過労死という、究極の理不尽
過労死をするくらいなら、
自殺した方がマシである。
私は、本気でそう考える。
自殺も過労死も同じものだと
錯覚してしまいそうになるが、
〈当事者の意思の在り方〉において、
両者は決定的に異なる、と思うのだ。
◼️本人の意識
自殺の決行は、
〈本人の意思〉によるもの
であるのに対し、
過労死の決行は、
〈本人の意思〉に偽装した、
労働環境(会社)によるもの
である。
自殺は、
自分が自分を殺すのに対し、
過労死は、
労働環境(会社)が自分を殺すのだ。
そう考えると、
「本当は生きていたいのに、
死を選ばざるを得ない」
そんな状況における自殺は、
厳密には、自殺ではないのだろう。
◼️加害者の意識
自殺であれば(100歩譲って)
「それは本人の意思だった」
と思えなくもない。
だが、
過労死は、
労働環境(会社)がトリガーになった
にも関わらず、
その直接的な遠因の加害者は
その過失を(容易には)認めない。
加害者が被害者面することさえ可能
という点において過労死は、
通り魔的な殺人よりはるかにタチが悪い、
とさえ言えるのではないか。
ちなみに、
過労死をするくらいなら、
「殺すのは誰でも良かった」と主張する
通り魔に殺された方がまだマシである。
私は、本気でそうも考える。
とにかく、
過労死で死ぬのは、
死んでもイヤなのである。
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