【PLAN75】よりタチが悪いディストピア

◼️PLAN75というディストピア

経済の持続や、効率化を図るため、
75歳以上が自ら生死を選択できる制度
【PLAN75】により
高齢者に安楽死選択を迫る。

PLAN75とは、
そんな社会を描いた映画だろうか。

映画自体は観ておらず、
この映画のレビューを見ただけなのだが、
その感想は大きく二つに分けられそうだ。

一つ目は
PLAN75を非人道的な制度と見なし、
その制度が誕生した社会的背景(価値観)に
本能的な嫌悪感や恐怖を感じるもの。

二つ目は、
いいじゃん、PLAN75。
この制度があれば、
最悪を回避して救われる…。
と希望に似た類いの感情を持つもの。

つまり、
前者(多数派だろう)は
出生主義者であり、
この映画に描れた社会を
ディストピアと見なし、

後者(私を含む極少数派)は
反出生主義者であり、
この映画に描れた社会を
ユートピアとは見なさないまでも
PLAN75をかなり肯定的に捉える。


◼️ディストピアとは何か?

私は反出生主義者で、
PLAN75制度を非常に肯定的に見るが、

この映画に描れた社会は、
間違いなくディストピアだと考える。

社会が【PLAN75という】制度で、
個人の【生きたいと望む】意思を
蹂躙しているからだ。

「出生主義者の感想と同じでは?」と
同一視されるのは、大変心外だ。


私の主張する上記ディストピアの定義、
【   】の中は、決して限定されない。

社会が【異性間のみの婚姻】制度で、
個人の【同性婚を望む】意思を
蹂躙している社会はディストピアだ。

とも言い換えられる。

つまり、

社会が何らかの制度(圧)等で、
個人の自由意思を蹂躙する社会
間違いなくディストピアだ。

と私は考える。

「生存権を脅かすPLAN75制度」のみを
ディストピアの根拠とする出生主義者と、
私は微妙に相容れない立場を取る。


◼️ディストピアの核

PLAN75という映画の世界観が、
ディストピアと見なされる
根本的な要因は、

安楽死の制度があるから、でも、
それが(暗に)強要されるから、でもない。

本来あるはずの選択肢を、
強者がさじ加減で潰し続けることが可能で、

(強者が意図的に残した)
特定の価値観を、
合理的に押し付けることが、
まかり通る社会だから、

である。


【PLAN75という】安楽死制度が、
個人の【生きたいと望む】意思が、

正しいのか、間違っているのか、
それに関して私は言及しない。

それは、
完全に個人の価値観によるもので、
(議論の価値はあるが)
統一見解を導き出す必要性を
私は全く感じないからだ。

私は、全体主義者ではない。


◼️PLAN普通というディストピア

「生きることは何よりも素晴らしい」
という絶対的価値観をベースに、

学校という教育機関でのみ学び、
労働という生産活動でのみ社会と繋がり、
異性に対してのみ性的な感情を持ち、
男女一組でのみ家庭という単位を形成、
出産育児という行為でのみ後世に貢献し、

どんな境遇の下、
いかなる理由があろうとも、
自ら死を求めることは
決して認め(られ)ない。

それ以外の境遇で生き、
それ以外の選択肢を選ぶ者は、
生きる場所や得られるものが
圧倒的に限定され、
社会から合法的に排除される。

私はこれを【PLAN普通】と命名する。

今現在、
PLAN普通の制度下で生きる
少数派にとっては、

既に、ここが、
ディストピアだ。


だから、私は、
このPLAN75という映画の感想が、
安楽死の是非のみに留まることに、
PLAN75以上のディストピア感を覚える。


◼️ディストピアの蔓延

PLAN75の制度下で、
無視できない違和感に苛まれた者や、
物理的に生存権を奪われた者がいたように、

彼らと同等の立場にいる者(=少数派)が、
生産性と効率性の被排除者(=弱者)が、

今、我々が生きる現実のどこかに
存在してはいないか、

と想像力を広げられないとしたら、

私にとっては、それこそが
PLAN75強制履行以上の恐怖だ。


「生きてさえいれば何とかなる!」
と信じる出生主義者にとっては、
生存を保証されている点において、

PLAN普通は、
PLAN75より格段にマシ

に映るのだろうか。


しかし、それは、
多数派(強者)の傲慢
としか私には見えない。


きっと、
私自身が反出生主義者で、かつ、
少数派に属する者からだろう。

ディストピアだと誰もが薄々気付いている
PLAN75(映画の設定)より、

ディストピアだとは誰も思いもしない
PLAN普通(今現在の現実)の方が、

私にとっては、

ディストピア感が
格段にマシマシで、
圧倒的に恐ろしい世界

に映るのだ。


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