだけでしょう?」
「何度も、同じ事を言わすな。私はただ、物語の対価に金が欲しいだけだ。「あって当然」なのだ・・・・・・こんな風に言い争うのが、馬鹿馬鹿しい噺なのだ、本来なら、金を貰ってから考えるべき、事柄だしな」
「貴方は、自分の物語がそこまで素晴らしい、とどうして信じられるのですか?」
 案外、ただ実力不足なだけかもしれないではないですか、などと愚問を聞くのだった。
「ふん、下らん。「実力不足」だと? そんな程度の低い言い訳しか出ないのか。これでは何を伝えたところで「無駄」って気もするが、教えておいてやろう。まず、売れる売れないに実力は関係ない。売れるから、売る手法が確立され大勢の人間を「騙す」から、売れるのだ」
「大勢の人間を感動させて、ではなく?」
「そうだ。「素晴らしいかのように」思わせることで、物語は売れる」
「そういうやりかたを、一番嫌っているではありませんか」
「だとしても、同じ事だ。売れなければ、な。あるいは売れて金になれば、と言えばいいのか。いずれにしてもそれが「事実」だ。事実から目をそらせるほど、「持つ側」にはいなかったのでな。それに、己の物語を信じられるか、だと?
 間抜けが。いいか

 己の成し遂げた己の「物語」だ。

 それを信じるのは当然だ。「己を信じる」など前提に過ぎない。そして、それが受け入れられないならば、受け入れる度量と技術が、相手側に足りないだけだ。糾弾すべきは情けない力不足のカス共であり、己の物語性を疑うことなど、無い」 それが、作家だ。
 あるいは、邪道作家と呼ぶべきか。
 だからこその、「私」だ。
 そうでなくては、つまらない。
 面白く、無いではないか。
「貴方は、強いですね」
「おべんちゃらを言われたところで、嬉しくもないな。喜んで欲しいなら、金を払えばいい」
 私は簡単に喜ぶぞ。札束を渡されれば、その事で当分楽しく悩むだろう。まずは温泉にでも行こうか、いや、何か娯楽を買うのもいい。古いモノは好きだから、単純で奥の深いゲームでも買うのもいいだろう。釣りに出かけるのもありだ。何より、面白い物語を、買うとしよう。
 人生は、金で買えるのだから。
 それはまごう事なき「事実」だ。
 だからこそ、金は面白い。
 あればあるほど、幅が増える。
 生きるための、道の数と、その幅が。
「大金を掴んだところで、人生は何も変わりはしませんよ」
「だろうな。別にこの「私」がどうなるわけでもない。だが、とりあえずその辺のお高いカフェでケーキを買うくらいのことは、出来るさ」
 私が望むのはその程度だ。
 別に、何か高級なモノを買いたいわけではない・・・・・・目標とする生き方と、それに付随する充実を手にしたいだけだ。
「金を得た先に充実などありませんよ。金はあらゆるモノを与えますが、目的に向かって邁進すること、それにより得られる充足感は、得ることが出来ません」
「そうでもないさ。それは、金で得ようとするからだろう? 私は物語を書いて充足を得る。それでも執筆が辛ければ物語を読めばいい。いずれにしても「金があるから何か不幸がある」というのは思い違いだ。金そのものに罪悪など無い。金を扱いきれるかどうかだ」
「貴方は扱えるのですか?」
「さあな。だが、別に買いたいモノが無い以上、そしてそれ以上に優先すべき「目的」があるのだから、無駄使いする理由がどこにもない」
 強いて言えば「健康」だろうか? それには金を使いそうだ。漢方とか、針灸とか。ああいうのは利便性の大きいこの世界では、淘汰される事が非常に多い。まともな腕の人間には、結構な金がかかるものだ。
 毎日受けるわけでも、無いのだろうが。
 やれば健康になるという訳でもあるまい。
 あくまで補助の、気休めだ。
 そしてそれで構わない。
 金も、同じだ。
「人生が平穏かどうかなど、金があったところで分かるはずもない。戦争でも起これば、それで国家が倒れればそれまでだ」
「そこまでわかっていながら」
「分かっているからこそだ。どうでもいい事に、私は振り回されたくない。私の人生は私のモノだからな。金がなければ、誰かの都合で生きるはめになる。そんなのは御免だ」
 利用されて、搾取されて、奪われる。例え少なかろうが問題ではないのだ。私は、そんな下らない事をしながら、人生を終えるつもりはない。
 何が何でも、己を通して生きる。
 それが「生きる」ということではないのか?
 そうでなくて、生きていると、呼べるのか?
 私はそう思う。
 強く。
 そう思うのだ。
 だからこそ「金」であり、所詮この世は自己満足・・・・・・自己満足の充実を得る為の方法として、「作家業」を「成功させる」ことも、やはり必須の作業だ。
 作業。
 まさにそれだ。
 必要に応じてするだけだ。
「金で買えないモノは無い。買おうとしていないだけだ。金とは万能の手段であり、燃料だ。地面にいるなら必要ないが、空を飛ぶなら無くてはなるまい。空を飛ぶ夢を見ることは出来るだろうが生憎、私はそれでは満足できないのでな」
「空高く飛びすぎた人間の末路は、身の程を知らずに焼かれるだけですよ」
「そこまで飛ぶつもりもない。それでは私の目的から大きく逸れてしまうからな。それでは意味がない・・・・・・低く、それでいて効率よく、ゆっくりと楽しみながら、飛べればそれでいいのさ」
「止めませんが、よした方がいいと思います」
「ほう、何故だ」
 何故か、女は実体験がこもっているかのような含蓄のある顔で、こう言った。
「金は人を狂わせますから。己の最良を越えたことを可能にする力。それがあれば己を高く見過ぎてしまう。貴方とは違う意味で、金を持った人間というのは、己を高く見てしまうものです。そしてそれに溺れ、足下を救われてしまう」
 まさに海で「水が大量にある」と言いながら、足をつって深さを考えず、溺れる若者のようなものでしょうか、と上手いこと言うのだった。
 何だ、この女・・・・・・やけに上手い比喩だが、まさか作家志望ではあるまいな。私には少々、そちらの方が気になったが。
 まぁその時は、それを更に越える作家に、成ればいい噺か。
「構わんよ。私は海に出ても、読書をしながら適当に時間をつぶして軽く泳ぐだけで、満足できる人間だからな。度を超えた快楽や浪費など、疲れるだけだ。想像するのは面白いが、実際にするのは御免被る」
 体力が無い、という訳ではない。ただ、私は他の人間が楽しいと思うモノを、楽しめない人間だ・・・・・・確かめるまでも無く、その他大勢が求めて止まないモノなど、私には必要すらない。
 実際に手にすれば、つまらないだけだ。
「なら、貴方は・・・・・・いいえ、平穏な生活、が目的でしたか」
「その通りだ」
「なら、度を超した金など必要ないのでは?」
「無いな。だが、作家というのは不定期な収入しか入らないからな。だからこそ、ある程度は金の入りを良くしておきたい」
 作品の執筆に急かされて、豊かな生活が享受できないのでは、噺にならない。金が定期的に、それこそ生活に必要な分入ればいいのだろうが、資本主義社会で一定の金額を常に得るのは、非常に困難だと言える。
 だからこそだ。
 それ以外に何の理由がある?
「随分と、小さい理由ですね」
「私にとってはそれが「全て」だ」
 無論、私の判断基準など気分次第で変わるので明日には変わるかもしれないが。少なくとも金を手にした後に他の何か、それこそ面白い物語を優先して求めることはあるだろう。
 金は持っていれば、優先して求めるモノでは、無くなるからな。価値が変わるわけではないし、軽んじるつもりもないが。
 だからこその「私」だ。
 今日の日を、そして未来を楽しむ為に、私は金を求めるのだ。私個人の目的の為に。
 それが「私」だ。
「所謂「価値観」って奴は「どこにも存在さえしないもの、だ。「国家」も「経済」も「安定」も「平和」も「戦争」も「仲間」も「敵」も全て、どこにも存在しない」
 経済とは、どこにも存在しない概念だ。そんなモノはどこにもない。金も、存在している訳ではないのだ。
 それを皆が盲信しているだけ。
「つまり人類が最も信じているのは「神」や「天国」ではなく「金」なのだ。皆がそう信じるからこそ「力」を持つ。実際にはただ古びた紙、あるいはデータの打ち込まれた磁気カードでも、それを信じる人間が多ければ「力」になる」
「そんな力が欲しいのですか?」
「いいや。ただ、そんな力があれば平穏に生きられる。なければ、平穏からは遠ざかる」
 ただの、それだけだ。
「金を持つ方が騒音は五月蠅くなると、経験からそう言えますが」
「それは金そのものではなく「権力」だろう。まぁそこまでの大金は必要ない。要は、私個人が自己満足しながら充実できる程度の金、それを私の作品群が稼いでくれればそれでいい」
 最も、それが出来れば苦労もしないが。
 中々、物語とは金にならないものだ。
「ですが、貴方が金を手にしたとして、その時には「持つ側」に貴方は回っているのでは? それにそうなった貴方が、今と同じ「面白い作品」を書けるとは思えませんが」
「出来るよ。金を持っても面白い作品を書き上げる人間は、確かにいる。人生を通してやり遂げている人間は、そういうものらしい。それに、別に私は誰かに評価されたくて書いている訳でも、まして人として成長したい訳でも無い」
 ただ、豊かさと平穏を手にしつつ、自己満足の充実で、楽しんでいきたいだけだ。
 世界一小さな望みと言っていい。
 それも、叶う兆候はまるでないが。
 叶える、などと言うと神頼みみたいに聞こえるが、私は作家として出来ることはやり遂げているし成し終えている。だから相応しい報酬が未払いのまま、とでも言えばいいのか。
 言い方なんてどうでもいいが。
 どう言おうと、事実は事実だ。
 何が変わる訳でもない。
「結末は目に見えていますがね。貴方の言う金で平穏を買ったところで、次は「充実」の為に、また作品を書き取材する、だけですよ。理由が「金が欲しい」から「人生の充実の為」に変わるだけです」
 理由が変われどやることは同じ。
 構わない。
 金がないよりは、その方がいい。
「構わないさ。金がないよりはマシだ」
「どう違うのですか?」
「そうだな、取材ついでに美味しい食べ物でも、食べるとするさ」
「はぁ・・・・・・」
 仕方のない生き物だ、とでも思われたのだろう・・・・・・肩こそ落とさなかったが、そんな感じの受け答えだった。
 理解されたいとも別に思わないので、構わないがな。ある方が面白いのは事実だ。いっそ作者取材ついでに珍味でも探すか。
 それもまた、彼女からすれば同じで、求めるだけ意味のないこと、金を手にしたところで、何が変わるわけでもない、と思うのだろうが。
 構わない。
 それでも私は。
 金が欲しい。
「本当に「欲しい」のですか?」
「さぁな。いや、無いと困る、が正解かもな」
「そこまで分かっておきながら」
「だからこそだ。いらない事でつまらないストレスをためたくないのでな。何より、私はその為に書き上げたんだ。それに金が払われない事が、正当化されてたまるか」
「それも、そうですね」
 何より現実問題、金を持たないわけにも行かない。それでも生活は出来るだろうが、別に私は自分で農場を営み、自給自足がしたい訳ではないのだから。
 それでは根本から解決されていない。
 何の為に作品を書いたのかという噺だ。
 売って売って売りまくる。物語はその為にゼロから作り上げられた。次はそれを形にする時なのだ。だからこその「邪道作家」だ。
 金の無い作家など笑えない。
 悪い冗談、だ。
「・・・・・・単に、「諦めることが出来ない」から、続けることを「狂気」と呼ぶのかもしれないな。私は、「それ」を諦めたくても、諦めることが出来ない」
「そうなのですか?」
「そうさ。私はただ、同じ道を人より長く歩いているだけだ。それでも欲しいモノは欲しい。これだけ長い道のりを歩いて、何の実利にも成りませんでしたじゃ、報われないだろ」
「報いを求めて始めたのですか?」
 いいや、と答えようとしたが「そうかもしれない」と私は答えた。
 どうなのだろう。
 だが、必要なのはまた「事実」か。
 やめることが出来ないことも、だが。
「電流を与えられ続けると、それに最初は抵抗するが、何度も何度も繰り返すと「諦める」らしいな。私はそこへ行くと、電流を流され続けても、同じ行動を繰り返してきた」
 そりゃ死人に成って当然だ。
 成らない方がどうかしている。
 我ながら、そう思う。
「貴方は、生きる事が、辛いのですか?」
「いいや、別に?」
 ほとんど適当、というか何も考えずに私はそう答えた。実際どうかは分からないが。
 だから、こう付け加えることにした。
「金さえあれば、な」
「そうですか・・・・・・」
 呆れられたのだろうか? だとしても、私が私の意志でしたこと。それに対して私自身は、決して卑下するつもりはない。
 例えどう言われようとも、「見る目の無い奴らだ」と笑ってやるだけだ。
 虚勢を張るだけなら、金はかからないからな。 誰にでも出来ることだ。無論、やるかどうかは本来別問題なのだろうが。
「貴方は何故、そんなに楽しそうなのですか?」「? と言うと」
「貴方は、この世界に何一つとして信じるモノが存在しない。自身の未来さえも、それで正気でいられるのは」
「だから狂気なのではないか?」
「なら、何故狂っているからと言って、それで楽しそうに出来るのですか?」
 世界の善意は偽物で、それを知っている癖に、と・・・・・・女は問うのだった。
「下らん。確かに世界は偽物だ。この世界に信じるべき「本物」など有りはしない。全てが全て、嘘八百の紛い物だ」
「なら、どうして」
「決まっている。まずは「金」だ。それに、金が絡まなくても「嘘」や「裏切り」そして「悪」ほど面白いモノはない。悪であるほど面白い。嘘をつき人を騙し、裏切り、殺し、自覚した上で悪を自認する人間ほど最高だ。
 
 悪の方が、面白い。

 私は生まれながら「悪い」人間だ。こんな人間として、いや「非人間」の存在そのものが「悪」だろう。だが「面白い」私にはそれで十分だ」
「そんな、理由で」
「下らん。お前が悪と呼ばれたのか善と呼ばれたのか知らないが、私にとってはそれが全てだ。金と面白さがあれば、どうでもいいことだ」
 まぁ、それを手に出来ていないのだから、どうでも良くない状況に追い込まれていると言えるのだろうが。
 やれやれ、参った、困るのは苦手だ。
 どうせ困ったところで解決しないしな。
「だから「金」だ、金があれば平穏が買える。元が非人間かどうかなど「どうでもいい」ことだ。金の力で幸福を買ってやればいいだけだ」
 私にはそれが出来る。
 金があれば、だが。
 自己満足には金が必要だ。この世は所詮自己満足。何をしようが何を成そうが、他者から見れば価値の無いゴミだ。だが、それに価値を持たせようとするならば、金の力が必要だ。
 金が伴って初めて「価値」を創造できる。
 それでこそ面白いというものだ。
 何であれ、自己満足でやり遂げて、そしてそれに付随する札束を数える。考えているだけで面白く、楽しい噺だ。
 私は楽しさなんて感じないが、少なくともそう振る舞える。人間の物まねもいいところだが、他でもない私個人がそれでいいのだ。問題あるまい・・・・・・人間でないなら人間の物まねをしつつ、それなりに豊かで充実して生きるだけだ。
 ただの、それだけ。
 何一つとして、珍しくもない。
 世の中そういうものだ。
 私の依頼内容にしたって同じだ。大げさに語るほどのモノではない。人間が人間を殺すことを大げさに皆、騒ぎ立てるが、私に言わせれば人間も家畜も同じモノだ。生き物でしかない。そして人間などどうせどこかその辺で死んでいるのだから善人ぶって大げさに喚く人間の方がどうかしていると、思わざるを得ない。
 法律で決まっていて、社会の雰囲気で決まっているだけだ。法が変わり時代が変われば、敵の首をひっさげて雄叫びでもあげるだろうしな。
 釈明するつもりもないが、大げさに語るつもりもない。法に触れていない以上、道徳的などと言う言い訳で、どうこう指図される覚えもない。
 道徳、下らん・・・・・・どうせ人から聞いた道徳ではないか。己で律した訳でもない。世の中全体が殺人を肯定していれば肯定するモノだ。まぁどうでもいいがな。
 人間が人間を殺すことなど、どうでもいい。
 殺したところで、あの世があったとして、それが罪悪だと吠える神とやらがいたとして、それはただ偉い奴が自分のルールを押し通しているだけだ。別にそれに正しさなど無い。正しさとは所詮それを通せる立場が通すものでしかない。
 権力者が人を虐げるのも。神が人間に道徳を強制するのも、私からすればまるで等価だ。
 何の違いもない。
 まぁ構わない。神なんて頭の悪そうな生き物がいたところで、私の人生には関係ない。実利に関与しない以上、いてもいなくても同じだ。
 あろうがなかろうが、同じだ。
 仮に神なんてのがいたとしても、人間の権力者と何も変わらない。偉いのは立場であって、別に当人が偉く素晴らしい訳ではない。
 その辺の人間と同じだ。
 自身の都合を通すという点では、同じだ。
 欲望にまみれた人間と、何も変わらない。
 そもそも何故殺人を悪だと思うのか、不思議でならない。どうせ何百億といて、代わりは幾らでも効き、そしてどうせ殺されたってすぐに忘れるではないか。権利や主張だけ叫ぶ人間というのはどうも、ただ我が儘なだけにしか見えない。
 大体が人間を増やすことこそ悪徳ではないか。環境を破壊し資源を貪り、ロクな発明をしないし仲間内で団結できない。悪とは人間そのものだ。そんな生き物を増やすよりは、減らした方が良いのではないだろうか。
 まぁこんなのは思考遊びで、どうでもいいことだ。実際、何が正しいか何が悪か、それは当人の脳の内部にしかない。
 だからどうでもいい。
 押しつけられるのが嫌いなだけだ。
 それも、誰かに聞いた自分のモノですらない主張に、邪魔されるのはな。私個人の好き嫌いでしかない。人殺しがどうか、など、その程度の価値しか無いのだ。夏休みの宿題みたいなものだ。やってもいいがやらなくてもいい。殺人に対して道義的に問題を感じるというのは、つまりそんな暇なことに悩めている、ということだろう。
 小学生が考えていればいい話題だ。
 少なくとも、大人が考えることではあるまい。殺人や神、信じるべき道の選択。それは十代の頃に考える事柄だ。大人は実利だけ追いかけていればいいから、そういう意味では気楽だが。
 本当にな。
「まったく、人を自覚的な被害者みたいに言うなよな。そういう先入観でモノを見るなよ。もしかしたら、私は罪悪感に苛まされながら、それでも必死に金を求めているだけかも、しれないぜ」
「ああ、そうですか」
 死ぬほど興味がなさそうだった。
「貴方は変わりませんね」
「そうなのか?」
 そんなのは他人の主観でしかない。変わる変わらないなど知ったことではない。私はカメレオンではないのだ。
 どうでもいい。
 変化すらも、だ。
「まぁ、殺人に対しても、金を求める姿勢も、おおよそはこんな感じか。私個人としては、だが・・・・・・平均的な一般人と、私自身は何も変わらないのだがね」
 狂っているだけだ。 
 他はその他大勢と変わらない。
 無論、間違っていても金は払わないし、別に私の言動を保証もしない、と保険を置いておこう。「一般人が泣きますね」
「そうか? 私みたいな人間は幾らでもいるだろう。大体その辺の人間を十人集めれば、一人か二人は」
「いません」
 断言された。
「何故そう思う?」
「人間は、貴方のように「考えることが出来ないように作られている」生き物だからです。貴方のように開き直ることが、まず難しい」
「まぁ、特別か普通かなど、どうでもいいことだがな。気にする方がどうかしている。問題なのは実利だ」
 些細な事だ。
 人が人を殺すことも、私のような人間が沢山いるかどうかも、些細な問題だ。
 私個人の金の量に比べれば、実に些細でどうでも良い問題でしかない。
「空も飛べないただの人間だがな」
「空も飛べない癖に、鳥を落とすから問題なのですよ。貴方は」
 どういう比喩だろう。
「貴方は、人に影響を与えすぎる」
「そんな馬鹿な」
 私の影響なんて受けた奴が、いるのか? 正直信じ難いが。そもそも私は人嫌いだ。ほとんど、仕事以外で人に会うことなど無い。
「心外だな、私ほど人に影響を与えない人間も、珍しいと思うが」
「そうでもありません。現に、貴方と関わった人間は、多かれ少なかれ貴方の狂気に触れてしまっている」
「ふぅん」
「貴方は、危険です。相手が何であれ、影響を与えることが出来る。それも絶大な・・・・・・その思想が広まれば、多かれ少なかれ混乱は起きます」
「心外だな。それに、仮にそうだったとして、私に何の問題がある?」
「それですよ。貴方には「限度」が無い。概念として存在さえしない。だから、何でも考えることが出来る。限度のない想像力。無意識かでブレーキを掛けて「考えないように」することすらも、貴方は暇つぶし感覚で考え、しかも実行する」
「それに何の問題がある?」
「ありますよ。極論、貴方は人類を滅ぼす方法をえげつなく考えつき、ちょっとした暇つぶしで実行する恐れすらある」
「酷い言われようだな」
 考えはしても実行はしない。私の住む場所がなくなるではないか。海水を無尽蔵に浸食するウィルスのアイデアとか、そもそも人類を滅ぼすだけなら空気観戦するウィルスを、先進国へ木製のボートで運び、鳥などの移動する動物に感染させ、それをまっとうでない人間に頼むだけで良いのではないかとか、考えはしても実行しない。
 面倒ではないか。
 実際にそんなことすれば、疲れるぞ。
 それに人類を滅ぼすアイデアは、核弾頭のように簡単に出来るかもしれないが、それを現実に消化するとなると、幾ら何でも無理だろう。
 私が実行するメリットもない。
 どうだろう。いざ人類を滅ぼすアイデアを出せなどと言われても、難しそうではある。大げさだろう。幾ら何でも。
 私はそんな大層な人間ではない。
「大層な人間で無いのに、貴方はそういうアイデアを簡単に思いつく。だからこそ怖いのですよ」「勝手な噺だ」
 アイデアを出すだけだ。物語の中で、どれだけ人間が死のうが私には関係ない。
「貴方の場合、そのアイデアを実行されても、関係ないと、言うのでしょうね」
「だろうな」
 事実関係あるまい。そんなアイデアを実行する馬鹿の方がどうかしている。影響されなくても、どのみちそういう奴はすると思うが。
 噺を聞く限り、だが・・・・・・想像力がありすぎて不気味、ということか? 何とも、勝手なことを言うものだ。
 そんなので怖がられても、迷惑だが。
 開き直りが早いだけだ。
 別に珍しくもあるまい。
「私という人間を大きく見るのは勝手だが、それを押しつけられても困るな。私はただの非人間でしかない。どう思うかはお前達の勝手だ」
「です、ね」
 納得行かないようだった。
 これ以上何があるというのか。
「貴方のような人間が現れるのは、時代の節目だからかもしれませんね」
「また大げさな」
 奴だ。どう思おうが当人の勝手か。
 祭り上げられたくはないが。
 そのつもりもない。
「殺人をそんな風に捉えられる時点で、貴方は人間じゃありませんよ」
「そうなのか?」
 よく、分からないな。人間らしさとかいうモノは。考えれば分かるのだろうが、考えるのが非常に面倒くさい。
「罪悪感、は貴方にはないでしょうね」
「感じる心がないからな」
「人間は他者を殺めた際、罪悪感を抱くものです・・・・・・例えそれが命じられた行動であっても」
「下らないな。軽い気持ちで「何々の為」って大義名分で誤魔化して、後から事実と向き合っちゃって「こ、こんな事耐えられない」ってか。兵士というのは、理由が大層な割に、道徳を持ち込もうとするからな。それなら最初からなるなよって私は思うのだが」
「そんな風に考えられないから、人は悩むのですよ。兵士になる以上覚悟はしていた、なんて台詞をよく聞きますが、覚悟はしても理解してはいない、それが良くあるパターンです。だからサムライというこの始末家業も、罪悪感に潰される弱い人間では耐えられない」
「そんな理由だったのか」
 てっきり、人気がないからだと。いや、この噺は伏せておこう。わざわざ地雷を踏むのも、それはそれで面白そうだが、それは眠くない時にしよう。さっさと終わらせて眠りたい気分だ。いや、このままラーメンでも食べながら、夜遅くまで遊びほうけようか。
「罪悪感ね。罪悪感を抱くならやるなよな」
「貴方には無いのですか?」
「無い、な。元からそういうのを感じないと言うのもあるにはあるが、金を貰って労働をこなし、金を貰う。殺人そのものが良いか悪いかはその辺の暇な学者にでも任せるとして、私個人に何の不利益もない以上、誰が死のうが知ったことではないな」
「人を殺すのは悪いことですよ」
「だろうな。それが良い時代もあるが。そしてコロコロ変わる基準など知らん。悪事はバレなければ問題ないし、バレても罰せられないなら、私自身に関係ない。痛いのは相手であって、私ではないからな・・・・・・気にしろ、というのがもう既に無理な話だ」
 私に関係なく、かつ不利益にも成らず、それでいてどうでもいいどこかその辺の人間が、死んだから、だから何なのだ?
 人なんていつでも死んでいる。
 気にする方がどうかしている。
 道徳か? それこそどうでもいいが。道徳よりも金だ、金。悪いことだとして、私自身の利益になるなら、悪い部分は何もない。
 私にとっては、だが。
 相手? 知るか。
 それを気にしたら金になるのか?
「いっそ清々しいですね」
「ただの「事実」だ。事実も見ようとせずに、殺人を請け負って、後から後悔するような、無責任な変人よりは、マシだろうな」
 これも狂っているが故なのか。
 役に立たない技能だから、どうでもいいがな。「お前はいつも綺麗事ばかり言っているよな」
「綺麗事・・・・・・ですか」
「綺麗事なんてのに意味はない、何の価値も有りはしない。綺麗事を口にするのは何でも出来る。だから、綺麗事を口にする奴なんて、生きていても死んでいても、同じだ」
「私が、死人と同じだと?」
「他に誰がいる? もっともらしい事を口にしてはいるが、だから、何なのだ? なにもしていないのと同じ、いや、誰もいないのと同じだ」
「私は」
「なにをお前がしようとしていようが、同じだ。結果が伴わない信条など、ゴミ以下だ。お前はどうも、私の事を哀れんでいる節があるが、私から言わせればお前など、金が伴わなければ、居ない方がマシだ」
「そこまで」
「言うさ。事実だからな。綺麗事を言って役に立たないとはそういうことだ。お前はこの世界にはそれ以外に大切なモノが存在すると言いたいらしいが、金や結果の伴わない綺麗事が、金以上の価値を持つことなど決してない」
 それはただの詭弁だ。
 嘘でしかない。
 金は確かな力を持ち、人を豊かにするが、綺麗事は当人の自己満足だけだ。迷惑でしかない。
「まぁこうして依頼を受けてきたが、それも無駄に終わりそうだしな・・・・・・私もいい加減に、目的を諦めるべきなのだろうな」
「・・・・・・貴方はそれでいいのですか?」
「良くはないさ。消去法だよ。今までの人生で、私の意志が反映されたり、何かを変えたことなど一度もなかったのでな」
 無駄は無駄。
 生きることは、持たざる人間には、その権利すら与えられない、いや、与えると言うよりは、持とうとしても奪われる、が正解か。
 お前なんて生きるべきじゃない。
 どう言われようがどうでもいいが、結果無駄に終わるならば、面倒だし疲れる。私はどうでもいい無駄な事に、力を費やしたくはない。
 それが己の人生でもだ。
 いや、尚更、だろう。己の敗北が約束されている人生など、馬鹿馬鹿しくてやってられない。私でなければもっと早く、諦められている。
 狂人だからと使い潰されてはたまらない。
 私は奴隷ではないのだ。
 奴隷のようにしか、扱われたことはないが。
 いつだって、そうだった。
 これまでも、これからも。
 ずっとそうだ。
 言い訳のように、この女みたいな綺麗事だけを聞かされてきた。うんざりだ。何故やることをやり遂げた人間が、成し遂げる冪を成し遂げた人間が、情けない世界の言い訳を聞かなければならないのだ。
 嘆かわしい。
 なんて情けない世界だ。
「その程度の分際で、「未来に期待してくれ」なんて図々しいにもほどがある」
「なら、どうしますか。・・・・・・以前の申し出を、受けますか?」
「ああ」
 言っていたな、そういえば。魂を転成させてやる、だのと。
「そんなことをすれば、それはもう「私」ではないではないか。第一、出来ないことを提案するな・・・・・・綺麗事しか、お前にはどうせ言えない」
「・・・・・・」
 俯いて、何か考えているようだった。まぁどんな姿勢でいようが「実利」に絡まなければ、私からすれば何もしていないのと同じだが。
「そんな風に「実は気遣っている」みたいな態度をとられたところで、別に何も私を助ける訳ではないのだから、お前が爆笑しながらテレビを眺めていても、そうやってすまなさそうにしていても同じだぞ」
「それも、そうですね」
 ま、どうでもいい。この女が私を心配しているフリをして私から実利をかすめ取ろうとしていても、ただ心配していても、無駄なことだ。私の未来には何の関係もないのだから。
 いてもいなくても同じだ。
 所詮契約関係でしかない。
 契約以外に、価値はない。
 生きていても死んでいても、同じだ。
「・・・・・・こうして依頼を受けることが無駄でしかない以上、私としてはそうとしか言えないな。噺は聞くが、どうせ私の幸福には繋がらない」
 聞くだけ聞いて無駄なら途中で止めてしまうがそれでも構わないか、と聞いたのだが、「それでも構いません」との返事が来た。
 せいぜい適当にやるとしよう。
 成功しても失敗しても、どうせ無駄だ。
 いままでそうだった私が言うのだ。間違いない厳然たる「事実」だ。
「貴方ほど「どうしようもない悪」はいないでしょうね」
「結構。己の実利を捨てる善人よりはいい。それに、私は」
 悪の方が好きだからな、と笑うのだった。

   2

「貴方は常軌を逸しています」
 そう言うと女は、恐らくは標的の写真でも取りに行ったのだろう。少し席を外した。しかし、常軌を逸している、か。常軌を逸していない人間が書く物語なんて、面白くも何ともないと思うが。 常人にない発想を形にするからこその作家だ。 誰でもが思いつくモノを、形にして物語として語ったところで、誰が喜ぶのだ?
 女のヒステリーは、よく分からない。いや分かる必要もないだろう。そうすることでストレスを発散しているのだ。でなければ、作家に対して、常軌を逸しているなどと、頭の悪い質問はしないだろう。
 まぁどうでもいい。常識など所詮個々人の世界にしかあるまい。己のルールが通用すると思うのは勝手だが、それは当人の常識でしかないのだ。 世界は人によって見える景色すら違う。
 たったそれだけを何故理解できないのか。
 なんて頭の悪い奴らだ。スポンジで出来ているんじゃないのか? でなければ「生きる」事を、真面目に考えないなどどうかしている。
 余程暇なのだろう。
 私のように、能力以上の問題を求められなかった人間は、往々にしてそうなりがちだ。能力を持つのは良いが油断は禁物、ということか。
 あの女はどうも、人間に対して「過大評価」をしすぎる。人間を人間として、そのまま客観視する私からすれば、夢を見すぎだ。
 夢見がちな乙女じゃあるまいし。
 人間に良い部分など無い。
 男は欲望と野望しか考えてはいないし、女は欲望と夢想しか考えてはいない。政治家は利益だけを考えているし、民衆は何も考えてはいない。国家は個人のためにあるものだし、政府は搾取する為のモノだ。
 何一つとして価値はない。
 全て、幻想だ。
 面白い物語だけが、価値がある。
 面白い、からな。
 物語は、面白い。
 ある意味人類が共通の価値を感じる、というのは、かなり珍しい部類だろう。宗教でも同じモノを共有するのは難しいが、面白い物語に国境など有りはしない。
 どころか、アンドロイドも読みあさる。
 無論、私は金の方が大事だが・・・・・・人間が生きる事に価値はない、だからこそ価値すらない、数十年だか数十万年だかの「人の一生」を楽しみ続けるために、利便性の高いツールだ。
 この世に価値はないし、人間の一生にも意味などありはしない。だが、自己満足であれ何であれ「己の価値基準」を作り上げ「己の望む価値」を手にすることで「自己満足」できるなら、そしてそれに「金」が付随すれば、へたに価値のある生き様よりも、当人は満足できるだろう。
 我々の上に神とやらがいたとして、あるいはいなかったとして、どちらにしても意味も価値も、存在し得ないものだ。神がいれば、そんな雲の上の存在に左右される一生に価値など無い。神がいなかったとすれば、やはり何をしようが生物としての寿命が過ぎれば腐る為にしか存在し得ない。どちらにしても、当人の意志ほど軽んじられるモノはないだろう。
 それでも意味を求めるならば、自己満足の己の敷いた道で「満足」し、価値を求めるならば、ある程度の「充実」と「金」を付随させることで、そこそこの価値は出るだろう。
 いずれにしても「金」がなければ生きている意味も価値も、有りはしないが。
 世の中金だ。
 金で買えないモノはない。
 私が言うんだ間違いない。
 金、金、金。
 金以外に大切なモノなど、無い。
 断言できる。
 大切なものとは、金で代わりが効くからな。
 好意も愛情も金で動かせる。問題があるとすればやり方に問題があるだけだ。品性を買いたいならルールそのものを変えればいい。見苦しい醜悪さも「それが美徳」だと洗脳すればいい、共産主義なら良くあることだ。美醜ほど簡単に買えるモノはない。ハリボテのように中身が伴わないならば、中身があると相手に思わせればいい。
 大体が己の自己満足で何とか成る。
 成らないモノは金で買える。
 「金で買えないもの」とは言葉に誤りがある。「金で買えない」と言われる「愛」だの「道徳」だのは最初から存在しない。存在しないモノを買えるわけがないだろう、馬鹿が。
 あえて言うならルールを買えればいい。
 所詮愛も道徳も、どこにも存在しないモノだ。 常識を、書き換えれば良いだけだ。
 ビックブラザーに頼めばいい。実に簡単なことだ。「心までは手に入らない」と思うなら、その相手を完全な暗闇の中に閉じこめて、従うように音声データを流し続けるだけで良い。それで人間の心は買えるし、金があればそんな芸当も可能になるだろう。
 こんな仮定はどうでも良いがな。
 問題なのは「ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活」だ。隠遁すればいいだけだ。物語は自己満足の範囲で書けばいいしな。
 何も問題はない。
 問題があれば、いや「問題が全くない」という状況はある意味「何よりもストレスになる」可能性をはらんでいるのは百も承知だ。人間とは面倒なもので、例えば私とは真逆な人間ならば、だが・・・・・「非日常」に憧れてそういう刺激に満ちた生活を送りたいとか願い出すのだ。
 やめておけ。
 疲れるだけだぞ。
 人生において、起こらなくても良いトラブルばかり引き受けた私が言うんだ間違いない。何の変哲も無く、適当に何の目的意識を持たず、何かよく分からないままに人生を終える。その方が楽ではあると思う。
 無論、その反対も然りだ。反対というか、例えば平穏なる生活を手にしたはずなのに「何かが物足りない」などと刺激を再度求め始めたりするのだ。
 平穏が退屈だと言う人間は多い。
 何が不満なのだろうか。
 刺激が欲しいならゲームでもすればいい。
 人間は何もかもが「順調すぎる」と、どうしても「生きている実感」が得られないらしい。事実そういう人間は非常に多い。順風満帆なのに、生きることに手応えが足りない、などと自惚れて、そして転落していく。
 馬鹿じゃないのか。
 人生に手応えも何もあるか。
 無事終えるに越したことはない。
 刺激を人生に自ら求めるなど、それも適度な刺激でなく、身に余る刺激。分不相応にも程があるという噺だ。
 そういう意味ではバランスが取れているのだろうか? 有能すぎても、己の裁量を見極められず転落する人間。はたまた無能すぎてあらゆる選択肢が閉じられ、開こうとしても道が塞がれてしまう人間。
 神がいるかは知らないが、高いところから偉そうに指示を出す奴はどこにでもいる。人生も同じなのだ。

 自分よりも大きな「何か」

 それに左右されるのが「生きる」ことだ。神がいようがそれ以外であろうが、やっていることは何も変わらない。
 どれだけ足掻こうが、そんなものだ。
 勝てないモノには勝てない。
 せめて、味方に付けたいのだがな。
 個人の意志で、世界は変えられない。
 歴とした、「事実」だ。
 世界は「個人」を認めてはいない。
 認めない。
 そんなものだ。
 その輪廻からいい加減脱出したいものだが、どうもそれも上手く行かない。あの女からの依頼ももう、どれだけ「こなした」だろう。
 別にしたくてしている訳ではない。
 金の為必要だからしているだけだ。
 作家業とは、違う。
 違いすぎる。
 ただでさえ人の一生は短いのだ。やりたくもないことに、つまりどうでも良いことにあまり、時間を費やしたところで、何も得るはずがない。
 私は、そう生きてきた。
 これからもそうだ。
「金ほど生きる上で不必要なモノもありません」 と、戻ってくるなり女は言った。
 私は無視して噺を進める。
「それで、今回の「標的」は?」
 半ば投げやりだった。物語が売れない作家の心境というのは、投げやりな気分になる。経験から言って間違いないだろう。
 物語が金になっていない。
 だから私の気分は悪かった。
 物語でなくても、金になっていないが。
「これです」
「・・・・・・何だ、これは?」
 それは、白衣の男の写真だった。こんな普通の人間を殺すのに、私が動く必要はあるのか?
 雑用係ではないのだが。まぁ、やらされていることを考えれば、同じようなものか。
「こんな一般人を殺すのに」
「貴方の力が必要です」
 先んじて言われたが、しかしどの辺に私の力が必要だというのか。狙撃でも何でも、その辺の傭兵に依頼すればいいではないか。
「厳密には、その男だけではありません」
「そりゃあ面白いな。他に何人位いるんだ?」
「さあ・・・・・・数えられるような数ではないでしょう。惑星に住まう住人全てが含まれますから」
「どういうことだ?」
 まさか戦略兵器ではあるまいし、私一人で星を落とせとか言うのではないだろうな。出来なくはないが、疲れ果てる自信がある。理屈の上では、一人一人相手にすれば、私を越える戦力は無いのだから、可能だろう。だが、可能だからって何年も掛けて戦い続けて疲れる理由など、私には存在しないしやりたくもない。
 戦いは嫌いだ。
 疲れるし、勝っても金にならない。
 叩き潰して脅しても、復讐を考えられてはたまらない。かと言って、戦場ならとにかく、そうで無い所で相手を「始末」し続けるのは、私個人の倫理的には何の問題もないが、平穏な生活を送ることを考えると、大きな問題がある。
 サムライの力を手にしてから、無敵の肉体と無尽蔵の体力は保有しているのだが、だからと言ってマラソンが好きなわけではない。
 面倒ではないか。
「まさか、でもある意味ではそう言えるでしょう・・・・・・全員を相手にしなければなりませんから」 言って、「貴方はミュータントを知っていますか」と聞くのだった。
「知っているさ。「遺伝子操作」による「人類の人工的進化」を目的とした実験だろう」
「その前にこれを」
「なんだこれは」
 ワクチンか?
 とりあえず注射した。
「念のため最新のワクチンを注射しておいて貰います。ウィルス進化などそうそう起こるものでもありませんし」
「つまり、ミュータントが大勢いるのか」
 私は「不安」は理性だから持ち得るが「恐怖」は感情であるので理解できても共感できない。
 私の行動指針はあくまでも私利私欲の為、である。だから「不安」よりも「実利」が優先されるので、別に不安そのものは問題ではあるが、考えても仕方がない事だ。
 とはいえ、私の中に「不安」があるのは、あまり喜ばしいことでは無い。「不安」というのは、あらゆる喜びや平穏と対極にあるものだ。
 不安そのものを消し去る作業。
 生きる事はそれに似ている。
 同一かもしれない。
「遺伝子操作の力は藻の繁殖力を細菌に埋め込み、海にばらまいて汚染する事も可能な技術だと聞いている。それだけで大規模なテロリズムが確立できるくらいには、凶悪な「技術」だ。あらゆる生き物、植物、遺伝子の存在する全てに応用が出来るらしいな」
「ええ、よく知ってますね。元々は「人類の不死化」の一環として、研究対象にされていました。実験施設は大分前に放棄されたのですが、蜂起された施設を使い何者かが実験を繰り返しているらしく、警告に向かった警察の人間は、戻ってきていません」
「それを私に調べろと」 
「はい。周囲には山しか無く、極々一部の居住区が残されているだけです。そして、公式にはここで研究など行われていない事になっているので、誰も施設の入り口すら知りません」
「政治的にも、法的にも危ない場所での潜入作業か」
「政治的にも法的にも縛られない「サムライ」でなければ、出来そうにありません。貴方が適任だったわけです」
 人間もミュータントも「人道」を気にせず殺戮できる、貴方でなくては。彼女はそう言った。
「ミュータントを始末することに、抵抗を覚える奴なんているのか?」
「いますよ。大抵の人間は「殺人行為」そのものに拒否反応を起こします。本能的にはむしろ、率先して行うべき「行為」ですが、道徳や理念を重んじる平和な時代に生まれた人間には、刺激が強すぎて受け入れることが出来ません」
「刺激がなさ過ぎるのも問題だな」
 私はストレスが嫌いなだけであって、刺激そのものは好きだ。面白いからな。殺人行為に関して言えば、特に何も感じはしないが。
 気にするのは「自分の命」だけだ。むしろ、殺人行為にいそしむという事は、己の命も危機にさらすということなので「始末」の依頼をこなしている間は、己の保身で手一杯だ。
 当たり前の事だ。
 自分でもないどこかその辺にいる人間に、感情移入など図々しいにも程がある。ただ傲慢なだけだ。そんな理由で人を哀れむなど、ただ綺麗な価値観に身を任せることで「良い人間」であろうとするだけの、浅ましい行為でしかない。
 人間の善性など、その程度だ。
 その程度でしかない。
「無論、適応する人間は何人かいましたが、悪運の強さと生存能力、そして容赦のなさから貴方を選びました」
「そりゃあどうも。容赦の無さなんて、誰にでも持ち得ると思うが」
「いいえ。ほんの少しの感情移入もせず「事を済ます」と徹底して行えるのは、貴方だけです」
「人材不足だな」
「普通ですよ。それが人間です。貴方のような人間は、あなたが思う以上に少ない。歴史上の殺人鬼のように「道徳が欠落」している訳でもない。貴方は自身が悪であるか、それを気にしていない・・・・・・罪悪感すら笑い飛ばし、前に進む」
「そんな奴、その辺にでもいるだろう」
「いませんよ。人は思っている以上に、己の存在を重く捉えることが出来ません。貴方と違って、他者と比べることで生きている」
「ふん」
 下らない。そんなどうでもいい理由で私が駆り出されたのか。私は。依頼を断って別の所へ取材にでも行こうかな。
 それはそれで私の自由だろう。
 ミュータントなんて物騒な存在を放っておくのは危ない気もするが、世界の平和は私の平穏と、あまり関係がない。人類が滅ぼうと、私個人が満足できる施設が残り、それを利用して私が豊かに暮らせれば、それでいい。
 幸い、食べ物なら幾らでもある。
 人類が滅べば、奪い合う必要も、無いだろう。 その方が平和そうではある。
「丁度良かったじゃないか。人類がいなければ争いも差別も貧困も迫害も、この世全ての悪が消滅する。お前からすれば願ったり叶ったりではないのか?」
 ミュータントが人類を滅ぼせば、私はミュータントを殺しつつ、その辺の貯蔵庫にある食料を奪いながら生きればいい。始末する対象が、変わるだけでしかない。
 人を殺して人が生きるか。
 ミュータントを殺して人が生きるか。
 いままでとさほど、やることは変わるまい。
「本気ですか、それ?」
「本気だ」
 当たり前ではないか。まぁ、人類が滅べば雑用をする存在が、いや、そんなのはアンドロイドにやらせればいいか。
「むしろ、何の問題がある」
「ありませんが、そういう訳にも生きません」
「何故だ?」
「私は貴方と違って、人間が好きですから」
 人間を好きになる。
 好きになれる部分なんて、あるのか?
 人間だぞ。
 他のどんな言葉よりも、説得力がある。
 人間。その単語だけで、あらゆる悪を表現できるからな。
「好きになるのは私の勝手でしょう」
「だろうな。私には関係がない」 
 その「人間」の枠に私がいるのかさえ、微妙だしな。いたとして、やはり私には関係ない。
 どうでもいい。
 良くないのは、金の多寡だけだ。
 この世にそれ以上の問題はない。
「貴方は本当は、人間に憧れているのでしょう」「それも、もう、昔の噺だ」
「いえ、今の噺です」
 そうだろうか。
 私は人間から、どんどんと離れて行っている。もう戻れないくらいには。戻るつもりも、あまりないのだが。
 その方が便利だしな。
「そうだとして、それが何だ?」
「別に欲しくもない、ですか。本当に?」
「ああ、事実だ」
 私個人が別に欲しくもないモノを、押しつけられても困る。それはそれで迷惑だ。暇つぶしにはいいのだろうが、実際に「人間らしい幸福」なんて、別に欲しいとも思わない。
 思えない。
 そういう存在なのだ、私は。
 だから「実は人間の心が」云々のやりとりなど何の意味もない。私には関係ない噺だ。
 映画を見るような感覚で、適度に眺めるのがいいのだ。実際に持ちたいとは、全く思わない。
「人間か。憧れほど本質からそれたモノもあるまいに。人間に憧れる、とはとどのつまり「人間そのもの」を認めていない証拠ではないか」
「そうなのですか?」
「ああ。要は、現実には「人間の素晴らしさ」を見ているわけで、人間そのものは見ていない。恋する少女が現実を見ないで、夢ばかり言っているのと同じ・・・・・・ありもしない幻想でしかない」
 人間の素晴らしさという、形の無い偽物を、あればいいなと思っているだけだ。そして、理想というのは実在しないからこその理想だ。
 人間の素晴らしさなど、その最たる例だ。
 人間に素晴らしさなど無い。
 人間に夢を見ているだけだ。
「言うならば、だが・・・・・・卒業した、と言うのかもしれないな。「人間の素晴らしさ」という幻想から」
 非人間であることは自覚していた。
 人間に素晴らしさが無いことも。
 だから自己満足でしかない。
 そしてそれで何の問題もない。
 私はそれで自己満足できる。
「あればあるに越したことはなかったが、まぁ構うまい。人間としての幸福など、よくよく考えればあったところで、私には「再現」はできても、それを「実感」出来ないからな。それならそれで「人間の素晴らしさ」を勝手に解釈して適当に楽しむだけだ」
 私はそれで構わない。
 マンガのキャラクターのように、わざわざ人間賛歌を心の底では求める、などという面倒なたくらみは必要ないのだ。素晴らしい。
 その心も無いしな。
「故に・・・・・・あってもなくても同じだ。人間の中に崇高な「何か」があろうがなかろうが、な。眺めて満足できればいいのだから、現実に人間が崇高な行いをしようが、映画の中でしていようが、同じ事だ」
 私は人間なんて気持ち悪いとしか思わないが。 虫みたいなモノだ。
 気持ち悪くて仕方がない。
 汚い。
 汚らわしい。
 消毒しろ雑菌共。
「好きなモノは何もないが、人間が嫌いで嫌いなモノが多いのは事実だな。それをあれこれ言って事実を曲げられてはたまらない」 
 私は人間が嫌いで憧れてはいない。勝手な自己満足の偽善で、実は人間を求めている、などと、軽々しく口にして欲しくないものだ。
 それこそ気持ち悪い。
 だからお前達が嫌いなんだ。
 常に死んでくれと思っているよ。
「そうですか」
 と、なにやら悲しげに女は頷いた。悲しげに頷かれたところで、嫌いなモノは嫌いだが。それらしい振る舞いなどどうでもいい。問題は結果だ。 過程のそれらしさなど、見ていて不快だ。
 女は楽でいいなとしか、思わない。
 実際、楽だろうしな。
 面倒事は今回のように、男に押しつけて偉そうに口だけ動かしているだけだ。行動に移して何かを変えた女など、ジャンヌ・ダルクくらいしか、聞いたことがない。
 家で娯楽に身を費やして、後は偉そうに指示を出しつつ、「忙しい」と連呼して、それらしく振る舞っていればいい。
 それを同じ人間と呼ぶのかは知らないが。
「まぁ私はお前みたいに、綺麗事を口にするだけで、生きていられないのでな。だからお前の意見などどうでもいい。安全圏からの意見などな」
 傷ついた、みたいな顔をされたが、傷つく前に何か役に立って欲しいものだ。
 それで被害者ぶるなどどうかしている。
 正直、鬱陶しいだけだ。
 だから私は噺を進めた。
「それで、その男を「始末」すればいいのだな」「・・・・・・はい。そうです」
 最低限の返事だけしたようだった。そして、前払いで幾らかの現金を私に手渡し、女は言った。「私に何か出来ることはありますか?」
「それがあるなら、とっくに頼んでいるさ」

   3

「何故先生は人を殺せるんだい?」
「邪魔者を殺せなかったら、こちらが危ういだろうが。むしろ、それが出来なければどうすると言うんだ。黙って殺されるよりは殺した方がいい」「間違いだとか、事故だったらどうするんだ?」「人間社会は謝れば何でも許されるように出来ているらしいからな。御免ですませるさ」
「アンタ最悪だな」
 そんな至極どうでもいい会話を繰り広げながら私、いや我々二人は宇宙船の中にいた。
 無論、ファーストクラスだ。
 物語で儲けてこそいないものの、金はある。
 あの女から貰ったしな。
 だから、尚更作家業などやめてしまおうと思う今日この頃だ。金にならなければ意味などない。価値すらも。だからどうでもいいことだ。
 自己満足の充実と生き甲斐か。しかしそれも金あってこそだ。そうでなくては「ああああああ」と書き続けているのと、何も変わるまい。
 形はどうあれ、それが人間の最悪であろうと、成し遂げてやり遂げたモノを形にして、それが売れないとは。嫌な時代になったものだ。
 本当にな。
「人から見て「最悪」という事は、己自身からすれば「最高」という事だ。誰か知らない奴の為に「最高」の人間でいて、己自身を「最悪」に陥れるよりは、マシだな」
「そう開き直れるから最悪なのさ」
「だとしても、同じ事だ」
 少なくとも、私にとっては。
 そしてそれで問題ない。
 私の世界は最高だ。
 後は金が少し、足りればいいのだが。
「お前達の言う美しい「愛」や「心」や「信念」は「結果を伴わない」戯れ言だ。結果、実利を出さない戯れ言に、人が動く理由はない」
「けど、大抵の人間はそれで動いているぜ?」
「騙されているだけだ」
 綺麗事、それらしい理屈とそれを「正しい」という思いこみを、真に受けて信じているだけ。
 その「結果」酷い目に遭おうが、口にした奴は何の責任も取らないと言うのだから、適当な時代になったものだ。
 責任は取らなくて言い。 
 責任を取らなくてもいい立場にいれば、だが。 責任とは、もはやこの時代には存在さえしないものだ。誰かの囁いた言葉に責任などありはしない。ただ思いついたまま流されて適当に口にしているだけだ。そんな言葉に重みはなく、そんな言葉を信じるなど愚行でしかない。
 人間を信じるな。
 信じるに値する人間など、いない。
 相手が人間である以上、当然のことだ。
 口で言うのは実に簡単だ。作家だって、売らなくて良いならば、誰にでもなれる。問題は、そこに力を伴わせることが出来るかどうか、だ。
 女は大抵それをしない。
 だから信用も信頼もされないのだ。
 口だけ動かして「信頼と信用があって当然」などと、図々しい。馬鹿か、お前達は。
 行動してすら、それを獲得するのは至難だというのに、よくまぁ言えたものだ。言うだけだから言えるのかもしれないが。
 行動に移せばいいというモノでもない。事実私は狂気を身に纏いつつ、同じ行動を取り続けてきたが、指を指されて笑われる事が日常だ。
 金にならねば意味など無い。
 金こそが正義だ。
 だから、金だ。
「人間の美しい部分、なんて存在さえしない嘘よりも、私は現実に豊かさが欲しいだけだ」
「存在しないって、どうしてわかる? もしかしたらあるかもしれないじゃないか」
「じゃあ、ここに持ってこい」
「それは出来ないけどさ」
「私が欲しいのは「綺麗事」ではない。正しいかどうか、善かどうかよりも「確固たる力」が必要なのだ。私が、私として、私である為に。それが「悪」と呼ばれようが、「望むところ」でしかない。それが悪なら私は悪で結構だ」
「力に溺れた悪役は、大抵末路は悲惨だぜ」
「なら、成ってやるさ」
 主人公すら殺し尽くす、巨悪にな。
 それで望むモノを手にしてやる。
 綺麗事を並べて善人ぶっているよりマシだ。
 例えそれが正しく、何よりも尊く美しく、善であったとしても、そんな虫けらにも劣る惨めな人生よりは。
 悪として、そして己を通して生きる。
 その方が、面白い。

 そして、私は己の「道」に裏切られた。

 いっそ小気味良いくらいだ。ここまでして、何一つ結果に成らず、金も生み出さなかった。その苦悩があればこそ傑作が書けるのだとしても、私はべつに傑作が書きたくて作家をしているわけではないのだ。あくまで金の為、平穏な生活を他にする為だ。
 何もかもが上手く行かない時、出来ることと言えば「風向きが変わる」事を待つことだ。良い食事を取り適当に運動し、軽挙妄動を控え、ただただひたすら「待つ」姿勢を維持する。
 しかし、どうやら私に限って言えば、その法則は適応されないらしい。このままではミイラになってしまいそうだ。まるで兆候はない。
 どうにもならない。
 己の全てを狂気に変え、それで挑んだ結末が、この様か・・・・・・それであの女のような「持つ側」の言葉など、耳に入るはずもない。実際に行動し挑み続けて「無駄」に終わった人間に、よくもまぁ身の程知らずにも偉そうに、口だけを動かせるものだ。
 そういう奴の方が、美味しい思いをするのだろうと考えると、もう怒りすら感じない。怒りを向ける価値など無い。どうでもいいゴミに何かを感じているほど、私に余裕などありはしない。
「力に溺れるも何も、力を振り回す人間の方が、汚らしい綺麗事を押しつけているだけだろう。だから溺れるも何もない。力が無ければそういうゴミクズ共に、良いように利用されるだけだ」
「そんなもんかね」
「実際、そうだったからな」 
 私の人生はいつもそうだった。何をどう足掻いても呪われているかのように、例え石一つを投げることすら「成功」や「勝利」とは無縁だった。 それを自我が芽生えたときには自覚していた。 何をどう足掻いても「無駄」な「未来」。 
 それを覆すのに必死だった。
 その全てが、「無駄」に終わったが。
 ただの「事実」だ。何の装飾もない。
「さて、どうしたものかな。今回の依頼にしたって、私に何か得がある訳じゃない」
「寿命を延ばしてもらえるんだろう?」
「ああ。だが、それに意味があるのか? 充実した人生を楽しめるならともかく、私はどうも生きることに詰まっている」
 首を絞められ続けているようなものだ。
 苦しいだけで嬉しくもない。
 金あってこその人生だ。
「生きることは退屈かい、先生?」
「いいや、歯ごたえがありすぎて、むしろ飽き飽きしてきたところだ」
「同じだろう」
「違うさ。全然な。退屈ではなく、むしろ、そう・・・・・・難解すぎて、生きることが出来なかった」「そいつは傑作だな」
「まぁな」
 誇るような事柄でもないが、構わないだろう。誰に迷惑を掛けているわけでもない。掛けたところで、知らないが。
 虚勢を張るのに金はかからないからな。
 どうしようもなく私の未来は絶望色だが、何もない中身に自信という箔を付けるのに、金はかからないし手間もいらない。
 嘆けば解決する問題でもないしな。
 言っても仕方がない。
「とはいえ、げんなりするのは事実だな。もう何回目の試みになるのか・・・・・・最初から数えてすらいなかったが、「風向き」が変われば勝機はあるなどと、我ながら随分と辛抱強いものだ」
「それも報われていない以上、何もしてないのと同じだろうけどな」
「違いない」
 随分と長い道のりだった。そして、過程に意味や価値を求める馬鹿共にはわかるまい。そんな道を歩いたからこそ言える。
 そんなモノに価値はない。
 ただの言い訳だ。
 見苦しい。
「どいつもこいつも良く言うものだ。結果や実利が伴わなければ意味も価値も、ありはしない。横から口を出すだけの人生など、実に楽で羨ましい限りだ」
「随分な皮肉だな」
「ただの「事実」だ」
「けどさ、連中はそのツケを十分払っていると思うぜ? 先生みたいに強い目的意識なんて無いからこそ、ただ漫然と生きて、死ぬことしかできない」
「それが何だ。金があればいい」
「けどさ、実際問題精神的に未熟な人間が、先生みたいに上手いこと金と付き合えるわけがないんだよ。大抵は先生の言う「責任のない言葉」に惑わされて、ローンの返済に追われるのさ」
「そうだとしても、私が金を持たなくて良い理由には成るまい」
「まぁな・・・・・・けど、そういう人間は、悲惨だぜ・・・・・・生きている実感がないから危機感もない」「それが何だ」
「だからさ、本来なら回避できるような危機すらも「自覚すら出来ない」のさ。詐欺や搾取構造に利用されてしまう。そして、同じ作業を繰り返しているうちに、大した人間的成長も見込めず、死ぬ寸前になって「何かしておけば良かった」とか手遅れな後悔をするんだ」
「ふん。胡散臭いな」
「けれど「事実」さ」
 先生好みのな、とジャックは付け加えた。
「それで、何のデメリットがある? 結局は大した労力も掛けず、金の力で美味しい思いをしていることには変わるまい」
「そうでもないさ。金の力で味わおうにも、彼らは「味覚」が十分に発達していない。整った味のガムを買むようなものさ」
 上手いこと言うな、こいつ。
「・・・・・・だから金を半端に持った奴は、「味を確かめたがる」だろう? そして、味も分からないまま噛み続けて、脂肪をとりすぎて太るのさ」
「別に、問題はあるまい」
「あるさ。金を持つことは確かに幸福だ。しかしな先生。先生みたいに開き直った人間は、思うより少ないんだよ」
 前にも言われたな。つい数日前、冷たくあしらった女にも、同じ事を言われた。
「例外なく「死にたくなって」しまうのさ。不思議なことに、女を抱くのも酒を飲むのも飽きてしまえば苦痛でしかない。だから」
「だからといって、私が金を持つかどうかには、何の関係もあるまい」
「まぁ、そうだな。それに関しては俺の責任ではないから、知らないね」
「・・・・・・」
「そういう一面もある、という「事実」さ。案外世の中はバランスが取れているのかもしれない」「下らん」
 実に下らなかった。
 それでは噺のつじつまがわない。
「・・・・・・バランスというなら今、まさにそれだ。私の作品が、この私の書き上げた「傑作」が、金にならないなどどうかしている。例えどんな理由があろうが、私はそれに納得するつもりはない」「じゃあ、先生はもし、仮にだが・・・・・・大金を持って、どうするんだ?」
「とりあえず」
 私は運ばれてきた紅茶を啜りつつ「平穏に暮らすさ」と答えた。後は健康だろう。健康でなくて成し得る事柄など、無いからな。
「それだけかい」
「今のところは、な。必要に応じて動くだけだ」「必要に応じてる時点で、欲望じゃあないな。先生は欲しい物とか、無いのか?」
「平穏と豊かさと、静かな時間だ」
「そりゃあ良い答えだ」
「あの女の「殺人論」もそうだが「人間」の噺を適応されたところで、迷惑なだけだ」
「どういうことだい?」
「例えば、だが・・・・・・人が人を殺す、あるいは戦争を起こすことを嫌悪するのは「失う物」があるからだ。現に、関わりのない連中が何人死のうが何とも思わないだろう? 失うのが怖い、自分たちの大切なモノに危害が及ぶのは恐怖だ。だがな・・・・・・私には「失えるモノ」なんて無い。痛いのは私も御免だが、「己の生命そのもの」に対する執着ですら「持つことが出来ない」のだ。私という人間には「何もない」んだ」
「作品のデータは?」
「ふん。それも、このまま売れないようなら、あってもなくても「結果は同じ」だ。何も書いていないのと変わるまい。掛けた労力による分が大きいから、失う失わないと言うより、大損をこいたような、気分にはなるだろうな」
 これだけ手間暇掛けてそのデータが消える、など、あまり想像したくもない。愛着とかではなく割りにあわなさすぎる。
 世界に関われない以上、それに拘泥することも無意味な気もするが、な。世界に関われないと言うことは、結局の所「世界」があろうがなかろうが同じだということだ。人間が本来素晴らしく感じる全てが、私の現実には存在さえしない。
 全てが無意味だ。
 全てが無価値だ。
 この世界に生きていないとは、そういうことだ・・・・・・一体どれだけ、私は歩いてきたのだろう。もう自分でも分からない。大した距離ではないのかそれとも長かったのか、それもどうでもいい。 少し、疲れた。
 私は、休みたいだけなのかもしれない。
 挑み続けて試行錯誤し続けてきたがそれらの試みは全て無駄に終わった。その無駄の繰り返しと挑戦の繰り返し。ただ繰り返しただけだ。
 どう足掻いても「成功」や「勝利」どころか、本来得るべき「結果」も「幸福」すらも、砂粒の一掴み分すら、ついぞ手にすることはなかった。 いつまで、繰り返せばいいのやら。
 我ながら、狂気の沙汰だ。
 私の特技は「物真似」だ。いや「人真似」と言うべきか。私の身体能力で再現可能ならば、かかる時間の際はあるが、どんなことでも再現が可能だ。歌声でも、武術でも、モノによっては見ただけで再現出来る。
 無論、物語も同じだ。
 少し見ただけで、その人間の作風、その人間のキャラクター性、その人間の信条を、ほぼ完璧な形で再現可能だ。実際問題身体がついて行かない武道や声変術などは修得に時間がかかるが、その制限がないモノ、いわば精神面の形など、幾らでも量産が効く。
 武術や声にしたって、動画を見るだけである程度はすぐに使えるようになる。実際、私は適当な動画を見るだけで自衛術程度の体裁きを修得しておいている。無論、疲れるし使わないが、緊急時の保険として、一応達人の動画を見て、ある程度だけ修得しておいた。
 便利だからな。
 それに関して言えば、サムライとしての能力がある以上、もはや不要と言ってもいいのだが。サムライの能力があれば相手が何であれ、魂さえあれば切り刻んで殺せる。無機物にだって魂はあるし、この世の道理から外れている怪物にすら、意志がある以上魂はある。
 殺せないとすれば私のような化け物だけだ。
 心がないから殺せない。
 殴れば良いだけだがな。
 だから私に殺せない相手は存在しない。
 後は金だけだ。
 札束があれば私は私の目的を遂げられる。
 そういうことに、しておこう。
 人間の真似をするのも、正直疲れるしな。
 非人間には、生きづらい時代になったものだ。戦争が盛んな過去には、そういう人間の方が生きやすかったらしいが。ついていない。
 結局、この世は「自分だけは絶対に損しないように搾取する」形態こそが、幸福への道なのだろうか。そうとしか思えないし、思うつもりもないのだが、だとすればやはり、人間であるかどうかなど、どうでもいいことだ。
 そんな価値は人間には無いという事だ。
 そういった汚物の方が、結局は生きている上で満足し続ける。ジャックはああ言ったが、私はむしろ、人間の美しさなんて嘘よりも、実際に儲けるクズ共の方が、結局は上手く生きるのだろうと思うのだ。
 だから人間らしさに意味はなく、価値もない。 つまらない、わき道に逸れた出来事だ。
 金だけが真実であり事実。
 それが世の中の回答だ。人間の心なんて欲しくもない。そんなゴミはいらない。私が求めるモノはあくまでも変わらない。「ささやかなストレスすら許さない平穏なる日常」だ。そして、それには金が必要だ。
 何人死のうが知ったことか。
 そのミュータントも、一切の罪悪感無く、一人残らず「始末」するとしよう。
「先生みたいな存在は、現象として存在するべきであって、自意識を、確固たる意志を持って動いたら危ない存在なんだろうな」
「どういうことだ?」
「つまりさ、先生は、言わば「あってはいけない存在」いや「いるはずのない人間」なんだよ。まさにバグキャラだ。強い弱いとかじゃなく、こんなキャラクターは存在してはいけない。細菌は本当にそう思うよ。

 先生は、怖い。

 他の何よりも。存在してはいけないほどに。素直な気持ちとしてそう思うぜ」
「そりゃあありがとうよ」
 私はお化け屋敷のバイトではないのだが。嬉しくもないしどうでもいいことだ。私が他からどう見えるかは、私がどのように行動するかには、何の関係もないからな。
 しかし、怖い、か。
 怖いキャラクター性というのは私が詳しく知らなければならない事項も一つなのだが、一体どの辺りに恐怖を感じるのだろう。
 私に恐れるべき部分などあるのか?
 執筆の早さくらいだと思うが。我ながら、旋律に値する。気が付いたら数十ページ書かれていたという事が、最近ざらだ。
 もっとサボりたいのだがな。
「それはお世辞か何かなのか?」
「人に「怖い」って面と向かって言うことが、どうお世辞になるんだよ」
「そりゃそうだが」
 大げさとしか思えない。
 誇大広告もいいところだ。
 この「私」が恐怖の対象? 何というか、現実味のない噺だ。
「事実さ。先生の前じゃ何もかもが「同じ」だ。実利が好きだとか言っているが、金が大好きだとか言っているが、それで満足する姿が想像も付かないね。先生には限度が無いのさ。概念としてそもそも「存在さえ」しない。だから、先生は怖いんだよ」
「限度の無い行動だと? そんなの」
 誰でも出来るじゃないか。そう思ったが、どうやら違うらしかった。
「無理だよ。人間には「心のブレーキ」があるからな。残虐なことでも、理性より本能が止めてしまうのさ」
「それは私も同じだろう。出来るからと言って、私はむやみやたらに人間を襲ったりしないぞ」
 私は争いが嫌いなのだ。
 面倒だからな。
「けどさ、先生は堂々と殺人出来る環境があればあっさり、殺しちまうと思うんだよな。いや今だって「法律」の外側にいる「サムライ」だというただそれだけで、何の罪悪感も無く、行動できる・・・・・・出来てしまう」
「他のサムライも同じだろう。始末屋なんて、別に珍しくもあるまい」
「それは己の心を消すからさ。最初から平気って訳じゃない。いいか、先生。人間は普通、訓練して心を殺し、それでも悩み、後から殺したことに対するストレスがぶり返し、罪悪感に苛まれて自殺しちまうような生き物なんだよ。でも、先生はそれを天然で、何の罪悪感もなく、そして何より生まれつき平常な状態で、やってしまう」
「それの何が問題なのだ」
「問題さ。「人間」というくくりの生き物には、本来そんなブレーキのない生き物は存在しないんだ。いや人間だけじゃない。どんな動物にだってブレーキはある。もし「ブレーキが無ければ」その行動に「際限が全く」無くなる」
「それで」
「際限がないから「何でも出来る」先生は己を無力であるかのように捉えているが、俺から言わせれば無力な癖に、行動力だけでここまでしてしまうのは、どうかしている。歴史上の偉人とかだとわかりやすいかな、戦争をしている国があった所で、普通はそこまで行かないだろう?」
「私も行かないぞ」
 面倒だからな。
「それは面倒だからだろう」
 見透かされていた。まぁ、構わないが。
「先生は他者の為でなく「己の為」に際限なく行動することが出来る。他の全てを下に置いて、どれだけ犠牲を出そうが意に介さず、な。きっと、そういうのを「狂気」って呼ぶんだろうな」
「何が言いたい」
「先生には「際限が無い」概念すらも。何をやるのにも限界がどこにもないんだ。だから、執筆なんてモノにも、作家業なんてモノにも、何年も何十年も何万年も何十万年も、それこそ狂気のように続けている。生き甲斐だのと言っていたが、先生には生き甲斐も充実も感じる器官はありはしないだろう? なのに続けられる。それはきっと、先生自身がそう決めたからだと、思う」
「それが、何だ。大層な噺だが」
「大層なのは先生自身さ。そんな在り方、普通は許容できない。どう足掻いたってパンクする。それに耐えうる異常な狂気。いや、耐えうると言うよりも、それすら飲み込む狂気だ。
 
 
 それが、恐ろしくない筈がない。
 
 
 底なし、さ。先生には限度も際限も無い。相手がどれだけの能力を持とうが、どれだけの英知を振りかざそうが、先生の前ではまるで等価だ。どれだけの力も信念も誇りも心も友情も愛情も、何一つとして存在すら許されない。まるで閻魔大王だよ。あの世の裁判官だな」
「そこまで大層な役職を、持ったことは生憎、無いのだがな」
「それで良かったと思うよ。先生がもし、そうなったら、どんな人間でも、人間でなくても、逃げられないからな」
「走ればいい」
「心が、さ。分かっているんだろう? 己を偽るのは誰でもあることだ。見たくない部分に蓋をすることも、珍しくない。能力や肩書きで、普段それらは隠れている。だが、先生はそれを容赦なく無視する。無視されれば、最初から無いのも同然だからな。誰だって、心の奥底を抉られれば、先生みたいに「心がない」なんて頓狂な事が無い限りは、正気でいることすら難しい」
「・・・・・・ふん」
 正直私の評判などどうでも良かったが、また随分な言われようだ。そんなに私が恐ろしいのだろうか? 確かに、ちょっと気まぐれで真をついて心を掘り下げて、当人の信じたモノを否定するのは良くあることだが。まさかそこまでとは。
 私みたいに忘れっぽく無い奴が多いらしい。
 私ならどれだけ己を否定されようが、二分後には忘れている自信がある。言われた次の瞬間には他のことを考えているかもしれない。
 記憶力は良いはずなのだが、どうでもいいことはすぐ忘れる。この「どうでもいい事」って奴が無いのだろう。「大切にするべき」な項目が、彼らには多いのだ。だが、そんなのは項目が多いだけで、あまり大差はないと思うがね。
 人の心を壊すなんて簡単だ。
 人の心は大抵脆いからな。
 私でなくても、砂糖細工を壊すのは、容易い。ただ、砂糖細工を壊すことに、罪悪感だのといった「最初からどこにもありもしない」倫理観みたいなモノを破ることに、恐怖してしまうのだろう・・・・・・良くわからない噺だ。
「先生みたいに、人から拒絶されてケロッとしている化け物には分からないさ。先生は最初から、自分以外を誰一人として同じ人間だと、思ってすらいない。だから幾らでも残酷になれる」
「おいおい、そう誉めるなよ」
「誉めてねぇよ」
 誉めてはいないらしかった。別に誉められても嬉しくも何ともないので、構わなかったが。
「自分と同じ人間であるから、と、先生には耳の痛い噺だが「共感」するからこそ、彼らは残酷にはなれないのさ。逆に、先生に限度がないのは、相手を同じ人間だと思っていないからだ。というか先生の場合、実際問題「他とは違う」失敗作、いやバグキャラみたいなものだ。本来あり得ないが、「人間でない別の人間」が生まれてしまった結果、先生は「虫を殺すような感覚で」人間を殺し尽くすことが出来る。言葉にすれば単純だが、そんなこと、心がある奴にはできないさ」
「私にだってブレーキはあるぞ。私はゲンを担ぐ人間だからな」
「それはただ単に「理不尽な、関知できない部分での罰」が嫌なだけで、殺人自体には何も感じてはいないだろう」
「確かに、そうだが」
 ブレーキ、無かったかな。無かったところで、やはり「どうでもいい」がな。どうでもよくないのは金の残高だけだ。
 こればかりはどうでも良くない。
 そうはすませられまい。
「先生は、「怖い」よ。限度がない際限がない、そして限界も、ない。先生は自身を「悪」だと標榜しているが、「限界のない巨悪」なんて物騒なモノも、無いと思うね」
「ブレーキがない、程度なら、幾らでもいるだろう。歴史上に殺人鬼は沢山いる」
「確かにな。なんだかんだで依頼以外では、先生は殺さない。無論、自衛などの場合もあるだろうが、先生の場合「意識的に狂って」いる。だから厄介なんだ」
「何がだ」
「己の狂気を自覚する狂人なんて、ギャグにも冗談にもならねぇよ。先生は己の恐ろしさを、凶悪さを、もっと自覚するべきだな」
「ふん、そんなつもりはなかったが、まぁいいさ・・・・・・自覚したところで、金が貰える訳でもないし、私個人としては、やはりどうでもいい」
「どうでもいい、と割り切れるからこそ、俺は先生が怖いね。暇つぶしに人を惨殺したところで、あるいはちょっとして感覚で何かを滅ぼしたところで、そして他者の心情を無茶苦茶に書き換えたところで、同じ事を言うだろうからな」
「人工知能のお前が、たかが人間ごときを怖がるとは、以外だな」
「先生の前じゃ、肩書きは関係ないからな。何であろうが同一に見る。どれだけ力を持とうが、どれだけ権力を持とうが、どれだけ超越した存在になろうが、同じ、だ。だから、先生に対する恐怖を克服する方法は「心が存在する限り」絶対に存在し得ない。そんな化け物を怖くない奴なんて、いるはずがない」
 大げさな奴だ。
 噺を聞いている限り、「対抗策が存在し得ない事」が、私に恐怖を感じる一番の原因らしい。
 確かに、どれだけ力を蓄えても、どれほどの存在になろうとも、例外なく「同じ」くこちらの心情を誇りを信念を心を在り方を「書き換える」なんてぞっとしない相手だ。どう足掻いても勝てそうにない。まぁ、私の事らしいが。
 その割には、私はあまり美味しい思いを出来た試しがない。能力差など些細なことだ。問題は、それが金になるかだ。
 狂気も正気も、些細な事だ。
「能力じゃないさ。こと単純な能力差なら、むしろ先生に勝てない奴を捜す方が難しい」
 だから大きなお世話だ。
「無論、サムライの能力もあるが、それは先生自身が関係ないしな。それに、「存在そのもの」が物騒だと言っていい。そんな心の在り方が出来る人間はいない。心がないからこそ、先生は誰にでも勝る。容赦なく相手の心情を踏み砕く」
「あまり嬉しくないな」
 ただの暴れん坊ではないか。もっと、こう、平和なイメージを保ちたいものだ。
「事実さ。まさに「恐怖そのもの」だ。己の全ての能力と肩書き、あらゆるステータスを無視してこちらの最も「見たくない真実」を突きつけ、心を破壊する。真実がなければ粗探しして心情と信条を書き換えてしまう。どんな人間性を持とうがどんな能力を持とうが関係ない。己に心がある限り、何者であろうと裁かれる。地獄があるとしてそこに「王」がいるなら、きっとそいつは先生と同じ顔をしているぜ」
「それは有り難いな。出世できそうな顔つき、というのは」
 少なくとも、ジャックからはそう見えるらしい・・・・・・問題なのは、作家に出世もへったくれもないということだろう。
 売れればいいのだが。
 作家に出来ることは書くことだけだ。
 売ることは、専門外なのだ。
 心を暴くことと心を操ることは、また別、ということだろうか。
 しかし「恐怖」か。私自身恐怖の概念が持とうと思っても持てない存在だ。だから恐怖と呼ばれるモノ、それを解明すれば物語に活かせるのではないか、何より「面白い」のではないか、と、そう思っていたのだが・・・・・・恐怖そのものとは。
 まぁ、これに関してはジャックが大言壮語を無責任に吐いているだけの可能性もある。その場合はその場合で、相応しい「恐怖そのもの」を探すだけだが。
 やることは何も変わらない。
 狂気にまみれて、続けるだけだ。
 成功するまで。
 勝利するまで。
 満足するまで。
 さまよう亡霊のように、終わり無く。
 ・・・・・・私個人にとっては、何の役にも立たん技能でしかない気もするが。
「役には立たないがな」
 とりあえず言っておくことにした。
 ジャックは、
「そうかな、そうは思わないぜ。肉体は誰だって壊れるが、時がたてば誰でも治る。逆に、精神は一度でも壊れたら、二度と元には戻らない。先生の場合元から壊れて、いや狂っているから、精神面での人生に対する悩みが存在しない」
「精神的な悩みなど、最初からどこにも存在しないものだろう」
「だがな先生。人間って奴はむしろ、金よりも内面での悩みに悩むものなのさ。金の悩みは金が解決してくれるが、「劣等感」や「罪悪感」そして先生の言うところの「その他大勢の評価」に、常に意識を向けながら、生きている。その悩みは存在さえしないからこそ「解決出来ない」ものだ」「だから厄介だと? ふん、ありもしない悩みで悩めるなど、贅沢としか思わないがな」
 生き詰まっていようが息が詰まっていようが、金さえあれば問題はない。だから私の人生には問題ばかり発生している。
 どうしたものか。
 実に切実な問題だ。
 金の残高というのはな。
 何より、手間暇掛けた物語が金にならず、どうでもいい労働で稼ぐのでは、結局私個人の目的が果たせないままだ。それでは意味がない。
 精神的な悩み、などと・・・・・・随分とまぁ暇な奴らだ。他にすることは無いのか?
 ないからこそ、そんなどうでもいいことで悩んだり死んだり、馬鹿な生き方をするのだろうが。 何も考えていないからだろう。
 有能なだけで、自分の未来すらも、まともに考えない。考えないし行動もしない。それでたまたま持っていたりするものだから、中途半端に勝ってしまう。
 変わった奴らだ。
 何も変えようとせずに「自分の人生はこんな筈じゃなかった」などと、言えるというのだから、楽で羨ましい。
 猿の人生というのは。
 理性ではなく感情と本能で生きる猿。
 さぞ簡単なのだろうな。
 喚いているだけで、嘆いているだけで、たぶん彼らの一生は終わるのだろう、直接見なくても、それくらい簡単に分かる。
 そういうものだ。
「人間は「足りない何か」を求めるものだ。そして私の内には「何も無い。だからこそ無尽蔵に、不足を感じて埋めようと出来る」
「成る程な。満たされていれば充足はするが、先生みたいにはならない、か」
「ああ。だから、それはきっと正常なのだろう。お前達の言う「人間性」というのは「余裕が有る存在にのみ許された特権」だ。ただ、余裕を持って平穏に暮らすならそれでもいいが、私と違って「何かを変えようとする」ことを望むなら、私のように成るしかない。何かを変えるほどの力は、金や権力と言った手に入れ難いモノばかりだ。その中で「狂気」は最も安上がりで金がかからないからな。だから、私はこう在るだけだ」
「皮肉だよな。別に何を変えたいとも思ってない先生こそが、全てを変える「狂気」を持ち、何かを変えたいと現状に不満を持つ人間こそが、金や平穏と引き替えに、先生のような狂気は決して持ち得ないってんだから」
「要はマッチングの問題だ。私はそれが合わなかっただけだ」
 だが、世の中そんなものかもしれない。当人が望んでいない能力こそを持つのだ。それでいて、その当人の能力は、他から見れば「替えの効かない唯一絶対の技能」に見えるのだろうから、ちいぐはぐというか。
 面倒な噺だ。
 素直に当人が望むものだけ与えればいいと思うのだが、それではきっと、人間は何も成長しないのだろう。別に成長なんて望んですらいない身としては、忌々しい限りだ。
 成長がなんだというのか。
 だから、何だ。金になるのか?
 所詮見栄と恥の概念から生まれたモノだ。成長を繰り返したところで、実利がなければただの子供の遊びと変わるまい

 
 
 邪道作家 その3へ 
 
 
 
 
 
宇宙船

 ジャック 事前調査 謎の惑星 

 わずかな映像 ミュータントの姿

 武器をもったミュータントの姿。

 ガン細胞はそもそも「自然の摂理」であり、
 人外と取り引きせずに寿命を延ばすことは
 バランスを壊すことに繋がる

 宇宙一バランスをどうでもいいと思っている  「私」がバランスを守る「サムライ」として
 活動している矛盾

 いいように使われているだけ 
 奴隷じゃないのに
 
 何もないことが「死」だとすれば、
 「邪道作家」とは「死そのもの」を表す
 「概念」である。

 
 辺りには何百年も時が経過したかのような、まさに「廃墟」と呼ぶべき生活後が残っている。ところどころ「ウィルス」がこびり付き、汚染された世界を彩る。
 

 統率されている、それも軍隊のように・・・・・・

 何らかの指揮下にあるミュータント共を撃退
 
 下水管の中に逃げるミュータントを追う。すると下水道作業員の待機室らしき部屋の奥に入り口がある。

 逃げたミュータントは例外らしく、知性が残ったままらしい。人肉は食べない。と、言うよりも何も食べなくても生きてはいける。ただ、知性を残すにはある程度新鮮な「肉」を食べる必要があり、外にいる動物などを狩りでしとめる。
 
 高い暴力性のみを残した「失敗作」が多くうろついており、数少ない成功作はひっそりと暮らしている。
 
 まるで「民族浄化」だ。ミュータントになってまで、人間は同じ事をしている。きっと根底にあるモノが「暴力」だからだろう。何かを欲するのに必ず暴力は伴う。暴力の力が人類を発展させ、暴力の威圧が平和に導いたと言えるだろう。
 
 それが世の「真実」だ。
 隠されてすらいない「真実」が「事実」に成らないのは、誰もが目を背けるからだろう。
 目を背ければ問題にはならない。
 人間社会はそれで通る。
 通ってしまう。

「成長か。それも、バランスの良さが必要なんだろうぜ。今回のミュータントだって、ガン細胞の異常成長から生まれた存在だからな」
「ミュータントか」
 人間の成長の「果て」を越える為に、彼らは作られたらしい。だが、過ぎた成長は人間を人間でないモノに変えてしまった。これはやはり、私の考えが合っているということだろうか。
 成長に意味はなく、価値はない。
 金こそが全てだ。
 金で買えないモノは、どこにもない。
 ミュータントの人権だって、普通の人間の人権だって金で買える。臓器も、人生も、運命も、悲劇も、奇跡すら、金で起こし金で買えるのだ。
 科学の力と金が合わさり、表向きは小綺麗な人間社会に二つが揃えば、不可能は何もない。人間は何でも金で買える。それは金の力が万能と言うよりも、何でも「売ってしまう」からだろう。
 品性も。
 人生も。
 誇りも。
 何もかもが、金ほどの価値と力を持たないからこそ、金は全能の力を持つ。少なくとも人間社会において、金の力が失われることは、未来永劫無いだろう。
 それが人間と言うものだ。
 人間は金で買える。だから、人間社会で買えないモノなど、有りはしない。
 この世に、生きているのだから。
 あの世でも、きっと同じ事をしている。
 地獄の沙汰も金次第、だ。

 私は何も持たずに生まれた最悪の人間だ。

 そんな私だからこそ分かる。人間の道徳や愛情や信念に、力はない。現実に何かを動かすのは、綺麗事の道徳感情ではないのだ。それは意志だ。綺麗事を述べる人間には持ち得ない「狂気」こそが、全てを凌駕する「可能性」を持つ。
 可能性、可能性だ。可能性でしかない。だが、「持たざる人間」が「持つ人間」を越えるには、奇跡を越える程の何かを、武器として携えなければならない。そして、その条件を満たすことが出来るのは、「人間の狂気」だけだ。
 要は方向性の違いだ。
 狂気を何に向けるか、だろう。
 愛に向けるか友に向けるか、社会に向けるか、あるいは「金」に向けるかだ。
 無論、私は金に向けるがな。
 当然だ。
 以前にも言ったが、私は自我を持ったNPCのような存在だ。己に押しつけられた役割を無視して、望む方向へたどり着こうとしている。無論、この世界のシステムそのものを書き換えるなど、分不相応を飛び越してただの無謀だ。実際、私自身が書き換えられたのは、私自身の在り方、キャラクター性だけだ。
 プロフィールをいじり、己のキャラクター性を作り替え、それでも届かなかった。物語を金に換えて儲ける、という目的は、未だ達成できてはいない。
 だが、不可能であることは挑戦を止める理由には成らないし、私にはそれが出来ない。簡単な話だ、「作家として生きる」事を諦めればいい。諦めて妥協し、適当に、何一つ成し遂げず、自分を誤魔化し続けて、我慢して生きる。いや、生きると言うよりこなす、か。
 それが出来ない。
 金の為なら頭を下げることも、金額次第で吝かではない。プライドよりも、私は実利を選ぶ人間なのだ。
 ただ「己を偽る事」は、できない。
 したくもない。
 それで、生きていると、言えるのか?
 ただの奴隷と、同じではないか。
 私は運命の奴隷には成りたくない。御免だ、そんな在り方は。生まれていないのと変わらない。他でもない己を偽って、つまり自分自身を裏切って、成すことなど、実につまらない。
 人を騙すことに躊躇はしない。
 私は優しくもない。
 容赦すらもないのだ。
 だが、己自信を誤魔化して、自分を安く売り歩き、それでいて卑屈に笑いながら、生きる? 冗談じゃない。そんなのは「生きる事」から逃げた愚か者共の言い訳だ。
 私は情けない言い訳を聞くつもりなど無い。
 だから、貴様等の下らないプライドの拠り所、「常識」などという、雰囲気に流されて、ただ皆がやっているからという理由で、何も考えず、何一つ言葉に責任も取らず、自分で考えすらもしない馬鹿が、思い上がった台詞などに、聞く耳を持つつもりなど毛頭無い。
 もっとも、そういうクズは声だけは大きい。でかい声で言っていれば「自分が正しい」と錯覚するのだろう。実に、迷惑極まりない。
 そういう人間のゴミ共の、汚らしい騒音を聞かないで済ますためにも、金は必要だ。
 無ければならない。
 金があることで、ようやく「人間になれる」のだ。資本主義とはそういうことだ。

 金がない奴は人間じゃない。

 権利も、主張も、人権も、金有ってこそだ。金のない奴に、世界は何も与えはしない。金がない奴はどう取り繕おうが、搾取され奪われ、殺されたって文句は言えない。「文明」も「文化」も、金がある人間にだけ許された「特権」だ。
 綺麗事は現実に何の力も無い。だから、綺麗事を振りかざして「そんなことはない」と、道徳という馬鹿の一つ覚えを信じた結果、周りに多大なる迷惑を掛けた上で、結局助けることも出来はしないのだ。
 世の中そんなものだ。
 存在してはいけない「悪」か。言い得て妙だ。私の場合、そもそも「存在するはずの無かった」人間だろうからな。私自身がそう動いた。だが、それにも意味はなかった。価値すらも。金を手にしていないのが良い証拠だ。
 何をどう足掻いたところで、無駄。
 それが私の宿命だ。
 運命か。
 いずれにしても、己自身のキャラクター性を完全に書き換え、作り直したところで、至る結末は同じだというのだから、笑えない。実につまらない噺だ。もう少し、何とか成る、と思っていたのだが、世の中に、世界に、期待しすぎた。
 試み時自体が無謀だというのも、勿論ある。そもそもが、私の試みは「物語の結末を、登場キャラクターが変える」ようなものだ。厳密には違うのだが、やっていることは同じだ。
 最後のページを読めば嫌でも分かるが、物語の結末は決まっている。ならば、書いている最中にでも、変えるしかない。私の場合、死ぬまでの間に、と考えると、時間も余裕もあるかと思ったのだが、中々上手く行かないものだ。
「己自身をこうまで作り替え、それでも「幸福」には届かなかった。金を求めることすらな。なぁジャック、お前は私がまるで、「他の人間に無い何か」を持っているかのように語るが、そんなものは私には無いぞ。試みは悉く失敗し、それでいて金すらも掴めていない」
「けれど、その人間性があるだろう」
「だから、何だ? 私は誰かに人間性を誉められたいわけではないのだ。金だ、ジャック。私は金の為に、その為だけに書いてきた。それによる充実と平穏は、金が有ってこそだ」
「けれど「事実」として「人間性の成長」が無ければ、金があっても幸福にはなれないぜ。扱いきれずに自滅するのがオチだよ」
「だから」
「だから、先生は今まで散々だったのだろうさ。これからは金を手に掴めばいい。それが有るからこそ、金を掴めると言っても良いな」
「その兆候はまるでないがな」
「当然さ、俺たちは未来が見える訳じゃない。けれど、目の前の事実は見える。人間性を高め、成長し、物語を書く作家の姿がな。そして、それを言うなら「早いか遅いか」さ。長い長い生涯からすれば、誤差みたいなもんだぜ」
「随分と長ったらしい「誤差」も有ったものだ」「それもじき、終わるさ」
「生憎、そう言われて随分経つのでな。そんな戯言を信じるほど、私は人間をやっていない」
「それもそうだ」
 けらけらと、ジャックは笑うのだった。まぁ、こいつからすれば他人事なのだから、当然か。
 変に期待するつもりもない。
 期待できるほど、私は平坦な道を歩いていなかったからな。常に、落とし穴のみがあった。
 単調な罠を受け続けるかのような道だ。
 どう足掻いても同じ所で屈辱を受ける。
 未来を信じろ、などと、他人事だからだ。
 信じるに、まるで値しない。
 未来を信じていないからこそ、私は変える為に動いたのだ。だが、その試みが無駄に終わり続けている以上、無駄なモノは無駄だ。
 無駄だった。
 何の意味も、無かったのだ。
 己を疑った事は一度として無いが、己がやったことに対して相応しい報酬が得られるかどうか、それは信じるに値しない。
 払われた事など無い。
 対価、とは、立場が強ければ、元々払わなくても良いものだ。それが世の中であれ個人であれ、まともに私に金を払う奴は、いなかった。
 私の信じて進んだ道は。
 私に何も、払いはしなかった。
 その癖、未だその道を歩いているのだから、本当にどうかしている。狂っていなくては、出来なかっただろう。
 嬉しくも無いがな。
 実利、結果、即ち金。それだけ貰えれば、良かったのだが・・・・・・随分と、遠回りをしたものだ。 我ながら、どうかしている。
 過程よりも結果を重んじておきながら、こうも遠回りに過程での成長ばかり、得るなど。人間的な成長など、そんな見えない上数字で計れもしない「存在さえしない嘘」など、求めてすらいなかったというのに、だ。
 因果な噺なのか。
 あるいは、それも運命であり宿命か。
 私という、「非人間」の。
 避けられない宿命だったのか。
 分からない。
 私には、計りかねる事だった。
「私から言わせれば、お前たちの珍重する「本物の強さ」とかいう紛い物ほど、価値の無いゴミはない。お前のその言にしたって、ただの綺麗事でしかない。世の中の過程に意味や価値を見いだそうとするのは、決まって余裕のある勝利者だけだ・・・・・・現実には、幼い子供が思いつきで行動していて、何一つ意志も誇りも伴わずとも、金や力を持つ方が、得るのだ」
 そして、一般的な「正しさ」など、要は勝てば手に入るものでしかない。今までの苦痛は、実はこういう意味があったんだよ、なんて、下らない台詞を聞く気は無い。
 下らない。
 そんなことはどうでもいい。
 重要なのは「結果」だ。そして、私の成し遂げた事柄は悉くが、それに相応しい支払いを得ていない。金にならなければ意味など無い。
 実際、世の中そう言うものだ。
 本物が勝つことなど有りはしない。子供のだだのような言い分であろうが、金と権力と暴力と経済力と情報力で、人間は「正しく」なれる。
 正しさは金で買える。
 暴力を買い地位を買い、権力を買い情報を買い相手を叩き潰せば良いだけだ。
 綺麗事などどうでもいい。その方が美味しい思いが出来て、結果豊かになれるなら、その方がいいに決まっている。
 綺麗事に陶酔する趣味はない。
 実利が有れば何でもいい。
「先生には無理だよ」
「何故だ?」
 純粋な疑問だった。
 だが、事も無げにジャックは続ける。
「そもそも、作家業なんて、その最たる例じゃないか。大した見返りもないのに大勢の人間へ、伝えるべき事を伝える」
「そうでもない。売れれば何でも作家だ。現に、中身のないゴミを本という形で売る奴は、腐らせても足りないほどいる」
「けれど、先生の本はそうじゃない。と、いうか先生自体がそういう人種を毛嫌いしすぎているんだな。生理的に無理なんだろう?」
「何がだ」
「だから、そうやって中身のないモノを売る人間さ。何であれ、先生には人間の情けない部分が、偽物が許容できないわけだ」
「それが私の作り上げたもので、売れるならいいのだが、ただ単にそいつらの下らない「ごっこ遊び」に付き合わされるからだ。誰だって、御免だと思うが」
「確かにな。けれど、先生はどちらかと言えば、本物がある方がいい」
「まぁな」
 それに越したことはない。
 金になる方がいい。
「けど、そういう儲け方が出来る人間って、先生とは性根から合わないんだよ。何せ、たまたまの偶然で成功した、とか、あるいは中身がないけれどブームに乗っかって売れた、とか、そんなたまたま幸運に味方されただけの人間に、先生みたいな人間が相容れるわけがないし、何よりそれこそ先生のいう「持つ側」の存在だ。それが出来れ博労はしないと、俺は思うぜ」
「ふん」
 どうなのだろう。いずれにせよ私がどれだけ労力を費やそうが、望む結果にたどり着けた試しがない以上、こんな試みは無駄なだけか。
 どう足掻いたところで、綺麗事で、ジャックやあの女がいうような下らない綺麗事「如き」に、敗北を喫するのか。
 実に屈辱だ。
 綺麗事など、捨て犬の残飯にも劣る汚物だ。
 汚らしい。
 持つ側の台詞など、そんなものか。
 私は持つ側に回りたいというよりは、金の力で平穏に暮らし「そういう人種」と「絶縁」する事もまた、目的の一部なのだ。そう言う意味では、前提としてやり方が間違っているのかもしれない・・・・・・横着しているのだろうか。
 現実問題、金は必要なので、綺麗事だとしか思いはしないが・・・・・・クズの方が儲けていることは事実だ。そして、そいつ等がそれに相応しい報いを受けているのかどうか知らないが、それは私が金を手にしない理由には、決して成らない。
 関係ないではないか。
 意志も道徳もどうでもいい。「過程」はどうでもいいのだ。価値はないし意味も無い。「結果」こそが「全て」だ。
 「金」という「結果」だけだ。
 この世界で価値があるのは。
 断言できる。
 その他に、「現実に存在するモノ」で価値の有るモノは他に存在しない。概念自体が有るだけで現実には「存在さえしない」モノばかりだ。
 そんなモノはどうでもいい。
 現実には金だ。
 金だけが全てだ。
 全ての幸福の源泉だ。

 金で買えないモノは、ないからな。

 世の中、そういうものだ。
 私なら、神様だって買ってみせる。それも、いとも容易く簡単にな。
 その「程度」朝飯前だ。
 神など殺すまでもない。金の力で従えてやる。理不尽も、神も悪魔も、その他大勢のカス共も、金の力で買ってやる。
 それでこそ「私」だ。
 金で買えないモノはない。
 私には、それが出来る。
 有能であろうと無能であろうと、同じ事だ。金の力の前では「個々人の優秀さ」程、役に立たないモノはない。資本主義社会において、認められるのは金を持つ側であり、能力や信条が優れている側では、決してないのだ。
 何が正しいかは金で決まる。
 何を成し得るかも金で決まる。
 金とは、そういうものだ。
「全然そう思ってないくせによ」
「思っているさ、金で買えないモノはない」
「だが、先生は少なくとも「金で買えない何か」が有った方が「面白い」とは、思っている」
「何度も同じ事を言わすな。そんなモノは、精々が物語の中にしか、存在し得ない」
「確かに。けれど、先生は本当に諦めたのか?」「ふん、「諦める」だと? 私にはそんな行動、取りたくても取れないさ。最初から存在すらしないだけだ。有りもしないモノを求めているほど」 暇ではない。
 少なくとも、生きる事に必死だ。
 生きるという事柄に、真摯だ。
 私はそう生きてきた。これからもそうだ。
「それに、先ほど私のことを「恐ろしい」とか何とか言っていたが、私からすればああいう女の方が恐ろしいね」
「あの女? タマモさんの事か」
 例の「依頼人」とかいう人だろ、と、まあ地球に行けないジャックからすれば至極当然だが、よく知らない人間を指す言い方だった。
「ああ、綺麗事を並べ立てて、それでいて私が何かに利用されたり、苦痛や苦渋を味わう事を「仕方がない」と割り切れる外道だ」
「そんな人物なのか? 俺は噺を聞く限り、まっとうな人間だと思ったが」
「だからこそだ。あの女は「愛情」みたいなモノを向けている「つもり」なのかもしれないが、全然違う。あれは「飼っている動物」に対する愛情とさほど変わらない。私に向けても良いが、私に向けなくても良い」
「どういうことだ?」
「つまり・・・・・・ペットが死んだら悲しむだろう。だが、まぁこれも「仕方がない」と、妥協して諦めて、「次」を使える人間なのさ」
「よく、わからねぇけど、要は見切りが早いって事か?」
「まぁな。そして、己自身では「最大の愛情を与えている」つもりでいる。厄介だよ、ああいうのはな。愛情を向けているつもりで、自分が愛情を向ける事さえ出来れば、向けられる対象が幾ら苦しんでも「仕方が無く」妥協できる。私が最悪ならあの女は「邪悪」だ。最も質が悪い」
 まさに外道だ。
 己自身では「良い事」をしているつもりだろうから、尚性質は悪い。その他大勢の民衆にも、愚かしくもそういう輩は数多くいるが、違う。ただ愚かだから「良い事」をしていると思いこんでいるのでは、無いのだ。「本気」で愛しているつもりだし、己では「尊く奉仕している」つもりでいる。その結果、己自身の在り方、「誰か、あるいは何かを愛する」という行動の為に、肝心の相手が苦しんでも、それはそれで「仕方がない」愛につきものの犠牲、だとでも割り切れる。
 極悪だ。
 吐き気を催すくらいには。
 それでも、きっと、私よりは良い道を、歩いているのだろうが。全く、忌々しい限りだ。
「人間にあの女は期待しすぎだ。期待するのは勝手だが、人間の魂が輝くときは大抵地獄の底でしかない。地獄の中に尊いモノがあるからって、地獄に突き落として眺めるのは、ありを観察する子供みたいなものさ」
 まさに神の視点ということだ。
 面白くもない。
「先生は、あの女を憎んでいるのか?」
「いや? 別に」
 憎む、か。恨んではいるかもしれないが、それにしたって理不尽を生み出す対象として、つまり人間以上のモノに対しては、私は基本的にそういう態度を取っている。
 だからどうでもいいことだ。
 重要なのは、あくまでも「金」だからな。
「まぁ、私は悪女は嫌いではないからな」
「先生の好みは、よくわからねえよ」
 その方が、面白い。
 無論、面白くても、利用されるのは御免だ。できれば、私とは関係ない輩に、被害を及ぼし続けて欲しいものだ。
 ジャックの言うことも、もっともだったが。
「着いたぜ」
 ジャックのその言葉に反応して、私は戦艦(宇宙空域が危険にさらされているため、民間で運用している戦艦に乗り込まざるを得なかった)の外が見える窓を見た。
 外には、灰色の死んだ世界が広がっていた。

   4
 

 被害者と加害者。
 どうなのだろう。ここにいるミュータント共は「被害者」と呼べるのだろうか? まぁおよそロクでもない生き方をしていたからこそ、こんな灰色の惑星でミュータントなんてやってるのだろうが・・・・・・つい、考える。
 無論、論じるまでもなく、私なら「金に成る」方になる。加害者の方が儲かれば加害者を名乗り被害者の方が儲かれば堂々と道理を説き、裁判を起こして悲劇をマスコミに訴え、金に変える。
 自覚的な悪人など、そういうものだ。
 だが、世の中には自分を「被害者」だと、本気でそう思っている馬鹿が多い。被害も加害もあるか馬鹿馬鹿しい。人間である以上環境に対する加害者で、他の全ての人類に対する加害者だ。
 人間など、他の人間からですら、邪魔だ。
 何かしら傷つけるし、他人と関わり人を傷つけないでいられる奴など、最早人間ではあるまい。他者を傷つけるからこその人類だ。生きる為に、誰かを、何かを、傷つける。これは当然の事でしかない。他者を傷つけるのは、生き物なら当然の事だ。
 被害者。
 何ともいかがわしい台詞だ。
 人間である時点で加害者ではないか。
 金の為にやっているなら分かる。私も、被害者ぶることで金が貰えるなら、そうしようかと思うくらいだ。まぁ、私の場合、被害を訴えたところで聞く奴など一人もいないが。
 未だかつて見た事がない。
 まぁどうでもいいがな。
 いてもいなくても、金にならなければ同じだ。 加害者でない、私は被害者だ、などと。それは「生きていない」と宣言するようなモノだ。生きていれば騙し奪い殺すのは当然だ。お前たちは二酸化炭素を出さずに息を吸えるのか?
 私は吸えるが。無呼吸でも、なんなら真空空間でも活動が可能だ。遺伝子操作で人体を改造したのもあるが、「サムライ」としての戦闘能力と、その頑丈さのおかげだろう。
 便利なものだ。
 宇宙空間でも太陽の黒点の中でも活動できる強靱な肉体があったところで、使う機会はまるでないがな。精々、健康に気を使わなくて良い位か。 戦闘で死ぬ可能性が無いので、私としては気楽に殺戮活動に勤しめて、気楽なものだ。
 その結果善良かどうかすら知らないミュータントが死ぬことになるが、まぁどうでもいい。私の人生には何の関係もあるまい。そいつらを気遣ったところで、私の貯金残高は何も変わらない。
 だからどうでもいい。
 どうでも良さ過ぎる。
 気にする部分など、皆無だ。
 私にとって命の価値は実に平等だ。

 私を頂点に私の役に立つかどうか。

 基準は大体これで決まる。
 決められる。
 私はそういう非人間だ。道徳だの倫理観だの、そんな「暇な理由」に悩まなくて、非人間で本当に良かったと、心無い内側から思う。
 そんな「下らない」理由で死ぬのは御免だ。
 私の事以外など、気にする価値はない。
 それが人間というものだ。
 己自身を秤の中心に添えられない奴が最近多いが、自分ではない誰か、偉さとか権力とか空気とか、そんな曖昧なモノに己の人生を預けるというのだから、どうかしている。
 運命とはどうにもならないものだ、しかし、だからといって選択をしなくて良い訳でも、無い。 後悔しない、という理由もある。
 だが、「それ以前」の問題だ。己自身のことを己で考えられない奴が、前へ進めるものか。人間に己があるのは「他でもない己自身」を満たすために他ならない。社会の為だとか人類の為だとか他の誰かの為だとか女の為だとか皆の為だとか、全て、己自身で決められない言い訳だ。 
 情けない奴等だ。
 他にやることはないのか?
 「生きる」事に向き合わず、ただ「持つ側」という理由だけで、幸せになれても何かを成し遂げられるはずがない。そのくせ、「特別な何か」に憧れ、あろうことか「作家」という「肩書き」に憧れて、中身のないカス以下の作品を、たまたま運が良かったりして売りさばくというのだから、忌々しい限りだ。
 当然ながら、皮肉だ。
 私のような人間が金を稼げないからだという、私的な理由も有るがな。
 実際、そういう人間は実に邪魔だ。
 生きているだけで迷惑だ。
 言っても仕方ないがな。
 現時点で何を言おうがあまり説得力はないが、「運命如き」いずれ「克服」する対象でしかないのだ。出来なければ死ぬしかない。何事においても頂を越えることを見据えて、初めて先の一戦に勝利できる。視線も上を見れない奴が、大いなる障害を越えられるはずもない。
 作家などと言うのは、そもそもが人間を止めた連中の吹き溜まりだ。人間であるくせに作家をしようなどと、どうかしている。
 なんて言ってみたが、案外私は人間らしい人間かもしれないではないか。ちょっとばかり他の人類が滅んでも、大して気に掛けず、どころか人間であろうが無かろうが区別が無く、それでいて利用して使い捨てることにまるで躊躇がないだけだ・・・・・・案外、それも人間の一面なのかもしれないしな。
 まぁどうでもいいが。
 人間かどうかなど、些細なことだ。
 別にどうでもいい、金の多寡にはまるで関係がないしな。
 短期的に「敗北の運命」があるだけで、長期的に見れば「勝利の運命」があるとして、その場合試みそのものが無駄なわけだが、別に構わない。早めに美味しい思いが出来ればそれでいい。
 「結果」的に私の望む結末が手に入れば、運命などあっても無くても構わないのだ。
 私はそういう思考回路だからな。
 それで自己満足できる人間だ。
 非人間、だ。
 それもまた、些細な違いでしか、無いのだが。 とりあえずミュータント、か。生け捕りにして売り払えば、そこそこの金になるだろう。非合法であるほど金になる。資本主義の基本だ。
 法律はバレずにくぐり抜けるためにある、だから内容が穴だらけなのだ。そうでなくては、利用できないからな。
 核弾頭の開発、いや「核」という「概念」は永久に不滅だ。政治力の問題もあるが、そもそもが無くす気など無いのだから、無くなる訳がないだろう。
 兵器が無ければ国力を示せない。
 わかりやすい「基準」だ。その結果ミュータントが生まれ、核の影響下で人体を成長させ、それらを解析し実験することで医療や延命に役立ち、それを仕入れることで私が儲かるのだから、感謝は有っても文句はない。
 あるはずがない。
 自身に向けられない「脅威」など、利用する為の対象でしかないのだ。核など、保有することが目的であって、本来なら世界から無くそうなどという考えそのものが甘すぎる。
 どうやって現実問題国家を運営するのか、考えてもいない。馬鹿馬鹿しい事に「義侠心」とか、あるいは「倫理的な問題」とかそういう風潮に乗っかって、自分たちが「良い行い」をしていると思いこんでいる。
 もし核を放棄する案を通したとして、国家が核兵器という脅威を持たなければ、テロリスト共の思う壷ではないか。テロリストがそんなルールを守ってくれるとでも思っているのか? 私ならそんなルール守らないが。
 人類の平和は「核兵器」でもたらされた。
 それを無くして平和にしよう、など、おこがましいにも程がある。子供が「世界から兵器を全部無くしてしまえばいい」というのと同じだ。理想的ではあるが現実味はまるでない。
 現実問題、ここのミュータント共の犠牲のお陰で、その利益をもたらす人間は加増多くいるだろう。そして自分たちが受けている恩恵は無視して「道義的に駄目だ」と吠える。なら、その分不利益をこうむれるのかというと、そうでもない。やる前にはそれらしい事を言っているが、いざ自分たちに火の粉が降りかかれば、あっさり「こんな政策を決めるなんてどうかしている」と叫ぶのだ・・・・・・難民に体する「義侠心」も、同じ事が言えるが、綺麗事を叫ぶのは簡単だ。
 叫ぶだけならば猿でも出来る。
 実際に何か成し遂げてからモノを言え。
 それでこそ現実に変化を起こせるというものだ・・・・・・口と態度だけデカくするんじゃない。
 そんなことは、誰にでも出来る。
 いい加減自覚しろ、馬鹿共が。
 所謂「プロ」としての実力をつけるだけなら、実に簡単な事だ。およそ「十万時間」程、訓練すれば、人間の性能的にその道のトップクラスの技能を身につけられる。「反復学習」とでも言えばいいのか、言語でも同じ事が言えるだろう。どんな馬鹿でも現地で暮らせば、三ヶ月もしない内に喋れるようになる。
 これは才能とかそんな下らない些末事ではなく「そういう風に」人間は作られているのだ。
 たかが十万時間だ。
 年中それのことを考えている人間からすれば、実に容易い関門だ。
 何をするでもなく、ただ己の信条に従って・・・・・・狂気のように繰り返すだけだ。私はそれ以外の事をしてはいない。狂気、そう、まさに狂気だ。 何の見返りもなくただ「繰り返す」作業。
 いや、見返りはある。ただ、その保証がどこにもないというだけだ。
 完全に人間の在り方から外れることで、狂気は生まれるのだろう。「ご褒美」があるからこそ、人間は活力を伴って生きる。生まれたときから何一つ持ち得ず、何一つ「欲しがることさえ」出来ないような人間だからこそ、「何の理由も動機付けも」無く、あり得ないほどの行動力を発揮できるのかもしれない。
 確かに私には「金と平穏」という理由があるがそれだって絶対ではない。無論金は欲しいが、それが「作家業」の動機付けかどうか、と言われると、知らない、としか答えられない。
 「過程」よりも「結果」を重んじる以上、動機付けや理由そのものが「どうでもいい」のだ。金になればそれでいい。
 人生における自己満足、充足の方法として確立した今となっては、どうでもいいことだ。
 どうでもいい。
 どうでも良くないのは、「金」である。
 無論、目的を達成したところで、やることは同じだろう。金に困る可能性がゼロに成れば面白い物語を読みふけり、それでいて足りなければ、また他の娯楽を探しつつ、作品を書いて充足を得るまでだ。何なら、未知のジャンルを書くのもいいだろう。私は作家として才能ではなく経験で書いている人間なので、どんな作風であろうが、書けないモノは存在しない。
 理論上では、だが・・・・・・どれだけ目的を達成しようとも、私は飽き足り退屈することはない。半恒久的に、人生を楽しめる。
 それに比べれば人並みの人生など、安いモノだ・・・・・・狂気の方が、面白い。
 狂人で良かったと、心から思う。心なんて有るのかどうか、別に保証もしないが。
 するつもりもない。
 私は寂れた惑星に降り立ち、そんな事を考えていた。見る限りでは、だが・・・・・・まさに廃墟といった印象を受ける。
 この辺りは開発地区だったのか、主に居住区とその周りに農産業地帯があるようだ。だが、中央部にある中央管制室。恐らくは核実験の主導を行っていたであろうその施設に至るまでの道のりにある居住区には、人の気配はしない。
 まるでしない。
 街が死んでいるようだ。
 死んでいるなら死んでいるで、死体を売るだけだが・・・・・・ミュータントを殺し尽くし、写真の男を「始末」するにしたって、まずは「巣」を探さねばなるまい。
 面倒な噺だ。
 ミュータントの応用性は非常に高く、近いところでは「ガン治療」の特効薬として、彼らの血清が売られている。多量で有れば毒になるが、少量なら利用可能になるというのは、毒物の基本だ。 他にも、遺伝子治療によるアンチエイジング、移植用(無論、殺菌後だ)臓器もある。ウィルス耐性が高い分肉体に核による有害ウィルスを宿してこそいるが、不思議なことに「肉体そのもの」は至って健康なのだ。だから血清用にまず血抜きをし、そして殺菌消毒を行えば、非常に有用性の高い臓器、また非合法なバイオコンピュータ用に脳を売りさばけば、結構な金になるのだ。
 繁殖方法が現状、不明なので、だからだろう。こんな廃棄惑星に、ミュータント共を放っておいているのは。「遺伝子組み替え食物」にも非常に高い毒への耐性が有用であり、バイオテロ対策の意味合いも有るのだろうが、少ない栄養価で育つ部分からも着目を得て、現段階では、だが・・・・・・およそ八割の飼料は、アンドロイドとドローンの管轄下で「遺伝子組み替え食物」主に完全な栄養を得られると評判の万能麦と、それを食べる全ての管理動物に、飼料として出されている。
 それを食べているわけだ。
 牛や豚、羊や鶏を美味しそうに。間接的にではあるが、ミュータントの肉を食っているのと、大差はないだろう。
 私は無論、有機栽培麦を食べているのだが、非常に値が張る。極々一部の富裕層でしか、そんな自然からの恵みは食べられなくなっている。
 昔の人間が普通に行っていたことを、金を掛けて金持ちの特権として活かしているのだから、何とも奇妙な噺だ。もっとも不気味なのは、本来そういう生活をしてきたはずの庶民こそが、そういう「安い遺伝子改良食物」を食べている部分か。 集団心理なのか何なのか。いずれにせよ、そうやって時代に流されれば、確実に、知らない内に多くの毒素と後悔を、その身体を持って味わうことになるのだろう。それを自覚すらも出来ないようだかな。大抵の人間は「年をとったから」で、誤魔化すらしい。
 年齢に健康状態は関係がない。
 だが、そう「思いこみ」たいのだろう。自分たちに何一つとして「落ち度など無い」と、信じ込みたいのだ。だから、利用されるのだろうが。
 ああはなるまい。
 ああなってはお終いだからな。
 生物としても、一個人としてもだ。
 私もお前達読者共も、何一つとして「特別」ではない。私とて、手間がかかるというだけで、少なくとも人類史で同じような人間がいないかどうかと言えば、否だろう。
 それでも己を際だたせたいならば、狂気に身を任せればいい。私は取るに足りない人間だったが「狂気」は人間を替えの効かないモノにする。
 己自身は決して替えが効かないものだ。
 サムライの能力とか作家業とかそんなモノは些細なことだ。誰にでもある肩書きでしかない。そして肩書きとは所詮、存在さえしないものだ。
 そこに至るまで、至ってから、そしてこれからの人間の狂気こそが、己を己たらしめる。
 それでこそ「人間」だ。
 人間はもっと「狂気」に満ちるべきだ。
 そうではないか?
 その方が・・・・・・面白い。
 替えが効く人材? 大いに結構。別に何一つとして問題は生じない。似たような作品も、いずれ世に出るかもしれない、だがこの「狂気」だけは代わりの効かない唯一であるべきだ。
 だからこそ、人間は面白い。
 狂気だけが、人生だ。
 金と狂気で、得られぬモノなど何もない。
 狂気とは、戦力差も実力差も財力差も無視して全てを台無しにする思想だ。そして、そうでもしなければ「持たざる人間」は決して勝てない。
 敗北は人間の味を濃くするが、誰だって濃い味にする為頑張っている訳ではない。いるとしたら背伸びしているお子様ぐらいだ。
 そういう奴は多い。成長する事が重要だ、などと・・・・・・欠伸すら出ない。
 偉そうに説教を垂れる前に、本の一冊でも買いてから言え。噺はそれからだ。
 我々は所詮、肉と骨の固まりでしかない。自身を「特別だ」とか「悟っている」とか思いたがる人間は多い。背伸びして大人ぶって、自分は凄いんだぞと、思いこみたがる。
 そんな暇があるなら金を数えろ。
 偉ぶるだけなら犬でも出来る。
 私の場合処世術、というか交渉ではそういう態度を取るのは合理的だと分かる。交渉事で低姿勢でいて良い事など一つもない。舐めた真似を許せば奪われる。取引の基本だ。
 傲慢さなどカードの一つだ。
 現実には「偉さ」などどこにも存在しない。
 そういう意味では、ここにいるミュータント共も銀河連邦の権力者も、私にとっては同じだった・・・・・・利用できるか出来ないか、殺せるか殺せないかだ。
 そして私に殺せない、「始末」出来ない相手など、この世にもあの世にもいない。だが、容易い依頼だ、と慢心するつもりもなかった。
 街を歩きながら、考える。
 アンドロイドを素手で破壊できる私でも、汚いモノは触りたくはない。そこらじゅう汚染の後があり、街にペンキをぶちまけたかのような有様、そしてもう何年も人の生活が無いであろう雰囲気を醸し出していた。ウィルスや細菌兵器如きで、どうこうなる「サムライ」でも無いが、まぁ汚いモノに触る必要もあるまい。ハンケチを取り出して、試しにそこら辺のガラクタを拾ってみる。
 これは、機械だろうか。恐らくは元々はラジオだった残骸のようだ。しかし、気になる点が、一つあった。
 中の回路が幾つか引き出されている。
 「誰か」が、他の機械に流用する為に、中の回路を引き抜いたのだ。それを何に使ったか、なんてのは分からないが、奇妙だ。
 ミュータントは原始的な生き物だ。
 文化、と呼べる程のモノを持たず、ほとんど本能で行動する「生物」いや「生物兵器」と呼ぶべきモノだそれが、「機械を作り直す」なんて、そんな事をするのか?
 手がかりになるかもしれない。
 街を歩くと、レストランらしき場所があったので、そこの中にある席に座ることにした。当然ながら、食べ物は出ないので、あらかじめ持ち歩いている非常食のカロリーバーをかじりつつ、水筒に入れてあるコーヒーを飲み干しだ。
 やはり美味い。
 ミュータントが跋扈し、文明が滅びても、コーヒーの味は不滅だな。
 いいものだ。
 私は金以外に価値を見いださないし、見いだすつもりすらない非人間だ。だが、そんな私だからこそ、言えることもある。
 所謂「信念」だとか「意志」だとかに価値は存在し得ない。だが、もしお前達がそれを価値ある何かにしたいのならば、誰かにその意志をバラまき、そして自分ではない誰かに受け継がせることだ。悪であれ善であれ、自分ではない誰かに、受け継がせない意志に価値は生まれない。
 愛だの友情だの眠い事を言ってる暇があるならそれを誰かに伝播して見ろと、まぁそういう噺だ・・・・・・少なくともコーヒーは素晴らしい。
 コーヒーが素晴らしいという「意志」を受け継がせた人間が誰だか知らないが、きっと私のような非人間ですら、その価値は認めるだろう。
 美味いからな。
 味は本当は分からないし、美味しくてもそれを「美味しい」と認識できないのだが、雰囲気がいいのだ。優雅な雰囲気、静謐な時間を演出するのに、コーヒーは優れている。
 こんな廃墟でも、それなりに絵になるしな。
 思想はバラまいてこそだ。
 それでこそ、意味と価値が生まれる。
 何もないところからでも、存在しうるのだ。
 戯れ言だがな。

 そこに女の子供がいた。

 少女だ。まるで「不思議の国のアリス」だ。こんな

 当然、こんなミュータントの跋扈する惑星に、まともな人間がいるはずもない。何者だ?・・・・・・いや、今それを考えても仕方がない。 
 私はサッカー選手がスタートを切るかのように椅子を蹴飛ばしながら少女の後を追った。早い、こんな足の速さ、子供ではあり得ない。
 一キロを三十秒フラットで走る私が、サムライが追い抜かれるなど、あり得るのか?
 恐らくは街全体の下水を処理していたであろう大きな排水溝のトンネルような場所に出た。どうも街全体を囲うように下水が通っているらしい。どうにも建築の仕方一つとっても、作為的な場所だ。洪水対策か? こんな大きいトンネルみたいな下水があるとは。
 大きな排水溝トンネルの向こうにある、暗闇の入り口へ、少女は消えていった。あまり追いたくないが、追うしかあるまい。私で有ればミュータントが何万何億いようが、引けは取らない。
 筈なのだが、どうも、嫌な予感がした。
 毎度ながら、ロクな依頼ではないな。
「ジャック、どう思う?」
 私は携帯している端末に向かって聞いてみた。「・・・・・・ミュータントが薄暗い場所を根城にするのは珍しくないが、どうも、妙だぜ」
「何がだ」
「さっきの「少女」何かしら強い意志を持って移動しているように見えた。本能的な動きじゃあないな、あれは。ミュータントは進化の代わりに、殆ど「理性」を失っている。あんな動きが出来るほど、性能も高くはない」
「成る程」
 つまり「悪い予感」がすると。長々と説明したが、何も分かってないではないか。
 私は彼女の後を追おうとして
「逃げて!」
 その声にかき消されたと思う暇もなく、私は咄嗟に身を伏せた。と、ほぼ同時、殆どのタイムラグも無く、私の頭上をプラズマ放射銃の軌跡が頭をかすめた。狙撃、か?
 ミュータントが銃を構えて狙撃?
 訳が分からない。
「こっちよ」
 そう言って、少女は私を手招きし、トンネルの中へと誘導する。私はとっさに飛び降りて下水道のトンネル前に一般歩道から飛び降りてしまったので、見えたのはほんの一瞬だったが・・・・・・間違いなくミュータントが「プラズマ銃」を持っている姿を、確かに見た。
 なんだあれは。
 アンバランスすぎて気味が悪い。
 ああいう造形は好きだが、そのミュータントが最新式の狙撃銃を構えている姿は、なんだか同家じみていて、滑稽でしかなかった。
 少女に言われるがまま私はトンネルの中に避難した。応戦しても良かったが、狙撃後には移動するのは鉄則だ。同じポイントにはまずいないだろうし、いたとしても追撃は難しい。
 だからここは引くことにした。
 武装したミュータントなんて、念頭に置いてすらいなかったしな。
「ここなら安全だわ」
 言って、少女は恐らくこの下水道を管理していたであろう警備室らしき所へ入り、その奥にある隠し扉らしき場所を何やら番号を押して認証して開いた。
 その奥には暗く長い通路があり、そこを抜けると・・・・・・
「何だ、これは?」
「歓迎するわ。ようこそ、レジスタンス本部へ」 

    5

 この世は所詮紛い物だ。
 勝利も友情も努力も漫画の中位にしか、つまり作り物の世界にしか存在し得ないただの嘘だ。
 そんなモノは存在しない。
 汚らしいただの嘘だ。
 愛情は自己満足の裏返しで、友情は利他行為の別称だ。この世にある「綺麗事」ほど、醜悪で厚かましいモノは無い。
 善意を無理矢理押し売り、断れば「信じられない、こんな道徳的な頼みを断るなんて」と、厚かましいことにこちらの都合も考えず、それでいて自分たちの主張は通って当然だと思っており、そのくせ大して行動すらしない。
 綺麗事を口にする人間は大体そうだ。
 そして、こいつらも似たり寄ったりだろう。
 レジスタンス、と呼ぶにはあまりにもお粗末な場所だった。どうやらここは「ミュータント化」の手術を受け損なった人間達のコミュニティーらしい。標的の博士、生物学遺伝学専門の男は、どうやら人工的にそういう存在を作り続けているらしい。
 私には関係がないので、どうでもいいが。
 こいつらは私が自分たちを助けてくれて当然だと、厚かましくも思っていたらしい。何人かの人間が「助けてやったのに」と叫んだが、別に頼んでいないし、金があれば人間に助けなど、塵一つ分すらも必要ない。
 人間は人間など助けられる筈があるまい。
 人を助けるのはいつだって「金」なのだから。 窮地に必要なのは金であり、絶望から人間を引き上げるのも、また金だ。人間が人間を助けるなど、お前達漫画や小説の読みすぎだぞ。
 そんな訳が無いだろう。
 私は先ほどの少女、マリーとか言う少女に、談話室のようなスペースに案内され、そこに座ることにした。
 安っぽい椅子だったので、私の座る椅子にはクッションを敷かせた。その方が良いと判断したのか彼女もそうして、向かい合うように座った。
「私の名前はマリー。ここの責任者よ」
 解放された人たちへ食事の提供と、地下農場の指導、及び解放活動の指示を出しているわ、と彼女は言った。
「俺の名前はジャック。違法取り引きされた人工知能で、今の持ち主はそこにいる先生だ。存在自体が違法だから、俺の事は黙っていてくれ」
「私は作家だ。「先生」とでも呼んでくれ。私も存在自体が違法、というよりも、政治的にも色々問題があって、「サムライ」であると同時に、指示された邪魔者の始末も請け負っている。当然、活動は違法どころか政治的にもグレーな存在だ。だから私の事は公安には言うなよ」
「・・・・・・貴方達、二人とも存在そのものに問題があるのね」
 私と一緒だわ、と見た目に似合わない笑みを軽く浮かべてから、彼女はそう受け止めた。
「私はクローンよ」
「クローン、と言うと、ミュータントから人工的に作られたのか?」
 厳密には違うわ、と前置きをしてから、彼女はこう続けた、「私は時森博士の娘の卵子を使ってミュータントと交配させた成功例なの」と。
「ミュータントと人間が? あり得るのか」 
「俺はあり得ると思うぜ。不可能じゃないだろうしな」
 言って、ジャックは端末上にデータをズラズラと並べた。どうやらミュータントの遺伝子情報やその人間との差異について書かれたレポートらしかった。
 それを見てマリーが口を開く。
「人間とミュータントは、遺伝子が変質しただけで、元は同じ人間だもの。勿論試行錯誤は必要だったみたいだけど、当然と言えば当然よ」
「だが、そんな事をして」
「貴方も見たでしょう?」 
 私の足の速さ、とそう言ってスカートを翻した・・・・・・ませた子供だ。こういう子供は自尊心は結構高いので、扱いには気を使う。
 注意しておこう。
「元々、「人間を越える種族」として、実験を進めていたらしいわ。けれど、相次ぐ核実験が当時の上層部にバレて大きく揉めた」
「秘密裏に核実験なんてやっていたのか」
「当然よ。そこの貴方、人工知能ならネットにアクセスして、当時のデータくらい出せるでしょ」「あいよ」
 言って、また端末上にジャックはデータを映し出した。どうやら、人物データのようだ。ジャックは「どこもこういうもんだよな」と軽口を挟みつつ、説明を始めた。
「当時、時森博士は「ハイブリット人間」の開発主任として、ここに招かれていたらしい」
「ハイブリット人間、とは?」
「先生、遺伝子情報の操作で、優れた作物を作れることくらいは知っているだろう? それを、ミュータントと人間でやったのさ」
「馬鹿な事を考える奴がいたものだ」
 いや、どちらかというと私に近い。「発想はあっても普通実行はしない」そういう類の実験内容であることは、確かなようだ。
 狂気だ。
 人間の改造など、考えても実行しない。
 私が言うと、どうにも説得力に欠けるが。
 サムライなんて改造人間そのものだからな。
「ええ、馬鹿な事よ。けれどそれを実行に移す人間がいて、それに相応しい資金と場所を提供する人間がいれば、それは実現可能な「現実」になるのよ。狂気を実現させるのなんて簡単よ、権力と金が有ればいいのだもの」
 言って、関係者リストを眺めていると、その資金を出したのはどうやら「教授」のようだった。 こんな古い段階から考えていたのか。
 読めない男だ。あの教授も。
「実際にその被害を受ける側からすれば、たまったもんじゃ、無いけどね。権力者なんて金をため込んでいるだけの、ただの豚よ。自分たちを立派だと思いこんでいるようだけど、品性は金では買えないらしいわね」
「言われてるぞ、先生」
「大きなお世話だ。いいんだよ、金になれば」
 私は「それで」と噺を区切り「何が望みだ」と聞くことにした。
 彼女は、
「ええ、貴方の協力が欲しいのよ。彼らは最新鋭の兵器を、この惑星と生き残りの人間達を狩りの獲物にすることで「技術の遊び場」として活用しているの。私たちは兵器の実用性を実証する為の的ってわけ」
「ん、まてよ。確か貴様は「ハイブリット化」に成功した成功例なのだろう? ならば、お前は博士の所へ行けばいいんじゃないのか?」
「冗談は止めてよ。愛情なんて、勝手に向けるのは良いかもしれないけど、向けられる側はたまったもんじゃないわ。レジスタンス役を押しつけられた人間を殺すことで愛情を確認するような変態に、私は媚びなんて売りたくもない」
 何事も、一方的に満足する側はいいが、される側はたまったものではないらしい。ならば私の作品もそうなのかと思ったが、私の作品は満足と言うには苦悩に満ちすぎている。ならば案外、私の作品を読む相手も、その苦悩を疑似体験して苦しんでいるのかもしれない。
 金を払った後の読者など、どうでもいいがな。 重要なのはあくまでも「金」だ。
「私に出来る事はなさそうだな」
「ちょっと、待ってよ」
「何だ」
「見捨てるつもり?」
「見捨てるも何も、私とお前は友達か?」
 契約で仕方なくここにいるだけだ、私は。別にこいつらと仲良くする為に、いる訳では無い。
「だったら、何よ」
「自分の事は自分でするんだな。私はその時森とか言う男を「始末」せねばならんのでな」
「始末、って、ちょっと」
 服を捕まれ、仕方なく私は立ち止まる。
「手伝うわ」
「邪魔だから家で寝てろ」
「いいえ、行く。もう決めたの」
 逃げないって、などと、よく分からないことを口にして、どうも、私を手伝うことで、何かしらの自己満足を充足させたいらしかった。
 気絶させて放置させようか、と思ったが、よくよく考えれば、この女なら博士の居場所を知っているのではないだろうか。
「お前、博士の居場所を知っているのか」
「知らないわ、けど」
「じゃあな、お疲れ。子供は寝てろ」
「待ちなさいよ! 博士は、貴重なサンプルとして、貴方、サムライなんでしょう? 捕獲しようとするはずだわ。その時を狙えばいい」
「ふん」
 どうしようかな。
 物語の流れに従うなら、この女を連れていくべきなのだろうが、別に無視しても私は何も痛くも痒くもない。何なら今ここで五月蠅い口ごと首をはねても、別に構うまい。
「連れて行こうぜ、先生」
「正気か?」
「弾避けは多い方がいいだろう?」
「ちょっと、聞こえてるわ」
 愉快な愉快な三人組。
 案外あっさり死ぬかもしれないが、連れて行くだけなら構わないだろう。
 別に守る必要もないのだから。

   6

 
 誰もが、嘘をついて生きている。
 この世界に何一つ美しいモノなど存在しない。だから美しいモノはある、と自分たちを騙し、高潔に生きていれば報われる、と嘘を重ねる。
 政府が人殺しをしていない、などという戯言を信じる馬鹿が多いのが、その証拠だ。国なんて大きな組織を動かす上で、どうやって人も殺さず人道的に、物事を押し進めるというのだ。
 皆の意見を反映する? 下らない、要は子供同士の集まりと同じだ。誰かの反対を押し切って何かを成し遂げるよりも、付和雷同していた方が、誰かに批判されないからだ。
 批判されるのが嫌なら生きるのをやめろ。
 馬鹿に批判されて、ようやく一人前だ。頭の悪いその他大勢が反対しなければ、むしろ内容に問題があるという事ではないか。革新的なアイデアに対し、その他大勢に属する人間は、必ず何も考えずに反対してきた。
 そのカス共に賞賛されては、むしろ問題だ。
 こと争いごとにおいては、そういう「社会的道義」や「民主主義」は通用しない。争いには、戦争には、戦いには「言い訳」が通用しないのだ。 だから好都合だ。
 馬鹿は放っておいても死ぬ。
 あの女、マリーとか言ったか。も、同じ事だ。綺麗事だけ並べているようなら、早いか遅いかだ・・・・・・死体だけ回収して売るとしよう。
 高値で売れそうだしな。
 あの女の思想が本物か偽物か、それはどうでも良い噺だ。本物か偽物かなど、些細な誤差でしかない。何より、まったく同一の偽物を作れたとするならば、偽物の方が原価は安い。
 だから、奴等の思想が偽物だろうと本物だろうと関係はない。私はそれを利用して、儲けられればそれでいい。

 今回のこの「物語」に意味はあるのだろうか。
 ふと、そんな事を思った。
 過程ほどどうでもいいモノはない。物語をコーヒーとチョコレートを摘みながら、二週間で完成させようが、何年も掛けて完成させようが売り上げ以外に価値などあるまい。
 だが、その「過程」こそが「物語」に求められるモノなのだ。何度でも人を感動させ、感服させ「何か」を教訓とする。だからこその物語だ。
 私は・・・・・・いや私の物語は信念や思想に向いている。本質を理解し、読解する為の初心者向けのマニュアルみたいなものだ。初心者向けと言うより「狂人」向けかもしれないが。
 まあどうでもいい。
 それが金になるかどうかだ。
 今回も、やはり同じだ。金になれば、あいつらの意味不明なレジスタンス活動が、成功しようが失敗しようがどうでもいい。私はそういう非人間なのだから。
 それで散々遠くまで歩いてきたが、金になどなっていないではないか。物語に真に尊い何かがあるなら、とうに金になっているはずだ。
 運不運。
 今回の物語も、そうなのだろうか。
 所詮、それなのか?
 このままでは、そういうことになるが。
 だが、不思議な部分もある。私は未知の事を、労働としてこなすのは大嫌いだ。現状出来ない何かを責任を持ってやる、などと、出来もしないことをやらされるのは、正直不愉快だ。
 だが、こと作家業に関して言えば、それはないのだ。どんなジャンルであろうが、今回のように未知の場所であろうが、一切の「不安」がない。 己で出来て当然だと、傑作が書けて当然、売れて当然という自負がある。
 不安、というのは本来「未知」から来るモノだが、私は作家業に関してのみ、それがない。未知を楽しめるのはそれが娯楽であるからだ。娯楽であれば、無尽蔵に人間はそれが出来る。
 「不安」無く「生きられ」るのだ。
 だから、それこそが、私の求めている何かであるという「可能性」はある。問題は、金になっていないということだ。
 金になっていれば文句ないのだがな。
 言っても仕方がない。
 だが言わせてもらう。

 悩み、苦悩し、それでも前へ進む人間の姿は、きっと「美しい」のだろう。だが私は美しくありたいわけでも、人間になりたい訳でもない。
 誰かに理解されようなどと思ったことも無い。誰かを理解しよう、否、理解はするが、それに何かを思うことなど、ありはしない。
 勘違いするな。
 私は確かに非人間だ。だからといって、「人間如き」に憧れて、そうなりたがる事など、未来永劫有りはしない。私はそういう存在なのだ。
 だから畑違いだ。
 自惚れるな。
 人間にそこまでの価値などない。
 「自分よりも大きな何か」に、左右される。それは「己の道を選び、己で選択し、己で成し遂げた」存在にとっては、侮辱であり屈辱だ。
 悔しい、などという概念は私にはない。だが、気に食わない。私は奴隷ではない。
 私の内には何も無い。人間性も、夢も希望も、思いですらも有りはしない。まさに死人だ。
 だが、死人ですら「己」はある。他でもない、この「私」が遮られるなど、私の存在を否定するようなものだ。
 要は生存本能だ。
 たかが運命如きに、屈している暇も無かった。私は、そういう道を歩いてきたのだ。ならば、その道に「ご褒美」がないのは、それだけの遠回りをさせられて「金にすらならない」なんて、この私が許しはしない。
 何が何でも、取り立てる。
 運命であろうと宿命であろうと、私には金を取り立てる債務者でしかない。不当にも、この私の「傑作」に、金を払わない不届き者だ。
 物語に金を払わせる。
 言ってみれば、当たり前の事をしているだけだ・・・・・・作家として、何一つ特別な事など、無い。 
 ただの、それだけだ。
 私は何一つ特別な事など望んでいない。傑作を書いたのだ。ならば何が何でも金を払わせる。
 それが作家というものだ。
 私は、邪道の作家だがね。
 狂気に満ちて、金の力でそれを押し通したい、なんてのは、もう人間の発想ではないだろう。いや、その「程度」なら、十分人間か。
 それはそれで、面白い。
 面白ければ、それでいい。
 生きるとは自己満足と魂の研鑽だ。だが魂を磨いたところで喜ぶのはどこか雲の上にでもいるお偉い何かであり、どうでもいいことだ。魂なんて入ってるのかどうかも怪しいブツよりも、私には金が必要なのだ。
 金、金、金だ。
 金こそが、正義だからな。
 金が有れば、面白い。
 面白くなければ、面白く出来る。
 それが、「金」だ
 少なくとも、人類の心が成長しない限りは、永続的に必要となるものだ。そして、人類全体が、成長し手と手を取り合う未来など無い。
 可能性すらも、考えるだけ馬鹿馬鹿しい。
 人間が争う以上、金は必要であり、つまりそれは人類が有る限り、金は力を持ち続ける、ということなのだ。
 世の問題が起こる原因はまず「仕組み」そのものに問題がある。システム上発生するからこそ、あらゆる社会問題は発生するのだ。そして、それら社会問題を引き起こすシステム、仕組みそのものを利用しようと考えるのは「人間の心」だ。  だから争いが無くなり社会問題が無くなることなど、あり得ない。人間の心は、成長しない。
 断言できる。無い。
 平和も和解も、物語の中にのみ存在する。仮に和平を打った所で、それは次の為の布石でしかあるまい。現実には平和も和解も「政治的な」手法の一つに過ぎない。
 争わない人間を。最早人間と呼べるのかも、怪しいものだしな。そんな奴は人間であれ何であれ生きては行けないだろう。戦えない生物に、生きる権利は与えられない。
 全ての悪の根底にあるのは人間の心だ。そして人間の心という邪悪の化身も真っ青な、どす黒く救いようのない魂が、問題を起こすのは自然現象だと捉えて良い。人を殺すのも人を騙すのも、人が人を害する全ては人間である以上当然のように発生する当たり前のイベントなのだ。
 今回の争いも、そうだろう。
 宇宙全てを見渡しても、問題を起こすのは人間だけだ。この世界から争いと差別を無くしたければ、人間を消し去るのが早いだろう。
 悪を滅ぼすなど、言葉にしてみればごく単純な事だと言うことか。人間が滅びれば、世界全ての悪は、いとも簡単に消しされる。
 およそ善性の見つからない獣だからな。
 消した方がすっきりするだろう。
 どうでもいいがな。
 人間って生き物はどうにも面倒なモノで、持つ側にいる限り持たざる側の事を、理解できないししようともしない。およそ人間として必要そうなモノを一つも持たずに生まれた私からすれば、意味不明な噺だ。持つか持たないか、それ自体はどうでも良いことなのだ。問題は、実利を得られるかどうかなのだからな。まぁ、往々にして持つ側だけが実利を得るから問題になるのだろうが。
 造形、皮膚の色、学歴、職歴、資格、権力、他にも色々あるが、基本的には「劣等感」から生まれるものだ。
 どうせ人間など心臓が一つしか無く、大して能力差も誤差程度しか出ない生き物なのだが、別に心臓が足りなかったり増えたりするわけでもないのに「他の奴より己が優れている」という、根拠となる「何か」を欲しがる。
 馬鹿な奴等だ。
 所詮内にしかない劣等感、恥から生まれた虚勢でしかない肩書きに、価値など出るものか。人間は「恥」や「劣等感」の為に、色々失ったり、あるいは不必要な努力をする奴が多い。
 誰かに認められなければ、己を認められない。 暇な事で悩める連中だ。己の事は己で評価すればいい。その他大勢のカス共など、いるのかどうかもわからないではないか。デジタルが社会を席巻してからというもの、その傾向は非常に強くなり、いるのかどうかもわからない「第三者」の意見が飛び交うようになった。
 そんな有りもしないモノで、自身の意見を左右されたり、デジタルの狭い世界の中で争う。
 精々参考程度に留めればいいのだが、デジタル世界は主に、「現実に満足できない」人間が、現実を生きていない人間こそが輝く場所だ。
 デジタルの中では誰も彼も無い。己を消失させた上で、仮に無責任な台詞を吐いたとしても、罰せされることすら、無い。
 何の責任も無い。
 だから、「己を大きく見せようと」する。劣等感が募っている人間のわかりやすい兆候だ。自分は凄いんだぞと、ネットの世界で叫ぶことで、認められたいのだろうか。
 現実に何かを変えるには行動が必要だ。形はどうあれ、本当にどうかと思うが、その「狂気」で私はここまで進んできた。
 だが、前へ進む事を怖がり、それでいて人とは違う、あるいは人よりも優れている、と思いこみたがる人間が、デジタル世界に非常にハマる。長々とドブにも劣る道をかき分け、前へ進み、それでも得られず、それでも生き方を曲げず、私はここまで来た。そんな私からすれば片腹痛い。
 生きる事を、舐めている。
 それでいて、賞賛されたい、などと。
 しかもたまたま「幸運」だったりして、それが上手く行ったりするのだから、世も末だ。デジタル世界ではどんな下らない、ゴミにも劣るモノでも、運さえ良ければ金になったりする。冷静に考えれば馬鹿の所行でも、それを持ち上げる馬鹿が多ければ金になり、そしてすぐ忘れられる。
 お前達の方が、余程狂っている。
 それをまずは自覚しろ。
 価値の何たるかを知れ。
 などと、私のような非人間がこんな事を考えなければならない時点で、世も末なのだろうが。
 情けない生き物だ、人間というのは。心なんて持たなくて、本当に良かった。あれでは死んだ後でも、同じような事を繰り返すだろう。
 金は欲しいが、好き好んで猿になるつもりも、私にはないからな。とはいえ、人間社会では品性すら金で買えてしまう。金が有れば人間社会を動かすことは実に容易い。そして金を握る人間が政治を握り、次のルールを決める。だからそういう人間こそが「基準」となり、所謂「真っ当」な人間というのは「異端」になるのだ。
 私のような奴はともかくとして、極々ありきたりな善良なる市民には、この傾向が多く見られるものだ。金は持たないが意見は持つ。市民に出来ることは声を大きくして叫ぶだけだ。
 そんな意見が通るはずもないが。
 叫んでいれば、どうせ民衆は満足する。
 そんなものだ。
 「善良さ」程安く変えるモノも無い。金のあるなしは「人間であるかどうか」さえ、買える。それは事実だ。新興国やインフラの発達していない「未熟な労働力」からは、公然と搾取しても良いのだ。金が有れば「人間を奴隷に」しても、むしろ賞賛される。それが現実だ。
 それを見ようとしない人間も多いが。
 事実は曲げることは出来て、消し去って忘れ去れる事は可能だ。だが流石に事実そのものが、本当にこの世界から消えることは無い。無論、情報統制を行えば、無いも同然ではあるが。
 それでも「事実」だ。老化などがわかりやすいだろう。有る意味、彼らは現実を見なかったのだから、だからこそ、「人間は死ぬ」という事実に恐怖するのかもしれない。
 私はあまり、寿命そのもの、生きる事そのものに拘る事はないので、よくわからないが。
 あの世でもこの世でも、本を書けて「ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活」が遅れれば、多少、場所が異なるだけだ。
 何一つ変わらない。まぁ、生きれるのならば、金の力で楽しみながら長生きも、悪くあるまい。 後は書き上げた作品のデータくらいか。それとこの世にある面白い物語だな。精々その位だ。
 本さえ、物語さえ持って行ければいい。
 持って行けなかったところで、渋々、本当にうんざりしながら、また新作を書くだけだろう。
 正直、また最初から書くなんて御免被るので、全くの別作品を書くだろう。読者の都合なんて知らないので、それで構わないがな。
 作家など、そういうものだ。
 金がない人間は人間ではない、というルールがある以上、その「作家」などという商売に身を注がなければならない人種が、金儲けに必死になるのはごく当然といえるだろう。金のない人間は人間ではなくなる。「消耗品」なのだ。作家とて、それは例外ではない。
 金が有れば人間を家畜にしても許される。
 資本主義経済の中では、金がなければ何一つ成り立ちはしない。作家とて、同じ事だ。金の力で道楽で物語を書く人間と、生涯を賭けて書く人間とでは、当然ながら前者が優先される。
 金が有れば人間になれる。
 金がなければ、なれない。
 人間である必要など無いが、だからって奴隷として扱われるわけにも行かない。面倒な時代、いや面倒なのはいつも「人間」か。
 不思議なことに人類社会は文化レベルに差が有ればあるほど国が栄えるように出来る。それは支配しやすいからであり、切羽詰まった人間に、何かを変えようとする意志は、実に芽生えにくいからである。 
 思考放棄、いやそれこそ「二重思考」か。有る程度弾圧すればそれをコントロールするのは実に容易い。人間を支配するのに必要なのは軍事力ではなく、迫害による思考力の弱体、それにつけ込んでコントロールする技術だ。
 「常識」さえコントロールしてしまえば後は簡単なのだ。「常識」で有るが故に、それに逆らうモノはいない。たとえそれが、奴隷の常識でもだ・・・・・・外れた思考は淘汰される。「狂気」というのは現に狂っている人間を指すのではなく、そういう「社会全体」から見て外れている思考と行動パターンを指すのだ。
 それが「狂気」の正体だ。
 何のことはない。実に、単純なモノなのさ。
 大多数の人間がなあなあで「合わせよう」という堕落しきった思考に反発する。だから狂気は迫害されてしかるべきだし、迫害されて当然だと世間全体から罵られるのだ。
 そしてそれを何とも思わない。
 だからこそ、理解はされない。
 されたいとも、別に思わないが。
 欲しいのはあくまでも、金。
 それによる豊かさだ。まぁ、「豊かさ」などというのは「ズル」をしているからこそ手に入るものだ。いや、していない、からこそなのか。
 社会全体を利用するか、騙すことで儲けるか、精々そんなところか。作家業も嘘八百を書いて儲ける以上、あるいみ騙して儲ける詐欺師みたいな存在だ。絵画も彫刻も似たようなものだ。それでも豊かでいて人間性が「マシ」なのは、芸術家に多いらしい。
 作家が芸術家なのか、判断しかねるが。
 何かしらの創作物を作り上げる、そしてそれを金にする。奇跡は百は必要だ。そして一切の奇跡なしでそれを成し遂げなければならないのだから狂気を持たない訳が無いのだ。
 あって当然、前提でしかない。
 何かを、何もないところから作り上げるのに、狂気がなければ間違いなく、つまらない出来になってしまう。外れていない思想など、毒にも薬にもなりはしない。
 狂気こそが際だたせる。
 人間は人間を支配したくて仕方がない生き物だ・・・・・・だからこそ「権力」などというつまらないモノを、皆求める。
 だが、狂気は権力からほど遠い。なぜなら狂気とは割に合わないからこそ生まれるのだ。合理的すぎて実利をきちんと得られる立場に有れば、誰も狂気なんて持たない。
 狂気を保ちつつ、実利を握る。
 私なら、余裕でそれが出来る。
 だからこそ、物語には売れて貰わなければ困るのだ。私は狂気のみで満足するつもりはない、金による実益と両立したいのだ。
 本来不可能だが、「作家」なら出来る。
 それが「作家」の「特権」と言っていい。
 作家とは、世界で唯一「金と狂気」を同居させられる存在なのだ。そして、「金という概念」が無くなるとすれば、それは人間同士の手の取り合いなどでは決して無く、「人間が人間で無くなりそれを越える」時だけである。
 人間以上か、あるいは闘争本能そのものをもぎ取り脆弱な何かに成り下がるかは知らないが、いずれにせよ現行の人間性を保つ限り、皮肉なことに人類は永遠に成長しないだろう。
 人間は何かを「支配」する為に生きている。他者を国を宗教を統一したがる。作家なんてやっておきながら言うのも何だが、「思想」は人間を変えたりはしないのだ。 
 「本能」が、それよりも優先されるからだ。
 世界を征服したところで、「劣等感」から生まれる支配など、底が知れる。人間が人間を統一し導くために「支配」を進める必要があるだろう。 人間全体を押し上げる、いつぞやの「教授」みたいな案だな。それか、人類全体がそうせざるを得ないような「思想」を、何とかして広めるか。 テクノロジーそのものは世界に何も影響しないのだ。テクノロジーを使って他者を傷つけやすくなるだけで、何も良くなりはしない。
 人間とは、そういうものだ。
 ここにいる連中も、同じだ。最早争いが概念と化しており、何を求めて戦っているのかさえ、不明瞭だろう。その気になるだけで、気分を変えるだけでここの連中は「平和で豊か」な生活が送れるというのに、それをしない。レジスタンス活動で「自由」を「勝ち取る」為だ。
 自由などどこにもない。それこそ概念でしかなく、形さえないものだ。弾圧されているかのように見えれば、「自由みたいなもの」を目指して争えるからだろう。
 争いそのものに、意味など無い。争うことで利益を得られることも多いが、そもそもが争わずに利益を得る方法を取る方が恒久的に活用出来る。 誰かから奪う、というのは実に簡単そうに見えるもので、それでいて「何かの為」例えば、だが・・・・・・家族の為、国民の為、国の為、何かを適当な理由にして、堂々と人を殺して充足感に満足できる比較的楽な方法なのだ。
 人間は何も変わっていない。原始時代のままであることを、認められないのだ。科学が豊かな生活を作り上げた、と信奉していたい。
 だが、その実体は「肩書き」が増えただけだ。「帝国主義」が「民主主義」という「名前」に、変わった事と、大差は無い。
 人間は相変わらず何一つ成長しないままだ。  呼び方が増えただけで、石器時代から起こしている行動自体は「同じ」だ。
 それが「事実」だが、事実は目をそらして見ないでいるためにのみ、存在する。
 そも、資本主義経済とは「成長を否定」するものだ。成長すれば、人間は社会構造から大きく外れた生き方を取るだろう。社会構造など、奴隷を効率よく作るものだと、気づくからだ。
 社会構造とは「何も考えないように」させる為に存在する。考える暇を与えず「常識」を埋め込んで「立派な社会人」にする為だ。だが、立派な社会人などどこにもいない。社会人という偶像そのものがどこにも存在せず、あくまでもわかりやすい民衆の指針でしかないからだ。
 立派さ、というのは実に便利で、その為ならば多少人間が死のうが、立派でない人間の方が悪いのだと、そう「現実を誤魔化す」事が可能だ。
 現実を見ない人間こそが、奴隷になりうる。
 現実を生きていては、権力者からすれば困るのだ。現実には生涯は一度しかなく、それを国家という形の無い大きな組織の為に費やすことは、まともに考えれば無駄でしかなく、どこにも付き合う義理も義務も、本来存在さえしない。
 だが「立派な社会人」という幻想を持っていれば、話は別だ。彼らはそれになれば「例え幸福とは最も遠い場所」にいても「立派な社会人」という呪文で、それこそが幸福になる為に必要な儀式であると、思いこむことが出来る。
 まさに狂気だ。だからこそ私などより、むしろそういう輩こそが「狂気」で指すに相応しいのだが、あくまで「常識的な社会人」という「狂気」で彼らは誤魔化すのだ。
 現実を生きてすらいない。
 だから、死ぬ寸前になって「こんな人生ではないはずだった」と嘆く。嘆いたところで、それこそ自分で自分の未来を考えることをしなかった自業自得でしかないのだが、彼らの意識にはあくまでも「自分たちは被害者」であり、社会が悪いのだと、根本的に何も成長はしない。
 例え生まれ変わっても、同じ人生を送るであろう事は想像に難くない。つまり彼ら彼女らは、生まれてから、生まれた後、死んでさえも、何一つ成長はしない。
 そんな生き物の集まりが、争いの無い世界を作り上げるなど、戯言である。妄言以外の何でもないのだ。彼らは頑なに手を取り合う未来を夢見ているが・・・・・・実現はあり得ない。それを実現させる方法が暴力で有れば無駄そのものだ。全人類に思想をバラまく、というのも、そこまで高尚な思想があったところで、現行の人類の大半はその成長、進化についてこれないので「間引き」を行う必要はあるだろう。
 それをするなら、成長は可能だ。
 それが「事実」であり「現実」だ。
 政治は最早「過程」を重んずるモノに成り下がった。何をしたいのか、何を成し遂げんとするのかよりも「やっている風に」見えればいい。政治に必要なのはそれらしい「目標」であり「結果」そのものはむしろ、出しては駄目なのだ。
 結果を求めない世界。 
 お前達がなあなあの甘ったるい「全体主義」を貫いた結果が。この様だ。無論、私は作家であり語ることが生き甲斐なので。語るべき事項が増えて、願ったり叶ったりだがな。
 「結果」よりも「過程」を重んずる世界。これは大儀だとか所謂「正義みたいなモノ」を基準とするからこそ生まれるものだ。そういう意味では今回の「レジスタンス」共も、ロクな結末を海はしないだろうから、別に助ける必要はないだろう・・・・・・何か一つの目標を達成することで、それで全てが解決すると思いこんでいる人間は、気楽であり、現実を見はしないからだ。
 金は大切だが、言わば金は食料であり備蓄であり弾丸であり兵器ですらある。それらを活用することで、己の選んだ己の道。その長い長い道のりを戦い、勝ち、奪うのだ。それが「生きる」という概念そのものだ。
 だが、現代では「生きてはならない」のだ。不思議なことに、彼らはそれを求める。何故ならば己で考えることは実に面倒であり、そして己で己の道を考えるよりも、誰かに乗っかって、それは学校であり教師であり会社であり上司であり国であり社会であるのだが・・・・・・任せれば、生きるという尋常でない重圧から、逃げる事が、出来るようになるからだ。
 生きる、という言葉は最早真面目に語られるべき事柄ではなく、むしろ「如何に遠ざけるか」こそが肝要となっている。社会的正しさや道義的正しさを基準にし、小綺麗な理想を追いかけて真面目に生きなかった結果だと言える。

 ・・・・・・こんな風に「語っている時」だけが、私にとって「生きている瞬間」なのかもな

 ふと、思った。私の人生には苦しみと痛み、拷問のような圧迫感のみが、私を取り囲んでいた。だからどうだって噺だが、つまりは「満足感」という存在に、私は無縁だったのだ。金を手にしたところで「平穏」は手に出来るかも知れないが、別にそれで「幸せ」になるかどうかは、とどのつまり本人の「自己満足」でしかない。
 だからこその「作家業」だが。
 作家ほど、自己満足の愉悦に浸れる人種もいないだろう。己の書くべき事と書きたい事、私はその二つを「両立」できる希有な例だ。
 本来で有れば両立は不可能だが、私にはそれを不可能にするはずの「心」が無い。心ないが故に苦悩や葛藤は、やはり「人間のフリ」であって、客観的に眺め、観測し、それを言葉にできる。
 書きたい事として書くべき事を書ける。
 これほどの自己満足はあるまい。
 どこにもないだろう。
 だからこそ、この生き方を主軸にして、金の力で平穏を手にしつつ。先を目指す。誰に何と言われようが、どんな綺麗事を並べられた所で、私の決めた私の道だ。それに文句を言われる覚えも、やはり無い。
 仮にそれを正すことがあるとすれば、私がその生き方に「自己満足できない」と考え「次」を目指したときだろう。その時はその時で、金に代わる何かを、また求めて自己満足に浸ればいい。
 それが「生きる」事だ。
 少なくとも、私にとっては。
 そして私にとって「作家でない時間」などどこにもない。年中無休で常に作家だ。休み無く常に何かを語り、何かを読み解く。
 後は金だけだ。
 クリアしたゲームのようにやりがいが無くなるのではないかという考えは、この場合通じない。私は平穏と豊かさという自己満足を得たいだけであって、そもそもが豊かになり平穏になるという以外の点において、現状でも差異はないのだ。
 金とはまた別問題の噺だ。
 私が豊かさを手にしてはならない理由など、どこにもない。手にしたところでプラスにしかならないのだからな。
 苦境の中で生まれるモノが有るなどと言う綺麗事も聞こえるが、別に私は苦境の中で素晴らしい何かを作りたいと思ったことなど無いのだ。だからそんな言い訳がましい言葉よりも、豊かさと平穏という実利を選ぶ。
 それが、私だ。
 だからこその私だ。
 そうでなくては面白くない。
 面白ければ、いい。
 大体が、「個人の幸福」と「社会の幸福」は絶対に噛み合わない。個人を犠牲にすることで社会は成り立ち、社会を犠牲にすることで、個人の幸福は成り立つのだ。何かを犠牲にしなければ、この世界には勝利がない。
 そして、社会や国、宗教や文化などといった、実際には有りもしないモノに、私は配慮するつもりはない。そんなモノは、本来どこにも存在しないのだ。社会も国も、全て極一部の人間が、他の全てを管理するために生み出した「言い訳」でしかないのだ。
 虚構そのものだ。
 どこにも存在しない。
 そこにもここにもどこかしこにも。
 有りはしない。
 金、金、金だ。人間らしい幸せなど、今更押しつけられても迷惑なだけだ。私にはそんなもの、事実として必要すらない。
 どうでもいい。
 なんであれ、金が有れば幸福を実現できるのは確かなのだ。幸福の形に個人差があるだけで、それには相違ない。だからこそ、金以上に大切なモノなど、どこにもありはしない。
 有ったとしても、いらない。
 いらないゴミは必要ない。
 求めるは実利だ。
 現実問題、世の中は、人間の社会は、「力を持っていれば何をしても良い」のだ。人を殺すことも人を痛めつけることも、人を洗脳することも人を踏みにじることも、人を迫害することも人を差別することも、全て、力があれば許される。
 罰などどこにもない。
 それこそただの幻想だ。
 何人殺しても人間性すら剥奪しても、力が有れば咎める奴はいない。人間社会はそう根本からできている。それが人の世の現実。
 「事実」なのだ。
 良くある物語のように、私は「誰かに理解されたい」だとか「誰かを理解したい」訳ではない。むしろ、逆だ。「人間を支配したい」「邪魔をするであろう全てを叩き潰せる力が欲しい」だろう・・・・・・それも必要だから集めている、という感じではあるが、まぁどうでもいい。問題なのは、どうでも良い上に些細な事で、この「私」がストレスを感じるであろうことだ。
 他のどうでも良いカスの為に、この「私」がストレスを感じるなど、考えるだけで腹立たしい。 排除せずには、いられない。
 いわば正当なる防衛だ。被害者かどうかは知らないが、攻撃される前に殺せば被害はない、という考えからは、どうしても自己防衛を連想する。 殺してしまえば何であれ、邪魔にはならない。 克服する、という形の方が、無論好都合なので私はそう動いてはいるのだが。殺したところで次の脅威にまた備えるのは疲れるからな。一度克服してしまえば、永遠にそれで悩むことはない。
 金も、同じだ。
 物語を金に換えるシステムさえ構築できれば、私からその悩みは永遠になくなる訳だ。無論それで執筆に影響などあろうはずがない。現実問題私は苦悩しているから物語を書けるのではない。単に人間性が非人間だからこそ、書けるのだ。
 金の有る無しは作品の出来に関係ない。
 それが、「私」なのだから。
 物語の結末というのは「綺麗事」で締めなければ終わらないので、私は無理矢理適当な言葉で締めることにしているが、私は何一つとしてそれら綺麗事を許容している訳ではないのだ。現実には金、金、金だ。どんな結末よりも金の方が大切であり、信念とか誇りはどうでもいい。
 事実そうなのだから仕方有るまい。
 金以外に大切なモノなど、何もない。
 それは金になるのか? いいやなるまい。そして金にならない綺麗事など、絵に描いた餅だ。そんなモノで腹は膨れまい。
 それが「事実」だ。
 金こそが全て、という「真実」と言うほど大げさなモノではない。ただ単に、皆綺麗事の方を信じたがるだけ。現実には金が全てだ。
 今回の依頼もそうだ。金にならなければ誰だって、自分以外の人間の依頼など、そうそう引き受けはしないものだ。両者の間に金が絡み、「素晴らしい報酬」を頂けるからこそ、労働をする。
 ・・・・・・そういう意味では、気になる事がある。「素晴らしい事にはリスクがある」これは当然のことだ。今回の依頼もそうだが、リスクがあるからこそ、素晴らしい報酬を頂ける。
 だが、物事には「逆の側面」というものが、それが何であれ存在する。「酷く劣悪な何か」には、逆にメリットがあるからこそ、酷く劣悪な環境である、などと、どうにも信じ難いが。
 単純に考えれば「それで得られる何か」があると、つまりそういう事になる。無論、現実には酷い目に遭おうが何であろうが、因果関係など存在しないのだが。
 苦痛に見返りなど無い。
 苦痛も苦悩も、ただ、それだけだ。
 私はそうだった。他がどうかは知らないが・・・・・・人によって変わる基準など、それこそ意味がないので、参考にする価値が無くなる。
 恵まれた人間を参考にしたところで、そんなのは夢を見ているだけと変わらない。だから、こんな考えに意味なんて無いのだろうが、きっと、あの女ならそれらしい言い分を付けて、きっと正当化するのだろう。
 物事には意味があると。
 物事には価値があると。
 所詮、天上からの目線であり、そんなモノは、ガラスの中に閉じこめた蟻を、幼い子供が眺めているのと、変わらない。人間以上の存在がいるとすれば、だが。いてもいなくても、やはり人絵現の権力者と、何ら変わりはしない。別に我々を助けるわけでも導くわけでもない。ただ、高い所に座っているだけだ。座るだけなら猿でも可能だ。神でも悪魔でも猿でも人間でも、あまり大差はないのだ。少なくとも私のような人間には、いてもいなくても、何の影響もないことは確かだ。
 今のところ、神に助けられて通帳の残高が増えたことは、無いからな。
 そんなもの、いてもいなくても同じだ。
 どちらでも、どうでもいい存在だ。
 偉そうに構えるだけなら、置物でもいい。少なくとも、私には大した違いが理解できそうもない・・・・・・神を信仰する奴は多いが、どうせ何の役にも立たず、どころか人間の信念や行動と関係なく富をバラマき、それでいて綺麗事だけは口にする存在など、いたとしても腹立たしいだけだ。
 それこそ「思いこみ」でしかない。神がいたとして、己を過大評価して、そのくせ人間社会には何の影響も与えられない無能でしかない。少なくとも神や悪魔が貧困を、差別を、戦争を無くしたと言う噺など、歴史上聞いたことも無い。
 肩書きが偉いだけだ。 
 人間の権力者と、やっている事は「同じ」だ。 少なくとも、私よりは良い生活をしているのだろう。忌々しい限りだ、そう考えるとな。
 私は音を「感じる」事が出来る。人間嫌い過ぎるが故の特技だ。人間であれ、それ以外であれ、有る程度「音の所在」が「理解る」のだ。感覚的なモノなので表現が難しいが、感覚のない皮膚に触られているように、何がどの程度あるのか、わかる。
 気配、という奴だ。
 私にはそれがわかる。
 だから今回、例の襲撃者を迎え撃つに当たっても、特に何の警戒もしていない。有る程度心構えさえ出来ていれば、「サムライ」である私が、こと戦闘で敗北することはあり得ないのだ。
 プラズマ砲位なら、生身でも死にはしない。
 当たると少し、痛いがな。
 まぁ痛いだけだ。傷ついたところで「結果」問題ないならば、どんどん前へ進むべきだ。心がないことで心が痛むような事態になっても、傷まみれでも「結果」勝てるならば問題ない。
 そんな在り方は人間ではないと言うかも知れないが、別に無理して人間である必要など、どこにもあるまい。正しいかどうか、それは知らん。ただ、「結果」を求めるのに効率が良いならば、人道的のどう問題が有ろうが、構わない。
 「結果」が「全て」だ。
 そのために、私がどんどん人間から離れる、というのも少し違う。ズレている。私には最初からそんなモノは「無かった」のだ。なら、どれだけ傷つこうが問題有るまい。どこにも問題などありはしない。私が幾ら傷ついたところで、私自身に不利益でなく金と平穏を寄越すならば、「人間としての部分」など、そんな「残りカス」など幾ら削れて無くなろうが、知るか。
 何故そんなどうでもいい部分を気にしなくてはならないのだ。
 馬鹿馬鹿しい。
 私が傷つくことを気にする奴など、いない。あの女にしても、道徳的な言葉を並べ立てているだけで、別に何をするでもない。あんなのはただ、サッカーの観戦中に「選手の人大変そう」とか、無責任に適当な事を言っているようなものだ。
 サッカーの試合なんて見たこと無いが。
 私自身さえ、「人間的な幸福」を、消し炭にしても困らないのだ。そこへ「道義的に問題が」などと、観客席から暢気なことを言われたところで腹立たしいだけだ。
 こちらは勝つ為に、結果を得る為に、戦っているのだ。それを「そんな戦い方は間違っている」だなんて、じゃあ貴様が代わりにやれって噺ではないか。
 私が言いたいのは「口出しなら猿でも出来る」という事と、過程に重きを重んじて「自身が傷つくやり方など、間違っている」などと抜かす輩は大抵が「じゃあ人間的なやり方で結果を出せよ」と言ったところで、何も出来はしないということだ。
 下らない。
 今更人間性などどうでもいい。
 己を傷つける、というと語弊がある。何せ私は現に「プラズマ砲」の直撃でも死なないのだ。幾ら傷ついても大丈夫なら、どんどん利用すべきではないのか?
 最近の物語にはそういう風潮が多い。
 少年少女の下らない物語だ。「君だけが傷つくなんて間違っている」「君が傷つくことで、それを嫌だと思う人間がいる」「君の命は君だけのモノじゃあない」「正しいやり方で前へ進もう」
 下らない。
 仮に、だが・・・・・・本当に仮に、という仮定の話でしかなく、実際そんな人間はいないのだが、私が傷つくことで悲しむ奴がいたとして、だ。
 それが何だ?
 金になるのか?
 助けでも出せるのか?
 ただ、道義的に論理的に、あるいは道徳とかいう中身のない綺麗事の為に、そういう事を言う存在というのは、理解に苦しむ。
 完全に「持つ側」の台詞だ。
 余裕があるから、そういう言葉が出る。
 現に、現実に私は「全ての人間から迫害」されるという、貴重な体験をしてきたのだ。はっきり言ってまるで説得力がない。集団ヒステリーなのか何なのか知らないが、十歳に満たない頃、私は大勢の同級生に「棍棒」みたいなその辺の棒を拾った人間達に、襲われた事がある。
 無論皆殺し、とまでは行かなかったが、こちらもその辺の「大木」を掴んで振り回し、地面に、まぁ人間を狙ったのだが当たらず、叩きつけたという、実に爽快な経験だ。
 楽しかった。
 あれで直撃していれば、面白かったのだが・・・・・・とにかくだ。「集団である以上、それは生物の在り方としてそれは確実にある」と、私は子供ながらに迫害の「本質」を悟ったのだ。
 全ての人間を敵に回す。その可能性はある。
 人間である以上好きな奴もいれば嫌いな奴もいて、どんな悪人であれそれを好きな人間がいる、というのは素人考えだ。現に、歴史を紐解けば、そういう人間は別に珍しくもない。

 歴史に相容れない狂人だ。

 無論、そんな些末な事を気にもしない、私と似たり寄ったりの奴もいれば、そうでない人間、人間かどうかはともかくとして、そうでない奴も確かにいる。地球は実は丸いとか、ああいうのだ。 全てを敵に回すことが出来る。
 なぜなら、敵は「社会そのもの」だからだ。
 前述の集団ヒステリーと、原理は同じだ。自分たちが相容れない人間、それも全体がそう認識していれば「排除しよう」いや「殺そう」という、確固たる意志が全員に芽生えるのだ。
 これは生物の基本だ。
 なので、私にはそういう綺麗事を、押しつけるのは勘弁して欲しいものだ。押しつけられたところで、買う事が出来ないし、したくもない。 
 幸いプラズマ砲位なら、あまり痛くはない。過程はどうでも良いのだ。私は基本的にも応用敵にも、金以外に執着を持たない非人間である。
 人間性など、金になるなら喜んで捨てる。
 別にいらないからな。
 あの女にいつも言われているが、普遍的で人間らしい幸せ、の押し売りは迷惑だ。根本的に人間から外れている私に、押しつけるのは違う。
 それは違うのだ。
 仮に私が「自分を人間でない」と思いこんでいるだけで、案外「誰よりも人間らしい情緒あふれた人間」だとしても、やはり違う。
 だとしても、だ。金の無い状況下で、その方が幸せになれるからと、そう押しつけるのは違う。大体が私は既に傑作を幾つも書いているのだ。人間的であろうが非人間的であろうが、金が払われないのはただの契約不履行だ。
 それらしい理由をつけるんじゃない。
 お前達は「人間性」を言い訳にしているだけだ・・・・・・人間性の有る無しは、人間らしいかどうかの基準は、当人の行動を否定するモノでは、決してないのだ。
 あってたまるか。
 貴方を幸せにするために貴方を不幸にしなければならない、などという考えが広まっている。それはただ単に「結果」邪魔しているだけだ。
 それ以外に意味など無い。
 それらしい理屈で誤魔化すな。
 この嘘吐きの詐欺師が。
 何事にも例外はあり、私の人生はよろしくない意味でそれが多かった。だからわかるのだ。そういう「綺麗事」には「例外」が欠けている。無論悪人であろうと誰かに好かれたり、非人間であろうと人間性を追い求める輩もいるのだろうが、そうではない存在を、念頭にすら置いていない。
 実に、迷惑だ。
 金さえあれば、それでいいのに。
 金は幸せなんかじゃないよ、と偉そうに。
 余裕有る立場で、抜かすのだ。
 鬱陶しい。
 噺が逸れてしまったが、要は「全ての人間に嫌われる人間はいない」とか、そういう類の綺麗事には、必ず例外があるという事だ。
 全ての人間に嫌われる事、そのものはむしろ、私にとって「望むところ」でしかない。ワクワクしかしないだろう。全人類を相手取って、どう人類を滅ぼすのか? それを考えるだけで楽しくて楽しくて仕方がない。
 ただ、そこへしたり顔で「綺麗事の戯れ言」を語られれば、虫酸が走る。
 殺意しか、沸かない。
 噺を聞くから時間給を払え。
 噺はそれからだ。
 たったの五億でいいぞ。無論、ドルで、だ。
 私にとって「人間」とは、現実には存在さえしない概念でしかないのだ。「人間」などそれこそ物語の中にしかいない。漫画やアニメの見過ぎだぞお前等・・・・・・人間賛歌は紙の上にだけある。
 現実には本能で生きる、自分の事以外は考えているフリをしているだけの獣が、大勢存在するだけだ。どれもこれもが己の利益を考え、それでいて恥ずかしげも無く、体現すら出来もしない愛と平和と友情と努力と夢と希望を語るのだ。
 そんな生き物、憧れろというのが無理な噺だ。 現実にはそんな崇高な「人間」などいない。
 存在さえしないのだ。
 それをとって付けたような綺麗事で、人間らしい幸せはああでもないこうでもない、だから金を持つべきではないし手と手を取り合う事こそが、「本当の幸福」なのだと押しつける。
 本当も何もお前達が勝手に信奉しているだけではないか。
 知るか、馬鹿馬鹿しい。それは金を手にしてから暇つぶし感覚で追えばいいモノだ。
 あの女にまた綺麗事を偉そうに語られるのかと思うだけで、何だかやる気が失せる噺だ。語るだけで良い、という点においては、作家も似たような存在ではあるのだが。
 語る内容に説得力があるか、どうか。これは、とどのつまり当人の「深み」みたいなもので、決まるのだろう。まぁどうでもいい。深かろうが浅かろうが、人間性の善し悪しは金には関係がないし、むしろ浅い人間の方が金を簡単に手にしているように思える。
 だから、あの女の綺麗事には価値がないし、無論意味など伴わない。子供の戯れ言だ。
 現実には、金が全てだ。
 価値があるのは金だけだ。食料や衣服が有るではないかと思うだろうが、金よりもそんなモノが重要視される時点で、それは紙幣の代わりに食料や衣服や水が重要視されているだけだ。
 金とは「現時点でもっとも価値のあるモノ」なのだ。時代によってそれが紙幣であったり、金や銀であったりするだけだ。
 それが「金」だ。
 私は長い長い遠回りを経て、確かに「成長」したし「達成」もした。やるべき事をやり、成し遂げるべき事柄を成し遂げた。
 何の意味も、価値も無かった。
 そんなモノは一円にもならず、無駄な事だったのだ。それが「事実」だ。
 私自身は確かに「成長」した。
 だが、「成長」など、何の役にも立たなかったのだ。何の意味も価値もない。眺める側は満足かも知れないが、現実に成し遂げた側からすれば、たまったものではない。
 それも、もう、疲れた。
 どうせ私の意志は関係なく、無駄なのだから。 運不運なのだから。
 ただ、疲れるだけだ。
 それを止める権利も、私には無いのだが。
 つまらない、な。どうにも。
 こんなものか。
 結局、意志を貫いたところで、幸運がなければこんなもの、か。無駄だった、何せ、金にならなかったのだから。
 やらない方が遙かにマシだ。
 何もしていないのと変わらない。
 私という存在が、いてもいなくても、結局は、同じ、ということなのか。
 実に、つまらない結末だ。
 こんな下らない出来レースに、私は参加させられていたのか。
 面白くもない。
 あくまでも作家業は金儲けの手段であり、自己満足による充実の方法の一つでしかないのだが、今のところそれ以外の方法で、大もうけをするアテは無い。
 だからこそ本を金に換えようとしていたのだが・・・・・・中々上手く行かないものだ。
 あのレジスタンス共に本を売ってやろうかとも考えたが、恐らく無理だろう。私は悪人を口説くことは得意だ。相手が悪であれば、ほぼ無条件で口説き落とせるだろう。
 悪のカリスマなのだろうか。
 だが、その反面、私は善人を説得できたためしがない。一度として、「大儀」だとかを振りかざす人間とは、相容れなかった。
 彼らは私の本を買うような人間ではない。
 残念だが、仕方有るまい。
 我ながらバランスの悪いカリスマ性だ。とはいえ、善人なんて大体ロクでもない連中と、関わりをあまり持つべきでもないだろう。
 私は頻繁に移動しつつ、先ほどの敵が出てこないか、周囲を索敵する。索敵そのものはジャックが行ってはいるが、機械による索敵は機械によって無効化出来るのは世の常だ。
 結局、人間の第六感は、どの戦場でも必要になるものだ。とはいえ「戦争そのもの」は既に在り方が激変しているので、策士のような人間が、その第六感で舞台を指揮する訳ではない。
 現代の「戦争」は経済の流れの一パーツにすぎないからだ。「戦争」とは、科学が発展し、蒸気機関車を動かせるようになった遙か過去の時点で「生産をコントロールし、国民の意思統一を計る経済活動」に成り下がっている。
 今や、全ての情報がデジタルで支配、計測、演算すらも可能だ。それは戦争とて例外ではない。国民の同意を得る為であったり、あるいは侵略したい国の資源を貪る事が、現代の「戦争」だ。戦争そのものに何の意味も付随しない。大昔なら、どこそこの国は敵だから戦う、なんてシンプルな理由で殺し合っていたかも知れないが、現代社会では戦争はむしろ「口実を付ける理由」でしか、ないものだ。
 兵器の性能自体は、大昔に頭打ちだ。利便性の差こそあれ、根本はあまり変わらない。それでいて「ドローン」や「自立型アンドロイド」が出てきてからは、完全に「消費」と「予測」で戦争が出来るようになった。
 天気予報みたいなモノだ。
 どれだけの資源を費やせばどの程度の戦果が得られて、どの程度時刻が有利になるのか。それら全てがデジタル上で計測できる。
 事前の演算で予測すらも。
 予定通りに行われる「作業」なのだ。信念や思想、文化や思い、そういったあれこれは必要すらないのだ。「結果が全て」だというならば、別に人間が直接殺し合う必要も、あるまい。
 代わりに兵士の精神は軟弱になった。直接戦いもせず、ゲーム感覚でドローンを動かし、それでいて高給取りで、己の命の危機感も、無い。そんな人間がどうなるか? そもそも「兵士」と呼べるような精神を作り上げていない以上、間接的にとは言え「人殺し」の片棒を担ぐことに、耐えられなくなってしまう。
 良心の呵責。
 実にお笑い草だ。自分たちは仕方なくやっているだけであって、だからこんな制度はなくしてほしいと、彼らは口にする。なら何で兵士になんかなるのかと言えば、ただ単に「皆がやっているから」という答えが返る。あるいは、給料が高いとか待遇がよいとか、そんな理由だ。
 邪魔者を始末するだけ、それも己は危険に身をさらさずに「実利だけを」得られる、なんて。私からすれば羨ましい限りだ。毎度どこか遠くへ出かけて、言われたとおり標的を始末し、それでピンハネされた金を貰う、私にすれば。
 私も好きでやっている訳ではなく、金の為にやっている。だが、罪悪感など当然無いし、それを理由に善人ぶるつもりも、当然無い。
 殺すことで利益が出るなら、私には何の負担もないしな。どこの誰が何人死のうが、知ったことではない。人間などどうせその辺で結構死んでいるのだから、今更百万や二百万殺したところで、私一人が非難されるつもりもないしな。
 非難された所で、知らないが。
 どうでもいいしな。
 それで金になるなら、別に構わない。非難など耳障りなだけだ。道徳などと言うゴミよりも、私は実利を選ぶ。
 その結果何人死のうが、知るか。
 私の口座残高には関係ない。
 どうでも、良さすぎる。
 罪悪感を抱いて後悔するほど、私は人間をやっていないしな。実際知ったことではない。人間も植物も似たようなモノだ。放っておいても、じき増える。増えるモノを幾ら刈り取ろうが、全体のバランスが崩れなければ問題有るまい。
 少なくとも、この「私」にとっては。
 何の問題も生じない。
 だから、どうでもいいのだ。そんな、些末な上気にしても金にならない事柄は、な。
 兵器のテクノロジーが進むにつれて、人間の意識、というか「兵士としての意識」はどんどんと薄れていった。現代社会でまともに「軍人」をやっている奴はかなり少数派だろう。ハイテクであればあるほど、労力は少ない。そこに人間の意志が介入する余地はない。何故なら最新鋭の自動照準機能があり、敵味方識別コードが有れば、スイッチ一つ、「すらも」必要ないからだ。
 全て機械がやってくれる。
 人間が何かを「選択」する必要性は、もうどこにもないのだ。「結果」は機械が運んでくれる。だから、兵士としての素質よりも、如何に効率よく進めるか、なのだ。
 だからおかしいのだ。
 あんな風に、ミュータントに武器を持たせて戦う、なんていうのは意味がない。あれではドローンを動かして、あるいはアンドロイドを指揮した方が、かなり戦果に違いが出るだろう。
 そんな非効率的な行動をとる理由は、今も昔も一つしか存在しない。
「実験、か」
 非効率的な環境下での「イレギュラー」な情報の蓄積は、機械のトラブルを避ける上で必須の科目だ。落とせば落第、間違いなく実践で悲惨な目に合うだろう。
 テクノロジーを遊ばせる。
 これは想像以上に重要な事なのだ。その過程で新たな用途が見つかれば汎用性も増え、その過程で新たな欠点が見つかれば、先の損失を未然に防ぐことが可能だ。
 ましてその相手が「サムライ」なら。
 罠かどうかはわからないが、まぁやるしかないだろう。向こう側が私を捕獲する、などという無謀な計画を立てているのかさえ、現状では不明なままだ。
 だからと言って、他でもないこの「私」が、ミュータント共に手心を加えたりする、などと言うことは可能性からしてない。倫理的、道義的にどうなのか、それは考えたい奴が考えればいい。少なくとも私にとって、人間の、あるいは人間でなくても、「邪魔者を始末」する為に、何万人何億人何兆人殺そうが、文明ごと滅ぼそうが、宇宙丸ごと全生命体を消し去ろうが、世界を滅ぼしたところで、「私個人の保身と実利」さえ確保できていれば、そんな些細な事は「今日は昼をスパゲティーにしたが、あれはカレーの方がコーヒーに合っていたなぁ」と考える事と同じくらい、どうでもいいことなのだ。
 どうでもいいモノはどうでもいい。
 それに道徳だとか倫理だとか、狂っているとか人間じゃないだとか、言いたければ言えばいいが・・・・・・事実は事実だ。あれこれ言われたところで迷惑なだけだ。
 守るべき者は無い。欲しい物も存在し得ない。助ける相手もいない。目的や野望では無く、己の都合のみを考える。
 考えてみれば、これは珍しくも何ともない。
 よくある噺だ。
 人間は本来、そういう生き物なのだ。時々で代わる「道徳」や「法律」の為に、「人間性」を、私でなくても、演じているだけに過ぎない。
 人間性など、物語の中にしか存在しない。
 現実にそれを持つ人間など、初めから無い。
 自分達を「良い人間」であるよう「思いこむ」為、自身を過大評価しているだけだ。
 それに付き合わせるんじゃない。
 やりたければ勝手にやれ。
 私はどうでもいいのだ。
 作家という立場で考えれば、本来「良い人間」というのは招来する奴は多い。だが、物語における主人公、というもの、その存在は、少し考えればどれだけ歪んでいるか、分かるはずだ。
 あらゆる人間に賞賛され。
 全ての敵を仲間にする。
 逆境でも必ず打ち勝つ。
 惚れない女はおらず。
 勝てない相手もいない。
 そんな存在、気持ちが悪くて仕方がない。
 あらゆる存在に出鼻を挫かれ、しかも逆境では必ずこけて、他者には敵意のみを向け、勝てた事が生まれて一度もない私からすれば、ただ、ただただ、忌々しい限りだ。
 そんな奴が勝つのか?
 それでいいのか?
 そう、思ってしまう。
 現実にはそんな人間、「幸運」というバックボーンがなければ、生きることさえ難しいだろう。 まぁ、以前そういう類の奴に大敗を喫した私が言うと、何だか説得力が薄れてしまうが・・・・・・そんな人間に、誰が学ぶのかという噺だ。実際、そういう主人公は読み手が自己投影をして、その気になって楽しむだけで、何一つ、学びはしない。 その姿から何も教訓を得ないのだ。
 それでは意味があるまい。
 価値もない。
 私は「人間らしさ」に拘るつもりもないが、そういう主人公こそ、「人間ではない」と思う。人間の美化、というよりも「理想」の姿を、ただそれらしく描いているだけだ。
 私の物語は大抵が、邪道だ。だからあまり売れないのだが、「読者の思想」に大きく影響を及ぼせるような、嫌な位現実味を帯びていて、それでいて暗雲立ちこめる未来を想起させ、それを放置すればどれだけの絶望が未来を覆うのか。常にそれを意識して書いている。
 未来にある絶望を。
 希望を述べ立てるのは簡単だ。適当な綺麗事を並べれば、誰でも希望を持てる。だが、それは現実を生き抜く上で「持たざる者」の指針には、なり得ないのだ。
 未来の事は分からない。
 案外、あっさり私はこの先敗北を繰り返し、狂気のまま無惨に倒れるのかも知れない。だが、それでも「理不尽に屈する」事を否とするならば、どうにかしてその絶望に打ち勝つしかない。
 運命を克服しなければ未来はないのだ。
 正直、方法なんてないのかもしれない。あらゆる方策を試した私が言うのだ間違いない。だが、「勝てないなら勝つまでやる」それが狂人の変えられない生き方だ。
 変えられないし変えるつもりもない。
 困難だ。不可能かも知れない。どう考えたって無謀そのものだろう。だが、それは本来生きる事と向き合っていれば、当たり前のことなのだ。
 私の場合は金だった。そうでない奴もいるだろう。綺麗事を言うつもりはない。誰であれ、その試みが無駄に終わり、全てが無駄だった。挑戦しなければ良かったと、「運不運」などという下らないモノで、そうなってしまう可能性はある。
 私はまさにそうだ。
 だが、それでもやるしかないのだ。最早私個人の意志すら越えて、引き戻せないくらいには、私は「作家業」という旅の果てまで、来てしまったからな。
 今更どう戻ればいいのかさえ、不明だ。
 もう、やるしかないのだ。
 それを信じて、己のやり遂げた事、成し遂げた真実を、信じる以外に出来ることはない。例え、それが何の成果も出さず、誰にも理解され無かろうと、だ。
 前へ進み、戦い、勝利する。
 言葉にすれば簡単だが、随分と、長い旅だった気がする。思えば、私の人生は最初からそうだったのだ。非人間として生まれ、自覚し、馴染めずに歩き続けて、それでも己を信じた。
 その結果。物語が生まれた。
 ならば、それを信じなければなるまい。
 精神的に老けているみたいで、何だか嫌な噺ではあるが・・・・・・気のせいだ。私は若々しいし、まだまだ子供っぽい。
 筈だ。
 違ったとしても、そういう事にしておこう。成長を急ぎ「大人である事」に固執する若者は非常に多いが、何故老けたがるんだ? 成長しても老けても、増えるのは悩みだけだ。金の多寡に成長や精神は関係がないからな。
 そう言う人間は嫌と言うほど見てきた。実際そういう人間はいるのだから、そうなのだろう。
 私の前を走り、案内役を買って出た少女は、きっとその類だろう。大人ぶることで権威を得るよりも、無能を振る舞うことで楽をする方が、どう考えてもお得だが、それをしないのがお子様だ。
 
 
 

 まぁお子様というのは言い過ぎか。少なくともあれだけの組織をまとめているのだ。それなりの策謀は有るのだろう。
 無論、組織をまとめているから有能とも限らないが。上に立つだけなら猿でも出来る。問題は利益を出しつつ導き、それでいて失脚しないかどうかだ。
 武装したミュータントと戦う、か。
 正直、この女がミュータントとの混血で、性能が桁外れだろうが、それこそ私レベルの戦闘力でもない限り、数の差は埋まらない。
 それも武装している、となると尚更だ。
 私の考えでは、恐らく彼女たちは「わざと生きたまま放置」されている。そういうゲリラ的な存在が、どういう手段に出るのかは、非常に有用なデータになるからだ。
 籠の中の小鳥。それも、自覚の無いままに。
 私には関係ないがね。いや、私だからこそ関係があるのか。私は、それこそ「運命」という籠の中に閉じこめられ続けてきた。
 彼女たちを支援することで、何か対策に、はならないだろう。彼女たちは集団で、私は個人だ。 協力プレイが実装されていない以上、参考にすらなるまい。私は誰と出会おうが、何の影響も受けない非人間だ。私が誰が死のうが悲しむことが出来ない事と同様、私が死んで悲しむことができる存在も、やはりいない。
 何が言いたいのかと言えば、そんな「存在」は最早人どころか、「地獄そのもの」という事だ。地獄という概念が「あらゆる幸福を排した」存在ならば、私はまさにそれだ。何一つとして幸福を決して感じられず、それでいて悔やむ事も悲しむ事も哀れむ事も慈しむ事も、何も出来ない。
 何一つとして「人の幸福」を味わえない。
 まさに地獄だ。地獄そのものを無理矢理人の形にしたからこそ、非人間などというズレた存在が出来るのだろう。実際、私はこの上なく「悪」だ・・・・・・どんな人間的感情も一切感じず、それでいて全ての幸福を否定し、絶対に幸福そのものを感じ取ることは無く、人間の在り方、夢想ではあるが人間の「美しさ」に焦がれる事も、出来ない。 それでいて、何も感じはしない。
 そうであることを、間違っていると思わず、むしろ率先して人間性を排除し、必要とせず、ゴミのように捨ててしまえる。
 これが「悪」で無くて何なのか。
 まさに地獄そのものだ。
 嬉しくもない。
 無論金の多寡に比べれば、そんな問題は些細な事でしかない。物語によって金を儲けられていない以上、問題と言うことだ。
 このまま、何一つとして得られずに終わるのかと思ったが、考えてみれば私は何を手にしたところで充足も充実も感じ得ないのだ。そういう意味では全てが徒労と言っていい。このまま物語を金にも換えられず終わるとは、つまりそういう結末を迎えると、いうことだ。
 人間の物真似をして、怪物にすら心がある事を知り、混ざれず、それでいて孤独であることを、一切問題とせず、金の力で生きようとする。
 誰に理解されることもなく、誰を理解することもなく。その時点で十分破綻している上、破綻した上で求めた金による幸福も、物語が金にならないと言う理由で、失敗している。
 何度目の挑戦だろうか。
 金を儲けようと言うアプローチは、物語だけでは断じてない。私とて楽観的に物語を金に換えられる、とは思っていなかった。無論出来映えには絶対の自信があるが、売れるかどうかは別だ。
 だから予備のプランを幾つも走らせていた。その全てが無駄に終わって久しいが、作家業でないからと、手を抜いたわけでもない。
 消去法、まさにそれだ。私には大金を稼ぎ、それを現実にしうる方法論が、物語しか、もうどこにもないし、それ以外に可能性すらない。
 全く持って嫌な噺だ。
 ただ、豊かで平穏に暮らしたい、だけだというのに、人間らしい生活を非人間が真似をしようとするから失敗するのか?
 わからない。
 分からなかった。
 それが分かれば苦労はしない。
 何時だって、そうだった。
 仮初めの希望を見せられて、飽き飽きとして意私は「どうせ無駄だろう」と思い、一応試みだけはしておいて、結果無駄であることを確認する。確認、そう確認だ。作業と化している。何かを試みたところで、無駄なのだ。
 それを私は知っている。
 だから、綺麗事には吐き気がする。
 どう行動したところで、無駄なモノは無駄だ。それを私は知っているのだ。試みをしようがしまいが、成功する奴は成功するし、幸せになれる奴は幸せになれる。
 最初から決まっている「運命」だ。
 成るべくして成る。幸福とは、与えられる事が決まっている人間の「特権」でしかない。
 成れない奴は、どう足掻いても、成れない。
 挑戦権そのものが、そも存在しないのだ。
 成れる訳が無い。
 知っていて、覆そうとして、無駄だと悟り、それでも繰り返し、再確認した。
 それを繰り返した。
 何度も何度も狂気のように。
 我ながら馬鹿な事をしたものだ。成れない人間は何をどうしたところで、幸福には成れない。全て決まっていることだ。
 持つ側か持たざる側か。
 生まれついての特権は、揺るがないと。
 知っていて、それでも諦めが悪かった。
 我ながら、子供の考えだった訳だ。方法はあるはずだと、頑なに信じた。それが無駄でもまた繰り返した。私が賢い大人だったなら、さっさと諦めて死体としてこなしただろう。
 要は己の道を信じた訳だ。それが「結果」間違いだったと言える。己の道すらも、結局は運不運と持つ側か持たざる側かで、正しいのか間違っているのか、決められてしまう。持たざる側には己の道を突き進む権利すら、無かった。
 だから金を欲した。
 結局、信念は無意味だったからだ。役に立たない信念や誇り、そういった綺麗事のゴミよりも、現実に何かを変えられる「力」の方が、私個人の自己満足の幸福だとしても、まだ現実味があるからだ。
 それも、失敗したが。
 変えられない生き方と言えば聞こえは良いが、金にならず失敗すれば、ただ惨めなだけだ。誰一人として見向きもしない人間の末路など、こんなものなのか。だが、私は己を惨めだとも、こんな末路如きで終わるとも、思えない。
 思うことが、出来ない。
 今更、そんな殊勝な考えを、持てない。
 難儀なものだ。本当にな。
 信じたところで裏切られるだけで、信じなければならないような時点で、それは人間であれ現象であれ、成し遂げた事柄であれ、「結果」には決して結びつかないのだ。
 信じなければ成らない時点で、綺麗事だ。
 勝てる力が有れば、信仰など不要だ。
 何も信じなくても、金もそうだが「勝てるだけの莫大な力」があれば、勝てる。現実問題、力があり成し得ない事柄など聞いたことがない。
 金の力で変えないモノなどあるのか? まぁあるとしても、精々が人間同士、人類皆平等で手を取り合う未来位のものだろう。人間同士の結束は決して金では買えない。未来永劫殺し合い奪い合い騙し合う。人類は平和を買えないのではなく、買わないからだ。
 実際、人類が団結して、不可能は無い。どんな願いでも叶えられるだろう。まさに聖杯だ。無論人類が仲良くするなどあり得ないが。
 それは、皆知っているからだ。所詮世の中は金や権力が「全て」だと。美しい人間の手の取り合いなど存在しない事を、皆知っている。
 信じるべきは力だけだ。
 金、暴力、権力、政治力、情報力、何か現実に未来を切り開く何かとは、例外なく力だ。そして金はもっともわかりやすく人間を幸福にしてくれる、魔法のアイテムだ。
 だから求め続けたのだが、どうやらそれも、持てる人間が決まっているらしい。そうとしか思えないくらいには、失敗した。
 非人間、として存在している以上、私に未来なんて最初から無かったのかも知れないが。言っても仕方がない。無理だと承知で挑むことくらいしか、もう出来る事も無い。いや、挑むことも、もう意味はないだろう。ただ、流されるだけだ。
 何も出来る事は無い。
 なら、私がどう足掻いたところで、同じか。
 信じるべきは力、即ち金だ。だがそれも持つ側と持たざる側で区分けされているなら、どうにもなるまい。どうにも成らない事なのだとすれば、私のこの行動も、あってもなくても、きっと最初から同じだったのだろう。
 無駄な労力を掛けたものだ。
 本当に、何から何まで無駄だった。
 そういうことか。
 私が無駄を被ることで誰が特をするのか知らないが、最早どうでもいいことだ。その考えにすらも、結局は意味がないのだから。
「今夜はここらで野営しよう」
 私はそう言って、マリーとジャックに休憩の指示を出した。彼らは渋々従った。

   6

 人間性など捨ててしまえ。
 何の役にも立たないぞ。私が言うんだ間違いない。人間性がなければ、どんな遠大な目的であれ追いかけることが出来る。そして、この世に存在さえしない嘘くさい詭弁よりも、実利を手にして適当に「自己満足」でき、それで満足できる。
 人生に意味など無い。
 人生に価値など無い。
 どちらも必要ない。要は、如何にリッチで快適な生活を送れるかどうか、だ。人と人との絆は尊いとお前等は言うが、そんなもの、飽きが来ればいらなくなるものだ。
 家族も。
 恋人も。
 友人も。
 全て、飽きるまでの暇つぶし。
 使い捨ての小道具よりも、その小道具を買い占める方が幾らか「現実的」だ。そうじゃないか? まぁ、同意は必要ないし求めてもいない。ただこの世界はそうだという「事実」を、頼まれてもいないのに突きつけているだけだ。
 目的意識、で思い出したが、私の作家としての最終目的は「聖書」を越えることだ。越える対象でしかない。世界一読まれていて、人間の方向性を大きく変えた書物、となると、そういった類の本、物語こそが出てくるだろう。
 無論対抗意識からではない。
 全人類の意識を変える、という尋常ならざる部分は認めざるを得ないが、正直言って面白くはないからな。宗教本としては最高位かもしれないが「物語」としては、正直これを越える存在は幾らでも有るだろう。
 それが「事実」だ。読まれていれば何でも凄い訳でもないしな。あくまで分かりやすい指標にすぎない。目的などそんなモノだ。
 とはいえ「目的」が低ければ、低いところですら越えるのに苦労するだろう。何事も世界一を圧倒するレベルまで、遙か彼方を見据えねばな。
 そうでなくては面白くない。
 その方が、面白い。
 そうでなくては、やりがいがあるまい。
 私にとってかの聖人は聖人ではなく、あくまでも「作家」なのかもしれない。面白くはないが、それだけ広めた手法は参考にするとしよう。
 無論。私は自分よりも売れている作家は嫌いなので、仲良く出来そうにはないが。きっと現実にそんな聖人が目の前にいたとしても、当人の胃を痛めるような嫌がらせをし、スーパーで買い物をする時に商品を根こそぎかすめ取り、家賃を払う気がないと大家に言いつけ、エアコンを破壊し、冷蔵庫を勝手に開けっぱなしにして肉を痛め、そしてそいつらの目の前ですき焼きを食べる事だろう。なんて、そんな実際にいたのかもわからない相手に、こんな事を考え得るのは無駄だがな。
 実際にいたかどうかも分からない人間の事を、大多数の人類が信じているのは、どうも奇妙な噺だ。実際、その聖人は遺体が確認されていない筈だしな。まぁ、当人からすれば死んだ後までこき使われるのは迷惑だろうが。
 何であれ、例えそれが世界最大の聖人であれ、所詮個人でしかない。だが、そうやって持ち上げる人間が多くいれば、虚実も本物になるのか。
 高尚な人間を崇めることで己も高尚になろう、なんて、私からすれば有名スポーツ選手を応援することで、自分がそのチームのスポンサー気取りに成るようなものだが。高尚な存在があったとして、それはそれだ。崇める人間が高尚になるわけではあるまい。
 個人は個人。
 人は人に影響しない。
 世の中そんなものだ。
 所詮この世は自己満足。誰一人として理解され無かろうが、誰一人として必要としなかろうが、誰一人として分かりあえなかろうが、どうでもいいのだ。要は、「己で己の道に満足する」ことが「生きる上での充足」なのだから。
 自己満足が出来れば、満足することを肯定してくれる他者など、必要ない。私は既に、そう出来上がっている。
 出来上がる、というのも違うのか。私は人として必要な部分を全て削ぎ落とすことで、生まれてしまった化け物だ。だからこそ、私は現状に非常に満足している。無論、貯金残高は別だが、それ以外は最高だ。
 人間性の無い世界。
 素晴らしい。清々しくも爽快だ。
 そんなモノを求めなくて良かった。私はつまらないモノに、人生を束縛されるのは御免だ。思うに人間というのは「人間性みたいなモノ」を維持することに躍起になって、結果己を殺して我慢して生きているように見える。
 家族とか恋人とか友人とか、全て言い訳だ。ただもっともらしい価値観が欲しいだけ。皆がそれを素晴らしいと崇めるから真似しているだけだ。 私と何ら変わらない。
 価値観など己で決めればいいのだ。己で決めてそれに満足できればいい。ただのそれだけだ。他に必要な何かなど、どこにも存在さえしない。
 価値観か。マリーとか言うこのレジスタンスの女は、どういう価値観を持っているのだろう?  私たちは今、二次元式収納タイプの、簡易宿泊施設を起動し、ぺらぺらの入り口から中に広がる簡単な宿泊施設内部で、休んでいる。
 便利なものだ。
 ふと思い立って女の部屋にノックをしてみたが返事はない。どうやら寝てしまったようだ。私の思惑も知らず、恐らくは部屋の中で暢気に寝こけているこの女、実験に使われた奴等を解放していたらしいが、まさか「正義の味方」のつもりなのだろうか?
 正義とは「権力」と「政治力」そしてそれらを動かす「軍事力」があって初めて、名乗れる存在だ。無論金もかかる。大量虐殺の口実は安いが、それを動かすとなると「命の重い」自国の兵士を動員しなければならない。金と手間と労力と、そういったあれこれがあって初めて「正義」だ。
 だから連中が博士の率いるミュータントを皆殺しにするか科学の力で支配し、標的の博士を社会的な生け贄にして、全ての責任を負わせ、その上で自国の実利、つまりはミュータント共を他国へ切り売りし、非合法な実験の場所としてこの惑星を提供し、金と軍事力を押さえれば、正義だ。
 善悪などどうでもいいがな。
 所詮各々の都合だ。どうでもいい。どうでも良くないのはこの女、見殺しにしてもいいのだが、売れば金になるであろう、という点だ。
 死体であってもそこそこの金になる。
 それは、ミュータント共からすれば、私自身にそのまま適応できるのだろうが。サムライは珍しいからな。狙われている自覚はある。
「その女、助けないのか?」
 コーヒーを入れて一服し、部屋に置いてあった椅子に座り込んだタイミングで、ジャックはそう聞いてきた。
「金になればな」 
 部屋の方向を見ながら私は言う。ぞっとするような冷徹な声で。冷淡に、冷静に、助けを求めてきたヒロインを、容赦なく。
 助けを求められたからって、助ける覚えもないだろう。そんな義理も義務もない。どうしてもと言うなら金次第だ。
「もしこれが物語なら、先生の立ち位置は間違いなく、その女を助け、囚人を解放し、未来に希望有る形で結末を迎えること、だろうぜ」
「知るか」
「つれないねぇ」
「当たり前だ。何故そんなありきたりの役割を、他でもない私がやらなければならない? そんな面倒な役割は、誰かに押しつければいい。私は最終的に実利を得られる立ち位置、否、役割を作り上げるまでさ」
 元々役割の無かった人間が、その「狂気」のみでここまで来た。が「足りない」のだ。黒幕的な立ち位置では、永遠に目的にたどり着けない。黒幕とは陰で暗躍し、策を巡らせ最後の最後、主人公に打破される存在だ。
 かといって・・・・・・ここでこの少女を助けることが私の利益になるかと言えば、否だ。そういう試みは既に終えている。因果応報、善行を積めば物語の流れを支配できるのではないか、という試みは、既に何度も失敗した。
 どうしたものか・・・・・・とりあえずミュータント共を生け捕りにし、「博士」の研究データを奪った上で、この少女を売りさばく。
 これがベストだ。
 売りさばく、というよりも、貴重な実験体として、おおよそアテのある幾つかの国に研究を持ちかけ、資金を出し合いながらその研究結果を分配することになるだろうが。
「それでいいのかい?」
「何が悪いんだ?」
「いや、まぁ先生に道徳なんてないか」
「無いな」
 噺が終わってしまった。何が言いたいのだ、こいつは。確かに私は既に結構な金を持っている。だがそれが手段を選ばず金を求めては行けない理由には、ならない。
「哀れな少女を助けようとか思わないのか?」
「思わないな。哀れだと? 下らん。哀れだからといって助ける理由など、本来どこにもない。ただ単に自分達の「善性」とでも言えばいいのか、「こういう状況でこういう善行を行えば良い人間であれる」という、行動原理でしかない。本来ならば、弱った奴は食い物にされ、踏みにじられ、殺される。そして、こちらからすれば「手間をかけずに殺せる獲物」は「幸運」としか言えまい」「理屈の上ではそうだがよ。それでも手と手を取り合うのが人間だろう?」
「馬鹿馬鹿しい」
 人間が手を取り合ったことなど一度もない。
 政治や経済、実利や資源、そういう背景から嫌々手を握ったフリをしてきただけだ。
「人間が手を取り合っていれば、とうの昔に、あらゆる願いは叶えられていただろうな。誰かが損をすれば誰かが笑顔になる。宇宙の基本概念だ。それを無視した奴は生き残らなかったし、信じた奴は現に上に立っている。人と人とが手を取り合う未来、など、「政治的にも経済的にも共通の的であり、滅ぼすことで利益を得られる他種族」でも出ない限りは無駄な話だ」
「宇宙人はいるんだろう?」
「いるらしいな、私はテレビを見ないので、最近まで知らなかったが。テクノロジー的にはそいつらに追いつき、滅ぼし奪うか、あるいは自分達よりも下の種族を作り上げ、それを支配することでしか、手を取り合うなど不可能だろう」
 人間とはそういうものだ。
 何かを見下し何かから奪い、何かより上に立っていなければ、劣等感で歩けない。
 人間でなくて、本当に良かった。
 なんて面倒臭い生き物なんだ。
 よくそれで生きられるな。
 恥という概念に限れば、人間にそれはないしな・・・・・・大抵の「人間」は、劣等感の克服で、人生そのものを終えてしまう。
 よく分からない奴等だ。
 少なくとも連中は、ミュータントを殺すことさえ「可哀想だ」などと、何の責任もなく改善案も自身が何をするつもりもなく、言うのだろうな。 ミュータントか人間かなど、敵味方の識別が簡単で殺しやすいのがミュータントで、識別しにくいのが人間だ。いや、そもそも武装している軍隊ならば、見た目で分かりそうなものだが、それすらも人間は偽装するからな。
 そして、死体を集めれば集めるほど、つまり殺せば殺すほど儲かるのがミュータントだ。俄然やる気が出てくるとしか、思うつもりもない。
「生きているだけで人間が人間を傷つけるならばせめて、金になる形にと思うのは当然だろう」
「それで、何の罪悪感もなく、それを実行できるのは、何故なんだ?」
 純粋な疑問のようだった。珍しい。人工知能のこいつに、そんな感覚があったとはな。
「何故も何も、私の生活に、こいつらの生き死にが関係有るか?」
「他者を全く労らない、というのも有る意味才能だな。人間には善意のセーフティネットがある。先生みたいな事を思いついても、実行できないようにな。それが」
「外れている、というよりも「最初から付いていない」というのが正解だろう。そのお陰でいらない苦労もしたが、だからこそ何の躊躇もなく、こんないたいけな少女であれ、踏みつぶして肥やしにすることに、罪悪感などない」
 それで罪悪感を感じるような奴が、作家などという非人類の代表みたいな事を、始めるわけがあるまい。
「先生は人間じゃ」
「無いのさ。変える必要も、無い。金が有ればそんな些細な問題は、着せ失せる」
 金が有れば生き方に関係なく、生活が出来る。 だから、人間性など無くても構わない。
 それが「事実」だ。
「自分の為だけに生きる人生が空しい、などというのは根本から間違っている。己の為だけだ。他でもないこの「私」の為に、他の全てを生け贄にして地獄にたたき落とすことが、爽快で楽しく無い訳がないだろう」
 世界は最高に面白い。
 私はそう言った。
「無論その為に善良なる市民が犠牲になったりするが、この「私」の充足感に比べれば、何人いるのか数えるのも面倒なその他大勢が、どうなるかなど些細なことだ。自分の為、自分の為、そして自分の為だ。おかげで金さえ付属すれば、だが・・・・・・面白くて面白くて仕方がない」
「神代の怪物も真っ青だな」
「構わんさ、たかが腕っ節が立つだけの怪物などいようがいまいが同じ事だ。そんな小物におびえられたところで、箔にもならんしな」
 強いだけ、怪物性があるだけ、あるいは人間でないだけでは、恐ろしいとはその他大勢のカス共が思うかも知れないが、きっと「悪」にはなり得ないのだ。
 その程度、人間にすら劣る。
 狂気だけが面白い。何もかも排し何もかも犠牲にし何もかも裏切られたところで・・・・・・狂ったように笑える災厄のような存在。
 だから面白いのだ。
 そうでなくては、つまるまい。
「嘘八百をあたかもあるかのうように書き、それを読者に売りつけ、税金のように読者共から搾取する。それが作家だ。騙すも奪うも当然だ」
 当たり前のことでしかない。
 作家とは、そういう生き物なのだから。
「酷いこと言うなあ、夢と希望を物語に見ているちびっ子が泣くぜ」
「夢も希望も、所詮紙上の嘘でしかない。そんなモノに価値はない、価値があると、そう思いこんでいるだけだ」
「思いこみ、信じることには意味があるだろう」「かもしれん、だが金にはならん」
 だから私は金を求めるのだ。この世にある全ての希望と全ての夢は、虚構と脚色で出来ている。 ならばそれを買うことの出来る「金」こそが、この世の真実ではないのか、なんてな。
 実利が有ればそれで良い。
 金こそが正義だ。
 少なくとも、私にとっては。
 そう思いこむだけの利用価値がある。
 山間部を抜け、我々は博士のいるであろう可能性の高い、都心中央部へと向かっていた。円のように周囲を森林と居住スペースが挟んでおり、我々はまだ居住スペースと森林の中間地点、丁度両者がいい具合に混ざっている部分で、休んでいるわけだ。
 女が休んでいる間にも、当然私はこの惑星の塵状況や、周囲の建物が使われているかどうか、二次元式簡易宿泊施設をこっそり抜け出して、調べ続けていた。先ほどようやくそれが終わり、こうして夜遅くにジャックとの情報共有をしているわけだ。
「どうも、おかしい。施設の作りもそうだが、まるでつい最近まで誰かが住んでいたようだ。ミュータント共が「徐々にさらわれて作られた」ならこんな状況にはならない」
「ウィルスを誰かがバラまいたとか?」
「かもしれん。だが、どうにも奇妙だ。そうだとしたら、やはりあの連中が野放しになっているのは「無自覚な研究対象」としての意味合いが強そうだな。大体が、都合良く自給可能なスペースを取られる、なんて考えづらい」
「当人たちの努力の結果だろう」
「努力の結果というのは、報われないものだ。それがレジスタンス、なんて気取っている連中なら尚更な。加えてあの連中にそこまでのカリスマ性のあるリーダーはいなかった。あの少女に関して言えば、ただ有能だから持ち上げられているだけだろう」
「確かにな。けれどさ、だとしたらここは、一体何の施設なんだ?」
「ミュータントを使って、何かしらの軍事データを取っていることだけは間違いない。後はおおっぴらに生き残らせた連中と戦争が出来て、それをデータとして取得できる。これだけでも結構なものだ。戦争をするのには金だけでなく口実も必要だ。ここではそれがない。法の外側にこういう施設を一度作ることが出来れば、人間を殺しても人間を解剖しても人間を作り上げても人間を量産しても人間を研究しても、誰も文句は言わない」
「見つかれば言う国は多いだろう」
「まぁな。だが、見つからないし、見つかれば誰か現場の人間の暴走だとでも言って、指摘される前に焼け野原にすればいい。私なら「核兵器の誤作動」とか言って、惑星ごと証拠を消すね」
「人間ってのは、どうもおっかねぇな」
 全くだ。とはいえ、実利を求めるとはそういう事なのだろう。役に立たない倫理観より、現実に何かを成し遂げる。それには犠牲が必要だ。それには当人の犠牲か誰かの犠牲か。それなら他人で有れば何も不都合はないと。そう押し進める人間が多いのは当然だろう。
 当たり前のことだ。
 人類史至上、珍しくもない。
 狂っている人間にとって、世界は普通に見えているものだ。ただ考え方と捉え方が違うだけで、他は一般人と何ら変わりはしない。
 人間を見て人間だなと思い、死体を見て死体だなと思い。ついでに言えばその死体や人間が、まぁどちらも似たようなものだが、それが金になるのかを見るのが、私だ。
 ミュータントと人間のハイブリット、だったか・・・・・・思想自体は分からなくもない。ちょっと数百人程度の人材を犠牲にするだけで、人類の新しい可能性、主に独占できる技術。欲しがって当然だろう。
 それを使って何をするのか?
 何が出来るだろう。とりあえずミュータントを培養し、人間を人工的に交配させ、後はそれを量産すれば、いや、ミュータントは突然変異に近い生き物だ。培養は難しい、とそうか。
 人間を交配させ、古い人間をミュータントにすればいいのではないか?
 恐らく、あのレジスタンス共以外の人間は、繁殖用として飼われているのだろう。それを増やしミュータントに変え、それと人間をさらに交配させ、新人類を量産する。
 素晴らしい。
 なんと合理的で革命的な考えだ。
 若干感動した。二秒でその感動は忘れたが。
「人工的に新人類を作ろうとしているとなると、中々見所のある人物のようだな」
「いや、どう考えても頭おかしい狂人だろ」
「馬鹿を言うな、何もおかしくないさ。人間だって豚とか牛とか鶏を、幾らでも人工的に増やしてばらばらに引き裂いて肉塊にし、それを美味しく食べているじゃないか。それに比べれば殺してはあまりないのだから「道徳的」さ」
「人間と家畜を一緒にするなよ」
「同じさ。「自分ではない」と言う点において、何ら変わらない。人間が残酷になれるのは、己の保身や己と関係ない存在だからだ。だから家畜は殺せるし、笑顔で食べられる。似たようなモノだ・・・・・・少なくとも「やっている事は結果同じ」だからな」
「人間も家畜もか?」
「ああ、何ら変わらない。同じ生き物じゃないか・・・・・・差別するなよ」
「差別というより、いや、しかしだな」
「変わらないさ。牛も豚も人間も鶏も、呼び方の違う生き物であり、そして生き物であるという点は同じだ。名前や生態が違うだけで生き物だ。それはただの「事実」だよ。人間だけを尊くしようなどと、自己満足の下らない偽善でしかない。豚や牛を殺すのも人間を殺すのも、等しく同じだ。「生物」を「殺す」と言う点では、否定する部分が見つけられまい」
「確かに、そうだけどさ」
 人間には意志があるじゃないか、と人工知能らしくもない弁明をジャックはするのだった。
「鶏にも牛にも豚にもあるさ。それを見ない振りしているだけだ。どうでもいいがな・・・・・・人間を養殖するのも同じだよ。魚を増やせるのに人間を増やすのは人道的に問題が、なんて、人間以外の命を軽くみているだけで、優しい訳でもない。それに法律的なことを言えば、ここにいる奴等はどこにも所属していない。何人死のうが何人殺そうが何人解体しようが、牛や豚や鶏と、同じ扱いをしても何の問題も無い」
「本気で言ってるのか?」
「事実だと言っているだけだ」
 それが事実だ。人間も牛も鶏も豚も変わるものか。心臓が三つも四つも有るわけではあるまい。蛸ならともかく、いや、それも数が違うだけで、生物であることには変わるまい。
 道徳だとか人道だとか叫んでいるだけで、別に人間が人間を増やしてはいけない、などというのは世間全体がそう言っているだけで、それに合わせているだけであって、そもそもが個々人の内から生まれた価値観ですらない。
 世間が良しと叫んでいれば、そいつらも諸手をあげて賛成したことだろう。詳しくは独裁政治について書かれている本を読むといい。
 世の中そんなものだ。
 何かを誰かに託すことが、生命のあるべき形だなどと、言い訳だ。一体人類が何を受け継ぎ、託し続けてきたかと言えば、治りそうもない社会問題だけではないか。
 何も後へ続かなくていい。
 それは作品がやってくれる。
 仮に作品が誰にも託されず、受け継がれなかったとしても知ったことか。「私」には関係がないからな。
 何かを生命のバトンで託す存在こそが「人間」だとすれば、私は人間でなくて良い。非人間でなければ己を優先できないならば、尚更な。
「古いモノは誰だって捨てるだろう? それのスケールが少しばかり大きいだけだ。人類も古くなってきているのだから、新しい何かに変えるのは有る意味、当然だろう」
「今まで培った文化や思想が有るじゃないか」
「文化や思想はデジタルで保存が可能だ。それを再現すればいいだけ、だ。心が伴わないだの何だのと、そんな存在しないモノであれこれ騒ぐよりは、全ての文化、思想、科学をパッケージ化してそれを保存し、「新人類」を改良し続け、新しい新人類が引き継げばいい」
「人間の発想じゃねぇよ、それ。つぅか、その場合旧人類はどうなる?」
「だから捨てればいい」
「そこに自分が入っていたら?」
「精々安楽死させてくれと頼むさ。まぁ、現実問題新人類がいようがいまいが、よくよく考えればその社会の中でも「必要とされる存在」である必要がある。人類がどれだけ進歩しようが、変わりの効かない存在になればいい」
「先生はそうなれる、と?」
「いいや、今と変わらないって噺だ。現段階で私の替えが効く人間は存在しないが、しかしそれが金にならなければ同じ事だ。だから人類がどれだけ進歩しようが、新人類が牛耳ろうが、やることは変わらないな。本を書き、それを売る。問題なのは現時点でも売れていないという点だが」
「つまり、先生には「人類の発展」は関係ない、というか蚊帳の外の噺なんだな」
「そうかもな。そして、蚊帳の外なら幾らでも適当な事を言えるということだ」
 実際、どうでもいいしな。
 他の人類が取って代わったところで、私には何の関係もない。どうでも良さ過ぎる。問題なのは他でもない私個人が、望む生活を送れるか? その一点に尽きるからだ。
 自分以外はどうでもいい。
 有る意味、当たり前のことだ。
 哀れな少女も社会全体の危機も、それを解決したところで私の寿命が延びるわけでも、私の懐が暖かくなるわけでもない。依頼は「博士」の殺害指令だ。そしてそれを「始末」する以外の事に、私が何かしてやる理由も動機も義務もない。
 何より金になるまい。
 誰だって、金も貰わないのに人の為に何かをすることなどありえまい。金は払わないが頼むことをやってくれ、なんて、俗っぽい物語のヒロインにはよく見られる傾向だが、馬鹿か。銃を突きつけて無理矢理言う事を聞かせるのと、道徳を振り回し助けるべきだと「脅迫」するのは「過程」も「結果」もまるで同じだ。
 脅迫材料が違うだけだ。
 有る意味、善人ぶった奴の方が、質は悪い。
 現実にはそういうことだ。
 とはいえ、それも問題が無い訳ではない。なまじ「上手くやってきた」人間などには良く見られる傾向だが、世の中の本質、否、事実を見ずともやってこられた人間に、人としての強さは皆無なのだ。皆無、そして絶無だ。
 何一つ己で考えず、決断せず、けれど「そこそこ有能」で、生きてこられただけの、人間。
 そこそこ有能というのは実に厄介だ。それなりに有能であるが故に挫折を知らず、それでいて己のことを小綺麗な人間だと思いこみ、そして何より「無知」だ。
 己の食生活すら管理できない。必要な栄養が何かも分からず、原価が硬貨の製造費より安い、インスタント食品を食べ、体を壊したと嘆く。
 一瞬だ。
 所詮、彼らは「幸運」にたまたま支えられてきただけの人間だ。だから「一瞬」幸運に見放されず生涯を終える奴も多くいるが、終える前に幸運に見放されれば、一瞬で終わる。
 彼らには何もないからだ。
 私のように「成し遂げた作品」も無く、「やり遂げたという実感」も無い。何もしてはいないからだ。当然だ。無論それでも金を持っていたりはするのだが、金の扱い方をまるで知らない。
 あんな奴等でもそれなりに幸運に支えられて楽しているというのは、いかにも不条理って感じはするのだが、しかしそんな彼らだからこそ、金を上手く使いこなせず、結局よく分からないモノに金をつぎ込むというのだから、良くできているのか何なのか・・・・・・あの女の手の平の上、ということなのか?
 だとしても、綺麗事は御免だ。
 作品が金にならなくて良い理由にも、なるまい・・・・・・是が非でも売らねば、何のために書いているのか分からない。思想や信条は確かにある。だがだからといって伝えて満足するほど、私は余裕のある「持つ側」にいないのでな。
 それも所詮、心の持ちようだとか言うのだろうが、しかし実際問題心の持ちようで金が増えることはないし、心なんて有るのかさえ責任は取れないし取るつもりもない。
 責任なんて「取っている用に見えれば」いいものだしな・・・・・・どうでもいいことだが。
 少なくとも私には、札束にまみれ女を侍らせ、それでいて余裕たっぷりの態度で「いやあ頭を使っただけですよ」なんて言われて納得できるほど人間をやっていない。
 どう考えても、不条理だ。
 そんなカス共がおいしい思いをしているのかと思うと、不満でならない。そしてそういう人間に限って大した信念も信条もなく、どころか狂気すらないままに、あっさりと金を手にする。
 忌々しい限りだ。それが芸術家だというのなら分かる。芸術なんて売れればそんなモノだ。物語とて、そういうモノだ。それなりのモノを作っていなければ生き残れない、というのは何かしら創造的、と言えば聞こえは良いが、要は何かしらの物語や、絵や音楽などの分野のみだ。
 幾らでも誤魔化しの効く「IT産業」などと違い、物語などまさにそうだが、「誤魔化し」が長くは続かないのだ。無論、突発的に売る人間は多いのだが、それだって何年も何十年も何百年も売り続けられるか? と考えれば、否だろう。
 私は何臆年先であろうが通じるよう書いている・・・・・・それは私の思想がそこにあるからだ。私の作品はどう考えたって「代わりが効かない」そりゃそうだろう。書いているのは私が何もないところから作り上げた、世界で唯一の物語だ。替えの効かせようが無い。
 金の力で効かせてやりたい所だが、流石に不可能だろう。ゴーストライターに同じ作風の作品を書けるとは、思えないしな。この「私」の思想が反映されていない時点で、噺に成らん。
 私のやる気は金で買えるがな。
 なに、一日たったの金塊五トンでいいぞ。
 安売りするつもりもない。
 逆に、替えが効くであろう産業ほど短期的に栄えて没落するよう出来ている。不思議だ、何か法則でもあるのだろうか・・・・・・作家としてはそういう「法則」こそを解き明かしたいモノだ。
 とにかく、替えが効く以上、人材の入れ替わりも激しいのだが、そんな事二秒考えを巡らせれば分かりそうな噺だが、不思議とそこで労働に身を窶す連中は、先述した人間性を持っているので、「真面目にやっていれば大丈夫」と、意味不明な根拠を持っていたりもする。
 真面目にやろうが不真面目にやろうが、替えの効く人間である以上、いらなくなったら捨てられるのは当然の筈だが、彼らは世の中の裏、というか「綺麗事以外」を知らないのだ。考えてみれば当たり前だ。綺麗事しか知らないのだから、知らない事には対応できまい。
 ここの連中も同じだろう。
 綺麗事しか知らない。
 だから、利用されていることに、気づかない。 少し考えれば自分達が実験に利用されていることくらい分かりそうなものだが、きっと彼らはこうして真面目にレジスタンス活動をしているのだから、いつか当然のようにそれが報われてしかるべきで、自分達の正当なる行いが認められ、それを周りが応援するのも当然、と思っている。
 一見すると同じに見えるが、根本が違う。
 私は己のやり遂げた事に対し、科学的な根拠が無くとも己を信じる。成し遂げた事は事実なのだから当然だが、作品の出来は世界一だ、金は払われて当然。これは何かを作った奴なら当然だ。
 彼らは、訴えが通ると思っており、そして今まで訴えるだけで意見が通ってきたりする人間だ。だから具体的な「行動」よりも以前、つまり試行の段階でやるべき事を、しないのだ。
 それで結果が出る方がどうかしている。結果がすべてというなら、まぁそういう人間の方が結果はでている気もするので、あながちまるで意味を持たないわけでもないのだろうが。
 だが、そんな事が生涯賭けて続く方が、稀だ。 今まで続いてきたことが奇跡なのだ。
 それを、考えずに生きている。
 少なくともこういう連中に、私が同類みたいに言われるのは、実に腹立たしい噺だ。ご大層な綺麗事や大義名分を貴様等が抱えている間、私はひたすら書き続けてきたのだ。文句があるなら私以上に、何かを作り上げて見せろ。
 そんな連中には無理だろうが。
 そういう意味では実にちぐはぐだ。成し得たところでそれが実利、金になるかどうかで悩んでいる私のような人間の横で「宝くじが当たった」と言われているようなものだ。これで何かに納得しろなどと、あの女も随分な無理を言うものだ。
 成功するかどうか、勝算があった訳ではない。作家業に明白な勝算などあり得ない。だが、それでも己の在り方を定義し、少しずつ成長し、前へ進み、作品を書き上げ、また作品を読み、そして書き、売るために頭を動かし、長い長い遠回りの結果崖に落ち、それでも這い上がり、それでも失敗を続けてきた。
 忌々しい限りだ。
 それで作品に説得力が出たところで、嬉しくもない・・・・・・説得力を持たせたいなら、それらしい情報をでっち上げてプレゼンすればいい。そうじゃない。金、金、金だ。所詮この世は自己満足かもしれないが、こうまで人生を賭けて手を尽くし策を尽くしそれでも売れない。
 頑張れば結果が出る事などありはしない。努力と結果は別物だ。信念は幸運に勝らない。だからこそ、私は、信念だとか努力だとか友情だとかそういう嘘臭いモノでなく、それらを越える力で、理不尽に打ち勝たなければならないのだ。
 それが可能なのは狂気だけだ。
 だからこそ、私は邪道の作家なのだ。
 そうでなくては、面白くあるまい。
 その方が、面白い。
「しかし、今回の実験・・・・・・個人的には止めて欲しくないな。「人類の進化を人工的に」起こす、という試みそのものは、大きい利益を生む」
「けれど、その影響で大勢死ぬぜ」
「だが、その大勢は私には関係がない」
「確かに、そうだが、な。先生には関係がない」「そういうことだ」
 可能で有れば実験そのものは続けさせ、それでいて対象の標的を「始末」する、いや、それでは意味がないのか。あの女の目的が標的そのものではなく、標的が行うであろう「世界のバランスを崩す行為」を止めようとしているなら、尚更だ。 その場合、もう一度依頼を受けて、二度金を貰えることになるので、個人的には望ましいが。
 別にサムライは本業でも何でもないしな。
 あくまで「作家」として儲ける事が、目的だ。 そうでなくては意味がないし、価値も無い。まぁ現状金になっていないので、十分すぎるほどに意味も価値も介在していないのだが。
「実際、人類を均一化出来れば、つまり優秀な人間のみを残し、進化させ、それでいて「結束」させることが出来れば、事実上人類の抱える全ての問題を解決できるだろう」
「大げさじゃないか? 団結したくらいで」
「団結しただけで、人類は何でも出来るだろう。元々。争っていなければこれだけ優秀な生き物も珍しい。そして、人類が進化し、全てが全て有能になり、団結して目的へ向かえば不可能など殆ど無くなるだろう。一人の人間でも電気のメカニズムを解明し、宇宙船の理論を組み立てられる。それが百億、一千億の人間が同じ方向に進めば、宇宙の終演までかかっても一人では出来ないことが一日で出来るだろうさ」
「珍しいな、先生がそんな噺を持ち出すなんて」「未来永劫あり得ないだろうがな。だから、人類全体を「商品として」作れるようにし、有能な人間とミュータント、あるいは宇宙人か、それともアンドロイドか。それらを配合し続け、有能な品種を作り上げることは、既に人間は作物で実験済みだ。それを人間にするだけだ」
「人間の発想じゃねぇよ」
「人間の発想だ。作物で試すモノを、自分達に試すだけだ。火星の真空空間でも生存可能な遺伝子配合麦が作られてから、もう何十万年も経つ。それが人間に応用されたところで、不思議でも何でもない。大昔から、「人道的」という意味不明な心のブレーキを無視することで、人間の科学は進み、生活は豊かになってきた。それを、また繰り返すだけだ」
「繰り返さない方がいい「過ち」って奴だろう」「いいや、そうは思えない。否、私個人の意志など関係なく「結果」が出ているではないか。結局の所、我々が豊かでそれなりの生活をしている、とは未だ言い難いが、少なくともテクノロジーの恩恵を受けているのは「戦争」が有ったお陰だ。大昔の連中が頭の悪い理由で殺し合い奪い合い、死体を荼毘に伏せたからこそ、今の発展がある」「酷い例えだ。当事者が聞いたら怒るぜ」
「事実だ。戦争など、争いなど、その時点で実利とはほど遠い。戦争とは自国とは関係のない、どこかどうでもいい国、発展途上国で行い、国民はそれを深く考えず、それでいて自国の軍需産業を発展させ、発言力を増やし、経済を活発化し、関係ないどこか遠くの生物を殺すことで、自分達だけは恩恵を受ける為の方法だ。胴元みたいな存在としてやるべき「手段」だ。自国を巻き込む時点で無能を晒しているではないか。そんなのは外注して現地の死んでも困らない奴等に、やらせればいい」
「死んでも困らない人間ね。そんな人間がいるのかい?」
「沢山いるさ。発展途上国はインフラすら通っていないことも珍しくないし、「通したところで、使い方が分からない」場合も多い。いや、そもそもがインフラを使えるような人種なら、今頃になってインフラを提供して貰わねば生きていけない国づくりなど、しているはずがないのだ。自業自得だよ。そんな成長もせず、学も無く、極々一部の例外でもなければ、社会に認知すらされず、それでいて育てられもしないのに子供を作り、家族の肉を食べ、駄目なら売って臓器に変える人間など、大国からすれば生きていても死んでいても、どうでもいいだろうな」
「先生はどうなんだ?」
「どうでもいいな。人間賛歌すら無い、恵んで貰った食料を取り合って殺し合う人間のことなど、どうでも良さ過ぎる」
「けれど、環境が問題って事もあるだろう? 環境が悪かったからこそ、そう成ったのかもしれないじゃないか」
 こいつは何故人間を庇いたてるのだろうか。不思議だ。人工知能のジャックからすれば、自分にない感情や独創性を持つ存在には「尊く」あって欲しいという、勝手な期待なのだろうが。
 だが、事実だ。
 人間は醜い。
「環境か。だが、私は環境に関係なく、何かを目指すことをした。己自身で、自分はこのままでは足りない、と。何か上の方にある、今自分には無いモノを、求めたからだ。それが悪か善か、それはどうでもいい。私は環境は悪かった。才能など欠片も無かった。人間性すらも持ち得ず、理解者などいるはずもない。だが、それでも物語を幾つか完成させる事位はできた。なら、少なくとも何かを成し遂げるのに、己の意志以外は特に必要ないと、まぁそういう事だろうさ」
 などと、気取った事を言ったが、儲かるかどうかは別の話だ。人間の意志など関係なく、儲かるか儲からないか、それは運不運で決まる。
 極論、雷が落ちれば終わりだ。
 それは物理的なモノであり、社会的なモノであり、障害的な「何か」でもあり得る。いずれにせよ予期せぬトラブルはつきものだ。
 だが、それでもやるしかない。
 最悪の未来を見据えつつ、それでも上手く行くように仕込み、実行し、そして機会を待つ。金を蓄えつつ体力を温存し、体を休めておく。
 出来ることはそれくらいだ。
 いつだって。
 そうだった。
 私が言うんだ間違いない。
 出来ることなど、そんなものだ。
「まぁ本質は変えられないだろうから、やはり机上の空論でしかないがな。そういう意味でも、本質的な部分を変質させて人間以上に、物理的にも精神的にも成れれば」
「それこそもう人間じゃないぜ、そうでなければ神様か」
「ふん、ならこの方法論は使えんな」
「どうして?」
「人間と神と悪魔ほど、戦争ばかりしている生き物も、いないからさ」
 
 
 

   7

 恐らくは人類至上最高傑作、能力値のみで言えば人類至上最高の天才を、泣かせた。
 マリーのことなのだが、しかし、有能なだけの豚というのは、こうにも脆いモノなのか。知らなかった。こんな奴に負けるのが難しい。
 簡単に言えば、こんな事があった。
「能力値が高いだけで、お前って大したことないんだよな」
 今までの流れからして、何の活躍も見せていない役立たずに対する正当なる評価だったのだが、しかし、それがプライドに障ったらしい。
「勝負をしましょう」
「おいおい、お前みたいな奴に、どうやって負ければいいんだよ。百年はかかるぞ。私は金を使うのに忙しいんだ。雑魚の中の雑魚、キングオブ雑魚のお前に、付き合っている時間など無い」
「・・・・・・私の百分の一も演算能力のない男が、随分とほざいたものね」
「おいおい、自分の役割はわきまえているようじゃないか。そんな雑魚の台詞を吐くなんて、なんだ、お前、構って欲しいだけなのか?」
「・・・・・・負けた方が、勝った方に従う。これでいいわね?」
「構わないよ。とはいえ、暴力は頂けないな。こちらでルールを決めるから、それで勝負しよう」「そんなの」
「何だ、自身がないか。まぁお前みたいな奴は、自分が勝てる勝負事でしか、勝てないだろうしな・・・・・・ヒス女には殴り合いしかできないか」
「ッ、上等よ」
「では、始めようか。この簡易宿泊装置には、ビリヤード部屋が一つ有る。それで勝負しよう」
「内容は?」
「そうだな、先攻後攻を決めて、得点の多い方にしよう。ビリヤードの玉に書かれている数字が、得点だ。それをポケット、というのかな、己の攻撃ターンにどれだけいれられるか、というのは」「後で後悔しない事ね」
 そう言って、まずは彼女が先行を行うことになった。成れた手つきで準備をする。私はビリヤードなんてやったこともないが、彼女の手つきは手慣れていた。
「言っておくが、攻撃ターンはこれのみだぞ。お前の攻撃が終わり次第、残りは私の攻撃ターンのみだ。つまり」
「このターンに取れた点数分、貴方が取れればでしょう? 簡単よ」
 得点差分言うことを聞いて貰おうかしら、などと言って、彼女はボールを弾いた。
 当然のように、全てのボールを弾き飛ばし、彼女は見事全てのボールを、一発でポケットに落とすのだった。
「どう?」
「ボールをつつくのが得意とは、随分と暗い趣味だな」
「・・・・・・わかってんの、貴方、ルールも良く知らないようだけど、これに負けたら足の裏でも舐めて貰おうかしら」
「そうか、自分が勝てた妄想をするのは自由だしな」 
 言って、マジックペンを取りだし、私は堂々とボールの数字の後ろに「億」と書いて、そのままポケットへ突っ込んだ。
「ちょ、ちょっと!」
「何だ、ルールは説明しただろう。「ポケットの中にボールを入れれば得点」「攻撃は一回きりで終了次第相手側へ」だと」
「け、けどビリヤードで勝負って」
「ビリヤード台がある。そこで勝負をする。ポケットにボールをいれ、得点の多い方が勝利。一度もビリヤードで正々堂々勝負などと、言ってはいないが」
「こ、こんなの無効よ! あり得ない、信じられないわ。貴方、恥ずかしくないの」
「おいおい、自分が負けたからって勝負を無効にしろ、などと・・・・・・お前こそ恥ずかしくないのかよ。76億点も差を付けてやったからって、負け犬が偉そうにするなよな」
「・・・・・・」
 少女は今にも泣き出しそうだった。
 有能で有れば確かに「強く」はある。だが、言ってしまえばそれだけだ。「強いこと」と「勝利できること」は別物なのだ。

 ズルに弱い・・・・・・のだ。
 
 これも強さと強かさの違いか。所詮有能なだけの新人類。他でもないこの私が相手では、百年賭けても負ける事の方が難しい。
 それで容赦する私でもないが。
「まったく、これだからヒステリー女は。猿みたいに大声で喚き立てて、勝負を無かったことにしてみるか? ほれ、言って見ろよ。きぃー、きぃー、きぃいいーってな。半分猿みたいな顔してるんだし、お似合いだぜ」
「・・・・・・っう。ぐ」
 泣き出してしまった。
 まぁどうでもいいがな。人の苦痛の表情ほど、見ていて癒されるモノも少ない。
 最高に面白い。
 これだから人生はやめられない。
「ん、確か「点数差分言う事を聞かせる」とか、言ってたよな。そしてそれを自分が負けたときだけ覆すような、卑怯者のゴミ屑でなければ、約束ぐらいは守れそうなものだが、無理だろうな。すまなかったな、お前みたいな役に立たないカスに過度な期待をしてしまった。牛の糞よりも役に立たない、文字通りクソ以下、肥料になる分、牛の糞の方が役に立つと言えるくらい、使えない女であるお前に、「約束事を守れ」なんて無理なお願いだった」
 すまなかった、と何の感情も込めずに、つまりは適当な言葉遊びのついでで、私は言った。
「ぃあ・・・・・・くぃ・・・・・・」
 涙と鼻水が紛れて、よく分からない。
 汚い女だな。まったく、何で泣いているのだ。 面倒くさい。物理的に臭くて精神的にも他者を臭くするなんて、廃棄物みたいな奴だ。
「そうだな、まずは私の実利の為に、自分から、私の指定する研究期間で実験材料にでも成って貰うとするかな。勿論、お前に給料は出ないが。お前みたいな汚い女に靴の裏を舐められたところで汚いしな。ばい菌に洗い物を任せるつもりはない・・・・・・死んだ方がマシな実験内容だろうが、まずはそれから初めて貰おうか」
 そこまで言うと、彼女は走って逃げ、それから部屋に閉じこもってしばらく出てこなかった。その後にこうして連れ出して、博士の研究施設に向かっているのだが、口も効かないようだ。
 なので何度もしつこく「実験材料として、私の指定する国家に貢献するのか」を聞いて、三十回目くらいか、「それでいいわよ!」と言質を取ることに成功した。
 これで、後は博士を始末し、後はこの少女を研究機関に高値で売り渡して、実験データに関する利益を独占しつつ、バカンスにでもまた、行くとするかな。
「鬼か、先生は」
 そう言うのはジャックだった。先ほどから結構なスピードで(マリーの足が速いのだ)移動しているので、聞き漏らしていたようだ。
「何がだ、私は何一つ嘘すらもついていない。嘘を一度も言ってすらいないんだぞ。今前を走っている女の頭が、あまりにも軽く、マシュマロの方がマシ、みたいな出来であるのが悪いだろう」
 聞こえていたのか、さらにスピードを上げるマリーだった。足の速さなら、というか逃げ足の早さなら、私の右にでる相手はいない。なので何一つ苦にはならなかったが。
 まぁこれも「サムライ」としての特権だろう。標的を前に体力が尽きるのはまずいと、あの女が判断したのかは知らないが、サムライには体力の概念など、無い。
 無限の持久力だ。もっとも、私はマラソン選手ではないので、披露することは非常に稀だ。役に立たない能力だったが、まさかこんなところで役に立つとは。
 ああいう人種は、正々堂々と戦えると、この世界を認識しているのだ。そんな小狡い方法で戦う相手を、そもそも想定していない。そうでなくても、腕っ節が立ち、能力が高く、頭が回って強いだけの存在など、私からすれば敵ではなく、ただの的だ。
「やれやれ、参った。これだからお子様は。だから負ける事は百年かかっても無理だと、丁寧に教えてやったのに。泣けば勝負が無くなってもすむと、そう思っているんだよ」
 ぴた、と走るのを止めて、彼女は「・・・・・・貴方の言うとおりにしますよ」と低い声で言って、そしてまた走り出すのだった。
 性別云々と言うより、優秀な人間を見ると、その優秀さをべりべりとはぎ取って、こき下ろしたくなるのだ。こき下ろされた無様さは、見ていて非常に笑えるからな。
 有能な存在ほど、私に勝てない相手もいまい。「そりゃ良かった。私としては金にもならないのに、お前みたいなドラム缶女と、つまり体格が上から下まで寸胴の少女と、戯れている程金に困っている訳でもないのでな。案内するならさっさとしてくれ」
 それからは無言で走り続ける、というただの移動中の幕間にしては、非常に重い空気の(私にはそれも感じ取れないが)行進となるのだった。  そして目的地に着いた。
 中央にあるターミナル、研究施設の中枢部分、つまりは今、博士がいるであろう可能性の、もっとも高い場所だった。
 
 

   8

 この中で人間が家畜のように扱われ、人権を無視された人間が涙でも流しているのか、と、その巨大な建築物、筒上の棟の形でそびえ立つ研究所を見て、私は楽しそうだなぁと、素直に思うのだった。
 人間の苦痛、苦悩、苦悶というのは、眺めている分には最高だ。実際やるとなればたまったものではないが。
 私が言うのだから、これも間違いない。
 実際そんなものだ。
 もっとも、こと物語に関しては最近はそれが原因で劣化気味だ。苦悩や苦痛、限られた環境で何かを成し遂げること。そういったあれこれから切り離された最近の物語、アニメーション、漫画、小説、全てが安っぽくなっている。
 嘆かわしい限りだ。
 地獄など、己自身で保持して当然。それが作家や脚本家、あるいは漫画家だと思っていたが、豊かさも過ぎれば、少なくともこと物語に関して言えば、だが、出来は大抵最低だ。
 人間とは、誰もが特別ではない。特別ではないその「己」を、特別だと思える何かに昇華する。 それが「かつては」生きる、ということだったのだが、「持つ側」になり豊かさをこじらせすぎると、ああなるということか。
 無論、そうではない人間、まぁ私みたいな奴は少数派だろうが、そうでなくても「苦悩」が無いまま衰えた人間に、多いようだ。
 苦悩も無く豊かなまま来た人間。
 何の思想も無い上、人として何一つ成長せずともその「幸運」だけで来た人間は、つまらないものだ。そういう意味では最短ルートを私は通っているのだろうか?
 先に苦しみ、それを糧にして生きる。
 分を弁えて、平穏に。
 それでも、苦しさや苦痛が、無かった事になる訳ではないがな。痛いのも苦しいのも御免だ。
 
 人生はプラスマイナスゼロだ。

 何せ、喜びも悲しみも、死ねば消えるからな。どうせいつかは死ぬ。そして、その喜びもその悲しみも、何を変える訳でもない。
 だが、それでも「持たざる者」として、何かを貫き通すなら、それは「狂気」のみだと思う。
 狂気こそが唯一の武器だ。
 意志次第で誰でも持てる、それでいて可能性、そう可能性だけは、無限大だ。
 それを現実に「力」にするには考えるのが馬鹿馬鹿しくなるほどの労力がいる。何より、決して報われることはない。
 私が言うんだ間違いない。
 それでも、己の生き方を変えられない、つまり賢く生きられない意固地な人間が、輝きを放つこともあるということか。少なくとも物語を書く、という点に置いては。
 私の場合意固地と言うよりも、ただの消去法だが、ただの消去法でも、そこまでやれる人間は、きっと稀なのだろう。
 嬉しくもないが。
 今更止められる地点になど、いない。
 いるはずがない。
 狂気を武器にする、とはそういうことだ。
 引き返せる時点で、半端なのさ。
 それも、全く結果を出せていないところを見ると、やはり無駄だったとしか言えない。負け犬の遠吠えも良いところだが、それでも、私は己の進んできた道、己の狂気を疑ったりはしない。
 それを認められない凡俗が無能なだけだ。
 狂人は、理解を求めないし必要ない。己を信じるというただ一点において、根拠のない自信を無尽蔵に保有する。
 それが「私」だ。
 そうでなくては、つまるまい。
 とはいえ、「過程」と「結果」は別物だ。重要性から考えているだけで、過程そのものを否定するつもりは、あまり無い。
 だからといって結果がないがしろにされていい理由には成らない。「それはそれ、これはこれ」だ。だからこそ、金を掴まねばなるまい。
 面白いだけでなく実利を掴まねば、などと欲張りな気もするが、そうでなくては噺にならないというのも、また「事実」なのだ。
 両立させる。過程も結果も、それは実に簡単な事なのだ。売ればいい。何かしら「作り上げた」己の作品を、金に換える。
 言葉にすれば簡単だが、それがこうも上手く行かない、というのはいつもの噺だ。何とかするしかないのだろう。今のところ、その方法論はあまり見つかっていない。金にするだけなら例の少女を研究機関に預けるだけで結構な金にはなるだろうが、私が欲しいのは結構な金でなく、恒久的に入りかつ、莫大な金なのだ。
 それが物語の存在意義だ。
 読者とは違う。私は作者なのだ。作ったモノで満足するだけでは金にならん。それなら自前で作品を作りよりもその辺の噺を読む方が早い。
 それでは金にならない。
 金にならなければな。
「先生はさ、言わば天災なんだよ」
 さぁこれから入ろうと言うときに、奇妙なこと場遊びでジャックは私の足を止めた。
「失礼な奴だな、こんな平々凡々足る小市民に向かって、そんな人を人でなしみたいに表するだなんて、恥ずかしくないのか?」
「先生こそ、そんな心にも、おっと失礼。どこにも思っていない戯れ言抜かすなんて、恥ずかしくないのかよ。まぁいいけどさ、何にしろ俺は、先生みたいな非人間がもう一人いる、だなんて、そんなおっかない状況、御免被る感じだぜ」
「否が応でも付いてきて貰うぞ。私はハイテクが苦手なんでな」
「そんな必要ないだろう?先生なら第六感と勢いだけで、目的地に着くだろうぜ」
「何事にも例外はある。確実に今回の依頼をこなしつつも、私に被害が及ばないようにする為にはお前が必要だからな」
「俺は使い捨ての盾かよ」
「それが嫌なら、役に立つことだな。役に立つので有れば、お前の好きな電脳アイドルのコンサートチケット、があるのかは知らないが、金を幾分か出してやろう」
「そりゃあ有り難い」
 嬉しいのか嬉しくないのか、平常通りのテンションで彼は答えるのだった。私も相当だが、この男も相当、得体の知れない奴だ。私はただの狂人でしかないが、こいつは何を思って生きているのだろう?
 テーマにしてみるのも良いかもしれない。
 協力者として、少なくとも私はまどろっこしいクラッキングなど面倒だから御免被るので、こいつの力を借りるという手っ取り早い方法を取ろうとする以上、協力姿勢を抱いて貰わねば困る。
 無論私の都合であって、だからこそ、得体の知れないこいつは扱いにくい。私は金で動くが、こういう奴は何で動くか分かりづらいからだ。まぁこいつも、私にそれを言われたくはないのだろうが。
「先生みたいな人間は、物語に登場しちゃならねぇ存在だ。そんな非人間が二人も揃うとなると、ロクな結末にはならねぇだろうな」
「酷い事を言う。あの少女が少しばかり実験対になって、それでいて博士は始末しても研究そのものは存続し、その研究データを私が横流しして儲ける、位のものだろう」
「尋常じゃねぇよ」
 そうだろうか? 別に、これくらいその辺の国家でもやってそうなものだが。案外、この男はモラルの高い奴なのかもしれない。
 それに、今まで散々そういう人間、人間なのかどうか分からない奴等を相手にしてきたが、それは違うと私は思った。
 だから言った。
 人工知能相手にそれを言っても、あまり意味はないだろうが、噺は誰かに伝えなければ始まるまい。
 大規模な研究施設を前に、人工知能相手に邪道の作家はこう語りかけた。
「いや、そうじゃないぞ、ジャック・・・・・・尋常じゃないのは、むしろ「一般人」の方さ」
「へえ、どうしてだい?」
「こういう事があること、は「誰にでも調べれば分かること」でしかない。インターネットで少し調べれば、この世界に如何に暗闇、人間の尊厳が存在しない部分があるか、否、調べなくても本来分かって当然だ」
「おいおい、一般人は平和で平穏で何一つ争いのない世界に住んでいるんだから、そんな世界があるなんて想像が付かないのは、当然だろう?」
「違うな。「見たくないから考えない」だけだ。この世界に如何に悲劇と流血と裏切りが、本当は存在しているのか? それを考えない。考えたくもないし、そうであるのはどこか、それこそ国家元首とかの考えることであって、自分達には関係がない」
「先生と同じじゃないか。自分達には関係ないのだから、考えないのは当然だろう」
「そうでもない。所詮、人間社会であるという点を考えれば、「結果」は「同じ」だ。集団の中で誰かを迫害し、誰かが奪い、搾取し、誰かを傷つけなければ生きる事なんて不可能だ、と平穏な社会であるからこそ、わかりやすくそれらは浮き彫りに成るものだ」
 例えばそれは学校におけるいじめであり、会社におけるパワハラであり、集団における差別であり、そういった全てでもあるのだ。
 それを、見ない。
 世界は善意であふれていると、悪意を見ようともせずに「信じ込もう」とする。
 それの名前を「邪悪」と呼ぶのかもしれない。生きているだけで何かしら「悪」で有ることは必須条件だ。それを見ようとせず、自分達は真摯で善良で素晴らしい人間で、何ら罰せられる部分などない、と思いこむ行為。
 善意で他者を犠牲にし「ありがとうは?」と聞く行為だ。それは私と全く同じ「最悪」の行為だろう。それを自覚するか自覚しないかだ。
 人類は皆邪悪で最悪だ。それをどう自認するかで、「善」か「悪」だと決めつけているだけだ。 ただのそれだけ。
 何一つ「尊く」などない。
「個人的には、だが・・・・・・「自信が善良であると認められたいが故に、誰かを犠牲にする口実を正当化して、己は悪くない被害者だ」と叫ぶ人間の行動が非常に多いな。私からすれば人間は生きているだけで誰か、何かを傷つけなければならない・・・・・・そうでなければ生き残れないだろう。それこそ「聖人」ですらも、その素晴らしすぎる存在を巡って口論になり、戦いがあり、戦争の口実にまでなったりする。「何一つ傷つけない」などというのは綺麗事ですらない」
 ただの、絵空事だ。
 ありもしない、妄想だ。
 作家の私が言う言葉でもないが。
「だから、こういう施設を許せ、と?」
「違うな、全然違うぞ。いいか、「こんな施設があるのは当たり前」なんだよ。今まで散々戦争を繰り返して殺し合ってきた生き物が、平和になったからって人類皆平等、少ないパンを分け合って暮らす、なんてあり得ない。私もそうだが、誰だって良い暮らしがしたい。当然のことだ、当然の権利だ、だが・・・・・・世界は天国じゃないんだ。そんなモノあるのか知らないが、あったとして、それは死後に到達するのであって、今生きている人間たちは、極楽浄土のように何一つ争わず戦わず踏みつぶさず生きる事など、出来はしない」
 それもまた、生きる上での障害だ。
 何の落ち度も無くても争うことはある。こういう施設だって、必要に応じて出てくるだろう。
 だが、そこでいつも「絵空事」を掲げて、こうであるべきだああであるべきだ、と倫理観に捕らわれた綺麗事だけで、現実に何か変わるのか?
「綺麗事でない何か、こういう施設もそうだが・・・・・・何かを変えようとして、行動しているからなのだ。綺麗事を並べる人間は、あれは悪いこれは道徳的でないと口は動かすが、それだけだ。それに変わる改善案を出さない。だから必要悪という陳腐な名前で、こういう非人道的な施設は必要不可欠として登場する」
「綺麗事も、並べるだけでは駄目かい」
「当然だ。並べるだけなら赤子でも出来る。問題はそれを実現可能かどうかだ。平和も理想も掲げるだけなら簡単だ。それを実現するのは困難だ。困難を避け続けて、それでいて「口だけ」を動かしている存在が、その訴えを聞いて貰って当然、こちらが正しいのだかららそれを通せ、などと・・・・・・甘えるな」
 この世界はお前達の揺りかごではないのだ。人間の意志が通じないときも、ままある。だが、それでも何も己で成し遂げていない人間が、数を揃えたくらいで何かをくれるほど、この世界は優しくできてはいない。
 何だか説教臭くなってしまった。私はまだまだ若いのだが。若い人間がこんな説教臭い言葉を吐くべきではないな。説教とは基本的にも応用的にも「筋は通っているが、言葉に説得力のない」ものだからな。
 私が言うなら尚更だ。
「ふん、つまりだ。あれこれ道徳を振りかざす奴の方が、性質は悪いということだ。そういう人間が何も出来ないことを見据えて、こんなばかげた施設を作り上げているのだから、むしろ、一個性としては見込みのある方さ」
「先生の基準は、やっぱりわかんねぇな」
「別に良いさ。理解されたいとも、特に思わないしな」
「けどよ、先生」
「何だ」
 まだ何かあるのか?
 そろそろ入りたいんだが。
「あちらさんがどう思うかは、分からないみたいだぜ」
 見ると、そこには武装したミュータントが我々を待ちかまえていた。指示など出さない。死んだら死んだで少女の遺体はこちらで回収すればいいし、守られなければならないほど、脆くもないだろうしな。
「行くぞ、役立たず共」
 適当な合図と共に、我々三人は戦闘態勢に入り殺し合いを開始した。
 くしくも、誰よりも人間らしいその行為を、人間ではない三者が行うという形で。

   9

 悪の自認。
 よくわからない噺だ。大体が、「貴様のやっていることは法律に反する」などと、それでいて己は悪くない、世間の基準とズレているだけだ、などと。
 よく分からない。
 いや、理解は出来る。だが、それがなんだというのか。悪かったから、だから何だ? 例え己の始めた行動が「悪」(これも、よく分からない基準ではある。どう決めるかは本人次第だろうに)だとして、それで止めてしまうのか?
 私の行為はすべからく悪だとして、まぁ人によって基準も違うだろうし、とりあえず全てが全てこの「私」の行いが、「悪」だとしよう。
 
 知るか。
 
 貴様等凡俗の悲鳴など、何億有ろうが知ったことではない。この「私」が良ければそれでいいのだ。だが、世の中の人間って奴は「自分が悪くない」ことを証明しようとする。
 そんな必要性がどこにあるのか。
 いや、無論「法の網をかいくぐる為」だとかなら、私にも分かる。法的に捕らわれないように手を打つのは基本だからな。だが、当人の罪悪感だとか、善性を保つためだとか、そんなどうでもいい理由で、己の立場を守りたがる。
 例え世界全体が敵に回り、全人類から非難され全ての生き物に迷惑を掛け被害を出し、絶対的な悪だと認識されようが、だ。
 当人自身は笑ってしかるべきではないか。
 私なら大爆笑だ。成る程、他の人間は幾分か、大分、かなり、傷ついたかもしれない。だがそれと私の利益は、何の因果関係もないのだ。
「それは君が人間として壊れているからだよ」
 相対したその男はそう言った。人として壊れている、か。人を欠損品みたいに評して欲しくないものだ。どうせなら高値が良い。
 価格などふっかけて当然だからな。
 当たり前のことでしかない。
 虚勢も図々しさも金はかからない。ならば己を高く見積もり高く売り、高く裁くのは当たり前でしかない。当たり前すぎる噺だ。
 息を吸って吐くに等しい。
「通常、人間は己をそこまで信じられないのだよ・・・・・・君の言う所の「何かを成し遂げる」事から逃げた人間は、特にね。己で成し遂げた事柄がないのだから、信じるに足る根拠がない」
「根拠など必要ないだろう」
「それは君が狂っているからだ。そういう道を歩くことは、非常に難しい。人に理解されたがるのは人間の本能と言っていい。集団にはじき出されれば迫害が待っている。それを出来るのは君のように日常的に迫害され「慣れてしまった」人間か「最初から他の人類と違う欠損部分」がある人間くらいだろうね」
「おいおい、馬鹿を言うなよ。少しは気にしているさ。売り上げに関わるからな」
 白い部屋だ。それも、私は実験室のような大きい部屋に出され、彼、標的の博士はモニタールームみたいなガラス張りの部屋から、こちらを眺めていた。だから、どうにも見下されているかのような感じで、人をこき下ろして見下すのが好きな私からすれば、絶好の環境だった。
 何の話だったかそんな事を言っておいて忘れそうになる。なんだ、そう、人の評判がどうの、という話だったか。
「誰かと誰かを見比べて、生きる。これは己の立ち位置を確かめる行為だ。それが無い君のような人間は、そもそもが立っていないのだよ」
「立っていない?」
「そう、人間は誰かと誰かを見比べて、生きる。だが稀に例外は発生する。それが君だ。 君は人間の立っているステージにいないんだよ。だからどれだけ足掻いても人間と同じ、いや心の有る存在と同じ目線にはたてないし、その物真似も上手く行かないのさ」
「それで」
 それが何なのだ。回りくどい男だ。
「いや、感心しているんだよ。君ほど、我が強く己を信じられる存在は非常に珍しい。根拠もなく己を信じ、変えようとする人間がいる。何か大きな環境、社会、政治、そういった強者を変えるには、根拠無き確信が必要だ。中々出来ることではない」
「世辞は良いから金を払えよ」
「世辞ではないさ、まあ、君を呼んだ理由の一つだからな。一応、説明したまでのことだ」
 私はあれから、建物内を徘徊し、そしてこうして博士のいる場所までたどり着いた。とはいえ、すぐに殺してしまっては金にならないので、とりあえずあえて捕らわれてやり、こうして噺を聞いている。
 これも金の為だ、我慢しよう・
 取材にも成るしな。
「君の様な人間は、社会に適合することこそ難しいが、それ相応の環境を与えてやれば無類の強さを発揮する。危機的状況、つまり戦時だ」
「生憎私は戦いや争いが嫌いでね」
「だが得意だ、違うかい」
 遠目ではあるものの、そのいかにも皮肉った言い方もそうだが、随分ないけず爺だ。性根が腐っているのではなく性根が悪い。
 どちらも似たようなものだが、笑い方が凄く忌々しい。してやったり、みたいな笑い方は、私の側がすることだからな。
「君ほど、戦争に向いている人材もいないよ」
「嬉しくもない」
 実際、嬉しくもない。争い事が得意、暴力が得意、それは子供の頃から、否、それ以前から知っていた情報でしかない。
 しかし、この平和な社会で、何の役に立つ。
 どう金になるというのだ。
「いいや、違うな・・・・・・平和な社会などありえんのだよ。いいかね? 社会とは人間同士を争わせ極一部が利益を出す、その為だけに存在しうるものだ。社会性が構築されずとも、それはそれで動物的な争い、自信の縄張りを守る戦いは存在する・・・・・・資源の量はこの際問題ではない。何か欲しいモノがある、生物としてこの「我」が有る以上は、どれだけ平穏だろうとどれだけ平和だろうとどれだけ優れていようとも、争いは存在する」
 重々しい口調で博士はそう言った。老人の癖に随分と、含蓄の多い奴だ。いや、老人だからこそなのだろうか。
 どうでもいいがな。
「君に自覚はあるのかどうか、いや、そんな労働をしている以上、自覚はあるのだろうが・・・・・・恐ろしく貴重な才能なのだよ。「人間性を捨てる」これをするために生涯を賭ける人間も、少なくはないのだ」
「御託は良い。嬉しくもないしな。それで、貴様等の目的は何なのだ?」
「知りたいかね」
「作家だからな」
「よろしい、ではお教えしよう」
 まず、君は現行の社会形態をどう思う、などと彼はまず聞いてきた。どうやら噺の前の前置きと言ったところか。
「行き詰まっている感じはあるな」
「そう、その通りだ。人間は科学の力で圧倒的な力を手にしたが、限界を超えてきてしまった。それも精神的には何も成長しないまま」
「そんなもの、どうとでも言えるしどうでもいいだろう。愚かだとか精神がどうのだとか、そんな理屈は上から目線で神様ぶっているだけだ」
「そうも言ってられまい。切実な問題だからな。人間はそれをずっと先送りにしてきたと言ってもいい位だ。そして私は考えたのだ」
 行き詰まっているなら、濾過すればいい、と。「私は例の「新人類」を使って、争いを起こすつもりだ、それも、宇宙規模のね」
「そんな事をして、どうなる?」
「選民を行う。生き残れば、争いに生き残ったモノは良かれ悪しかれ「成長する」からな。それを人為的に行うことが、今回の目的だ」
 宇宙全体を巻き込んだ「選民」
 新人類を大量生産し、それによる戦争を激化させ、激しい争いの中で生き残った「個性」強い人間、アンドロイド、ミュータント、エイリアン、ハーフ、それらの「濾過」で生き詰まった人類社会全体の再構築が目的、という事か。
 争いと狂気をあの「新人類」で引き起こし、そして「それ」を克服し、乗り越えた生命のみを歓迎する。
 人為的に「進化」を引き起こす。
 あるいはそれは「成長」と呼ぶべきか。
「「異常」な環境下で人間は「耐え続ける」事は出来ないように出来ている。これは「生物」が、常に「生命の危険」を感じ続けるストレスに耐えきれないからだ。だが、そういった「異常」な環境下に置かれた生物は、死なずに生き残れば、だが・・・・・・それら異常な環境下に「適応」し「進化」する場合も、あるのだ。元より「異常」でそれを「通常」とでもしていなければ、だが。そういう意味でも存在自体が「異常」精神の頑強さではなく、精神の在り方そのものが「違う」サムライの被験者は、必要不可欠だった」
「それで、わざわざこんな惑星で待ちかまえていたわけか、ご苦労なことだ」
「人類は肉体の頑強さは確保した。後は精神の眼鏡さ、だ。無論、耐えれれば良い、というものではない。それはただ我慢強いだけでしかないのだ。そうでなく、「困難」を「克服」した魂、精神の有り様こそが、人類を次のステージへ進めるのに、必要なピースだと言える」
 だから今回の実験を後押しした。
 それが博士の計画である。
「社会全体を人為的に、どうすれば成長させることが出来るのか? それがテーマであり議題だ」「進化も成長も、人の手で引き起こすモノではないだろう」
「いいや、そうでもない。人間の有り様から言って、これが出来なければ最早先には進めない。それくらい行き詰まっているのだ。現行の社会構造から言って、天然の、つまり人の手の入らない、進化や変化、それによる改革は、まるで望みが無いものだ」
 だから、ここまで馬鹿げた計画を実行した。
 ご苦労なことだ。
「人間の手で人間を進化、成長させる、などと、随分不遜な思想の持ち主なのだな」
「そうでなければここまで出来ないさ。むしろ、私にとっては誉め言葉だな。君だってそうだろうに。・・・・・・人為的に社会構造を「進化」させるスキームが確立できれば、人類は「無限」に「進化」することが出来る。精神的な成長は、テクノロジーではカバーしきれないのだ。対して、肉体的な限界点の突破は、もう何十万年も前に、既に確立されている」
 宇宙空間でもマグマの中でも、人類は適応できる科学力を持っている。問題はテクノロジーの進歩が早すぎて、「精神」が追いつかないまま、ここまで来てしまったことだ、と。
 だが、精神的な成長の足りない人類に、「大きすぎる力」を与えれば、使いきれずに争うだけだ。それでは意味がない。
 テクノロジーは既に修めた。
 次は精神の限界を超える。
 それこそが、進化ではなく進歩しすぎた我々の「次のステップ」なのだ。
 それがこの狂人の行動原理だ。
 誰に頼まれたわけでもないのに、ご苦労なことだ。一つ私と違いがあるとすれば、この男は「己の為に」動いていない。その狂気を、社会全体のために動かそうとしている。
 誰にも頼まれていなくても、それを信じて。
 本当に、ご苦労なことだ。案外、こういう人間が頼んでもいないのに勝手に泥を被って、無理矢理技術水準を引き延ばしてきたのだろう。
 それに「心の平穏」から最も遠い「争い」こそが人類を成長させ、その「心」を持たないが故に、争いや異常を常に己の内に持ち、「進化し続ける」筈の「狂人」である「私」が、その「心の平穏」を求めているというのだから、何とも皮肉な物語だ・・・・・・夏がくれば冬を求め、心が有れば心に悩みなければ「金と平穏」を求めるというのだから、どちらかに偏っているだけでは意味がない、ということなのかもしれない。
 重要なのはバランスか。
 まぁ私の場合平穏と金を求める。金とは大抵が闘争の後に付随するものであるという事実を踏まえると、私は早く争い事から解放されたいだけなのかもしれない。
 なんてな。
 作家業を止めることは、できないししないだろう。バランスの良い「生き甲斐」という「刺激」そして「金と平穏」こそが、目的だ。
 難儀な人生だ。
 だが、必ずそれは達成しなければならない。そして矛盾せずにそれは両立可能だ。両立するからこそ、そしてそれをバランス良く行い、余力を持つからこそ、平穏は手に出来る。
 争いを求めなければ、そして金が有れば平穏など簡単だ。争いを求め、分不相応な富や名声を求めるからこそ、平穏から遠ざかる。
 私は自己満足の闘争で良い。
 作家である以上、争う相手も打ち勝つ相手も、元よりいないしな。「傑作」を書き続け、それで自己満足し、それでいて金と平穏があり、後は良い女でも抱けばいい。
 美味い食べ物を食べ、美味しい飲み物を飲む。 非人間であるが故、私にはそのどれもがまったく「幸福と感じられない」のだが、まぁ構わないだろう。自己満足で構わない。
 それらで本当に満足できるなら、それはもう私とは呼べないだろうしな。
 非人間でありながら、自己満足で満足する。
 だからこその邪道作家だ。まぁ、そんなポリシーとて、私個人の充足の障害になるようならば、あっという間に捨てて、次の目的を探すのだろうが。
 教授に文句を言われるわけだ。
 私は私が満足できればそれでいいので、別に構わないがね。
 それでこそ、面白いというものだ。
 こんな風に「異常な状態でも楽しめる」というのは「異常者」を連想させるが、違う。 
 「異常者」と「狂人」は違うのだ。
 異常者とは単に倫理観が崩壊していたり、あるいはそれを良しとしているだけの連中だ。だから社会と折り合いがつかない人間も多い。だが、それと狂うことは、まるで別モノだ。

 世界には狂気しかないことを、知っている。
 
 ただのそれだけなのだ、言ってしまえば・・・・・・奇異な行いであるかなど関係なく、この世界は全てが全て狂っている事を、ただ知っている。
 正常や常識、普通などどこにも存在し得ない、ただの戯言であることを、知っているのだ。
 だから、常識を信じない。
 普通を疑い続ける。
 正常など存在しない。
 殺し合いも奪い合いも騙し合いも、それらが異常な出来事ではなく、「生物同士が争う事は、別に珍しくない」と、知っている。
 人が人の欲望のために、人を殺しても実は、表向きに普段奴等が言っている「良心」などという存在の「呵責」が、「ただの嘘」であることを、知っているだけだ。
 何一つ特別ですらなくとも、世界が狂気で満ちている事を知ってしまえば「常人のフリ」をしていられるほど、お人好しにはなれないものだ。
 害意を向けられる側、奪われる側、搾取される側、意見を押し通される側、弱い側。持たざる側の人間にとっては、全て「狂気」でしかない。
 世界は狂気で出来ていて、それらの狂気を金で操れる。世界の真実など、そんなものだ。
 解明するほどの面白味もない。
 それが、人の世の真実だ。
 人間は物事を見る目線で世界の見え方が変わるものだ・・・・・・個人で有れば個人の、集団で有ればその集団の、集合体で有れば集合体の、企業で会れば企業の、国家で有れば国家の、社会で有れば社会の、惑星で有れば惑星の、宇宙で有れば宇宙の、世界で見れば世界の、神の目線で見れば神の世界が、見える。
 無論見えるだけで何が出来るわけでもない。だが狂気の目線は無限大だ。際限がない、それを知ろうともしないからこその「狂人」だ。
 その狂人が力を持てば、ここまでやっかいになるモノなのか、実に参考になる。無論、私は金は求めるが、およそ「力」というモノに関心がないのだ。金は力だが、それ以外の余分な力に興味がわかない、という事なのだろうか。
 だが、作品の参考になる。これを機に、もっと狂気に満ちていて、読者の精神が汚染されるような、そんな物語を作れれば作者冥利に尽きる。
 そして狂気に汚染された読者は、税金のように私に本の代金を払い続ける訳だ、素晴らしい。
 何とかそうしたいものだ。
 全世界の読者共が、嫌だ嫌だと言いながら、質の悪い中毒性に悩まされつつ、私の本に金を払ってもう読みたくないと苦しみながら物語を語る。 面白い。
 これだから人生はやめられない。
 実現すれば、だがな。
 まぁ現実には私は「不運」などと言う「何をどう足掻いても上手く行かない」というクソみたいな環境下にいるので、何をしたところで上手く行かず、結局割を食うのだが。結局、私の行動は全て、持たざる人間の足掻きなど、持つ側からすれば何の意味も価値も生み出しはしない、ということを体現しているようなものだ。
 結局、運不運か。
 そんなどうでもいい、どうでも良さ過ぎるモノの有る無しで、決まってしまうのだろうな。最近はそれに異議を立てるのも、空しくなってきた。 どうせ勝てはしないのだ。
 勝てない戦いは、空しいだけだ。
 空しさ以外何もない。
 何一つとして。
 無い。
 私の道のりはずっとそうだった。そしてこれからもそうなのだと考えると、吐き気を催す気も失せてきた。それすらも、どうせ無駄なのだから。 事実、無駄は無駄。
 それを活かして何かを描くことすらも、馬鹿馬鹿しいとしか思わない。私は別に傑作を書くことそのものの為に、自信を犠牲にしようなどとは、考えたこともないのだ。
 だから嫌だった。
 勝てない世界が大嫌いだ。
 面白くないからな。
「それでも君は諦めなかった」
「諦める権利などなかったさ、私には」
 事実そうだ。物語にしたって無駄だと分かっていながらも、それでも突き進むしかないのだ。他に私に選べる道など無い。だからこそこの道での失敗は許されないはずだが、それでも私は勝てなかったのだ。
「意志も思想も諦めも、まるで無意味だ。何かを思えば世界が変わるか? 何かを諦めれば世界が良くなるか? ならない。だから私は現実に何かを何とかするために、続けた」
「それも無駄だった。けれど君の異常性は、まさにそこなんだろうな。常人なら妥協して、諦めてしまう事柄が、「諦められない」という異常。有る意味君は誰よりも熱血漢の主人公なのかもしれないな」
「やめろ、気持ち悪い」
 あんな連中と一緒にされるくらいなら、一緒にされる前に皆殺しにした方が、労力的にマシ、というものだ。大体が、そういう連中は大抵が私と敵対し、それでいて「努力みたいなもの」で何か勝てる為の能力を「幸運に恵まれて受け継ぎ」それでいて人間性を端から抹消し、論理を冒涜してでも前へ進む私に「ごくあっさり」勝つのだ。
 反吐が出る。
 人類全体に忌み嫌われ、迫害されながらも敵対する方が、そんなぐうたらな馬鹿共の脳味噌を理解しようとするよりも、百倍面白い。
「だが、君は諦めきれない。何故だ?」
「何故も何もあるか、馬鹿が。私の意志などどこにも介在していまい」
「いや、こと作家行に関しては」
「それも、違う。結局の所、私はまっとうな環境や、それに見合ったモノが手に出来ていれば、絶対に出来上がらない人間なんだよ。何もかも不条理にまみれ人間性を端から持たず、あらゆる手段を尽くして敗北し、ここに至る」
「それもそうか。他人事だから私にはどうでもいいが、まぁ、私でなくて良かったよ」
「まったくだ」
 あの女もそう思っていることだろう。本心でどう繕おうが、私という人間に押しつけている事実は消えないからな。
 サムライとしても、生まれついての部分も、作家としての部分も、全てだ。非人間であるというだけならば、私は嘆くどころか歓喜しただろう。だが、私は何もかもが上手く行かない。
 まるで呪いだ。
 大きな何かに「へた」を押しつけられているイメージだ。そんな人生だった。いや、現にそういう道しか歩いてこなかった。
「ふん、本来なら嘆いたり怒ったり「するべき」なのだろうが、私にはそれも「出来ない」実に忌々しい限りだ」
「そして、それは君以外には不可能な行いだろうな。誉めるつもりはないが、君ほど「狂気」に愛され精神の頑強さ、否、精神の異常さを、狂気を保つ存在はいないだろう。君以外の人間性では、物語の中ですらそんな存在はあり得ない」
「・・・・・・」
 いや、いい。言ったところで無駄な話だ。
「欲しくもないからくれてやろうか?」
「遠慮する。君と同じ狂気を保有する、など、実にぞっとしない。いや想像したくすらない、というべきかな。人間であれ何であれ、そんな在り方は狂っている。君は、実際の所何を求めることも出来ない。非人間性も、人間性も、それらしい金や豊かさすらも、求めることが「出来ない」のだろう?」
 大きなお世話だ。
 それでも金は必要だ。そして、私はそれで自己満足できる人種である。あれこれ言われる覚えはないし、そうでなくても作家が物語を高く売ろうとするのは当然でしかない。
 当たり前の事を口にするな。
 底が知れるぞ。
「ふむ、成る程。君自身はそれを「自覚」している。自覚した上でそんな生き方をしている、などと・・・・・・君は正真正銘の化け物だよ。生きているべきではないし、生きていれば他の全てを脅かすだろう。君は死んだ方がいい人間だ」
 上から目線で偉そうな事を吐かれたが、私にとってはそんな言葉、ただの日常だ。
 そして日常の一コマ程、作家にとってつまらない上にどうでもいいことはない。
「知るか、馬鹿が。ならば勝手に影響されて死んでいろ。私は生きる。生きて幸福を「支配」してやろう。無論、金の力で」
「それが出来ない事は、君が誰より知っているはずではないのかな」
「そうでもないさ。私は例外だからな。人間の幸福の基準など、当てはまりもしない。私は金で幸福に「成れる」存在だ。そして、それで何一つ負い目を感じることも引け目を感じることもなく、他の人類をあざ笑いながら道徳を踏みつぶせる」「君は人間ではないよ。人間と同じ形をして、人間と同じように生き、人間の物真似をしているだけの化け物だ」
「面白いではないか、何が悪い」
「そうやって、罪悪すらも飲み込む所さ」
 いつかあの女にも似たような事を言われた。私という人間は、非人間は「この世界の悪意のみを信じ、善意を全て否定している」と。まさにその通りだ。世界に善意などありはしないという事実から、目を背けている方がどうかしている。
 だが、この博士の言に乗っ取るならば、私のような「存在」でもなければ、世界の善意や心地よい綺麗事は、信じるに足るらしい。
 どうでもいいがな。
 ただの詭弁でしかない。
「何をお前達が言おうが、世界は最初から罪悪しか存在しない。それを飲み込んで何が悪い。お前達は見て見ぬ振りをして、善人ぶってるだけだ」「その通りだ。そして、生き物である以上、異常な非存在でなければ、それは当然なのだよ。強い人間は幾らでもいるし、弱い人間は幾らでもいるものだ。だが、君のように「何を飲み込んでも己を肯定できる化け物」は、存在するべきではないし存在して成らない存在だ」
「何度同じ言葉を繰り返すんだよ、論理の授業の講師か、貴様は」
「違うさ、私の専門は「人間」でね。君は自分を人間の失敗作だとでも思いこもうとしているようだが、君は人間なんかじゃないし怪物ですらないただの「化け物」だと言っているのさ」
「名称などどうでもいい」
 それなら明日から名刺の中身を変えるまでだ。受けは悪そうだが。
「何が言いたい」
「君は、自分が思っている以上に「狂人」だということさ。どうして君みたいな存在が生まれたのか理解できないが、ある意味奇跡だよ。聖人が生まれるように、悪の聖者も生まれ出るモノなのかもしれないな」
「人を勝手に肩書き詐称するんじゃない」
 大体が、ダサいぞ、その肩書き。
 押しつけるんじゃない。勝手に名乗ってろ。
「私はただ、作家として必要な技能を身につけたにすぎん」
 いや、元から身につけていた、か?
 それだけでは書けなかっただろうが。
「物語を書く人間は経験や知恵で書く人間、考えて構成を錬る人間、点部の才能で書く人間と色々いるが、君は「狂気」に身を任せて書いている。それは危険なのだよ、狂気に感染した人間は、思想からの影響と違って「逃れられない」からだ」「知ったことか。読者が狂気に感染しようが、金を払えば「私の」貯金残高は満たされる。何故私が貴様等凡俗の安全保障などしなければならないのだ」
 私はどこの軍事大国だ。
 下らん。
「その通りだ。そして、それが危険だと言っている」
「だから」
 同じ事の繰り返しになってきたな。こういう会話は終わりがないから嫌いだ。
 私が改心するとでも思っているのか?
 全世界の金を私に捧げた上で、そんな願いは諦めろ。どれだけ貴様等が金を積もうが、私は約束など守りもしないからな。
「そうだな、この話は終わりにしよう。要は、その「狂気」通常の人間では耐えられない環境下にいともたやすく「適応」いやその異常環境を楽しんでしまえる精神力。私はそれが欲しい」
「やめとけ、ロクな事はないぞ」
 大体が、精神の頑丈さ(実際にどうだかは知らないし、別に責任もとらないが)が私にあったとして、だから何だというのだ。
 精神の成長だの、精神的に大人になりたいだのといった願望は、お子様が大人に過度な憧れを抱いているだけだ。若いに越したことはない。
 私は若い。
 異論は認めない。
 まだまだ子供だ。
 少なくとも己の運命を覆そうとしたり、あるいはそれに流されようとしたり、こんな風に試行錯誤を繰り返している内は、そうなのだろう。どうでもいいし、子供でも大人でも金が有れば、私は何一つ構わないのだが。
 いずれにせよ本筋から外れているこの状況は、あまり嬉しくない。私は「作家」であって「サムライ」はあくまで副業なのだ。本業である作家行で金にならなければ「自己満足による充実」も、得られようが有るまい。
 こんな脇道で悩んだりしたくはないのだが。
 幸福がどうのこうの、とこの男は言っているが世の中所詮自己満足だ。自己満足で己は最高に幸福だと、そう定義できればそれが幸福なのだ。
 そしてその為に必要なモノが金だ。
 だからこそ、金がいる。
 金はそれそのものが幸福でもあるしな。
 何でも買える。無論、買おうと思わなければ買えないのだが、金で買えないモノは存在しない。 この世の真実ですら金で買える。
 私は何度も買ったことがある。
 物語は別だが。数少ない例外、と言えるのだろうか? 少なくとも金の力では面白くできないだろう。無論、私のような存在が書いたからと言ってそれで面白くなるか確約されている訳でも、きっとないのだろうが。
 まぁどうでもいい。
 問題は売り上げだからな。
 読む側はともかくとして、書く側はそれだろう・・・・・・皆にちやほやされたいだとかそんな浮ついた理由で大成する作家も多くなってきたが、私はどんな時代でもその姿勢を貫くつもりだ。論じるまでもなく私は気まぐれの権化みたいな人間なので、すぐに宗旨替えするかもしれないが、金を必要とする姿勢そのものは、無くならないだろう。 そうでなくては面白くないからな。
 その方が、面白い。
 生きる事は劇的ではないが、劇的ではないが故に幾らでも装飾が可能だ。言わば、金はその為のツールでもあるのだ。
 物語とは違う側面で、この面白さの欠ける世界を面白く、そう在る為の便利な存在。
 それが金だと言えよう。
 金よりも大切なモノがあるなどと抜かす馬鹿がいるが、ならばダイヤのように美しい愛やエメラルドのように爽やかな友情とやらを、現金に換金できる形で持ってこい。
 話はそれからだ。
「君が他者からどう思われようと構わない、とおよそ生物ならあり得ない感覚を抱いているのは、君が他の人類を「どうでもいい」と見なしているからだろう? それが、君が人間でない何か、である証左と言える」
「だから、どうした」
 人間でないとして、だから何なのだ?
 回りくどい野郎だ。
「いや、なに。非常に良いサンプルだと思ってね・・・・・・我々は人間の進化を促そうとしている集団だ。「人間と同じ姿をした、人間以外の何か」という存在は、非常に興味深い」
「・・・・・・・・・・・・」
 人間でない「何か」か。
 言い得て妙だ。
 奇妙な納得間もある。そうだったのか、と。まぁだからといって私の主義主張は一ミリも揺るがないので、何の関係もない話ではあるが。
「さっき言っていたな「選民」だと。そんな事をして、人類が人工的に進化できたとして、人間のお前達は何の意味がある?」
「それは「同じ人間」に話すべき内容であって、君には関係在るまい。言わば本能だよ。君のように精神の形が、ある特定の形に固定される、ということは、生物である限りあり得ない、だがその壁を越えることが出来れば、人類は幾らでも無限に進化し続けることが出来る」
「進化、ね。私がその雛形だと?」
「その通りだ。良かれ悪しかれ最悪の環境下でこそ、生物の多様性は開かれる。魂の無い肉体に刺激を与え、それでいて最悪の思想と思考回路を持たせ、困難を与え苦難を経験させ、それが結果として強い生物、強い精神を育むのはよくあることだ。君の場合、人生を通して己自身の利益こそ上げられなかったものの、他者の参考にするには非常に優れたモデルケースだったと言うだけだ」
「素直に従うと思うか?」
「関係ないさ」
 指を鳴らし、彼は私のいる実験室の扉を開いたらしかった。わらわらと武装したミュータント共が現れ、私に殺意の向きを定める。
 こんな奴らにしか人気が出ないとはな。
 覆面作家として正体を知る存在は消し、わずかな恨みすら許さず報復が不可能になるように敵対者を葬り続けてきた私だが、敵意ばかり向けられるのも考え物だ。向けられたところで痛くも痒くもないのだが、手間が増えるのは御免被る。
「さあ、好きにしたまえ。殺すも殺されるのも、君の自由だよ」
 自由などというのは与える側にある。そんな有り難い教訓を教えてくれる、つまらない講師の授業が始まった。

   10

 正当なる防衛だ。
 だが、報復や恨みを残さないためにも、私は年には念を入れるタイプの人間だ。相手がミュータントであろうが心の臓を引きずり出し、延髄を切り裂いて殺し、死体が二つ以上に裂けていなければ死んでいても殺した。
 まぁどうでもいい。動機も理由も些細な事だ。どちらにせよ私に「殺意」を向けた時点で、そいつは死の運命なのだ。私の保身、私の平穏、私の安全の為に、死んでいなければならない。
 確実に。
 でなければ「私」が安心できないからな。
 別に「倫理観」が「欠如」しているわけではない、という点を間違えないで欲しい。倫理観そのものは恐らく、誰よりも理解している。
 倫理観や道徳は「役に立たない」という事だ。 悩んで患者を救いきれず殺してしまおうが、心ない一言で誰かを殺そうが、従業員を過労死させようが、同じだ。
 人を殺さない方が難しい。
 そんな事は不可能だろう。
 当たり前ではあるが、そんな環境下でどう生きればいいのか、それを考えなければ生きる事はできないだろう。私は悩んだり悔やんだりするなどという「過程」をすっ飛ばして「結果」だけを出すことにした。
 ただの、それだけだ。
 他者を尊重もしよう。倫理観に従って誰かに寄付をしてやっても良い。だが、それと私個人との幸福は別物であり、優先すべきは私自身であるという事だ。
 その為ならば殺す。
 幾らでも殺す。
 殺人鬼よりも殺し尽くす。
 皆殺しにしても尚足りぬ。
 人類全体が滅んでも、殺す。
 私は誰かの犠牲になって、踏み台にされるのは絶対に御免だ。綺麗事を言うのは勝手だが、利用されるかされないか、持つ側か持たざる側か、奪う側か奪われる側か、搾取する側か搾取される側か、騙す側か騙される側か、確固とした「事実」として、人間はそうして勝利を収めている。
 誰かの犠牲なしには幸福になれない。
 それが人間だ。
 無論、私は非人間なので、適当な自己満足で満足できてしまうのだが、必要ならばする。
 必要なことを必要なだけ、する。
 それが彼らには奇異に見えるのだろうか。私のことを「恐怖そのもの」とまで評した奴もいたが私自身からすれば、当たり前の事を当たり前に、しているだけだ。 
 悩み、苦悩し、それでも前へ進むのが人間だ。だが私は悩みも苦悩も持ちはしなかった。売り上げに関しての不満はあるが、「そもそも出来るのかどうか」を考えすらせずに、気が付いたら傑作を書き上げていた。
 まるで狂気だ。実際その通りだろう。長い月日を見返りがあるのかも分からない存在に費やし、それでいて「成功する」と盲信する。
 無論、私は策略を持って挑んではいるが、だからってここまでやり続ける人間は、いないだろう・・・・・・凡俗は出来る事しかやらない。強かで在ればそれを秤に掛けて考えもするだろう。実際私ならそうする。だが普通は限度がある。
 こと物語に関してそれが無いのだ。
 作りたくても限度が作れない。
 際限なく行動し、気が付いたら作品がいくつか出来上がっていたり、する。いまもそうだ。気が付いたらミュータント共を殺し終えていた。私の普段の執筆作業と同じだ。
 生き方と密接していれば、そんなものだ。
 労力と時間はかかるが、しかしそれを自覚できない。自覚した頃には終えている、
 それが背負った業というものだ。
 「邪魔者」は「始末」する。
 無論、意味もなく争ったり、弱い奴を襲ったりはしない。そんな無意味なことはしたくもない。疲れるだけだからな。だが、私に殺意を向けた奴は、必ず「始末」する。
 悩んだり道徳に苦悩したりして、奪われるのは御免だ。殺される前に殺す。一般人ほど、この感覚に無自覚だ。企業家がリストラするのも殺人となんら変わらない。違うのは、彼らには私と違って「自覚」どころか「覚悟」すらも存在しない、という点だろう。
 自分達が善人だと思っている。
 善人など、この世のどこにもいはしない。
 「仕方のない」と言えば、彼らの中では殺人ですら「無かったこと」に出来る。素晴らしい自己肯定能力だ。楽で羨ましい。
 無論、皮肉だ。
 夢は見るもので叶わない。彼らの善意は夢と同じだ。思っているだけで実現することは決してないだろう。倫理観や道徳に、何かを変えられる筈など無い。
 泥を被らず成し遂げるなど夢物語だ。夢は見るだけのモノ、野望は見据えるモノ、だが、狂気は見に宿すモノだ。私は己が善人だとは思わない。だが、悪であることを卑下するつもりもない。
 その他大勢の都合など知るか。
 私自身が納得すること。それが重要なのだ。
 所詮この世界は当人の思いこみで構成されている。「持つ過ぎた人間」が、己は何でも許されるのだと自惚れ、破滅するのが良い証拠だ。
 確実なモノなどどこにもない。
 己自身でさえ、「信じる」しかないのだ。馬鹿馬鹿しいことだが、ここまでやって、いやここまでやったからこそ、私からはそんな言葉しか出ない。構わない。私は「作家」としてやるべき事をやったのだ。後悔などありはしない。
 けれど、やっぱり金になっていればと思うのは甘えなのだろうか? 分からない。本当に分からなかった。
 私は・・・・・・・・・・・・
「よく耐える」
 私のいるところからでは博士の顔は見えない。恐らくは初老の老人だと思うのだが、それは私に持つイメージであって、恐らくは男、位しか分かりそうにない。
「その精神性といい、実に貴重だよ、君は。捕獲できて本当に良かった」
「そりゃどうかな」
 私は携帯端末に語りかけた。
「ジャック」
「何だよ、警報装置にアクセスして逃げるか?」「いいや、逆だ。全て入れろ」 
 我々はわざわざ別行動をしている。何故か? 私が陽動している間に、マリーにはこの施設の保管庫へ移動しろと伝えておいたのだ。保管庫には全ての実験データが納められており、そしてその隣には収容所がある事は、既に確認済みだ。
 警報の暴走と共に、全ての収容者が流れ出れば我々を捉えることなど出来はしない。
 ここで博士を惨殺するのは簡単だったのだが、「殺したその後」が大変だった。脱出する脱走者の大半は射殺されるだろうが、これで私個人の脱出経路は確保された。
 打ち合わせの時間までもうすぐだ。
「了解、ワイヤレスで今繋げた」
 と、同時に全ての警報が鳴り、恐らくは向こう側でも上手くやったのだろう。大勢の人間が移動しているらしい振動が、地面から伝わって来た。「き、貴様」
「じゃあな、人間」
 私は跳躍してガラスをぶち破り、中に進入するや否や「博士」を叩き斬った。
「生憎私はそこまで「人間」をしてないんでな。好きにやらせて貰うさ」
 後には警報の音と、解放された奴隷たちの歓喜の声が響きわたっていた。

   11

 偉くならないに越したことはない。
 悪目立ちで得られるのは大概、小さな虚栄心を満たすための下らない肩書きだ。そんなモノは欲しくもないし、何より「作品」が売れなければならないのであって「作家」が目立つ理由はない。 聖人も偉人もロクな結末は辿らない。ギロチンか不理解か貧困か、彼らの人生のレパートリィは非常に少ない。
 驚くほど単調だ。
 悲劇が少しばかり多い割に、報酬は著しく少ない。そんなのは御免だ。
 しかし、悪事を働いても上手く行かないし、善行を積んだところで良い事は訪れない。私の運命は一体、どういうつもりなのだろう?
 理解しようとするだけ、それも無駄か。
 やれやれ、参った。
 振り出しに戻る、か。
 結局のところ、私は成し遂げてやり遂げたが、それを「結果」に結びつけられていないのだから何もしていないのと同じ、ということになる。あれこれ手を尽くしたところで、夢ばかり見て現実を見ていない「夢を見たまま人生を終える」奴等と同じ扱いとは、酷い噺だ。
 そういう連中は多い。
 死ぬ寸前になってさえ、自分達が行動せず生きてきたことを嘆くことすらできないまま、終える人間が。しかし「運命」が決定づけられているならば、そうした試みそのものが「無駄」だ。
 結局はそれなのか?
 運不運、なのか?
 だとすれば、やはり無駄なことに時間を費やした。たかが人間の一生など、もとより無駄の集まりだが、私個人の目的からすれば、だ。
 何のために手を尽くしてきたのか。
 敗北する為だけに、ここまで来たのか。
 「持つ側」に生まれなかった事を嘆くしか、結局道など無かったのだろうか。「結果」そういう事になる。
 嫌な噺だ。
 それも、また「現実」か。
 夢物語を綴る作家とは、合わないわけだ。
 狂言回しとはよく言ったものだ。だが狂気を感染させるだけでは儲からない。それだけでは意味がない。何もしていないのと同じだ。
 どこかよその人間など知らん。
 問題は、私の通帳残高なのだからな。
 物語においても似たようなモノだ。物語そのものに意味はない。どんな物語でも読み終われば結末もからくりも全てが、晒される。それでも 何かを伝えようとするからこそ物語は輝くわけだがしかし、それに意味なんて在るまい。
 感動はするが、ただのそれだけ。
 無論、ただ物語の起承転結に気を配っただけの二流と違って、面白くはある。だが実質的に何か力を持つわけではない。
 結局のところ無意味だ。
 物語で救われる奴など、幻想だ。
 現実には「弱者」だと言い張っている良識人はただの泥棒でしかない。「原価でワクチンを作ってくれ」「飢えている人々がいる」「人類皆平等なら救うべきだ」免罪符が在れば救われて当然、その為の費用は全て負担されて然るべきだ、と。 羨ましい。
 ただ声を大にして叫ぶだけでよいのだから、楽で仕方ないだろう。無論、当人達は「これだけ頑張っている」などと「行動」ではなく「姿勢」で示せば金が貰えるというのだから、羨ましい限りではある。生きる事がこの上なく楽だろう。
 現実に行動して結果を出し、それが金に換えられず悩んでいるのが馬鹿みたいではある。いや、実際そういう人種が特をするのだから、馬鹿そのものなのだろう。
 生きる事は「何かを変えようとする」事が必要不可欠だ。だが「都合の良い夢だけを見ている」人種には、変えるという発想が無い。誰かが代わりにやってくれて当然、なのだ。
 そしてそれを私のような人間がするのだとすれば、貧乏くじだろう。生きているのかもしれないが、ならば生きる事は凡俗の奴隷になることだとでも言うのだろうか。
 本当に・・・・・・嫌な噺だ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 私は、何だったのだ。
 最初から、無駄だとすれば、何なのだ。
 この「私」は、何をどう足掻こうが「無駄」ではないのか。いや、そんな事は分かっていた。分かった上で変えようなどと足掻いた結末だ。現実には足掻いたところで結末そのものを変えることは出来ない、とそういうことか。
 青い鳥などどこにもいなかった。
 作り上げようとしたが、無駄だった。
 奪おうとしても不可能で、偽造しようとしても上手く行かない。当然だ。私にとって青い鳥は金なのだ。代替が効くモノを代替させようなど、何かで代わりに作り上げようなど、横着している。 それでも金だ。
 金、金、金だ。
 金が在れば幸福など安く買える。
 愛も友情も必要ない。ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活。他者をどれだけ傷つけようが、何人死のうが、構わない。だが、こうも時間がかかってしまっては、過ごす事も出来まい。 どうしたものか。いや、答えは分かっているのだ。だが「不可能だ」と諦めたところで、何が変わるわけでもない。私には「変えない」という自由はないのだ。生きている以上、何とかして目的を果たし、達成しなければ。
 金による幸福の実現だ。
 何より、狂人に「制止」などあり得ない。何が有ろうと止まることを「考えられない」からこその「狂人」なのだ。私は止まる事は出来ない。
 したくても、出来はしない。
 そんな緩い速度で生きてはいないのだ。
 だからこそ「屈辱」だ。こうも手を尽くして、およそ人間の考えられる方法論を試しつくし、己で駄目なら他者を利用して、人間性など自ら否定し続け、それでも尚目指し続けた「結果」がこれとは、「過程」よりも「結果」の思想の末路としては、実に笑えない冗談だ。
 本当に嫌になる。
 どうでも良い理由で成功する人間の傍らで、私は常に敗北し続けてきた。それら敗北すらも利用して進み、それで駄目なら方策を変え、それでもしくじりそれでも前へ進んだ。
 進むだけ無駄だったが。
 何の金にも、成らなかった。
 むしろ「労働」としてやりたくもないのにやってきた「サムライ」としての労働の方が、金の入りは多いくらいだ。
 才能や環境が全てか?
 能力を持ち、それでいて大した労力もかけず、それにならって己の道を決める人間は、別に珍しくもない。だが、そんなどうでもいい理由で勝敗が決するならば、結局は無駄か、いや、そもそも才能のある奴は「使う側」の人間に利用される事の方が多いか。どちらかと言えば本当にただの偶然、幸運、そういったもので「流行」みたいなモノに愛されて、莫大な金を稼ぐ人間か。
 ならば尚更「運不運」という事か。そもそも物語に限らず「本物」を求めている奴などどこにもいない。流行に流されて適当に楽しむ。真贋など誰も見てすらいないのだ。
 物語も同じ。
 何を書いているのか、どころか何の思想もなく流行を記事にしたような本の方が、売れる。
 何度も読み返し楽しみ続ける物語など、望んでいる奴が少ないのだ。だから、白紙の方がマシ、みたいな本が溢れて選べなくなる。
 本に限らず、デジタル社会は能力の多寡を関係なく、ただ「ネット上」の世界での評判や金の動きを頼りに売れ行きが決まるものだ。「何となく面白そう」であればいい。どうせすぐに消費して使い潰して捨ててしまう消費娯楽でしかない。
 娯楽を消費する、まさにそれだ。
 使い捨ててその場その場の「聞き心地の良い」情報にのみ、耳を傾ければいい。何かを学んで成長する必要など、資本主義社会では必要すらないからだ。とりあえず「金」になれば、猿のままでも立派になれる。
 パソコンにへばりついたままの人間が、金と名声を手にしている姿は珍しくもない。ネット上では大人も子供もない。どんな馬鹿でもそれらしい事を吐いて、優越感に浸れる。誰もが情報を共有できるというメリットが、有効活用される事は永遠にないのだ。何故なら、人間は汚い。
 元より高潔に生きられない獣だ。
 養豚場の豚のように、目の前の「都合が良い」何かへ貪り付けばいい。作家じゃ有るまいし、私のように物事の裏側など、彼らは知りたくもないのだろう。
 それでも持てば立派。
 それが資本主義と言うものだ。
 猿でも豚でも神になれる世界。
 素晴らしく醜悪だ。
 汚らしくて反吐が出る。
 だからこそ私はそういう連中と関わらないためにも金の力が必要なのだ。「立派さ」などというどこにも無い彼らの自己満足につきあって、生きる時間を浪費するつもりはさらさら無い。
 金がなければ支配される。それは御免だ。
 金は支配した。後は人間を金で支配する。
 それが「私」だ。
「ひねくれていますね、貴方は」
 神社の境内で女はそう言った。こうして地球を訪れるのも何度目だろうか。いつか、労働ではない気まぐれで訪ねたい。
「自分が哀れだから助けてくれ、なんて抜かしている連中と、一緒にされたくないだけだ。己で決めて己でやり遂げ、己で成し遂げた。その結果がそんな連中と同じでは、意味がない」
「けれど、価値はあります。それに、貴方は後悔していないのでしょう?」
「詭弁だ、そんなのは・・・・・・横から見ているだけの貴様には、永遠に分からないだろうさ」
 神の視点では、非人間の思想など理解の外だろうからな。神がいたとして、見るのは人間だ。化け物ではあるまい。
「そうでしょうか、こうしている今も、私は貴方を見守っていますよ?」
「下らん。見るだけなら猿でも出来る。問題はそれが金になるかどうか、だ」
「成ったじゃないですか」
「物語は生憎、売れていないのでな」
 それに、今回の報酬もいまいちだった。私は金遣いが殆ど無いと言って良い。嗜好品と物語くらいしか買う事は無いのだ。
 それが自由に買えない現状で、自己満足も何もない。言っても仕方のないことだが。
「貴方は有りもしないモノを求めすぎですよ。金による平穏、などと・・・・・・国家も社会も資本主義でさえ、明日には無くなってもおかしくないのですよ」
「わかってるさ」
「そうでしょうか。今まで、沢山の国家がそういう転換点を通る時を見てきましたが、何かを頼りにしてそれが失われたとき、人は脆いものです」「金がなくなる日がくるとして、私の物語が売れてはいけない理由には成るまい。貴様の言葉はただ綺麗事を垂れ流しているだけだ」
「なら、貴方は」
「貧困は救われる理由には成らない。不遇は報われて良い理由には成らない。弱者は豊かさを享受する理由には成らない。だが「傑作」が売れなくて良い「理由」などどこにもない。読者の見る目と、それこそ「倫理観」が足りないだけだ」
 物語を無料で配布しあおう、なんて馬鹿げた発想は贅肉にまみれた「持つ側」それも今まで幸運生きてきただけの豚にしか、持ち得ない発想だからな。
 読みたければ金を払え。
 読み終わって文句を言い、それでいて金を払わないとはどうかしている。なんてそれこそ綺麗事か。どうでもいいがな。
 言っても仕方ない。
「貴方だって、その恩恵は受けているでしょう」「それと、私の作品に金を払わない理由と、どう因果関係がある」
 何の関係もない。ただ、それらしい事を言っているだけだ。
 面倒な女だ。綺麗事以外出てこないのか?
 まぁどうでもいいがな。私は彼女から札束を幾つか受け取って、それを懐にしまった。いつまでこんな風に使われる毎日が続くというのか。屈辱以外の何でもない。
 口では大層な事を言っているが、その実、この女は私に厄介事を押しつけているだけだしな。
 信じるには値しない。
 神を信じるなんて、疲れた時くらいのものだ。 疲れてなければ信じる気にもならない、とそういうことだ。
「私は理解していた。否、知っていたのだ。どう足掻いたところで「持つ側」には勝てず、策を弄したところで「運不運」に左右される。私には度を超えた「幸運」など無かった。勝利者に成れないことなど、自我が芽生えた頃には分かっていたことだ。だが「仕方がない」と諦められないからこその「私」だ。口にしてもそう行動することは出来ないのだ。才能が無い事も幸運が無い事も後押しがない事も何もかもが「仕方ない」理由には出来ない。成らないのだ、環境がどうであれ、どれだけ不遇でも、理不尽が襲いかかろうとも、それは「売れなくて良い」理由には成らないし、この私が諦める理由にも、また成りはしない。豚や猿のように何も考えない醜悪なゴミ共と同じ扱いを受けるという屈辱の中ですら、私は諦めきれなかった」
「そこまで行けば、本物以上ですよ」
「どうでもいいことだ。信念や誠意ほど、どうでも良いモノは無いだろう。物事は「結果」で判断すべき事柄だ。「過程」に重きを重んずるなど、言い訳だ。お前は人間の「過程」に綺麗事の種を求めているようだが、それは逃避だよ」
「だから、今回あの少女を研究期間に売り渡したのですか?」
「そうだ」
 彼女はいずれ、解明されるだろう。そしてその時には、博士の代わりに誰かが、否、権力者はこぞって「ミュータント」という新しい軍事力を歓迎することだろう。そして「選民」は行われることになる。
 争いと新人類の発起によって。
「時間の問題だ。お前は「先送り」にすることで何か解決した気になっているらしいが、今回の件もそうだが、こんなやり方に意味など無い。遅いか早いかだ。いずれミュータントも権利を主張し新しい戦争が始まるだろう。その時、かつて無い規模の争いの中で人類は淘汰される」
「人それぞれに役割があり、それを活かす事が、支え合って生きるということです。貴方は、死んで良い人間の区別が出来るとでも?」
「出来るさ。己で道を切り開かない人間は、どんどん死ぬべきだ。まして、何をせずとも幸運や能力だけで生きてきた人間など、豚と同じだ。猿の生活と何一つ変わらない」
「そんなことは・・・・・・」
「ある。お前は人間に期待しているようだが、人間に美しい部分など塵一つ分もありはしない。あるとすればそれは己で考える人間だけだ。他は働き蟻みたいなものだ。組織には必要不可欠な死んでも良い駒だよ」
 それに、押しつけられた役割を「仕方がない」と良いながら惰性で生きる人間など、元より死体みたいなものだ。例え実体が死体であれ「生きようとすること」が己を切り開く。だが「組織」や「権威」あるいは「自分ではない誰か」を基準に生きる存在など、二酸化炭素を無駄遣いしているだけでしかないのだ。
「人間は生きるに値しない」
「私は、それでも人間を信じたいです」
 悲壮な顔で女は言った。だが、
「下らん。信じる事など誰でも出来る。要は何の根拠もなく己にとって都合の良い情報を信じるだけだ。お前は人間を信じたいわけでも、人間に期待しているわけでもない。本当のところは、人間を慮る自分に浸りたいだけだ」
 ビンタされた。 
「・・・・・・わ、私は」
「何だ、自分の論理が否定されたら暴力か? 言ってやろうか、「こんなに心配してやっているのに」心配して、だから何だ? お前の下らない自己満足につきあわせるな。勝手に思い上がって勝手に期待して、勝手に憤りを感じる。いいか、それを「身勝手な馬鹿」と呼ぶんだよ」
「・・・・・・・・・・・・」
 無力感に浸っているようだった。まぁどうでもいいことだ。感傷に浸るだけなら誰でも休暇とかにしていることだ。そも私は救われたい訳では決してないのだ。
 金が欲しい。
 人間性など今更いらない。
 役に立たないし実在しないからな。
「私に対して「心が無いなんて可哀想」だとか、そんな適当な感想を持っているようだな。で? お前の自己満足な哀れみで、私の残高が一度でも増えたのか? いちいちどこか遠くの星で、お前にとって邪魔な人物を消すのに、私の事を利用しているだけではないか」
「そ、それは」
「お前みたいに「自分はそんなつもりではない」と「思いこみ」ながら、誰かを利用する。正真正銘の邪悪だよ。気持ち悪くて仕方がない。私は生きているべきではない「悪の極み」かもしれないが、ならばお前達は「生きているだけで害悪な、偽善の極み」だろうな。悪などより、余程質が悪いと言える」
「・・・・・・・・・・・」
 済まなさそうにしていれば、彼らの心は満たされるらしい。楽で羨ましい限りだ。 
 私も楽が出来ればな。
 豚のように生きて、猿のように考える。汚らしい限りだが、それで楽が出来るのだろうか。まぁその場合、それが幸福かどうかすら、考えることを放棄しているのだろうが。
 非人間のまま、豊かになりたいモノだ。
 本当にな。
「それで、何か他に用か?」
「・・・・・・私は」
 言って、俯いていた顔を上げた。
 女は言った。
「いずれ、必ず貴方を救って見せます」
「そうか」
 口にするだけなら自由だ。何を持って救うのか知らないが、所詮この世は自己満足。この女が救えたと思い満足すれば、例え私が泥にまみれていようとも「救った」事になるのだろう。
 だからどうでも良かった。
 別に救われたくもないしな。
 欲しいのは金であって、救いなど必要ない。
 それが狂人であれば尚更だ。勝手に哀れむのは勝手だが、それを押しつけるのは激しく迷惑だ。 哀れまれる覚えはない。
 むしろ、逆か。
 私は、こいつらと違って「何か自分ではない」基準など見もしないのだ。参考にはするが、それも私の独断あって、だ。自分の在り方を確立している人間からすれば、綺麗事などただの飾りだ。精々が戦争の口実に使うくらいしか、使い道はないだろう。
 それより金だ。
 金、金、金だ。
 金が大切なのだ。
「人類皆平等、全員が一位のリレー競争の結果はただただ醜悪な猿の脳味噌と豚の行動原理を持つ生き物を生んだだけだ。二つとも似たようなモノだがな。ただ単に、私がいつも言っている事実から逃げただけだ」
 生きるという事から逃げている。
 そんな人間でも、幸運で勝利できる世界。
 ロクな結末でないのは保証済みだ。
「お互いに争わず、仮初めの平等を叫んだ結果、金も払えない癖に救いを求める貧困地域、その癖何もしようとしない難民達。何もしなくても食料は配布され、己で勝ち取る必要すらない。それも「善意」ですらない。ただ「道徳的に正しそう」というだけだ。国が、社会が、救ってくれて当然な世界。羨ましい限りだ。己で何もしなくとも、叫ぶだけで救いが出る」
 しかも金を出すのは他国の税金だと言うのだから、意味の分からない噺だ。
 善意を食いつぶしている。
「逆に、社会と折り合いのつけられない人間、己で何かを成し遂げた人間ほど、無駄に終わる。現代社会は「華々しさ」が求められる。中身に目を向けず買いあさり、その癖すぐに飽きて次を求め別の流行に便乗し、また飽きる。猿におもちゃを与えても、豚に真珠を与えても無意味だ。何せ、モノの価値そのものを求めていないのだからな」「それは、一面的なモノの見方ですよ」
「本当にそうか? お前はそれを信じていたいだけだろう。人間に善性など無い。奪い殺し搾取し騙し差別し迫害し踏み倒してこそ、人間はやっとまっとうに生きられるのだ。人間社会には常に金が存在していた。自覚できないだけで、いや自覚するのが怖かっただけで、人類は生まれたときから「幸福に成れる人間と成れない人間」という、理不尽にどうでもいい理由で決められた、幸福の権利が存在することに、気づいていたのだ」
「だから、資本主義社会が発展したと?」
「その通りだ。そして人類は少し、増えすぎているからな。お前達の大好きな善意だよ。減らした方が後々豊かになるだろう。いや、私にとって住みやすくなると言うべきか。いずれにせよいらない人間は減らして消し去る事が出来る」
 作家業と同じだ。
 いらない部分は添削すればいい。
 人間も、同じだ。
「いずれ、私が何もしなかろうが、どうせ起きる事実でしかない。それをお前は「自分が良い存在であろうとする為に」奔走しただけ。そしてそれによって起こる都合の悪い部分。つまり「邪魔者を排除する」という部分を、自分は綺麗でありたいが故に、押しつけただけだ。私に依頼して殺すことで、自分は「愛されるに足る存在」でいたいという、気色悪い私利私欲の豚の願望の為に、お前は私を利用し続けていただけなんだよ」
「そうですか・・・・・・そうですよね」
 何故落ち込んでいるのだろう。私はただ、本当の事を言っただけなのだが。
 偽善者は大抵、事実を突きつけられると怒り出す。自分達の正当性が脅かされることを恐れるのだ。この女は喚かないだけマシか。
「・・・・・・適当な事を言って貴様を慰める事も出来るが、それに意味なんてないからな。どうでもいいことだ。ふん、それにな、お前は自分が善意を利用している事を勝手に気に病んでいるようだが・・・・・・この世界は利用するかされるかだ。何一つとして特別なことはしていない。問題なのはお前が自覚せず、善意を押し売りしていることだ」
「善意の押し売りは、迷惑ですか?」
「当たり前だ。誰が感謝するか」
 人間は人間を傷つけるし、踏みつけなければ、豊かさを感じ取れない。こんなただの事実、本当のことを何故「見ないフリ」をするのか、理解に苦しむ連中だ。
 我が身可愛さなのだろう。己は善人で良識があり、良い人間だと「思いこみ」たいのだ。思いこむのは勝手だが、押しつけられても迷惑なだけでしかない。
 図々しいにも程がある。
 もっと申し訳なさそうに生きろ。
 なんてな。そんな連中、生きていようが死んでいようがどうでもいい。問題は、そいつらが私の平穏をぶち壊すことだ。
 だから迷惑なんだ、「一般人」という奴は。
「ですが・・・・・・私の意志は変わりません。貴方の息災を祈るだけなら、お金はかかりませんから」 ふっと、仕方なさそうに女は笑った。
 どうでもいいがな。
 この女が何を思おうが、通帳残高には何の関係もない。
 だからどうでも良いことだった。
「ふん、ではな」
「ええ、息災で」
 言って、我々二人は何をするでもなく、別れるのだった。用事は済んだ。またこの女が誰かを始末しようとすれば、私はまたここに来るのだろう・・・・・・その度に綺麗事の下らなさを、再確認するのだろうが。
 次回作の構想は、もう錬りたくもない。
 だが、どうせ他に出来る事もないのだ。無論、自己満足の範疇だが、精々適当にやるとしよう。
 平凡に生きる、なんてもう手遅れかもしれないが、それでも。
 狂気に身を任せて生きてきた。そしてそれはこれからも変わらない。例え世界の全てが私を否定しようが、私は己の「傑作」に疑いの余地すらなく誇りに出来る。
 どこにも救いなんてありはしない。だが、結局のところ狂人にはその狂気を具現化したモノを、売るしか道は残されていないのだ。
 保証などどこにもない。
 だが、他でもないこの「私」の書き上げた作品を、この「私」が信じずして誰が信じるというのだろう。
 己の道を歩いてきた。
 なら、やり遂げた事、成し遂げた事を、信じるくらいしか出来る事はあるまい。
 根拠なく己を信じるのは狂人の専売特許だ。精々活用するとしよう。
 私の隣には誰もいない。
 私の後ろにも誰もいない。
 私を応援する奴など、いるはずもない。
 それでも私は歩いていく。
 それこそ「奇跡」でも信じるしかなさそうな状況だが、奇跡を起こす準備だけは整った。傑作という奇跡の出来の物語が、私の手の内にはある。 読者共に見る目があることを祈りながら、まぁどうせ無駄だろうと、大して期待もせずに、私は目を閉じた。
 やることは既に終わらせているからなのか、実に清々しい気分だ。無論実利とは何の関係もないものだ。成し遂げた成果など、期待する方がどうかしている、成功は幸運で降りるモノだ。
 変に希望を持ちはしない。考えるだけ無駄だろう事は明白だ。希望を信じられるほど、この世界に見る目などない。世界は人間の意志の行く末など興味がないのだ。
 私はふと、空を見た。満面の星空、ではなく・・・・・・ただ、暗黒のような何も存在しない空間だけが、世界の果てまで広がっていた。
 まるで私の人生だと、何の感慨もなく思う。
 そして何一つ希望の無い暗闇の中で、何の根拠もなく私は、確固たる「確信」を何も無いところから作り上げて、狂気の様に笑うのだった。
 狂人に根拠も確信も自信も未来の見通しもあるものか。私が私として存在する限り、邪道作家は不滅だ。
 その方が、面白い。
 右を向けと言われれば左を向き、前を向いて歩けと言われれば後退し、やれと言われればやらずやるなと言われれば断行する。
 窮地にありながら根拠無く笑い、こうしている今も何の見通しも立っていないが、笑う事と自信や確信を持つことに、金はかからない。
 狂人など、そんなものだ。
 不可能なら断行し、理不尽なら覆そうと手を尽くして失敗する。
 そんな事を考えながら、何の希望も見えない完全な暗闇の中で、私は不敵に笑うのだった。

 

 

 
  
 

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