見出し画像

悲しみを生きた詩人

月に一度、私の家のポストには、決まって一通の葉書が届けられます。
差し出し人はプロテスト教会の牧師様で、葉書には、聖書の一節とその解説が詩的な言葉で綴られています。
私は信徒ではありませんが、その美しい教会の建築に惹かれて見学やミサにお邪魔するうち、他の信徒さんと同じくお葉書をいただくようになりました。


今月、取り上げられていた聖書の言葉は〈マタイによる福音書〉からの一節
悲しむ人たちは、幸いである。その人たちは慰められる
でした。
イエスが山の上の上に立ち、集まった人々に向かって話したという、“山上の説教”の冒頭部分です。

この一文にも心打たれるものがあるのですが、実は目にして即座に思い出したのは、今から78年前に命を絶たれた、ある詩人についてです。


その人は名を尹東柱(ユン・ドンジュ)といい、今でも人々に深く敬愛される、韓国の国民的詩人です。

1917年に中国東北部の間島で生まれた尹は、平壌(ピョンヤン)の崇実(スンシル)中学、ソウルの延禧(ヨンヒ)専門学校を経て、1942年に来日します。

初めは立教大学、後に同志社大学に学びつつ、日本の植民地支配によって朝鮮の言葉や文化、歴史が滅ぶことを危惧し、朝鮮(韓国)語での詩作を始めました。
これが反日独立思想の鼓吹、日本の国体に反する行為であるとして、彼は“治安維持法違反”で1943年に逮捕されます。

実はこの時、帰国を目前に控えていたため、荷物も故郷へ送る手筈を済ませていました。
けれど、懐かしい土地や家族との再会が叶うことはなく、逮捕から2年後の1945年2月16日に、彼は獄中にて27歳の若さで死亡しました。

死因は正体不明の薬物の注射によるものといわれますが、真相は未だ謎のままです。

彼の詩には有名なものも多いのですが、私が最も深く心を打たれたのは、先に上げた〈マタイによる福音書〉からインスピレーションを受けて書かれた『八福』という作品です。

イエスは“八つの幸い”について
「心の貧しい人たちは、幸いである。天の国はその人たちのものである。
悲しむ人たちは、幸いである。その人たちは慰められる。
柔和な人たちは…
義に飢え渇く人たちは…」
と語りましたが、尹はそれをこのように書き換えました。

悲しむ人は、幸いである
悲しむ人は、幸いである
悲しむ人は、幸いである
悲しむ人は、幸いである
悲しむ人は、幸いである
悲しむ人は、幸いである
悲しむ人は、幸いである
悲しむ人は、幸いである

私たち(彼ら)は永遠に悲しむだろう

この詩を初めて読んだ時、私はまだ彼の悲劇的な生涯を知りませんでした。
その後『空と風と星と詩』などで他の作品に触れると共に、作者の生涯を知るにつれ、作品同様、その人生にも、暗い時代の行き場のない苦痛と悲哀が深く刻印されていることを知りました。

彼がすんでのところで自身と祖国の解放、光あふれる春を味わい損ねたことを、心より口惜しく思います。

けれどもこうして彼を偲び、その生と死、静謐で澄んだ清らかさと深い悲しみに満ちた詩に思いをはせる者のいる限り、彼の言うように、そこには何者にも奪うことのできない誇らしさが輝いているように思えてなりません。


しかし冬が過ぎ
わたしの星にも春が来れば
墓の上に青い芝草が萌え出るように
わたしの名が埋められた丘の上にも
誇らしく草が生い茂るでしょう

(『星を数える夜』)

尹の命日である今日、彼の魂が永遠の安息と絶えざる光の中で安らかに憩わんことを祈ります。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?