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フランダース的な犬ではなく、外出先(国内外、場所を問わず)で、よく道を聞かれる「無害」…

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フランダース的な犬ではなく、外出先(国内外、場所を問わず)で、よく道を聞かれる「無害」 な容姿をした人間です。

最近の記事

一般的ではない私の嗜好

夜景やイルミネーションに 興味がない。建物の汚れや、電気配線、ゴミ等、 美しくないもの全てが闇にまみれ、 光源しか視認できない状態になるから、 キレイに見えるだけだと思っている。 私にとって、 夜景やイルミネーションは、 その辺の街灯、もしくは 懐中電灯の光源と大差ない。 花火大会が苦手である。まず、花火の上がる音がうるさい。 そして、賑やかさを通り越した人ごみ、 その人口密度を想像するだけで 本気でうんざりする。 当然、花火大会当日の 会場付近には決して近づかない。

    • 【PLAN75】よりタチが悪いディストピア

      ◼️PLAN75というディストピア経済の持続や、効率化を図るため、 75歳以上が自ら生死を選択できる制度 【PLAN75】により 高齢者に安楽死選択を迫る。 PLAN75とは、 そんな社会を描いた映画だろうか。 映画自体は観ておらず、 この映画のレビューを見ただけなのだが、 その感想は大きく二つに分けられそうだ。 一つ目は PLAN75を非人道的な制度と見なし、 その制度が誕生した社会的背景(価値観)に 本能的な嫌悪感や恐怖を感じるもの。 二つ目は、 いいじゃん、PL

      • 【駅伝と競馬と、ギャンブルと金】競馬に品格はあるか

        駅伝のテレビ中継を ぼんやり見ていた時、 各区の区間賞を当てた視聴者に、 抽選で現金をプレゼントする そんな企画が存在することを知り、 過去のモヤモヤがよみがえった。 ◼️何が不適切? 学生の頃、 駅伝のキャッチコピーを考える授業で、 私が考えた文章、 「選手と馬を 決して間違えてはいけない」 は不適切であると、 教師から指摘を受けたことがある。 実は、当時も今も、 何がどんな風に不適切なのか、 納得できていない。 ◼️駅伝を競馬に例えるのが不適切?

        • 大人を信用しない、大人の私。

          【私は大人を信用しない】大人が嫌いなまま、大人になった。 今でも私は、大人不信のままである。 大人は穢れていて、 子供は純粋無垢だ、 と主張しているわけではない。 自分の掲げる正義を 盲目的に絶対視できない環境にいる分、 自分が持つ信念を 他人にまで適用することが(でき)ない分、 大人より 子供の方がまだマシだ、 と思っているだけである。 【私は教育者を信用しない】◼️嗜好は個人的なものでは? 理不尽という言葉を知る前に、 理不尽という概念を理解したのは、 保育

        一般的ではない私の嗜好

          勝利至上主義における敗者の価値

          パリ何時、 そうねだいたいね パリ何時、 ちょうど日本より7時間くらい前? スポーツにはさほど興味もなく、 eスポーツさえしていないのだが、 夜型ゆえか、気付けばパリ五輪を観ている。 敗者になった時、 人間性が滲み出る。 バリ五輪を見ていて、そう思った。 敗退という結果を前に 盲目的に慟哭することも、 過去の努力の意味を疑うことも、 そこにいる勝者以外の大多数が 間違いなくする(したい)ことであろう。 しかし、 盲目的に慟哭することは、 勝利を納めた対戦者への敬

          勝利至上主義における敗者の価値

          人生の【早期退場制度】創設希望|生きることが面倒臭い

          「もうそろそろ結構です」と、 誰一人として言い出さないのが、 不思議なのである。 朝起きる事に。 (何時間か後、再び眠るのに…) 食事を摂る事に。 (排泄した分、また食べるのに…) 生きる事自体に。 (いずれ全てが腐り果てるのに…) 毎日、毎日、毎日、毎日、繰り返される、 生きる事に付随する何もかも全てに、 心の奥底から、全身全霊で、 うんざりする瞬間がある。 精神のデフォルトが、理性が、 生き物としての本能以外の全てが、 「生きることはもう十分だ」 と言っているの

          人生の【早期退場制度】創設希望|生きることが面倒臭い

          安楽死という保険を求める

          ◼️四十肩の絶望先日、生まれて初めて 四十肩になった。 絶望した。 確実な老化を、 身をもって実感したから、 ではない。 この類いの痛みは、 どれだけ酷くなろうが、 絶対に死なない! と確信したからだ。 ◼️無意味な痛み死ぬほどの痛みは 当然味わいたくもないが、 死ぬほどの痛みを得ながら、 死ねない状況こそ、 私が何よりも怖れるものであり、 最も忌み嫌うものである。 痛みと引き換えに、確実に死ねるなら、 死ぬほどの痛みは納得(享受)するが、 結果的に死ね(な)

          安楽死という保険を求める

          過労死という、究極の理不尽

          過労死をするくらいなら、 自殺した方がマシである。 私は、本気でそう考える。 自殺も過労死も同じものだと 錯覚してしまいそうになるが、 〈当事者の意思の在り方〉において、 両者は決定的に異なる、と思うのだ。 ◼️本人の意識自殺の決行は、 〈本人の意思〉によるもの であるのに対し、 過労死の決行は、 〈本人の意思〉に偽装した、 労働環境(会社)によるもの である。 自殺は、 自分が自分を殺すのに対し、 過労死は、 労働環境(会社)が自分を殺すのだ。 そう考える

          過労死という、究極の理不尽

          生物失格|生きること=セルフネグレクト

          恥の多い人生だった、 かどうかは分からない。 一般的な人が 一生のうちにかく恥の総量を 私は知らない。 しかし、 私の心身は生きることに向いていない、 ということは、はっきりと分かる。 私は(なぜか)、 生物として持つべき食への関心が薄い。 自己保存の欲求もない。 睡眠欲以外の欲がほぼないので、 何のために生まれていたのか、 今だにさっぱり分からない。 生まれてきたのが間違いだった、 と心の奥底から思っている。 ◼️食事が面倒でたまらない生物として空腹は感じる。

          生物失格|生きること=セルフネグレクト

          【行動規範>五輪出場資格】19歳の飲酒・喫煙問題から見えるもの

          飲酒・喫煙は 誰かを傷付ける行為ではないので、 それを理由とする五輪代表剥奪は 厳しすぎる処分である。 私は、この意見に異を唱える。 その根拠は二つ。 ※ 結果的に「五輪出場辞退」となったが、 実質的には「資格剥奪」であるとの 私見により「五輪代表剥奪」と表記する。 根拠① そのアスリートは 一般人でない。飲酒・喫煙したのが、 その辺の19歳であれば、 私は(迷わず)大目に見るだろう。 もう少しで、酒もタバコも 堂々と嗜める歳になるんだから もうちょっとだけ我慢しなさ

          【行動規範>五輪出場資格】19歳の飲酒・喫煙問題から見えるもの

          言語コミュ力以上に、人間性を試すもの。

          ◼️沈黙は、雄弁失意の底で、 自我を手放しているのか、 意思の断片を 手繰り寄せているのか、 心に秘めた何かを 死守しようとする決意か、 語るべき言葉を、 冷静に燃やしているのか、 怒りという熱が、 軽蔑と諦念に変化したのか、 あらゆる接触への 強烈な拒否か、 沈黙という行為は、 バラエティーに富む。 思考を即座に 理路整然と言語化できる者は、 おそらく、この機微には気付けまい。 ◼️思考(感覚)>言葉(表現)我々は、 体感した抽象的な刺激(思考)を、 具体的

          言語コミュ力以上に、人間性を試すもの。

          うつ&適応障害 vs サイコパス優遇社会

          ◼️「マゾヒスト」生産社会うつは「病気」ではなく、 環境に対する反応だ。 誰かが、そう言っていた。 環境が変われば、 感情も思考も価値観も 大きく変わる可能性がある。 だが、 今の社会が大きく変化するとは 到底思えない。 仮に変化するとしても、 社会は強者に都合の良い方向にのみ転ぶ。 コロナ禍において、 一部の限られた人のみが実現可能な、 「在宅勤務」という労働形態が誕生し、 その後、それが〈普通〉となったように。 変わることが(ほとんど)ない社会で、 生きる(働

          うつ&適応障害 vs サイコパス優遇社会

          「生きることは絶対に素晴らしい!」と思える呪いに、何故か私は罹り損ねた。

          生きている状態がツラい。世の中の、寝るべき時間帯に、 きちんと布団に入り、 意識を眠りに飛ばすまでの状態が。 世の中の、起きるべき時間帯に、 アラームの音に意識を撲殺される状態が。 世の中の、生きるためにすべきこと、 食事、仕事、学習、成長、等、 人として正しい行動を心がける状態が。 何故だか、とてもツラいのだ。 世の中からの要望がキツい。正しいとも価値があるとも思えないことを、 圧倒的多数(世間)が求めているのだから、 それは正しく、そして価値がある、 と理解(して

          「生きることは絶対に素晴らしい!」と思える呪いに、何故か私は罹り損ねた。

          「安楽死を拒否する感情」に真っ向から対立する

          安楽死をどうしても 受け入れられない感情 NHKドキュランドへようこそ 生きるこだわり 安楽死を選んだパラ金メダリスト を見た。 安楽死肯定派の私でさえ、 正解のない問題を永遠に抱える 息苦しさを覚えた。 どんな境遇であれ、 決定権が母親のみに帰属し、 母子以外の第三者には関与・言及不可 (よって実質的な選択権は母親が所有) な中絶というケースであれ、 「死」には、必ず苦悩や苦痛が伴う。 カタルシスなど微塵もない。 だから、 安楽死に反対する者の気持ちが、 その理屈

          「安楽死を拒否する感情」に真っ向から対立する

          カネのご加護がありますように。正義も平和も福祉も全ては、カネ次第

          ◼️カネ=正義カネがもたらす圧倒的な豊かさをもって、 文明は「儲かること=善」という教義を 殆ど全ての人に授けた。 神の存在を無視する者も、 文明の中で生きる以上、 根源的なカネの存在を無視できない。 カネに無頓着でいられる者とは、 有り余るカネのご加護を受けた者だ。 ◼️カネ(正義)=平和 or 戦争豊かな文明(カネ=正義)の中で、 平和が実現される一方、 莫大なカネ(土地、資源)の争奪は、 戦争をもたらす。 正義の名の下に 平和と戦争をもたらすのも、カネである。

          カネのご加護がありますように。正義も平和も福祉も全ては、カネ次第

          150万は安い?高い??弱者の思考と境遇に無理解な社会

          「まともな金利がある世界」になる前に、 「投資は当たり前な世界」がやってきた。 投資を勉強しようとする度に、 思い出す出来事がある。 2020年、150万円の投資詐欺に遭った 女性(22歳)が自殺した。 失った150万は決して少額ではないが、 彼女の年齢を考慮すれば、 絶望するほどの金額だったのか、 と問う報道と、世間の見解だ。 ◼️150万という額150万円とは、 稼げない額ではない。 理屈としてなら、よく分かる。 私には社会人経験があり、 150万という金額

          150万は安い?高い??弱者の思考と境遇に無理解な社会