人生の【早期退場制度】創設希望|生きることが面倒臭い

「もうそろそろ結構です」と、
誰一人として言い出さないのが、
不思議なのである。

朝起きる事に。
何時間か後、再び眠るのに…

食事を摂る事に。
排泄した分、また食べるのに…

生きる事自体に。
いずれ全てが腐り果てるのに…

毎日、毎日、毎日、毎日、繰り返される、
生きる事に付随する何もかも全てに、
心の奥底から、全身全霊で、
うんざりする瞬間がある。


精神のデフォルトが、理性が、
生き物としての本能以外の全てが、
「生きることはもう十分だ」
と言っているのだ。

うつでも、その他の病気でもない。

私はまともな精神状態(※)で、
本当にそう思っている。

※なかなか終わらない人生に、
   若干イラついてはいるが…。


それとも、
「私は嘘をつきません」
「私は怪しい者ではありません」
と言い張る嘘つき不審者と同様、

「自分はまともです」
と断言するヤツはまともではなく、
私は狂っているのだろうか。


一度眠りについたら、
貴方はもう二度と
目覚めることはありません。

そう言われたら、
いまだかつてないくらい
心安らかな心境で布団に入れる。


明日が、
貴方の人生、最後の1日です。

そう言われたら、
きっとその夜は、なかなか眠れない。
遠足前夜と同じ心境で。


良い事があれば
悪い事もあり、

嬉しい事があれば
悲しい事もあり、

楽しい事があれば
辛い事もある。

例え、ネガティブな事が
相対的に多く起きたとしても、
その分、ポジティブな事が
強烈な印象を残す人生となる。

人生は、幸も不幸もあわせ持つ。

だから、
ある程度の年月を消化すれば、
生きる事を望むことと、
そうでない事を求めることは、

超個人的な
嗜好の問題に尽きる

のではないか。


生きていく中で、
飽くなき何かを求める者を
私は全く否定しない。

好きなものを好きなだけ求めて、
最期の最後まで人生を楽しんで欲しい。


だが私は、

もういい加減、
厭きたのだ。

朝起きる事に。
食事を摂る事に。
生きる事そのものに。

私はもう、
何もかもが本当に面倒臭くて、
たまらないのだ。


会社員に
早期退職制度があるように、

人生にも
早期退場制度はないものか…。



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